第48話 ラスボス③
「あれ、日向さんがいない」
「珍しいですね。こんな時間にもう上がるなんて」
ミーティングルームを出たのは定時を少し回ったばかりであった。
自席に戻って確認したが日向さんの荷物も見当たらない。本当に帰ったのだろう。
「さすがに、昨日に続いてやりすぎたかな」
「そうですね……反省しています。今からでもお詫びのチャットを入れておきましょうか」
相模がスマホを取り出したが、私はそれを止めた。
「いや、明日の朝にしよう。今送っても、日向さんの邪魔になる」
「邪魔? どういう意味ですか」
「今頃、『お姉さん』に慰められているはずだ」
「ああ……なるほど、そういうことですか」
後日、店のお姉さんが珍しく弱りきっている日向さんの姿にほだされたのか、二人の関係が「どうにかこうにか」なってしまう後日談へと続いていくのだが、それはまた別の話だ。
「さて、俺たちも帰るか」
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いつものように相模と二人で最寄り駅に向かう。
季節は十月だというのに、夜気には未だにねっとりとした暑さが残っていた。
「今日はCFOと一緒にオンラインゲームの日ですね」
「うん。昨日直に会ったばかりだけど」
「噂の件、CFOの耳まで届いてますかね?」
「届いていたら、間違いなくからかわれるな……。それとも『社内の風紀を乱すな』とお説教されるか?」
「事情を説明したら、日向さんが噂の出所だったことに一番驚くでしょうけどね」
「確かに。その後、和泉ちゃんに叱られたことまで含めれば完璧な笑い話だな」
そうか。
日向さんが和泉ちゃんに叱られた経緯を、あの議事録付きで流布すれば、私たちの噂を無事、鎮火できる可能性があるのか。
……ただ、社会的に日向さんが死んじゃうよな。
これは止めておこう。
「相模、あの議事録はどこにも流すなよ」
「もはや怪文書ですからね。わかりました、日向さんの立場も無くなっちゃいますし。今回の件を除けば、いい上司です。あの議事録は破棄しておきます」
「頼むよ。そういえば、夕飯はどうする? どこかで食べていくか」
CFOとオンラインで合流する二十一時までは余裕があった。
「いえ、今日は家で食べます。妹たちと一緒にご飯を作る約束をしているので」
あの双子ちゃんたちも、姉のように料理上手になるのだろうか。
誘いを断られはしたが、幸せそうに食卓を囲む相模家の面々を思い浮かべると、悪い気はしなかった。
「仲いいな、うらやましい。じゃあ俺はいつも通りだな」
「半額弁当の待ち伏せですね、ちなみに買えなかった時はどうしてるんですか?」
「惣菜と冷凍ご飯にするか、パスタを茹でることが多いかな」
「パスタですか……『気まぐれ』に再チャレンジはしないんですか?」
いつぞや失敗した、サバの甘酢餡かけと油っ気のないパスタの組み合わせが脳裏をよぎる。
「俺の気まぐれ願望を満たすだけの素材があればな」
「何ですか、かっこつけて……。じゃあ、こんな組み合わせはどうです?『柿』とクリームチーズ」
「パスタにカキは珍しいけど、味が想像できるな」
「違います。果物の柿とクリームチーズの冷製パスタです。美味しいですよ」
「えっ?」
頭の中で味を想像するが、甘じょっぱいのか? 味のバランスが難しそうだ。
それに柿をどう扱えばいいか分からない。ぐにゃぐにゃに柔らかい方がいいのか、それとも……?
「気まぐれ願望は満たせそうだが、難易度が高すぎないか? どう調理していいか想像もつかないぞ」
「意外と作るのは簡単なんですけどね」
「今度手本を見せてくれ。あれ……ちょっと待って」
スマホが震えたので確認すると、CFOからチャットが飛んできていた。
『ごめんなさい、今日は急用で入れません。明日なら大丈夫です』
「CFOからだ。今日は急用でダメで、明日ならOKだってさ」
「ふーん。じゃあ、早速ですが、明日は先輩の家に行きますね」
「えっ?」
「晩御飯にパスタを作ってあげます。代わりにキャラメイクの手伝いをしてください、私も天界のプラネットオンラインを始めようと思います。そのままCFOと合流して、一緒に冒険です」
昨日、CFOと一緒に昼食をとった際にそんな話が出ていたが、本気だったのか。
「PCはどうするんだ?スマホでもプレイできるけど、辛いぞ」
「自宅のノートPCを持っていくので大丈夫です。さすがに社給PCを使うわけにはいきませんから」
「やる気だなー。わかった、それならボイスチャットもできるから、ヘッドセットも持って来てくれ。でも、料理してキャラメイクまでする時間はあるのか?」
「料理にそんな時間はかかりませんから、大丈夫です」
定時で会社を出て、家に着くのが十九時ごろ。
買い物と料理で一時間、キャラメイクに一時間。
……計算は合うか。
「じゃあ明日は定時上がりが目標だな。頑張ってラスボスの設定を決めよう」
「はい、そうしましょう」
CFOにチャットで返信する。ちなみに相模も加わることは伏せておいた。
そのまま相模と改札で別れる。
……平日だし泊まっていく気じゃないよな?
電車の中でふと気になり、チャットを送る。
「お泊まりは、またの機会にします」とだけ返信があった。
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さて、急遽部屋の片付けをしないといけなくなったわけだが……。
待ち伏せで手に入った唐揚げ弁当(半額)を胃に流し込みつつ、何から手を付けるべきか考える。
幸い、普段からそれほど散らかしてはいない。
だが、まずはゴミ箱を空にしておいた方がいいだろう。
部屋の匂いは……念入りに消臭スプレーをかけておこう。
あとは、一応ベッドのシーツとタオルケットも新しいものに変えておくか。
買い置きがあったはずだ。
別に、何かを期待しているわけではない。
あくまで万が一、……そう、万が一のためだ。
これは、人を招く側の礼儀というやつである。
礼儀と言えば、新しいパンツのストックはあっただろうか?
いや、別に泊まりに来るわけじゃないだろ?
朝から新しいパンツを穿いたところで、一日働いて帰ってくれば、フレッシュさはとうに失われている。かといって、帰宅してからわざわざ穿き替えるのも不自然すぎる。
それから一応、『アレ』の残り枚数も確認して……。
いや、何を必死にシミュレーションしているんだ。
別に相模がうちに来るのは、これが初めてじゃないだろうに。
深夜、一人、我に返った。
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さて、今日は定時で仕事を終わらせないとな――。
そんな決意と共に会社へ向かう道すがら、同期の石見に出くわした。
「よう」
声を掛けると、石見はビクッと目に見えて肩を揺らした。
この反応、間違いなく日向さんの件を知っているな?
元を正せば、こいつが日向さんに余計なことを吹き込んだのが噂の起点なのだ。
……よし、処そう。
「お、おう、おはよう」
「ああ、いい朝だな。今のところは」
「……今のところは?」
「和泉ちゃん」
石見が再びビクッとする。
「お、俺は関係ないだろ……!」
「噂のきっかけを作ったのはお前だろうが。日向さんは既に罪を認めて、大人しく処刑されたぞ」
「……す、すまん。どうすれば許してもらえる?」
「そうだな……相模に相談してみるか」
「それだけは勘弁してくれ! ミ、ミミックちゃんは怖いんだよ……」
あまり脅しすぎると、『相模を怒らせると怖い』という別の噂が広がりそうだ。
いや、噂じゃなくて事実だけど。さて、どうしたものか。
「よし、じゃあこうしよう」
わざとらしく、ポンと両手を叩いてみせる。
「な、何をする気だ……」
「目には目を、噂には噂を……だな」
その日の午後、石見の机の上には、ひときわ異彩を放つ精力剤『メンズウルトラブースト ~男の自信を取り戻せ~』の箱が、供え物のように鎮座していたという。
後日、石見に社内の方々から「頑張れよ」「若いんだからその内なんとかなるさ」と生暖かい声援が寄せられたという。
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「ということで、ひと通り噂の件は片付いたかな」
「何も片付いていない気もしますが……不幸の連鎖が続いてますね」
相模に報告した際のコメントはそっけなかった。
「ところで先輩は、コレを飲まないのですか」
相模が私の机上に置かれた男性用精力剤『凄九』を指さす。
「うーん、この手のものをまだ飲んだことがないからな」
実際、ドリンク剤って効くのだろうか?
「飲むとどうなるんですかね」
「名前の通り凄くなるんじゃないか? どこがとは言わないが」
「試してみますか? 今晩」
「えっ」
「冗談ですよ、冗談。どうせ先輩のことだから、あれこれ考えて昨日は眠れなかったんじゃないですか? 眠気覚ましですよ」
半分当たっている。途中で「なるようになれ」と思って寝ただけだ。
「眠気覚ましだけで済むかな……」
勤務中に試すのは、危険な香りがした。
「やっぱり、家に持って帰ってからだな」
「えっ」
今度は相模が驚く番だった。
だが、一瞬だけ彼女の目が妖しく光ったように見えたのは、果たして気のせいだろうか。
「よっ、おはよう」
声をかけられた方へ顔を向けると、日向さんだった。
もう元気そうだ。
きっと素敵なお姉さんのお店に行ってに慰めてもらったのだろう。
こうして、相模との爽やかな(?)朝の会話は終わりを告げた。




