第5話 表と裏の事情④
家に着き、明かりを灯す。大学入学以来、一人暮らし歴も十年を超えた。帰宅した瞬間の部屋が暗いのは、もはや当たり前の日常だ。いつものようにPCの電源を入れ、十年間続けているオンラインRPG『天界のプラネットオンライン』にログインする。
酒場を併設したギルドハウス風のルーム内。そこには、いつものように彼女の姿があった。私が来るのを待ってくれていたようだ。
「遅れてすみません」
「電車が止まってたんですって? 大変だったわね」
おそらくニュースでも見たのだろう。彼女は上司を待たせる部下を労うように、優しく言葉をかけてくれた。
その「上司と部下」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、今日はボイスチェンジャーを使わないことに決めた。今夜は、会社の「CFOである彼女」と会話してみたい。
「今日は『会社の上司』と話をしたい気分なので、ボイスチェンジャーを切ってみました」
「見た目と声の違和感がすごいんだけど……」
苦笑い交じりの声が聞こえてくる。
私のキャラクター「黒ウサ」は、現在イベントで手に入れたバニー衣装で大剣を担いでいる。レオタードに白い尻尾、燕尾服風のジャケットに網タイツというクラシカルバニースタイルだ。バニー姿になることでパンツは見えなくなったが、ハイレグの角度はきわどく、日焼け気味の肌と相まった脚の付け根のラインは絶妙にエロい。
だが、今の状況ではそれが完全に裏目に出ていた。上司の前にバニースーツ姿で現れた、女装した部下。あまりにシュールな絵面だ。
「今日はいきなり呼び出されて、ビックリしたんですよ。挙句に『国民的大人気RPGを作れ』『メインプランナーは任せる』だけで終わっちゃうんですから」
黒ウサを椅子に近づけて座らせると、キャラクターが勝手に脚を組み始めた。バニー衣装専用の特殊モーションだ、芸が細かい。
「日向君から事情は聞けたでしょ、ならいいじゃない。私も、あなたの驚く姿が見たかっただけだし。……それより今日のお昼、女の子と一緒にインドカレー屋へ行ったでしょ。旦那とお店に入ろうとしたらあなたたちの姿が見えたせいで、なんとなく入りづらくなっちゃったわ」
旦那とは、つまり社長のことだ。レイチェルのキャラクターが、目の前の椅子に腰掛けながら返答する。
露出の多い私の黒ウサとは対照的に、足元まで隠れる装備で固くガードされている。……それにしても、急用って社長との食事のことだったのか。確かに、急用だからと先に帰らせた部下と同席するのは気まずい。
「で、結局何を食べたんですか?」
「インドカレーよ。別の店に行ったわ」
今やそこら中にお店があるが、本当のインド人が経営している店は少ないらしい。どうでもいいことを聞いた覚えがある。まあいい、話を元に戻そう。
「話を戻しますが、おおよその経緯は日向さんに聞けたのでいいんです。ただ、なぜ
『国民的大人気RPG』なんですか? CFOの考える『国民的大人気』のイメージを教えてもらえますか?」
はゲーム内では彼女のことを『レイチェル』と呼んでいが、ここは敢えて『CFO』と呼びかけてみた。
「日向君にも言ったけれど……みんなで遊べて、末長く語り継がれるRPG。そんな感じのRPGよ」
日向さんの説明はもっと長かった気がするが、私自身も正確には覚えていない。
「……さては、あまり深く考えていませんね?」
「なんとなくのノリで言ったことは認めるわ。ほら、異世界転生モノのWEB小説でよくあるじゃない? 『転生したら国民的大人気RPGの世界だった』みたいな。あんな風に、遊んでくれたプレイヤーが語り継いでくれるような、新しいタイトルのRPGを作ってほしいのよ」
「ハイフライヤー」ではない、完全新作。一応、社外に漏れる可能性のある場なので、直接的な会社名などの固有名詞は控えて会話を続ける。
「もう『アレ』は作らないんですか? 旦那さんが泣いちゃいますよ」
たとえ今回が失敗したとはいえ、ハイフライヤーは我が社の看板タイトルであり、創業時から社長が手塩にかけて育て上げた作品だ。社長を大好きなCFOなら、「社長は好きなことをやっていなさい」「次で取り返せばいいのよ」と、どこまでも甘やかすものだと思っていたのだが。
「旦那なら、もう泣いているわよ。しばらくは無理ね」
ただ甘やかすだけでなく、無理もさせない主義だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
——数日前のこと。
「日向君、『ハイフライヤーⅣ』失敗の原因って何だと思う?」
CFOに呼ばれたかと思えば、いきなり重い球が飛んできた。
ハイフライヤーⅣで炎上した現場をいくつか鎮火させたことで、最近上層部からの評価が高い。執行役員クラスから直接意見を求められる機会も増えた。……正直、やめてほしいのだ、部長の大隅さんを飛び越したヒアリングは。彼への報告が面倒になる。「何を話したんだ?」と聞かれるのが目に見えている。
「重要な話だと思われますので、少しお時間をいただいてから改めて報告してもよいでしょうか?」
まずは逃げ道を作る。
「日向君は忙しいでしょ? 今日は私個人の思いで呼んだだけだから、率直に感じていることでいいわ」
回り込まれた。逃げ道は完全に塞がれた。
「開発メンバーに『ハイフライヤー』の信者が集まった結果、先鋭化しニッチな走りすぎたせいです。熱狂的なファンが喜びそうなディテールを極限まで追求し、初見ではどう遊んでいいか分からない、敷居が高すぎるゲームになってしまったせいです」
CFOの瞳が「そんなことは分かっている」と語っていたので、私はさらに踏み込む。
「後進の育成も兼ねていたのでしょうが、今回は社長が引き気味に『みんなの好き勝手にやらせてみよう』とした姿勢が裏目に出ました。現場の空気は悪くなかったと思います。全員が社長の語る夢に乗っかり、一丸となって突き進んでいました。ただ、暴走したんです。そして社長は、その暴走した大衆を理解しようと寄り添いすぎてしまいました。寄り添いすぎた結果、社長は『教祖』から一介の『信者』に成り下がり、イニシアチブを取り戻せないまま作品の歪みを修正できませんでした。社長が企画した世界観やシナリオ自体は悪くなかったはずです。今までのように現場へ執拗に口出ししていれば、上手くいっていたでしょう。現場の思いつきをシステムに組み込み、昇華させることに関して、社長は天才ですから」
批判しつつも社長へのフォローは忘れない。
「なるほどね、私も同意見よ。そんな長い言葉では説明できないけれど……。言う機会を待っていた、という感じかしら?」
少し冷ややかに感じる言葉が怖い。だが、ここは開き直って続けるべきだと直感が告げていた。
「ずっと考えていました。ハイフライヤーⅣが成功する為に現場が必要だったのは、耳を傾けてくれる『優しい理解者』ではなく、現場の独走を叩き潰してでも自らの美学を貫き通す『独裁者』だったんです。全員のベクトルが同じ方向を向いていた、稀有な現場でした。ただ結果として『同じ方向さえ向いていれば何をしても許される』という甘えが生じたんです。社長ならこうする、社長ならこう考えるはずだ、という思い込みの意見で作り上げられたのは、独りよがりな『経典』に過ぎません。『ハイフライヤー』の栄光を再び取り戻すなら、社長の考えを先鋭化して浸透させ、ついていけないひ弱な信者を切り捨てて、社長が見せる景色の先に行きたいと願う本物の『信者』だけを集めて再起すべきです」
長広舌の後、CFOから返って来た言葉は、自分が期待した内容からは外れていた。
「結局、社長頼みということね。組織としては不健全だわ。それに、すぐに現場に復帰させるのも外聞が悪いし……何より、社長のモチベーションが、ね」
クリエイターとしての社長は天才だ。対する私の才能は、あくまで批評側。人が作ったものを分析し、直し、曲げ、あるいは諦めさせることに向いている。ゼロからあれほどの熱量を生み出すことは私にはできない。その才能の差に嫉妬すら覚える。だからこそ、もったいない。社長を早期に奮起させる方法はないだろうか。
「何か、他にお考えがあるのでしょうか?」
すぐには名案が浮かばず、私はボールをCFOに預けた。
「ないから呼んだのよ。社長にはいずれ復活してもらう。新しい『ハイフライヤー』を作る。これは既定路線よ。ただ、時間はかかるわね」
彼女がシリーズを諦めていないのは朗報だ。一方で、社長の復活まで新作を一本も開発しない状況は宜しくない。それでは人が育たないし、何より「作る」ことが好きな優秀な人材から離れていってしまう。開発しなくても利益が出るという恵まれた環境に、いつまでも甘えてはいられない。
「社長の復帰を待つ間のつなぎとして、新タイトルを立ち上げましょう。今回開発から外れた社員や、若手のモチベーション維持のためにも」
「日向君が担当してくれる、ということでいいかしら?」
社長が復活したとき、今度は最初から中核メンバーとして加わっていたい。私自身も「ハイフライヤー」の熱烈な信者なのだ。ここは若手に配慮した管理職のフリをして、新作は彼らに任せる案でどうだろうか。
「今回は『失敗前提』で若手に任せましょう。リスクを抑えるため、なるべく社内リソースだけで完結させます」
前言と矛盾するようだが、会社の「貯金」を少しだけ切り崩させてもらう。彼女の「少し」がどれほどの規模かは未知数だが……。
「そうね、ハイフライヤーのために用意した開発アセットの減損処理を先延ばししたいなら、何か作るしかないもの。若手に頑張ってもらいましょうか。目標は……そうね、最近読んだ異世界転生モノのWEB小説にあった『国民的大人気RPG』ってところね」
イメージがわかないが、とんでもないオーダーになったことだけは確かだ。
——さらに、CFOがメインプランナーに「因幡」を指名したことで、自分は絶句することになった。
(よりによって、自分の部下が直接引っ張り出されるとは……関わらないわけにはいかなそうだ。それと、フォローも必要だな。あいつの自立性を失わせない程度の、な)
自分の余計な進言が部下を矢面に立たせてしまったという罪悪感と、案外チャンスかもしれないという期待。相反する思いを抱えたまま、俺はCFOの部屋をあとにした。




