火のそばで
荷車が襲われた所まで上ると、そこから先は街道を外れた。
群れの跡は斜面を上がって、まばらな林の中へ続いていた。リナが前を歩き、アイリが跡のそばにしゃがんでは立ち、俺はその後ろで記録票に道順を書いた。セレスさんは一番後ろでときどき立ち止まって風を見ていた。
雪は膝の下まであった。踏むたびに足の下で雪がきしむ。一歩ごとに靴が沈んで、抜くたびに腿が重くなった。
「縁が荷車の所の跡より立っています」とアイリが言った。「こちらの方が新しいです。向きは上です」
「上か」とリナが言った。
「はい。まとまったまま上がっています」
俺は記録票に書いた。日の高さ、林に入った所、跡の向き。字が揺れた。手袋の中で指先がかじかんで、炭の棒がうまく持てなかった。
途中で一度だけ岩の陰で休んで、干し肉をかじった。リナは二枚目に手を伸ばしながら、アイリが何か言う前に「倍にしたんだ」と言った。アイリは表を見て、黙ってうなずいた。
林の中は静かだった。枝から雪が落ちる音と、四人の息の音しか聞こえない。誰も余計なことは言わなかった。
日が稜線に近づいたころ、リナが岩の下の窪地で足を止めた。
「ここにしよう。風が当たらない」
セレスさんが窪地の縁に立って、指先を上げた。
「風は斜面の上から下へ流れています。私たちの匂いは下へ行きます。跡は上へ向かっていますから」
「群れの方には流れない、ってことか」
「今の風なら、です」
四人で荷を下ろした。リナが天幕の杭を雪に打ち込み、セレスさんは岩の下から枯れ枝を集めてきた。アイリは荷の中身を表と一つずつ照らし合わせていた。俺は窪地の底の雪を踏み固めて、火を置く場所を作った。
日が沈む前に天幕を張り終えて、火を起こした。
*
火が落ち着いたころ、俺は油の小さな壺を手に取った。
「柵の時みたいに、煙を使えないかな。鍋はないけど、小さな皿に移せば」
「煙を帯にするなら、風は短く何度かです」とセレスさんが言った。「油に火を付けるのは悠真さんにお願いします」
「分かってる」
それから、明るいうちに少しだけ剣の練習をした。
「リナ。街道の時の二度目、あれをやりたい」
リナは盾を左腕に付けて、拾った枝を右手で振った。
「いいよ。二回続けて行く」
一回目の枝を剣で受けた。受ける瞬間に右足が迎えにいくように前へ出た。それから半歩下がる。二回目の枝がすぐに来て、下がりきらないうちに俺の足は雪の上で滑った。
「受けたら、足を残しな」とリナが言った。「そしたら次が来ても下がれる」
「一撃目を受ける時、右足が半足分前へ出ています」とアイリが言った。「体が前に残るので、次に下がるのが遅れます」
「考えすぎだって。受けたあとに残せばいいんだよ」
「残す前に、出る量を減らす必要があります」
「減らすのはいいけどさ、大事なのは受けたあとだって」
二人が同時に俺を見た。俺は剣を持ったまま、どっちの足から直せばいいのか分からなくなっていた。
「……一つずつ教えてくれ」
火のそばで、セレスさんが手で口を押さえていた。肩が小さく揺れていた。
アイリが先に言った。
「受ける時、右足を半足分だけ手前に置いてください」
リナが続けた。
「で、受けたら、その足をそこに残しな」
何度か繰り返した。滑った。滑った。膝が雪についた。リナの枝が一定の間で来て、アイリが回数を数えていた。
何度目かで二回目の枝を受けたあと、足が雪の上に残った。
「今の」とリナが言った。
「十四回目です」とアイリが言った。
次の一回ではまた滑った。その次も滑った。暗くなってきたのでそこでやめた。
夕食は干し肉を湯で戻した汁と、黒いパンだった。リナが三杯目をよそって、アイリが鍋の残りを目で測っていた。
練習では一度だけだった。それでも、足が残った時に靴の裏で雪が押し返してきた感じは、寝る前まで消えなかった。
*
夜、セレスさんと二人で火の番をした。
リナとアイリは天幕の中で眠っていた。薪がはぜて、火の粉が暗い空へ上がっては消えた。
セレスさんは膝を抱えて、山の上の方を見ていた。リートブルクで稜線を見ていた時と同じ顔だった。
あの時は、聞かなかった。
「セレスさん。光の柱、どうして見たいんですか」
セレスさんは少し驚いた顔をして、それから火の方へ目を戻した。
「子どもの頃に本で読んだんです。絵が一枚ついていて」
「絵」
「雪の上に細い光がまっすぐ立っている絵でした。文には、どんな冬の日に立つのかが細かく書いてあって、それによると……」
そこまで早口で言ってから、セレスさんは少し間を置いた。
「でも、見たいのは条件を確かめるためだけじゃなくて」
火を見たまま、セレスさんは続けた。
「条件のそろった冬の日にしか立たないそうです。冬に高地へ来られたことはこれまでなかったので。絵と文で、形は知っているんです。でも、自分の目では一度も見たことがなくて。子どもの頃から何度も思い浮かべてきたので、一度は本物を見てみたいんです」
仕組みのことは俺には分からない。それでも、その気持ちは分かる気がした。
「見られたらいいですね」
「はい」
セレスさんは薪を一本取って、火の中へそっと置いた。俺はその薪に火が回っていくのを見ていた。
絵の話をしていた時のセレスさんの声がまだ耳に残っていた。本物の柱の前に立ったら、この人はどんな顔をするんだろう。火の番を交代するまで、そんなことを考えていた。
*
交代の時間にアイリが天幕から出てきた。空はよく晴れていて、星が火の明かりに負けずに出ていた。
セレスさんが天幕へ入ると、アイリは何も言わずに俺の隣に座った。それから俺の手を取って、手袋の指先を確かめた。
「濡れていません」
「夕方の練習で、少し雪がついたけど」
「表だけです。中までは通っていません」
アイリは自分の手袋を外して、火にかざした。こっちは濡れていた。足跡を見るたびに雪の上に手をついていたからだ。
「マスターの手袋の縫い目は、テオさんの店で見たとおりでした」
俺も手袋を外して、アイリの手袋の隣に並べた。二組の手袋から、白い湯気が細く上った。
アイリは手袋を裏返して、またかざした。俺は薪を一本足した。二人ともしばらく何も言わなかった。
やがてリナが起きてきたので、俺は天幕に戻って毛布にくるまった。
*
夜明け前、アイリに肩を叩かれた。
「マスター。下の斜面に一頭います」
天幕から出ると、空の端が白み始めていた。窪地の下の斜面に灰色の背が一つ見えた。まだずっと下の林の間で、立ち止まっては鼻を上げ、また少しこちらへ上ってくる。
「ほかの姿は見えません」とアイリが小声で言った。「脇腹の毛が焦げています」
柵で見た焦げ跡が頭に浮かんだ。同じ一頭なのかは分からない。
リナが盾を取って窪地の縁の一歩前に出た。俺たちが支度をする間、前はリナが見ている。セレスさんも天幕から出てきて、黙って斜面の風を見た。風は夜と同じで、上から下へゆるく流れていた。
「右の林の側を開けておこう」と俺は言った。「左に帯を作る」
油の壺から、小さな鉄の皿に油を移した。手が少し震えて、縁から一滴こぼれた。皿を雪の上に置き、火口で火を付ける。低い火が皿の上に広がって、黒い煙が上がった。
セレスさんが手を動かした。短い風が煙を押して、斜面に沿って横へ伸ばした。もう一度。煙が細い帯になって、窪地の下の斜面を斜めに横切った。
灰色の背が帯の手前で止まった。
鼻先を上げて、煙の匂いをかいでいる。一歩、前脚を出しかけて、引いた。
それから向きを変えた。帯を越えずに、右へ。開けておいた林の側へ、雪を蹴って離れていった。
俺たちは誰も動かなかった。灰色の背が林の奥で見えなくなるまで窪地の縁から見ていた。
追わなかった。
四人で顔を見合わせた。リナの口の端が上がっていた。セレスさんは息を止めていたらしく、そこでやっと白い息を吐いた。
「使える」と俺は小さく言った。
「脇腹の焦げた一頭には効きました」とアイリが言った。「一頭だけで、ほかの姿はありませんでした。焦げていない一頭や群れに効くかは、分かりません」
「うん。それは分かってる」
それでも、手が一つ増えた。
皿の火に雪をかぶせると、じゅっと音がして、煙が細く切れた。俺は皿を雪で拭いて、荷の中に戻した。
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