『正しい』修正
修正方針は、分かっていた。
冒頭でリラの目的を見せる。
言葉を拒む理由を、説明ではなく状況で伝える。
澪との出会いを早め、最初の刻印までの距離を短くする。
評価シートが、何を直すべきか教えている。
問題は、その正しさをどうやってリラの物語へ変えるかだった。
「研究施設からの逃亡で始めます」
朝一番の打ち合わせで、ひなたは如月たちへ説明した。
「リラは、言葉を刻まれる実験から逃げている。追っ手の命令で能力の一部を見せる」
三角が資料をめくる。
「説明台詞になりません?」
「研究員は説明しない。命令する」
ひなたは仮台詞を置く。
『対象を確保しろ』
『未登録の言語刻印を防げ』
『あれは計画の中核だ』
「ユーザーは全部理解しなくていい。リラが道具として追われていることと、言葉を入れられるのを怖がっていることだけ分かればいい」
「澪との出会いは?」
「逃げ込んだ街でぶつかる。追っ手とリラの間に、澪が立つ」
南雲が確認する。
「リラ自身の目的は、“ここから逃げたい”で早めに見える?」
「はい。ただし、行きたい場所はない」
ひなたはホワイトボードへ書く。
逃げたい。
でも、どこへ行きたいかは分からない。
拒絶する意思はある。
選ぶ意思は、まだ持てない。
「いいですね」
南雲が頷く。
「“何もしたくない子”じゃなくて、“されたくないことだけは分かっている子”になる」
「それです」
言葉にされ、ひなたの中でも輪郭がはっきりした。
正しい指摘を受けた。
その結果、最初の案では見えていなかったリラの一面が見つかった。
修正は、敗北ではない。
誰かに言われた通りに変えることでもない。
不足を指摘され、自分たちで答えを探す。
これなら、今までの仕事と同じだ。
◆
書き直しは、初稿より速かった。
警報音から始める。
白い部屋での静かな目覚めは削る。
リラは裸足で廊下を走る。
自分の名前を呼ぶ声がするたび、手首の文字が光る。
誰かが「止まれ」と命じる。
足が一瞬、本人の意思を離れて止まる。
リラは自分の手首を爪で引っかき、文字を消そうとする。
「能力、ここで見えますね」
佐久間が尺表を確認する。
「三分以内です」
「澪は五分で出す」
「前よりかなり速い」
「速くしたんじゃない。必要な順番を変えた」
「それ、速くしたって言うんですよ」
ひなたは無視して書き進める。
街へ逃げ込んだリラが、澪とぶつかる。
澪は事情を聞かない。
追っ手を見て、リラの前へ立つ。
「名前は?」
初稿では、澪がそう尋ねていた。
佐久間が画面を覗く。
「ここ、“どこへ行きたい”の方が良くないですか」
「なぜ」
「今のリラは、名前より行き先で困ってる。目的を聞けば、逃げたいのに行き先を選べないことも見える」
ひなたは台詞を変える。
「どこへ行きたい?」
「……分からない」
「なら、分かるまでここにいればいい」
短い。
だが、リラの状態と澪の性格が、同時に見える。
「いいな」
「僕も、たまには役に立つんですよ」
「戦闘の尺、二分削ってくれ」
「褒めた直後に仕事増やすのやめてもらえます?」
佐久間は文句を言いながら、すでに尺表を開いていた。
◆
昼を過ぎる頃、如月が二稿目の原稿を印刷して持ってきた。
「最初の案より、ずっと企画として見えるようになった」
「褒めてます?」
「褒めてる。でも、注意もしてる」
如月は削除された白い部屋の場面を指した。
「評価に合わせることへ慣れると、最初から評価されやすい答えしか考えなくなる」
「今回は必要な修正です」
「ええ。だから止めなかった」
如月は原稿を閉じる。
「ただ、最初に何を書きたかったかは、自分で覚えておきなさい」
「履歴なら残ってます」
「データの履歴じゃない。気持ちの履歴よ」
ひなたは返事をしなかった。
最初の稿で、なぜ静かな目覚めから始めたかったのか。
なぜリラに、すぐ逃げさせなかったのか。
言葉のない空白の中で、自分に何もないことを確かめる時間が必要だと思った。
その場面は、今の原稿にはない。
なくても話は進む。
むしろ、前より分かりやすい。
「通った時ほど、最初の原稿を読み返しなさい」
如月はそう言って席へ戻った。
通ることを疑っていない言い方だった。
ひなたは少し救われた。
同時に、通った時こそ何かを失うと、先に警告されたようにも感じた。
修正作業の途中、ひなたは削った白い部屋の場面を何度も開いた。
リラが目覚め、自分の指を一本ずつ確かめる。
誰にも教えられていないはずの「指」という言葉を、自分が知っていることに怯える。
静かで、ひなたの好きな場面だった。
今の稿では使わない。
だが、後半でリラが自分の言葉を選び始めた後なら、別の意味で使えるかもしれない。
「終盤に移します?」
佐久間が言う。
「まだ決めない。今すぐ回収先を作ると、残すための展開になる」
「未採用シーンを守るために物語を曲げるな、ってことですか」
「ああ」
「厳しいですね」
「自分が書いたものに、一番厳しくできるのは自分だけだ」
口にしてから、ひなたは少し考えた。
本当にそうだろうか。
今の自分は、評価シートがなければ、この場面を削れなかったかもしれない。
自分へ厳しいつもりで、好きな場面を守る理由ばかり探していた可能性もある。
「でも、好きなんですよね」
佐久間が画面を見ながら言う。
「ああ」
「なら、好きだったことは覚えておきましょう」
「白石と同じこと言うな」
「白石さんも?」
「採用されない絵も、自分が忘れないために描くんだと」
佐久間は頷いた。
「僕ら、全員、似たようなことしてるんですね」
作品には残らない試行錯誤。
誰にも見せない台詞。
採用されない表情。
仕様に入らない遊び。
完成品の外側に積み上がったものが、完成品の厚みになる。
AIが大量の候補を出す未来を想像した時、ひなたが本当に怖いのは、候補の数ではないのかもしれない。
採用されなかったものへ、自分がどれだけ迷ったか。
その迷いまで、同じ重さで扱われなくなることが怖い。
ひなたは未採用ファイルを閉じ、二稿目へ戻った。
◆
二稿目を提出する。
今回は自信があった。
冒頭でリラは逃げる。
能力の危険も見える。
澪との関係も早く始まる。
初稿で守りたかった恐怖も、消してはいない。
「前より、絶対いいです」
南雲が提出前の資料を確認する。
「初見でも入りやすいし、リラのことも気になります」
「なら、通りますか」
南雲は少し困った顔をした。
「それは、私が決めることじゃないので」
以前なら、如月や神谷の感想が、そのまま承認へ近い意味を持った。
今は、誰かが好きだと言っても決まらない。
ひなたはその違和感を飲み込み、提出ボタンを押した。
◆
翌日。
総合判定――要再提出。
初稿より、数字は上がっていた。
冒頭の目的提示。
能力の理解。
最初の変化。
プレイ動機。
すべて改善している。
それでも、承認基準へ届かない。
「前より良くなってます」
南雲が急いで言う。
「かなり上がっています。本当に、あと少しです」
あと少し。
その距離が、数字以上に遠く見えた。
「一番低いのは?」
「推し感情です」
評価シートの総評。
『リラは状況に流されている印象が強い。弱さは理解できるが、応援したいと思える主体的な選択が不足している』
佐久間が眉を寄せる。
「選べないところから始める話ですよね」
「そうだ」
「そこから選べるようになるのが成長なのに、最初から選ばせるんですか」
南雲が慎重に答える。
「大きな選択じゃなくていいんだと思います。逃げる方向を選ぶとか、澪を信じるとか」
「澪を信じるまでの積み重ねが必要でしょう」
「佐久間」
ひなたが止める。
南雲を責めても意味はない。
彼女は評価を制作へ渡し、制作の意図をデータ班へ戻す窓口だ。
「続けてください」
「澪については高評価です。でも、その分、リラが守られるだけの存在に見えるという意見があります」
正しい。
また、正しい。
リラを推してもらう物語なら、リラ自身の意思が必要だ。
ただし、その意思を早く置きすぎれば、選べない状態から始める意味が消える。
「……選ばせます」
ひなたは言った。
「追っ手から逃げる選択じゃない。澪を巻き込まないために、自分から姿を現そうとする」
佐久間が顔を上げる。
「自分を差し出す?」
「ああ。正しい選択じゃない。でも、初めて自分以外のために動く」
「それなら、推せるかもしれない」
「かも、じゃない。推させる」
ひなたは三稿目のファイルを作る。
評価シートを画面の右端へ寄せ、原稿を中央へ置いた。
再評価の後、美堂から補足資料が送られてきた。
各評価者が、どの時点でリラへの興味を失ったか。
タイムコードと短い理由が並んでいる。
三分十秒。
『逃げている理由は分かったが、本人が何を選ぶか見えない』
五分四十二秒。
『澪が格好いい。リラはまだ受け身』
ひなたは美堂へチャットを送る。
『主体性を早く出すと、成長の起点が変わります』
返信はすぐに来た。
『理解しています。評価は“最初から強くしろ”という修正指示ではありません』
『では、何を求めていますか』
『弱い状態でも、その人自身の判断が見えることです』
ひなたは画面を見つめた。
評価側も、リラを強いキャラクターへ変えろと言っているわけではない。
弱さと受け身を、同じものとして見せない方法を求めている。
『自分を差し出す選択を入れます』
送る。
美堂から少し間を置いて返信が来た。
『評価は上がる可能性があります。ただし、自己犠牲を魅力として消費しない注意が必要です』
そこまで分かっている。
制作の敵ではない。
データだけを見ている人間でもない。
だからこそ、簡単に反発できなかった。
自分と美堂は、別の方法で同じリラを見ようとしている。
その事実が、救いであると同時に、ひなたの居場所を狭くするようにも感じられた。
如月は、ひなたが提案した三稿目の方針を聞き、少しだけ考えた。
「自分を差し出す選択は、リラの主体性として評価されるでしょうね」
「はい」
「でも、それを“推せる行動”として見せすぎないで」
ひなたは顔を上げる。
「自己犠牲を格好よく描くと、澪が止める意味まで薄くなる。リラは間違った選択をする。その間違いごと、読者が守りたいと思う形にして」
「難しいこと言いますね」
「簡単なら、あなたじゃなくても書けるでしょう」
如月は淡々と言った。
励ましているのか、追い詰めているのか分からない。
おそらく、両方だ。
「柏木。評価項目へ合わせるのは悪くない。でも、項目を満たしたことを感動だと思わないで」
「分かってます」
「分かってる顔じゃないから言ってるの」
如月は、ひなたの画面にある評価シートを閉じた。
「最初にリラを見なさい。数字は、書いた後で見ればいい」
画面の中央に、原稿だけが残る。
評価を無視するわけではない。
ただ、書き始める瞬間の主語を戻す。
その小さな順番が、今のひなたには必要だった。
正しい修正を重ねれば、いつか正解へ届く。
そう信じなければ、次の一行を書けなかった。
ただ、その正解は誰にとってのものなのか。
ユーザー。
会社。
データ班。
キャラクター。
そして、自分。
すべてが同じ場所を指しているなら迷わない。
けれど、今は少しずつ方向が違う。
せめて書いている間だけは、点数ではなくリラを見る。
ひなたはそう決めて、三稿目の一行目を打った。




