嵐の夜の潜入者たち㈡
千年の地獄を耐え抜いた魂が、神々に抗い『陽だまり』の日常を守る!
『さあ、今のうちに! 私の変身が解ける前に、登ってくるのだ!』
シジマの心の声が、なぜかカイたちの頭に直接響いた。テレパシー。変身中は、一時的に霊格が上がり、意思疎通が可能になるのだ。
「しゃ、喋った……!?」
ひかりが腰を抜かしそうになるが、カイがその手を引いた。
「説明は後だ! 行こう、ひかり!」
「う、うん!」
驚きを飲み込み、三人はロープに掴まった。カイ、ソラ、ひかりの順で、必死に壁をよじ登る。雨でロープは滑りやすくなっていたが、上から黒鷲が力強く引き上げてくれたおかげで、なんとか全員、二階の窓から工場内部へと侵入することに成功した。
ドサッ、ドサッ。床に転がり込んだ三人が、息を整える間もなく、黒鷲の体が再び光に包まれた。光が収まると、そこには、いつもの愛らしい黒い豆柴が、何事もなかったかのように座り込み、前足で顔を洗っていた。
「……クロ、お前……」
カイが恐る恐る声をかけると、クロは「わん(何か?)」と短く鳴き、すまし顔で尻尾を振った。ひかりは、まだ信じられないといった様子で、クロの体をぺたぺたと触っている。
「夢じゃ……ないよね? 翼、ないよね?」
クロは、鬱陶しそうにひかりの手を鼻先でつついた。
工場内部は、外の嵐の音が嘘のように遠く、不気味な静寂に包まれていた。湿ったカビの匂いと、機械油の酸化した匂い。そして、濃密な霊気の淀み。懐中電灯の光が、埃の舞う空間を頼りなく切り取る。錆びついた巨大なプレス機や、ベルトコンベアが、まるで眠る怪物の骨格のように闇の中に浮かび上がっていた。
「こっちだ……。この奥から、献太くんの気配がする」
ソラが小声で言い、先頭に立つ。先ほど、扉の前で念じた時の感覚が、まだ手に残っている。
(力はある。使い方がわからないだけ)
ソラは自分に言い聞かせるように、拳を握りしめた。感覚を研ぎ澄ませろ。目に見えるものだけでなく、その奥にある「気配」や「構造」を感じ取るんだ。一行は、錆びた鉄の階段を上り、渡り廊下を進んでいく。一歩進むごとに、空気の密度が増していくような圧迫感がある。
「カイ、ストップ!」
突然、ソラが鋭い声で制止した。
「え?」
カイが足を止める。その一歩先は、一見なんの変哲もない鉄板の床だ。
「……そこ、踏んじゃダメ」
ソラは、その床をじっと凝視した。目で見ただけではない。意識の糸を伸ばし、床の内部へと浸透させるようなイメージ。すると、脳裏に、錆びついて脆くなった鉄骨の悲鳴のような軋みが響いてきた。
「その床、腐ってる。念動力で触れたら、ボロボロだってわかった……。踏んだら、抜けるわ」
カイが足元の床板を懐中電灯で照らし、落ちていたボルトを軽く投げ落としてみた。ガシャッ。ボルトが当たった衝撃だけで、床板が崩れ落ち、暗い奈落へと吸い込まれていった。下は十メートル以上の吹き抜けだ。もし踏んでいたら、ただでは済まなかっただろう。
「……すごいな、ソラ」
カイが驚嘆の声を上げる。ソラは、自分の手のひらを見つめた。
(わかった……。ただ動かすだけじゃない。物に触れずに、その状態を知ることもできるんだ)
これが、私の力。恐怖よりも、未知の感覚への高揚感が勝り始めていた。これなら、カイを守れるかもしれない。
いくつもの物理的な罠、そして時折聞こえる不可解な足音(おそらくは低級な悪霊だろう)を、ソラの感知能力とクロの嗅覚でやり過ごし、彼らはついに、工場の最奥部、北西の区画にある一際大きな部屋の前にたどり着いた。重厚な鉄の扉。その隙間からは、献太の微かな生命反応と、それを遥かに凌駕する、絶対零度の冷たい霊気が漏れ出していた。ここだ。カイの魂が、警鐘を鳴らす。この扉の向こうに、敵がいる。
「……ひかりは、ここで待っていてくれないか」
カイが振り返り、言った。
「ここから先は、本当に危険だ。何が起こるか分からない」
だが、ひかりは首を横に振った。
「嫌。ここまで来て、一人だけ安全な場所にいるなんてできない。私も行く。足手まといにはならないようにするから」
その瞳に宿る決意を見て、カイはそれ以上止めることを諦めた。彼女はもう、ただの守られるだけの存在ではない。共に戦う「仲間」なのだ。
「……わかった。でも、僕の後ろから離れないで」
カイは深呼吸をし、鉄の扉に手をかけた。冷たい。まるで氷に触れているようだ。ギギギギギ……。錆びついた蝶番が、悲鳴のような音を立てて開く。
部屋の中は、広大な空間だった。天井は高く、窓はすべて鉄板で塞がれている。その中央。床に描かれた複雑な魔方陣のような図形の上に、一人の少年が横たわっていた。高山献太だ。彼は気を失っているようだが、胸はかすかに上下している。生きている。
「献太くん!」
ひかりが駆け寄ろうとする。
「待て!」
カイが叫び、ひかりの腕を掴んだ。
「よく来たな、小僧ども」
部屋の闇の奥から、声が響いた。墓石を爪で引っ掻くような、耳障りで、不快な声。闇が凝縮し、人の形をとる。現れたのは、漆黒のボロボロの衣を纏い、身の丈ほどもある巨大な鎌を手にした、異形の存在だった。顔は見えない。ただ、フードの奥で、二つの赤い光が不気味に明滅している。死神。それも、以前遭遇した下級の死神たちとは格が違う。放たれるプレッシャーが、桁違いだ。
「まさか、ここまでたどり着くとはな。人間にしては上出来だ」
死神は、嘲るように笑った。
「だが、遊びはここまでだ。貴様らがここに来ることは想定内。その小僧(献太)は、貴様らをおびき寄せるためのただの餌に過ぎん」
死神が鎌を一閃させると、風圧だけで床のコンクリートに亀裂が入った。
「さあ、狩りの時間だ。お前たちの魂、ここでまとめて刈り取らせてもらう!」
殺気が、物理的な圧力となって三人に襲いかかる。ひかりは恐怖で足がすくみ、小さな悲鳴を上げた。だが、カイとソラは引かなかった。カイはひかりを背に庇い、ソラは両手を前に突き出して構える。クロもまた、低い唸り声を上げ、牙を剥き出しにして死神を睨みつける。
「させるもんですか!」
ソラが叫んだ。声は震えているが、その瞳は燃えていた。
(できる。私には力がある。さっきの床の時のように、イメージするのよ。見えない手で、あの死神を押し返すイメージを!)
「私たちは、何も悪いことなんてしてない! 献太くんを返して!」
「悪か……。我らにとっての悪とは、秩序を乱す存在のことだ。貴様らの存在そのものが、罪なのだよ」
死神は問答無用とばかりに、地面を蹴った。速い。黒い疾風となって、死神が迫る。その鎌の切っ先が、カイの喉元へと迫った。
その瞬間。この戦いが、単なる子供の冒険ではなく、魂の存亡をかけた死闘であることを、彼らは骨の髄まで理解させられることになった。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




