落ちこぼれ死神の憂鬱(ゆううつ)な転身㈡
千年の地獄を耐え抜いた魂が、神々に抗い『陽だまり』の日常を守る!
「その『優しさ』が、今度の任務には必要なのだ。力で対抗するのではない。奴らの悪意から、ただ、二人の子供の『心』を守ってやればよい」
シジマは言葉を失った。自分が落ちこぼれと蔑まれる原因となった「弱さ」。それを、この冥府の頂点に立つ王が「必要だ」と言っている。心を守る。それは、物理的な盾になることではない。孤独に震える魂に寄り添うことだ。それならば、自分にもできるかもしれない。
「……はあ。まあ、そういうことなら……」
シジマは頭をかいた。断れる雰囲気ではないし、満更でもない自分もいた。
「承知いたしました。微力ながら」
「うむ。話が早くて助かる」
満足げに頷いた大王は、どこか楽しそうに続けた。
「して、大王様。地上では、どのような姿で活動すればよろしいので? やはり、人間の姿に化けて……」
「ならぬ。人間では目立ちすぎるし、死神の波動を隠しきれん。ヤミたちに即座に感づかれる」
「では、どうやって?」
「案ずるな。そなたに最適な、完璧な擬態を用意してある」
大王がニヤリと笑い、玉座から軽く指を振るう。その瞬間、強力な術式がシジマの体を包み込んだ。
「ぐっ……ぐわあああっ!?」
骨がきしみ、視界が歪む。体が縮んでいく感覚。意識が遠のき、気づいた時には、視線が恐ろしく低くなっていた。床が近い。自分の手を見ようとして、そこに現れたのは、黒い毛に覆われた、小さな肉球のついた前足だった。
「なっ……!? こ、これは……!?」
恐る恐る鏡を見ると、そこに映っていたのは。つぶらな瞳、くるりと巻いた尻尾、短く愛らしい四肢。紛れもなく、黒い豆柴だった。
「わんっ!? (なっ!?)」
シジマの魂の叫びは、現実の世界では実に情けない鳴き声となって響き渡るだけだった。
「閻魔大王様あああ! いくらなんでも、犬は酷すぎますぞおおお!」
「フハハハハ! 可愛いではないか! それなら誰からも警戒されん。潜入にはうってつけだ」
大王は腹を抱えて笑っている。シジマは、屈辱に打ち震えた。
「最悪だ……」
「まあ、そう拗ねるな。不憫に免じて、一つ面白い能力を授けてやろう」
大王は真顔に戻り、指を鳴らした。
「三分間だけ、別のものに自在に変身できる力をな。ただし、三分を過ぎれば強制的にこの犬の姿に戻る。使いどころを誤るなよ?」
三分限定の変身能力。ウルトラなヒーローじゃあるまいし。
「では、頼んだぞ!」
そう言うが早いか、大王はシジマ(豆柴)の首根っこをひょいとつまみ上げると、足元に開いた地上の転送陣へと、ぽいと放り込んだ。
「あ、ちょっ――」
シジマの悲鳴は、次元の彼方へと吸い込まれていった。
地上。冷たい秋雨が降りしきる、薄暗い路地裏。水たまりの中に、ドサリと何かが落ちてきた。
「うぅ……腰が……いや、腰はあるのか?」
泥水にまみれた黒い豆柴が、よろよろと立ち上がる。シジマだ。全身が濡れそぼり、寒さが骨身に染みる。冥府では感じることのなかった空腹と悪寒が、容赦なく体力を奪っていく。
「あのクソ上司め、覚えていろ……」
心の中で悪態をつくが、口から出るのは「キャン……クゥン……」という情けない声だけだ。
これから、どうすればいい。護衛対象の双子を探さねばならないが、手掛かりは何もない。それに、この姿だ。野犬狩りにでも遭えば一巻の終わりだ。シジマは途方に暮れ、軒下の乾いた場所を探してうずくまった。孤独だ。千年間、倉庫で一人だった時とは違う、物理的な孤独と心細さが、彼を襲った。
その時だった。雨音に混じって、パチャパチャという足音が聞こえてきた。
「あ、カイ、見て。わんちゃんだ……」
頭上から、少女の声が降ってきた。見上げると、一つの赤い傘の下に、少年と少女が立っていた。間違いない。魂の気配でわかる。あの、千年の男と、ソトだ。彼らが、今回の護衛対象だ。
少女――ソラが、シジマの前にそっとしゃがみこんだ。その瞳には、警戒心よりも、純粋な哀れみが浮かんでいる。最近、彼女の周囲から向けられることのなかった、暖かい眼差しだった。
「可哀想に……びしょ濡れじゃない。お腹も空いてるのかな」
彼女の心は、死神たちの陰湿な攻撃によってささくれ立ち、疲れ切っているはずだった。親からも、友達からも冷たくされ、世界中が敵に回ったような孤独の中にいるはずだ。だのに、目の前の、自分よりもか弱く見える存在に、彼女の魂の芯にある優しさが、自然と反応したのだ。
隣に立つ少年――カイは、ただ静かにシジマを見つめていた。その瞳は、全てを見通すかのように深く、シジマは思わずたじろいだ。
(……普通の子供ではない。この少年……魂の格が違う。俺の中身が人間ではないことを見抜いているのか?)
千年の地獄を耐え抜いた魂の輝きを、シジマは垣間見た気がした。
ソラは、泥だらけのシジマを、何の躊躇もなくそっと抱き上げた。少女の体温が、冷え切ったシジマの体を包み込む。
「……っ!」
シジマは、息を飲んだ。温かい。数千年ぶりに触れる、他者の温もり。それは、遺失物倉庫で触れていた「記憶の中の温もり」とは違う、生きた命の熱だった。
「うちに連れて帰ろうよ。お父さんとお母さん、怒るかな……」
不安げな姉に、カイは力強く頷いた。
「大丈夫だよ。僕が説得する。それに……この子は、ただの犬じゃない気がする」
カイが、シジマの頭をそっと撫でた。
「僕たちと、同じ匂いがするんだ。……独りぼっちの匂いが」
その言葉に、シジマの胸が締め付けられた。独りぼっち。そうだ、俺たちは皆、孤独だった。地獄を知る男、感情を殺した女、そして落ちこぼれの死神。はぐれ者たちが、今、雨の中で出会ったのだ。
(……まあ、これも任務だ。仕方ない)
シジマは、照れ隠しのように心の中で呟き、ソラの腕の中で小さく「ワン(よろしくな)」と鳴いた。不本意な姿と役目ではあったが、この温もりの中にいられるのなら、悪くはないかもしれない。
孤立し、凍てついていた双子の小さな世界に、その日、一匹の黒い豆柴がやってきた。後に「クロ」と名付けられることになるその犬が、冥府から遣わされた、不本意ながらも心優しい護衛だということを、彼らが知るのはまだ先の話だ。だが、雨上がりの空に、雲の切れ間から微かな光が差し始めたように、彼らの運命もまた、ここから静かに変わり始めていた。
X(Twitter)でも連載しています。
https://x.com/TakumiFuji2025
魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




