第30話 過去の傷と優しさ
今日も私の気持ちとは裏腹によく晴れて、あたたかい陽気だった。
リオン様が遠征に行ってから私は毎晩、悪夢にうなされては飛び起きていた。
部屋にいると暗いことばかり考えてしまうから、平気なフリをして微笑みながら、外に出てきた。
銀獣たちが遊び回っている放牧地で、私は一人、空をぼんやりと眺めていた。
夢の内容は思い出したくないけど、このままじゃだめな気がして思い起こしていた。
考えるたびに、頭にズキッと痛みが走り、胸の奥がざわざわとして、苦しくて、動悸が早くなり、体が震える。
耳の奥に残る声――思い出すのを体が拒絶している。
叩かれたような痛みが、ナイフのように鋭い言葉に心が抉られる感覚。
ふと思った。
――これは全部、私が、経験したことだ。
私は何をしても治癒の能力が使えなかった。
同じ力を授かった周りの人は皆、使いこなして人の役に立っているのに。
そして、母が壊れた。
『どうして、あなただけ、できないのよ!!』
私は「ごめんなさい」と謝り続ける。
『本気を出していないから使えないんでしょ!』
頬に冷たい痛みが走った。
叩かれたのは初めてだった。
その日から母は毎日のように、私に手をあげるようになった。
棒のようなもので叩かれて、身体中に痛みが走る。
氷のように冷たい水をかけられて、ご飯も貰えない。
限界まで追い込まれる。
「──────っ!!」
背中に鋭い痛みが走った気がした。
これ以上思い出すのはだめだと、体が、心が、拒絶している。
「⋯⋯夢、じゃない⋯⋯、私は、お母さまに、暴力を⋯⋯受けて、いた⋯⋯」
声に出してみて、実感がわいた。
ずっと、私は⋯⋯思い違いをしていた。
小屋に隔離されて、存在しないものとして扱われて、誰も私に関心が無く、ただ、放置されているだけだと思っていたのに。
心の奥深くに刻まれた傷や痛みは本物で、暴力は振るわれていないと、信じていた過去が崩れ去った。
私は家族に恨みを抱かず、育ててくれた恩すら感じていた。
心のどこかでは、家族の愛を⋯⋯もしかしたら、昔のような幸せを望んでいたのかもしれない。
その絶望を受け止めきれなくて、とめどなく涙が溢れだす。
涙など、とうに枯れ果ててしまったと⋯⋯一人隔離された小屋でも泣くことはなかったのに、溢れでる涙をどう止めたらいいのか分からない。
遊んでいた、銀獣たちが⋯⋯シルフィが心配するように私の周りに集まって、温もりをくれる。
慰めるように、顔を舐めたり、体に頭や顔を押し付けて、ふさふさのしっぽで優しく撫でて、寄り添ってくれた。
ふわり。
誰かがそっと私の髪に触れた。
「──────アリス」
安心する優しい声が、私の名前を愛おしそうに呼ぶ。
私は泣き疲れて、いつの間にか、その場で眠っていたのだろう。
ずっと、聞きたかった声を聞いて私はゆっくりと、目を開けた。
私はリオン様の膝に頭を預け、頭を優しく撫でられていた。
見上げるように映る、黄金色にキラキラと輝く眩しい髪に、サファイアのような青い瞳が、私の凍てついた心を優しく溶かしていく⋯⋯。
リオン様は目を細めて優しく微笑み、何も言わずに、私の頬にそっと手を添えた。
私は⋯⋯リオン様が好き。
誰かを愛することが⋯⋯ひとりぼっちになるのが、怖かった。
でも、ずっと助けてもらいたくて、この人になら私のすべてを捧げてもいいと思える。
心に鍵をかけて、望まないように、気が付かないようにしていたのに。
もう、自分の気持ちに気づかないふりをすることは出来なかった。
「⋯⋯リオン様、⋯⋯わ、わたしは⋯⋯リオン様のことが⋯⋯好き、です⋯⋯ごめんなさい、ごめんなさい⋯⋯」
この気持ちを伝える前に、嘘をついて、能力を隠していたこと、全部謝りたかった。
それから⋯⋯許されるなら、傍にいたいと、どんな事でもするから、捨てないで欲しいと。
言わなきゃいけなかった言葉は、なにひとつ出てこなくて、ただ、想いを伝えていた。
「っ⋯⋯! なぜ、謝る。 謝らなくていい、初めて会った日に、私は言ったはずだ⋯⋯」
涙を流す私を、リオン様は優しく⋯⋯もう手放さないと、強く私の体を抱き寄せた。
「私はアリスに一目惚れしたと。ずっと待つつもりだった、アリスが私を好きになってくれるまで」
リオン様は私を抱き寄せる腕を緩めた。
私だけを映す瞳と目が合う。
「愛してる。アリス」
蕩けるように甘い言葉とともに、唇に柔らかいものが触れた。
そばにいてもいい。
もうひとりじゃない。
リオン様から伝わる熱が、凍てついてしまった私の心を溶かすように、包み込んだ。
胸に顔を埋めて、嗚咽を堪えるように泣き出した私を、リオン様は何も言わずに、ただ、優しく抱きしめてくれた。




