予定にない寄り道
採るのは一日で終わった。仕事はそこから先が長かった。
摘んだ葉はその日のうちにギルドの乾燥室へ運ぶ。屋根裏を細長く伸ばしたような部屋で、棚に張った網の上にはほかの冒険者の葉も並んでいる。窓から入る風が、乾きかけた草の匂いをかき混ぜていた。
仕事は三つしかない。傷んだ葉を抜く。残りを裏返す。網の端まで終わったら、次の網へ移る。
乾かし始めた日は楽しかった。葉が少しずつ軽くなっていくのが指で分かる。アイリは抜いた葉を傷み方ごとに三つの山に分け、どの山が一番多いかを俺に教えてくれた。次の日の昼には、俺は網の数を数えるのをやめた。
乾かし始めて三日目の午後、隣で葉を裏返していたアイリの手が止まった。指先が汁で薄く緑に染まっている。
「マスター。間違いはありません。傷んだ葉は全部抜いていますし、裏返し忘れもありません」
「ああ」
「それなのに、続けるのがつらいです。手は動きます。でも、次の網を見ると肩が重くなります」
アイリは自分の肩に手を置いた。重さを確かめるように、何度か押してみている。
「残りの網を今日だけで四回数えました。数えても減りません」
アイリは手を下ろした。
「これは、退屈だと思います。言葉は知っていました。自分がこうなるとは思っていませんでした」
俺は網の端に手をついて息を吐いた。
「俺もだ。昨日の昼から飽きてる」
「マスターもですか」
「網を数えるのは、昨日でやめた」
アイリは俺の顔を見て、それから網に目を戻した。助言を待っている顔ではなかった。同じ網を見て、同じくらい嫌になっている顔だった。
それで少し楽になった。どうすれば早く終わるかを考えるより先に、楽になった。
「残りを半分に分けよう。右の三枚は俺、左の三枚はお前。一枚終わったら窓の外を一回見る」
「窓の外を見るのは作業に必要ですか」
「必要ない。だからやる」
アイリは少し考えてから、うなずいた。
一枚目を終えると、アイリは本当に窓まで歩いていって、外を見た。戻ってくると、見たものを一つだけ言った。
「向かいの屋根に猫がいました。さっきと同じ場所です」
二枚目のあとも窓へ行った。猫はまだいたらしい。三枚目のあとには、猫が寝返りを打ったと報告してきた。手の速さは最初と変わらなかった。肩に手を置くことはもうなかった。
この世界に来て十一日目に、指導員が検品をした。籠を一つずつ傾けて葉の裏を確かめ、合格の印を押した。
その晩、宿の部屋でアイリが掲示板から写してきた依頼票を読み上げた。同じ採取区の、もっと奥の窪地。茎まで使う薬草で、乾燥と仕分けまで四日。
「次はこれにしよう。どう回るかは明日の朝までに二人で決める」
「はい。次の乾燥室では、退屈になる前に窓を決めておきます」
*
十二日目の朝、宿の机に紙を広げた。道を描いたのはアイリで、回る順を決めたのは俺だった。
アイリが最初に引いた線は、近い所から順に採っていく道だった。紙の上ではそれが一番短い。
「一番奥の窪地まで、先に空の籠で行こう。採るのは帰り道だ」
「歩く距離は少し長くなります」
「その代わり、重い籠を担いで歩く距離が短くなる」
アイリは線を指でなぞり直した。
「倉庫の荷と同じですね。重い物は出口の近くに置く」
「そういうこと」
目標は籠二つ分。二人で決めた量だった。
窪地に着くまでは足取りも軽かった。空の籠は背中で弾み、朝の草は露で光っていた。
窪地は湿っていて、薬草がほかの場所よりずっと密に生えていた。アイリはしゃがみ込んで、株の間隔を指で測った。
「手前の草地では、株と株のあいだが手のひら三つ分でした。ここは一つ分です。違いは記録します。どうしてかは、分かりません」
「分からないまま書くんだな」
「はい。分かったことにすると、次もそのつもりで見てしまいます」
帰り道で籠を満たしていった。茎の根元を折って青い匂いを確かめ、葉の裏を指でなでてから籠に入れる。一本だけ、折っても匂いの薄いのがあった。アイリはそれを籠に入れず、腰の小袋に分けた。
「分からない株です。検品の時に聞きます」
籠が重くなるにつれて背中で揺れるようになった。アイリは揺れを抑えようと、胸の前で背負い紐を両手で握って歩いた。昼の鐘が遠くで聞こえた頃、一つ目の籠はいっぱいになり、二つ目が半分になっていた。
左のかかとが痛み始めたのはその少し前からだった。この世界に来た時から履いている底の薄い靴だ。歩くたびに、かかとの同じ所がこすれる。
「アイリ、疲れてないか」
「大丈夫です。マスターは」
「俺も平気だ」
そう言ってから、自分の声が少し高かったのに気づいた。アイリの返事も、いつもより一拍早かった気がする。
小川のところで籠を持ち替えた。重いほうを俺が持とうとして、アイリの籠の背負い紐を受け取った時だった。紐が汗で湿っていた。アイリの指は紐を離したあとも、少し曲がったまま開かなかった。
アイリのほうは、俺の足元を見ていた。
「マスターは左足の外側で歩いています。朝はそうではありませんでした」
「……お前の指も開いてないぞ」
アイリは自分の手を見た。それから、ゆっくり指を開いた。途中で止まった。
「大丈夫、と言いました」
「俺も言った」
「籠二つ分は、私も一緒に決めた量です。指のことを言ったら、マスターの予定を崩すと思いました」
「俺もだ。かかとのことを言ったら、お前ががっかりすると思った」
二人とも相手の前でだけ大丈夫だった。
小川の石に腰を下ろした。靴を脱ぐと、かかとの皮が赤くむけかけていた。手ぬぐいを裂いて巻く。アイリは両手を小川の水に浸し、指を一本ずつ曲げ伸ばししていた。
「籠二つ分はやめよう。どう帰るかを先に決める」
「依頼で最低限いる量は、籠一つ分と少しです。今の量で届いています」
「じゃあ、もう採らない。荷を分けて帰ろう」
「はい。私は半分の籠にします。紐は握らずに、肩に掛けたままにします」
誰が悪かったかの話にはならなかった。帰り方の話だけで足りた。
帰りは来た時よりゆっくり歩いた。いっぱいの籠は俺が背負い、半分の籠はアイリが肩に掛けた。道の脇に薬草が見えても、もう手は伸ばさなかった。休むたびに、アイリは指を開いて俺に見せた。
日が傾き始める前に街の門をくぐった。籠は一つと半分。詰め込まなかったぶん、葉は一枚も潰れていなかった。
十五日目の検品で、指導員は茎の切り口を一本ずつ見てから印を押した。小袋の一本は、指導員が折って嗅いでから首を振った。似た草だった。宿と食事の札はその日で期間が終わり、翌日からは同じ宿の同じ部屋に、自分たちの財布で泊まった。
十六日目からの四日間は、採取区の管理小屋にある古い分布票を、現物と照らし合わせる仕事だった。アイリが票の書き込みを読み、俺が現地で株の場所に杭を打つ。古い杭のいくつかは根元が腐って倒れていたので、場所だけ紙に残して新しい杭を隣に打った。あの窪地は古い票には載っていなかった。新しい地点として書き足し、十九日目に納めた。
*
その足で、通りの古い武具屋へ入った。
店の奥は油と鉄の匂いがした。壁に剣が何本も掛かっている。その中に一本、目を引くのがあった。幅の広い刃で、鍔の両側が鳥の羽のように張り出している。
「これにする」
「その剣を選ぶ理由を聞いてもいいですか」
「格好いいだろ」
アイリは剣と俺を見比べて、何か言いかけてやめた。
代わりに、奥の台で店主と話していた女の冒険者がこっちを振り向いた。栗色の髪を短く結んで、使い込んだ革の胸当てをしている。台の上には留め紐を付け替えている途中の小さな盾が載っていた。
「それ、一日下げて歩けるか?」
「え」
「いや、余計な口だった。でも腰に下げてる時間は、振ってる時間よりずっと長いからさ」
笑ってはいなかった。言い方は乱暴だったが、真面目な声だった。
店主が壁から二本を下ろし、俺に一本ずつ持たせた。
「腕を前に伸ばして、十数えてみな。先にこっち、次にそっちだ」
羽の鍔の剣は、五つ目で切っ先が下がり始めた。十で腕が震えた。もう一本は飾りのない片手剣で、刃の幅も細い。十まで数えても切っ先は同じ高さにあった。
「先が下がっています」とアイリが言った。「一本目は五つ目から。二本目は下がっていません」
言われる前から分かっていた。腕が先に知っていた。
格好いいほうを、もう一度だけ見た。それから、細いほうを店主に返さずに持ち直した。
「こっちにします」
「まいど。刃に小さい欠けがあるが、研いである。鞘はおまけだ」
銅貨五百枚。三つの依頼で貯めた手取りが目に見えて減った。
女の冒険者は直った盾を受け取ると、背中に回して紐を締めた。
「いい選び方したな。じゃあな」
それだけ言って、出ていった。名前も聞かなかった。
店を出て剣を腰に下げると、一歩ごとに鞘が太ももに当たった。腰で支えると、腕で持った時ほど重く感じない。ずっと下げて歩くなら、これでよかったのだと思う。
*
帰り道、通りの角に焼き菓子の屋台が出ていた。倉庫の仕事が終わった次の朝に蜂蜜の薄焼きを買ったのとは別の屋台だ。木の実を練り込んだ固そうな菓子と、蜂蜜を塗った柔らかいものが並んでいる。
「何か食うか。今日はお前が選べ」
アイリは二つを見比べた。
「固いほうは日持ちがします。持ち歩いても崩れにくいです。木の実が入っているので、腹持ちもよさそうです」
「じゃあ固いほうか」
「はい」
一つ買って渡すと、アイリは端をかじった。かり、と音がした。
アイリはそこで止まって、噛んだ。もう一口かじる。噛むたびに小さく音がして、そのたびに目が少しだけ細くなった。
日持ちの話はもう出てこなかった。
「一口くれ」
アイリは端を小さく割って、俺の手のひらに載せた。かじると歯に響くほど固い。木の実が香ばしかった。
「固いな」
「はい。固いです」
アイリはそう言って、残りをまたかじった。俺はそれ以上は何も言わずに、屋台の主人にもう一つ頼んで包んでもらった。
「これは明日の分ですか」
「さあな」
アイリは紙袋を両手で受け取り、宿に着くまで潰さないように持っていた。
それからの八日間、新しい依頼は受けなかった。剣を買ったあとの財布を二人で数え、宿代を払っても八日は持つと確かめてから決めた。
朝は宿の裏で木剣を振った。訓練場で習った構えから、足を開いた形を崩さずに十回。剣を下げて歩く練習もした。昼は標本室で、採った薬草と似た草の押し花を見比べた。
夕方はアイリに文字を習った。覚えるのは依頼票によく出る字からだ。採取、期限、報酬。俺が宿の板に白墨で書くと、アイリが横から一本だけ指さす。
「ここの線は、もう少し右から始まります」
直すのはいつも一か所だけだった。三日目には、期限の二文字を見ずに書けるようになった。
休んで五日目の夕方、ギルドを出たところでアイリが言った。
「今日は、東の通りを回って帰りませんか。少し遠いです」
東の通りの角には、あの屋台がある。
「いいよ」
理由は聞かなかった。アイリにも行きたい道がある。それだけのことだった。屋台の前で、アイリは何も言わずに固いほうを一つ選んだ。
休みの最後の朝、掲示板の前で声をかけられた。倉庫で俺の背中を叩いた背の高い運び手だった。
「おう、新人。倉庫はもうやめたのか」
「この前まで採取をやってました。何かありました?」
「東の街道がな。荷車がやたら揺れるって、御者がみんな文句言ってる。道の穴か、待避所か。誰も見に行かねえ」
運び手はそれだけ言うと、荷を受け取りに奥へ行った。
俺は掲示板を見上げた。Fの欄に、知っている字が一つあった。期限。その前に並ぶ字は読めない。
「アイリ、Fの欄の、期限の前のやつ」
「『東の街道、指定区間の点検』です。道標と路面と待避所を確かめる仕事です。Fで受けられます」
運び手が頼んだわけではない。ギルドが出している普通の依頼だ。
「これにしよう。採るんじゃなくて、道を確かめる仕事だ。運び手さんたちが通る道だしな」
「はい。窓はいりませんね」
アイリはそう言って、依頼票を壁から外した。
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