第52話 因幡家にて①
「相模、定時に上がれそうか?」
「はい、大丈夫です」
今日は定時で上がり、これから相模が私の家へ来ることになっている。
目的は料理と相模のオンラインゲームのデビューだが……。
――私は今、机の上に置いてある男性向け精力剤、『凄九』~マカと亜鉛……九種類の成分入り~の箱をじっと見つめている。
相模が眠気覚ましにと、間違って買ってきてしまった一品だ。
うーん、会社で飲むことはないよな。
会社に置いておくと無用な誤解を招くよな……いや、すでに招いているよな。
これは持って帰るべきだな。
いや、相模が今日うちに来るから持って帰るんじゃない。
そう、たまたま思いついただけなんだからね!
心の中で言い訳を終え、『凄九』の箱に手を伸ばす。
「先輩、どうしたんですか」
「えっ」
急に声をかけられ、思わずビクッとする。
「何かじーっと見ていたので」
「いや、机の上を片付けようかと思ってな。レイアウトを考えていた」
「これからですか」
「仕事が一区切りついたから、気分転換だ」
「そうですか。気分転換は大事ですからね」
相模がニッコリと微笑む。
「でも、今日は早く帰りましょうか」
「……わかった」
「でも、私が家に帰るのは遅くなりますけどね」
相模が小声で意味深な言葉を呟きながら、帰り支度を始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「先輩、忘れ物をしたのでロビーで待っていてもらえますか」
「うん、わかった」
相模は忘れ物を取りにオフィスフロアへと戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、そうか、その手があったかと気づくが、時すでに遅し。「忘れ物を取りに行く」風を装えば、相模の目が気になって結局机に残したままの『凄九』を、自然に持ち帰れたはずなのだ。
「——お待たせしました」
「何を忘れたんだ?」
「アンティパスト(前菜)です。家から作り置きを持ってきたのですが、オフィスの冷蔵庫に入れっぱなしでした」
「すまないな。うちの冷蔵庫には何もないから……」
飲み物、氷、冷凍食品ぐらいだ。料理の素材になりそうなものはない。
「一人暮らしだと、材料をあれこれ買っても使い切れないことが多いですしね。仕方ないですよ」
「何日も同じものを食べ続ける羽目になるからな」
「で、味変のために謎のスパイスが溜まっていくと」
「独身あるあるだな。そういえば、調味料は足りるかな。今日は何を使うんだ?」
「塩とコショウ、それからオリーブオイルがあれば十分です」
「それぐらいはさすがに家にあるぞ。けど、パスタは太いヤツしかないぞ」
「ではパスタも追加ですね。今回は一・二ミリの細麺を使います」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私の家の最寄り駅で電車を降り、行きつけのスーパーで材料を見繕う。
「必要な材料ですが、パスタの他には、クリームチーズと柿、それからレモンです。クリームチーズは余ると思いますから、そうですね、あとでトマトと合わせてカプレーゼにして食べてください」
「わかった。それにしても本当に果物の柿を使うんだな。貝の方のカキなら味の想像がつくんだけど」
「果物のカキと貝のカキの組み合わせもできますよ」
「そんなの作ったことあるの?」
「ありませんけど、どちらも乳製品と相性がいいですからね。カルボナーラにして、黒コショウを効かせれば間違いないと思いますよ」
「へー」
感心して、語彙力を失った私は、気の抜けた相槌を返すことしかできなかった。
「それから、果物の柿は加熱すると柔らかくなります。柔らかくしてソースと絡めやすくするか、シャキシャキ感を楽しむかは好みですね」
「今日はどっちにするんだ? 冷製パスタだから、硬さが少し残るぐらい?」
「正解です。前から思っていましたが、先輩は料理のセンスがあると思いますよ」
「ホントに?」
「本当です。面倒くさがらなければ、ちゃんとした料理が作れますよ」
「じゃあ無理だ」
「そうですね」
「フォローがないな」
「どうせ先輩のことですから、途中であれこれ理屈をつけて、手抜きしようとするんじゃないですか?」
「図星だな」
相模は私のことをよくわかっている。一方、私はどれだけ相模のことを分かっているだろうか?
ふとそう思い、脳内で『相模らしさ』を列挙し始める。
明るくて、気が利いて、料理好き。時に『S』で、あと胸。それから……。
「どうしたんですか?」
相模の声で我に返る。
「いや、相模は俺のことよくわかってるな、って思って」
「先輩は案外、わかりやすいですよ」
「そうか?」
「そうです。例えば、視線です。今、私の胸、見ていませんでしたか?」
「いやいや、冤罪だ」
「ホントですか?」
「ほんと、ほんと」
胸のことを考えたせいで、無意識に見ていたのかもしれない。
「ふーん。まあいいです。それより、デザートも買っていきませんか」
「いいな、甘すぎないヤツにしよう」
「フフ、そうですね」
フルーツサンドを買ってシェアすることにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お邪魔しまーす」
「ようこそ、因幡家へ」
と言ってもワンルームのマンションなのだが。
駅からやや遠いせいか広さの割に家賃は安く、社会人になってからずっと同じ部屋に住み続けている。
「綺麗に片付いてますね」
「見栄を張ってもしょうがないから言うけど、片付けたんだよ」
「えらいですね。では、そんな先輩のために今から美味しいパスタを作ります」
「何か手伝えることはあるかい?」
「いえ、大丈夫です。作り方は簡単なので、先輩も隣で見ていてください。すぐに覚えられますよ」
『相模さんの料理教室』の始まりだ。
「まずは柿の皮をむいて、一口大の角切りにします」
「次に軽く火を通します。ラップをして二十秒ほどレンジで加熱します」
ふむふむ。
——あ、できた。本当に少し柔らかくなった。
「柿は冷蔵庫で冷やして粗熱を取ります。では続いてパスタを茹でます。茹で終わったら氷水につけて冷やしますが、待っている間にソースも作りたいと思います」
鍋に水を入れ、お湯が沸くのを待つ。
続いてソース作りだ。
ボウルの中にオリーブオイルとレモン汁、塩を入れて混ぜ合わせ、乳化させる。
「はい、以上です」
「シンプルだな」
「はい、あとから柿とクリームチーズの味も加わりますから、これで十分です」
出来上がったソースを冷蔵庫に入れる。
「そろそろお湯が沸きましたのでパスタを茹でます。これは時間通りでいいですね」
待つこと数分。
「そろそろですね」
パスタを氷水で冷やし、ボウルの中のソースと合わせる。
「あとはお皿に盛り付けて、柿とクリームチーズをのせれば完成です。お好みで黒コショウをかけてください」
「おー早い!」
相模がテーブルの上にパスタ皿を置き、アンティパストを並べる。
「何を持ってきたんだ?」
「貝のカキとセロリのマリネです。あとはナッツのメープルハニー和えです」
「おー」
「カキは二日続けてになりますけどね」
「いやいや、これも美味しそうだから」
「ではいただきましょうか」
「いただきます」
さて実食。
フォークで細いパスタを巻き取り、クリームチーズと柿をバランスよくのせて口に運ぶ。
「お、美味い……!」
思わず声が出た。
レモンの酸味が効いたさっぱりとしたソースが、よく冷えたパスタにしっかり絡んでいる。そこにクリームチーズのコクと、柿のほのかな甘みが加わって、絶妙な味のハーモニーを生み出していた。
「驚いたな。柿とチーズの組み合わせが、こんなにパスタに合うなんて思わなかった」
「気に入ってもらえて良かったです。レモンを足すのがポイントです。冷製パスタはソースの酸味と具材の甘みのバランスが大事ですからね」
「なるほど、柿の甘さにレモンを足して、トマトの代わりにすると。そうすれば味の組み立て自体は一緒なんだな」
「正解です、よくできました」
相模は嬉しそうに微笑みながら、自分の分のパスタに手を付ける。
「うん。我ながらよくできてます。先輩、マリネの方もどうぞ」
「いただくよ。……うん、これも美味い」
ついでにナッツのハニー和えもいただく。
ほどよい甘さと歯触りの違いが、酸味の効いた味付けのパスタとマリネに対して、いい口直しになる。
「お酒が欲しくなっちゃいますよね。でも、今日はこのあとオンラインゲームですから、我慢です」
「酔っぱらってCFOと会うのは、いくらオンラインとは言え失礼だよな」
「そうですね」
相模の小洒落たディナーのおかげで、ワンルームの空気は終始なごやかだった。
美味しい料理を堪能し、フルーツサンドをシェアする頃には、お腹も心もすっかり満たされていた。
「お腹もいっぱいになりましたし、いよいよ始めますか、「天界のプラネットオンライン」を。アカウントは作成済みなのでキャラクリからです」
相模が自宅から持ってきたPCを立ち上ログインするのを横から覗く。
さて、どんなキャラクターを作ってもらおうかな?
「どれどれ……!」
「どうしました?」
「いや、この名前……」
この名前はないだろう……
「先輩と、お揃いですよ。何しろコンビですから」
——プレイヤー名欄には『白ウサ』の三文字があった。




