次の仕事も一緒に
その日の夕方、北から伝令が戻ってきた。上の隊は高地の縁で大きいのを谷の奥へ追い返し、群れも散らしたという。日が沈む頃には東の水路に回った隊の一部が橋の手前まで来た。鎧の肩に泥と血が乾いていた。皆、口数が少なかった。東の群れもその隊が夜までに水路の向こうへ押し返したと、あとで聞いた。
俺たちが見たのは、戻ってくる人たちの足取りと、ガルドさんへ渡される短い報告だけだった。それで十分だった。東の水路の見張りの人は、曲がりの先の茂みで群れが見えるのが遅れたと話していた。
橋の手前で迎えに立っていた警備の人も戻ってきた。俺を見つけるとまっすぐこっちへ来た。
「三人とも戻ったんだってな」
「はい。エダさんは足を痛めてますが、話せます」
「そうか。俺は橋のこっちで見てるしかなかった」
「あなたが知らせを持っていってくれたから、三人は輪を止めて出られたんです」
警備の人は何か言いかけて、黙ってうなずいた。それから俺の肩を一度叩いて、仲間のところへ戻っていった。
ガルドさんは報告を聞き終えてから、救護所の前にいた俺たち四人のところへ来た。
「裏の搬送は、お前たちが運んだと記録に書く」
それだけ言って、ガルドさんは次の伝令のほうへ歩いていった。
その晩、救護所の机で俺は所在表を開いた。アイリが指で示した三行の横に一つずつ印を付けた。ハンス、エダ、ニコ。名前の字はまだ全部は読めない。それでも、印を付ける場所はもう間違えなかった。
リナの前腕には薄い布が巻かれていた。セレスさんは椀を両手で持ったまま、半分眠っていた。アイリは自分の靴を竈の脇に並べて、乾くのを待っていた。
次の朝、村の警戒が解かれた。
救護所の奥の寝台でエダさんは足を台に載せて座っていた。足首には新しい添え木が当ててあった。
「おはよう。昨日の巻き方、担当の人が褒めてたよ」
「巻いたのはアイリです」と俺が言うと、アイリが小さく頭を下げた。
エダさんはそれから、気になっていたらしいことを口にした。
「三軒向こうのおばあさんの粉、昨日届けるはずだったんだよ。誰か代わりに持ってってくれたかね」
「届いたかどうか救護所の人に聞いてみます」とアイリが言った。「分かるまでは、届けていない分の欄に入れておきます」
ハンスさんは寝台の脇の椅子で腕を組んでいた。
「輪を回せるようになったら、倉庫の棚、またやってくれ。粉が溜まる。置き場はお前が一番分かってる」
「やります」
自分でも驚くほど、すぐに声が出た。頼まれたのは討伐でも護衛でもない。倉庫の棚だ。それなのに、腹の底が温かかった。
ニコは包帯を巻いた手を膝に置いて、俺の顔を見上げた。
「悠真。下の段の留め具、まだ一個残ってるから。今度は普通の日に見せて」
「普通の日にな」
「急がなくていいから。次は、結ぶところをちゃんと見たいんだ。昨日は見てる暇なかったから」
ニコはそう言って、少し笑った。
エダさんがニコの頭を軽くはたいた。
「この子、昨日の夜からずっとその話ばっかり」
救護所を出る時、ハンスさんが戸口まで付いてきた。
「臼は直せる、ってガルドが言ってたろ。少し傷んだが、直せる。軸も焼けてない。あの朝、知らせが来て、輪を止めて出られたからだ」
ハンスさんはそれだけ言って、中へ戻っていった。
*
その日の午後、セレスさんは上の隊の魔法使いと二人で北の地点を回ってきた。
夕方、集会所の机に二人の書き付けと、アイリの紙が並んだ。セレスさんの声はいつもより低く、速かった。
「北の高地の縁の餌場を見てきました。草がまばらで、根元まで食べ尽くされていました。そこから南へ上の隊が追い返した大きい獣の足跡が続いていました。その獣が下りてきたので、灰牙犬の群れが北の街道まで押し出された。上の隊の方も同じ見立てです。餌場がなぜ衰えたのかは、魔脈の読みのずれと関わりがありそうですが、そこはまだ見立てです」
「東は」とリナが聞いた。
「東の群れがなぜ水路沿いに動いたのかは分かりません。北から押し出されたのかもしれませんし、別の理由かもしれません。そこは分からないと書きます」
セレスさんはそこでアイリを見た。
「北の跡と伝令の話をアイリさんが分けて書いてくれていたので、上の隊の方とも話が早かったんです。どこまでが見たことか、すぐ分かりましたから」
「分けておいてよかったです」とアイリが言った。声が少しだけ明るかった。
報告の最後に名前の欄があった。アイリが書いて、俺に見せた。セレスさん、リナ、アイリ、俺。四つの名前が並んでいる。一番下の形が俺の名前だということは、もう聞かなくても分かった。その上の欄には上の隊とガルドさんの警備の名前が先に書いてあった。
「東の水路のところに一行足してくれないか」と俺は言った。
「何をですか」
「見張りが一人しかいなかったこと。曲がりの先の茂みで群れが見えるのが遅れたって、見張りの人が言ってた。次にここを読む人がそこを先に見られるように」
アイリはペンを止めて、少し考えてから書いた。読み上げてくれた。
「東の水路。見張りは一人。曲がりの先の茂みで群れが見えるのが遅れたと見張りの方の話。次は、曲がりの先が見える所にも人を置けるか確かめる」
「それでいい」
セレスさんがその一行を、自分の書き付けの余白にも写した。
次の日の朝、俺たちは村を出た。
ガルドさんは集会所の前で見送った。
「人手が要る時は、ギルドにお前たちの名前を出す」
エダさんは救護所の窓から手を振った。足はまだ台の上だった。ハンスさんは製粉所の戸口で腕を組んだまま見ていた。水車はまだ止まっていた。
ニコは村の外れまで付いてきた。
「悠真。留め具、取っとくから」
「ああ。また来る」
次に来る日のことを、もう考えていた。
*
街に戻った翌日、ギルドで書類を確かめた。
エルマさんが帳面を開いて、十件の依頼の控えと、講習の記録を一枚ずつ照らしていく。最初の倉庫から、比較調査と避難物資の整備まで。救護所の担架の講習も記録の端に書いてあった。
一番上の控えは最初の倉庫整理だった。エルマさんが判を押した、あの日の票だ。
「この時、討伐の票の前で足を止めていましたね」とエルマさんが言った。
「見てたんですか」
「受付からは掲示板がよく見えるんです」
エルマさんは控えを重ねて、帳面を閉じた。
「件数は足りています。明日、実技と面談を受けてください。救助のことは評価の材料にはなりますが、それで決まるわけではありません」
「分かってます」
次の日、訓練場の端に荷が積んであった。木箱と麻袋と樽が十ほど。試験官の男の人が言った。
「これを荷車に積んで、街道の三か所で下ろす。積む順を決めて、積んでみろ」
俺は荷を一つずつ見た。重いのはどれか。崩れやすいのはどれか。それから聞いた。
「三か所のうち、最初に下ろすのはどこですか。それと、雨は来そうですか」
試験官は少し眉を上げた。
「最初は一番遠い所だ。雨は分からん」
「なら、最初に下ろす荷を一番手前の上に。樽は下で前寄り。麻袋は箱の間に挟んで上に覆いを掛けます。覆いはありますか」
「荷車の下に一枚ある」
積み終えると試験官は荷車の後ろへ回って、端の袋を一つ押した。動かなかった。
アイリの実技は別の机で行われた。並べられた草の束から、指定された薬草を選ぶ。アイリは九つを選び、最後の一束だけを脇へ分けた。
「これは葉の裏の毛が少なく、折った匂いも弱いです。似た草かもしれません。私には決められないので、分けておきます」
試験官は分けられた束を手に取って、しばらく見ていた。それから葉を一枚折って匂いを嗅いだ。
「似た草だ。混ぜていたら落としていた」
アイリは表情を変えずにうなずいた。机の下で、指が一度だけ握られたのが見えた。
面談は短かった。何ができて、何ができないか。どこで間違えたか。俺は倉庫の仕事と、担架の持ち替えと、引き返す合図の話をした。剣は、と聞かれて、抜いて下がることならできます、と答えた。試験官は書き付けに何か書いて、それ以上は聞かなかった。
アイリは、自分が見たことと聞いたことを分けて書く、と言った。それから少し間を置いて付け足した。
「間違えることもあります。間違えた時は、どこで間違えたかも書きます」
夕方、受付でエルマさんが薄い金属の板を二枚、台に置いた。
「お二人とも、今日からEランクです」
刻まれた字の形は前のカードと一か所だけ違っていた。その一か所が、俺にも読めた。
隣でアイリが新しいカードを窓の光にかざしていた。
「嬉しいか」
「嬉しいです」
今度は、仮にとは言わなかった。
俺はカードを握ったまましばらく手を開けなかった。開いたら、顔まで緩みそうだった。
ギルドを出るとリナとセレスさんが待っていた。リナがカードをのぞき込んだ。
「やっとあたしと同じ。明日、お祝いね。何か食べに行こう」
「私も行きます」とセレスさんが言った。
*
次の日の昼、東の通りの屋台の前に四人で立った。
財布の中身は出がけにアイリが数えてくれた。三千と少し。もう返す借りはない。宿代を払ってもしばらくは困らない。
前に固い木の実の菓子を買った屋台だった。蜂蜜を塗った柔らかいものと、木の実を練り込んだ固いものが並んでいる。
「今日はお前が選べ」と俺は言った。
アイリは今度は見比べなかった。
「固いほうを五つください。これが好きなので」
日持ちの話も、腹持ちの話も出てこなかった。
広場の端の石段に四人で並んで座った。かり、とアイリが端をかじった。リナが真似してかじって、顔をしかめた。
「……固い」
リナはそれきり黙って、長いこと噛んでいた。
「固いのがいいんです」とアイリが言った。
「前は、固いです、だけだったな」と俺は言った。
セレスさんは小さく割って、口の中で長く噛んでいた。
「木の実が香ばしいですね。……私は、もう少し柔らかいほうが好きかもしれません」
「では次は柔らかいほうも買いましょう」とアイリが言った。
しばらく、四人とも黙って噛んでいた。
通りを荷車が一台、ゆっくり過ぎていった。積み方が悪くて、上の袋が一つ傾いている。気になって目で追っていたら、リナに笑われた。
「兄さん、今、荷のこと考えてたでしょ」
「……考えてない」
「考えてました」とアイリが言った。「右の上の袋です」
アイリが菓子を膝の上に下ろして、俺のほうを向いた。
「マスター。次の仕事も、一緒に行きたいです」
理由は付けなかった。役に立つとも、効率がいいとも言わなかった。ただ、行きたいと言った。
最初の日、俺はこいつに何をすればいいかを聞いた。こいつは、俺が何をしたいかを聞き返した。今は、こいつが自分で言っている。
「俺も、お前と行きたい」と俺は言った。「次も、その次も」
「あたしも行くよ」とリナが言った。「止まれって言ったら止まるならね」
「止まります」とセレスさんが言った。「比べる地点もまだ足りませんから」
リナが菓子のかけらを払って立ち上がった。
「じゃ、決まり。四人で見に行こう、掲示板」
ギルドの掲示板の前で俺は一番下の段の依頼票を指さした。アイリが読み上げようとするのを手で止めた。
「待ってくれ。俺が読む」
字を一つずつ追った。宿の板に白墨で書いた形を思い出しながら知っている形を拾っていく。
「……街道の、見回り」
「合っています」とアイリが言った。
「四人で、E以上。……三日」
その先の細かい条件は、アイリが読んだ。宿場に泊まって、三日間街道を見て回る仕事だった。
リナが票を剥がした。セレスさんが距離を聞き、アイリが紙を出した。俺は荷の量を考え始めていた。
四人で受付へ向かった。エルマさんが票を受け取って、顔を上げた。
「倉庫の票を持ってきた日と、同じ顔をしていますね」
「どんな顔ですか」
「早く明日が来てほしい顔です」
判が押された。明日の朝の鐘で出発。リナが道と退路を、アイリが記録の紙を、俺が荷と道順を考える。誰も言わなくてももうそう分かれていた。セレスさんは街の外の空気を測りたいと言っていた。
ギルドを出ると通りはまだ明るかった。アイリが紙袋を両手で持っていた。残った菓子が一つ入っている。
「明日の分です」とアイリが言った。
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