第8話 慣れない優しさ
リオン様が出て行ったあと、少しだけ部屋が静かになった。
「一人で着替えられなくてすみません⋯⋯」
私の言葉にフローラが微笑んだ。
「アリスティア様、敬語は無しで大丈夫ですよ。それに、ドレスの着付けは手伝ってもらうものですよ」
「そうですよ! アリスティア様は閣下の婚約者なんですから、遠慮なんてしないでください!」
「ありがとう、フローラ、サラ」
サラが私の後ろに回り込んで、そっとリオン様のマントを外す。
「閣下のマントはこちらでお預かりしますね」
「ええ」
二人は手際よくドレスのチャックを閉め、リボンを整えて、裾を綺麗に直してくれた。
ドレスなのに、思ったよりも動きやすくて、生地も上質で肌触りがいい。
「アリスティア様は肌が白くてとても綺麗ですね」
フローラが私を鏡の前に導きながら、穏やかに笑った。
今日のドレスは淡い水色で、優しい印象に見える。
サラが私の髪を丁寧に梳きながら、楽しげに話しかけてくれる。
「実は騎士団の間でもちょっと話題になっているんですよ! 『あの無愛想な閣下が、ついに婚約した⋯⋯!』って」
「サラ」
フローラが軽く睨むと、サラはへへっと笑って肩をすくめた。
「ごめんなさい。でも、本当ですよ。閣下はいつも冷静で、誰に対しても一歩距離を置いてる感じなのに⋯⋯アリスティア様の前だと、ちょっと違うんですよね。雰囲気が柔らかくなるんですよ」
「サラ、その辺にしておきなさい。アリスティア様が困っているわよ」
「はーい」
私は思わずくすりと笑ってしまった。
誰かとこうやって他愛のない話をしながら支度してもらうのも、人の優しさに触れるのも、久しぶりだった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
二人のお陰で、朝の支度はあっという間に終わった。
髪はシンプルにまとめて、軽く化粧もしてもらった。
「フローラ、サラ、本当にありがとう」
「いいえ、当然のことです」
「では、私が荷物運びますね!」
サラが元気よく私のトランクケースに手を伸ばした瞬間、動きが止まった。
「⋯⋯アリスティア様も武術を嗜むのですか?」
「あ⋯⋯。リオン様の婚約者として、ふさわしくないですか?」
気丈に振る舞うつもりが、視線が少し揺れてしまった。
「まさか! アリスティア様の華奢な体からは想像出来なかっただけです。ダメなんてことはありませんよ!」
サラの明るい言葉に私は安堵した。
荷物はサラとフローラに任せて、部屋を出ると、リオン様が廊下の少し先に立って待っていた。
私に気づくと、軽く目を細めて微笑んだ。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
「アリスを待つ時間も悪くなかった。そのドレスもよく似合っている。綺麗だ」
「っ⋯⋯!」
食べて生きることしか考えて来なかった私には、そんな言葉に免疫などない。
頬が一瞬で熱くなり、思わず手に持っていたマントで顔を隠してしまった。
「可愛いな。馬車までエスコートしてもいいか?」
私は「はい」と小さく頷いて、差し出された大きな手にそっと自分の手を重ねた。
慣れない温もりに、心臓がどきどきした。




