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異世界転生した俺のチートはAIでした。なお、たまに嘘をつきます。  作者: 白川 透


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16/33

仕事のない夜

 昼のうちに前の日の記録票を清書してベルントさんに渡した。見たのは柱の三本目までで、まだ見ていない欄のほうがずっと長い。

 宿の窓から広場が見えた。朝に立っていた柱のあいだに縄が渡され、色のついた布が風に揺れている。屋台の骨組みに板が載って鍋が運ばれ、日が傾くころには一つずつ灯りが入り始めた。

「今夜は調べない」とマルタさんが言った。「祭りだ。全員休め」

 休めと言われても、手が落ち着かなかった。記録票の束を部屋に置いてきたのに、指がまだ紙の端を探している。休みの日に何をしていたかと聞かれたら、前の世界でも寝ていたとしか言えない。

 俺は階段を下りながら、まだ明日のことを考えていた。

「リナ、明日の灯りの数なんだけど」

「夕飯が先」

 リナは俺の袖をつかんで、そのまま広場へ連れ出した。後ろからアイリとセレスさんがついてくる。セレスさんは屋台の灯りを一つずつ見回して、街の祭りより火が近いですね、と言った。

 広場は人でいっぱいだった。焼いた肉の脂と煮た林檎の甘い匂いが混ざっている。宿場の人も、街道を通りがかった荷車の御者も、同じ火のまわりに立っていた。

 グレタさんが鍋の前から手を振って、湯気の立つ椀を四つ押しつけてきた。煮た林檎に蜂蜜がかかっている。

「今夜はお代はいらないよ。あんたらも宿場の客だからね」

 セレスさんは椀を両手で包んで、湯気の匂いを確かめるように目を閉じた。アイリは一口食べて、しばらく黙っていた。それからもう一口食べた。

 リナが一軒の屋台の前でほんの一瞬だけ足を止めた。大きな鉄鍋で栗を炒っていて、殻のはぜる音がする。

 リナはすぐに歩き出した。隣の屋台で、串に刺した肉を四本買った。

 俺は栗の屋台を一度だけ振り返った。理由は聞きそびれた。炒った栗の匂いだけを覚えておいた。

 肉を食べ終えたころ、広場の真ん中で太鼓が鳴った。笛と弦が続いて、人が手をつなぎ始めた。


*


 輪は焚き火を囲んで、大きく一つにつながっていった。

「兄さん、来な」

 リナが俺の手首をつかんだ。

「俺、踊ったことない」

「見てれば分かる。右、右、左、跳ぶ」

 分からなかった。

 輪に入った最初の一回りで、俺はリナの足を踏んだ。リナは「痛っ」と言って、それから声を上げて笑った。

「兄さん、下手だな」

「知ってる」

「下を見るから遅れるんだ。前の人の肩を見な」

 言われたとおり、前の宿場のおじさんの肩を見た。肩が右へ揺れたら右。少しだけましになった。次の半周は、一度も踏まずに回れた。三回りめでまた踏んだ。

 リナはもう一度笑った。でも俺がもう一度前の肩を見て足を合わせようとすると、笑うのをやめた。何も言わずに、つないだ手を少しだけ強く引いた。こっちだ、と言われた気がした。

 輪が一回りするたびに、外側に立っているアイリの姿が見えた。手に帳面を持っている。鉛筆が動いている。

 四回りめで近くを通ったとき、アイリの声が聞こえた。

「三拍目で全員が左へ。マスターだけ右です」

「言わなくていい」

 輪の何人かが笑った。リナも笑った。

 五回りめで見ると、アイリは帳面を閉じていた。閉じた帳面を外套の内側にしまって、輪のほうへ一歩出た。

 セレスさんの隣に、少しだけ隙間が空いていた。アイリはそこへ手を差し入れた。セレスさんは驚いた顔をして、それから嬉しそうにその手を握った。

 アイリの足は数えていたとおりには動かなかった。右、右、左のところで、いつも半拍遅れる。跳ぶところで跳ばずに、一歩だけ前へ出てしまう。それでも輪から抜けなかった。次の一回りでもその次でも、半拍遅れたまま足を前へ出していた。隣のセレスさんも同じくらい遅れていたが、気にしているようには見えなかった。

 輪は焚き火をはさんで大きく回っている。アイリは俺たちのちょうど向こう側にいて、炎が揺れるたびにその顔が明るくなった。口元が少し開いている。数えている時の顔ではなかった。

 マルタさんは輪に入らず、広場の端で街道のほうを見ていた。それでも足先だけは太鼓に合わせて動いていた。

 焚き火の向こうでは、ベルントさんとオットーさんが長椅子に並んでいた。ベルントさんは杯を片手に王国の石の話をしていて、途中からセレスさんが輪を抜けてそこへ加わった。オットーさんは黙って飲んでいた。ヨナスさんはグレタさんの孫らしい女の子に何か話しかけられて、林檎の椀を持ったまま動かなくなっていた。

 焚き火の火の粉が、輪の上へ舞い上がっては消えた。笛の音が少しずつ速くなる。踏まれまいとして足を引くリナと、踏むまいとして足を上げすぎる俺とで、二人だけ輪の動きから浮いていた。それがおかしくて、途中から俺も笑っていた。

 曲が終わった。輪がほどけて、皆が手を離した。

 アイリが俺たちのところへ戻ってきた。息が少し上がっていて、外套の裾に焚き火の灰が付いている。

「数えるのは、明日にします」

 それだけ言って、グレタさんの屋台へ温かい林檎をもらいに行った。

 リナが自分の足の甲をさすりながら、俺を見た。

「次の曲もやる?」

「足、大丈夫か」

「兄さんが踏まなきゃ大丈夫」

 太鼓がまた鳴った。俺はリナに手首を引かれて、もう一度輪に入った。二曲目では一度しか踏まなかった。リナは「進歩だ」と言って、また笑った。

 祭りは月が高くなるまで続いた。宿へ戻る道で、俺は自分の足の裏が熱いのに気づいた。仕事で一日歩いた日とは、違う疲れ方だった。


*


 次の朝、灯りを先に置いてから綱を張って搬入口の奥へ進んだ。

 柱は七本あった。四本目から先も図面のとおりの間を空けて並んでいて、七本目の先に選別室への戸口があった。その奥に荷の部屋が続く。

「どれも図面のとおりだ」

 ベルントさんの声が、石の壁に柔らかく響いた。図面の写しを胸に抱えたまま、部屋の真ん中でゆっくり一回りした。

 選別室には、腰の高さの石の台が三列に並んでいた。台の縁は手の当たる所だけ丸くなっている。荷を台に上げて中を見て、分けてまた下ろす。そういう仕事が毎日ここで繰り返されていたのだろう。台と台のあいだは荷を抱えた人がすれ違える幅だった。

 アイリは紐を使って戸口の幅と部屋の壁の長さを別々に測っていた。図面には王国の頃の尺で寸法が書いてある。測った長さを図面の数で割れば、一尺がどれだけか分かる。

「戸口から出した一尺と、壁から出した一尺が合いません。指一本ぶん違います」

「測り違いか」とマルタさんが聞いた。

「三回ずつ測りました。三回とも同じです」

 ベルントさんが図面をのぞきこんだ。王国の測量士の図面に合わない所があるのか、と言いたげな顔に見えた。

 測った戸口が、図面の別の戸口だということはないか。俺は床を見た。搬入口から続いていた浅い筋が二本、この戸口をまっすぐ通って選別室へ入っていく。荷車の車輪の跡だ。図面でも、搬入口から選別室へ荷を入れる口はこの戸口一つしかない。

「荷車はここを通ってます。図面の戸口と、この戸口は同じものです」

「なら、場所の取り違えじゃないな」とマルタさんが言った。

 オットーさんが戸口の脇の石を指でなぞった。

「ここの石には、隅に小さな印が彫ってある。壁の石には別の印だ。組の印だな。王国の頃は、石工の組ごとに尺が少しずつ違った。戸口と壁は別の組が組んだんだろう」

 アイリが図面の数の横を指でたどった。文書庫で丸を付けた、読めなかった小さな字が並んでいる。

「この字も、組の印かもしれません。戸口の数と壁の数の横で、形が違います」

 オットーさんが図面の写しを受け取り、石の印と見比べた。

「同じ形だ。こっちが戸口の組、こっちが壁の組だ」

 アイリは荷の部屋の戸口へ行った。図面では、その数の横にも同じ戸口の組の印がある。紐で測って、選別室の戸口から出した一尺で割ると、図面の数にそのまま合った。

「なら測量士は、それぞれの組の尺で書いたんだな」とオットーさんが言った。

 ベルントさんの顔がほどけた。

「図面は正しかったんだね。私たちが、一つの尺で読もうとしていただけだ」

 アイリは紙の端の丸を二つ消して、横に「組の印。石の印と同じ形。荷の部屋の戸口でも合う」と書いた。オットーさんは戸口の印を指でヨナスさんに示した。ヨナスさんは帳面を出して、その形を写した。

 荷の部屋は天井が低く、壁に棚の跡が残っていた。棚板は朽ちて落ち、受けの石だけが同じ間を空けて壁から突き出している。ヨナスさんがその一つに手を掛けようとして、オットーさんに手で止められた。

 次の日は荷の部屋を抜けて、帳場へ向かう廊下を歩いた。床の二本の筋はずっと続いている。荷車がこの幅でここを曲がるなら、角の壁はもっと擦れているはずだ。灯りを向けると、角の石は本当に丸く削れていた。何台もの荷車がこの角で同じように小さく曲がったのだろう。

 帳場の戸の前まで来たところで、その日の油が半分になった。マルタさんが「今日はここまで」と言った。


*


 帳場に入ったのは、上層に入って三日目だった。

 机が一つと、壁ぎわに棚。机の天板には、肘の当たる所が二つ浅くくぼんでいた。ここに座って、誰かが毎日帳面を付けていたのだろう。棚には綴じた帳面が何冊も立ててあった。机の後ろの壁に、拳ほどの丸い口が開いている。中は灰色の埃でふさがっていた。

「図面の、あの細い線だ」と俺は言った。

 ベルントさんがうなずいた。

「伝声管の口だね。下の部屋まで続いているはずだ」

 マルタさんが口に灯りを近づけて、すぐに離した。

「詰まってる。今は触るな」

 俺は口の縁の埃を見た。厚く積もって表面が固くなっている。ずいぶん長いあいだ誰の声も通っていない。

 アイリは棚の前で止まり、帳面の背を数拍見てから、一冊を抜いた。

 開いた頁の字は、図面の写しの字と形が違った。線が少なく、崩してある。

「図面の字と形が違います。文書庫で習った字を、崩した形が多いです」

 ベルントさんが頁をのぞきこんだ。

「この崩し方は、王国の文書には出てこない。王国が終わってしばらくしてから、帳面に使われ始めた形だよ。文書庫でも、そのころの記録はこういう字だ」

 品名とその横に置き場所。目録だった。縄二十巻は帳場の脇の棚。白墨一箱は帳場の机。藁の束は荷の部屋。アイリは一行ずつ指でたどっていった。

 途中で指が止まった。

「『氷出し口の戸板二枚』。氷出し口という言葉は、文書庫の用例にありませんでした」

 アイリはその行に印を付けて、先へ進んだ。

 ベルントさんは目録の頁を、手を触れずにしばらく見ていた。

「王国のあとにも、誰かがここを使っていたのか」

 声は驚いていたが、帳面を持つアイリの手もとを見る目は優しかった。

「原本はここに置いていこう。写しを頼めるかな、アイリさん」

「はい。読めない字にも印を付けて写します」

 その日の残りを、アイリは帳場の机で写しに使った。俺は灯りの油の残りを見ながら、もう一つの灯りを机の端に寄せた。アイリの鉛筆の音だけが、帳場の中に長く続いた。写し終えた控えをのぞくと、印は二つに増えていた。もう一つは「底口へ石材・漆喰十袋」の行だった。


*


 夕方、宿場の部屋で目録の控えと図面の写しを並べた。

 アイリが二つの字を指で比べてみせた。同じ「部屋」の字でも、目録のほうが線が少ない。

「王国の頃の図面のあとに、別の誰かが書いた記録だ」とベルントさんが言った。「ここで働いていた人たちが、ほかにもいたんだね」

 図面を見る目は前と同じだった。その横に置いた控えにも、同じ目を向けていた。

 ベルントさんは控えの一頁目の端を指でなぞった。書いた人の名前を探しているように見えた。名前はどこにもなかった。

 俺は帳場の記録票の違いの欄に、一行だけ書いた。帳場の棚に、図面より新しい字の目録あり。

 アイリは控えの置き場所の行を上から順に指でたどっていた。帳場の脇の棚、帳場の机、荷の部屋。どれも図面にある場所だった。

 指が一つの行で止まった。

「ここだけ、置き場所が『帳場の裏』になっています」

 ベルントさんが図面の写しを引き寄せた。帳場の机の後ろは、太い線で描かれた壁だった。その向こうには何も描いていない。

「図面では、帳場の裏は厚い壁だよ」

「はい。図面では、そうです」

 アイリは控えのその行に、小さな印を一つ付けた。

 窓の外では、祭りの柱がまだ立ったままだった。布は外されて、縄だけが夕方の風に揺れている。

 明日はこの一行から読むことになる。俺は記録票の、まだ見ていない欄に「帳場の裏」と書いた。

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