第42話 課題整理⑤
よく眠れた。
昨日は相模のおかげで二十時過ぎに会社を出ることができた。
いつもなら手伝ってくれたお礼に夕飯でも奢るところだが、「今日は早く帰って寝てください」という彼女の言葉に従い、そのまま帰宅した。
半額弁当で夕飯を済ませ、シャワーを浴びてベッドに潜り込む。
目を閉じると、「相模のお父さんはビッチ」という謎理論が再び脳裏をよぎったが、脳が疲れ切っていたおかげで、深い眠りが妨げられることはなかった。
翌朝。
いつもの通勤路で、日向さんと石見が並んで歩く姿を見かけた。
珍しい組み合わせだな、とその時は思う程度だった。
オフィスに到着すると先に出社していた相模が日向さんと何やら話し込んでいる。
「おはようございます。日向さん、相模」
「おう、おはよう」
「おはようございます」
三者三様の挨拶を交わす。
「何かあったんですか?」
「いや、こいつが目に入って……ちょっと気になってな」
日向さんが私の机の上に置きっぱなしだった『凄九』を指さす。
どうやら日向さんは、これが何たるかを知っているらしい。
「昨日、相模が眠気覚ましに買ってきてくれたんです。高いから効き目もあるだろう、って」
「そうか……」
「何か?」
「いや、それならいいんだ」
「他意はないと思うので、変なこと考えないでくださいね」
その間、相模はずっと黙っていた。
昨晩、これが精力剤であることを私が明かしてしまったから、気恥ずかしくてたまらないのだろう。
「わかった……」
その時、日向さんの目が泳いでいたことに気づかなかったのは、後々を思えば痛恨のミスだったかもしれない。
未来の出来事など露知らず、朝の他愛もない雑談のついでに、日向さんへ「キックオフミーティングまでの間、私と相模のタスク量を調整できないか」と打診した。
日向さんは少し考え込む素振りを見せたが、快く承諾してくれた。
「すみません、無理を言って」
「気にするな。調整は上司の仕事のうちだ」
日向さんは、やはり頼れる上司だった。
この時までは。
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――そして迎えた昼休み。
「さて、今日のお昼はどこに行こうか!」という私の軽やかな誘いは無視され、私は前を歩く相模の後ろをドナドナとついて歩いていた。
行き先は予定通り、先日訪れたインドカレー屋「バホット=ミーター」。
カレーとナンの味、そしてサービスも申し分がない店であるが……。
本日の目的は「ラスグッラ」。
その甘さは世界一甘いお菓子グラブジャムンに匹敵するという。
「そういえばさ、先日相模の家へ行った時にお母さんから食べ物で遊んじゃ駄目って言われなかった?」
「遊びじゃないので問題ありません。今日の目的は『刑の執行』ですから」
「どう見ても相模が楽しみたいだけだと思うんだけど……」
店の前まで来ると、意外な人物に出くわした。
「あら、あなた達もお昼? ここで食べていくのかしら」
「CFO! お疲れ様です」
偉い人を前にして相模が挨拶をしたまま固まる。自然と説明役が私に回ってくる。
「はい、お目当てのものがありまして。CFOもお昼ですか?」
「午前中は少し外出していたの。お昼に何か買って帰ろうかと思っていたところよ」
「せっかくだから、ご一緒にいかがですか?」
固まっている相模を見て、ふと、悪巧みを思いつく。
CFOには完全にとばっちりだが、彼女ならきっと洒落が通じる……はず。
「いいの? 二人の邪魔をしたら悪いわよ」
「いえ。相模が、どうしても食べたい面白いものがあると言うので来たんですよ」
「面白いもの?」
「相模、名前なんだっけ?」
いかにも相模が言い出しっぺのような口ぶりで、彼女にパスを出す。
「ラスグッラ……です」
「聞いたことないわね。せっかくだから私も試してみようかしら」
――相模よ、死なばもろともだ。
「ラスグッラはデザートなのね。じゃあ私はマトンカレーのセットを、ハーフナンでお願いするわ」
メニューを見ながらCFOがオーダーを決める。
「マトンカレーのセットをもう一つ」
「私は……チキンカレーのセットにします」
相模が恨めしげに睨んでくるが、無視する。
「それからラスグッラを三人分お願いします」
「ワカッタカラ。サキ?アト?」
「食後でお願いします」
店員に告げると、彼は嬉しそうに厨房へオーダーを告げた。
「あなたが相模さんね。こうしてお話しするのは入社式以来かしら」
「覚えていらっしゃるんですか」
CFOは私の方を向き「私たちの関係は知っているのかしら?」という目線を投げかけてきたので頷く。
「それから、あなたのことは因幡君から色々聞いてるわよ」
その時、CFOの視線が一瞬下がったのを私は見逃さなかった。
相模の「胸」を確認している。
私がゲーム内で「胸派」に転向した根拠を、現物で照合しているのだ。
「先輩が変なこと言っていませんか」
「あなたの想像通りよ」
「想像通りですか……」
相模がこちらを睨んできたので、慌てて話を逸らす。
「そういえばCFOと食事をご一緒するのは、入社以来初めてですね」
「えっ、そうなんですか?」
「そうなのよ。因幡君がなかなか誘ってくれなくてね」
「一社員が役員をご飯に誘うなんて不自然極まりないじゃないですか」
もちろん冗談だ。これまでは周囲の目を気にしてお互い避けていた。
だが、今回のプロジェクトが彼女の肝いりである以上、メインプランナーの私と、そのサポート役かつ女性の相模が同席していれば、不自然さは薄れる。
「まさかこの会社に入ってくるなんてね……」
「私も同じ会社で働かせていただくことになるとは思っていませんでした」
お互いの間で、過去何度も繰り返されたセリフだ。
「相模さんは、どうしてこの会社へ入ったのかしら?」
CFOが話題を相模に振る。
「えっ、私ですか? 私はやはりゲームが好きだからでしょうか。ハイフライヤーもプレイしたことありましたし」
「女の子にしては珍しい方かしら」
「父がプレイしていたのを横で見ていて。小学生だったので設定にはついていけなかったんですが、雰囲気が凄くて。それで就職活動の時、ゲームを作るのも面白そうかなと思いまして、何社か回ったのですが、一番先に内定を出していただいたのが当社でした」
やはりSFへの入り口は「男」。
――といっても父親の影響だけど。
「そう、それはよかったわね。で、今回は因幡君と一緒にゲームを作ることになって……面白い縁ね。どう、この子迷惑かけてない?」
「完全に保護者目線ですね……」
ついに『この子』呼ばわりされ始めた。
「あなたが時々変なことをするからよ。この前もゲームの中で私のキャラの胸が揺れる姿が見たいからって……ジャンプさせられたし」
「あれは何というか……出来心ですよ」
「その話は私も聞きました。先輩、時々変なことしますよね。普段はま……真面目でもないですね……」
「仕事はキッチリやっている方だと思うけど」
「成績はともかく行動に問題ありってところかしら。先生が一番頭を悩ませるタイプね、成績がいいだけに叱りにくいっていう」
「いつも相模に叱られているから大丈夫です。何が大丈夫か分かりませんが」
「仲がいいわね」
CFOが相模に微笑みかける。
照れくさくなったのか、相模が話題を切り替えた。
「ところでお二人とも十年同じゲーム続けていて飽きないんですか?そんなに面白いんですか、『天界のプラネットオンライン』は」
「大手が作っているだけあって大したものよ。それから運営が優秀ね」
「確かに優秀ですね」
黒ウサが祈りのポーズをとる時、「胸」が、重力に従って再びたわわに垂れ下がるモーションを思い浮かべる。
「ゲームそのものは十年以上経ってるから目新しさはないけど、コミュニティの扱いが上手ね。常にプレイヤー同士で話題が尽きないように仕掛けている節があるわ」
「どういうことでしょうか?」
相模が質問を口にする。
「ゲームの面白さはいくつかあるけれど、そのひとつは『思い出』になること。残った思い出をみんなで共有して語り合う。それも楽しみ方のひとつなのよ」
「ネタの仕込み方が上手いんですよね、あそこの運営は」
「あなたが上手いと思うのは、エッチなネタでしょ?」
「いやー、まあ……」
「面白そうですね。私も今度プレイしてみます」
「今からの新規参入はキツいわよ。そうね。しばらく私たちが引率してあげるわ」
「えっ、いいんですか?」
相模よりも先に、私が食いついてしまった。
「いいわよ。若い子の話も聞きたいしね。それに、あなたの『裏の顔』も。私の前では猫を被っているけれど、色々隠しているでしょ?」
「はい、逐一報告させていただきます!」
「逐一は困るんだけど……」
少し面倒なことになったかもしれない。
とはいえ、今日はこれから猫どころか「本性」を晒すような暴挙に出るわけだが。
――会話が弾んでいるところへ、まずはカレーが運ばれてきた。
やはりこの店のカレーは美味しい。
噛むほどに口の中で広がるマトンのコク。
独特の風味はスパイスと見事に調和し、これこそが正解だと言わんばかりに主張してくる。
日本のカレーとは味の組み立て方が根本から違う。
食後にそう感想を漏らすと、CFOが興味深い話をしてくれた。
「以前、別の店で聞いたんだけど、『なんで日本人はあんなにスパイスを使うんだ? 素材の味がわからなくなるじゃないか』って言っていたわ」
「あ、それわかる気がします。日本だとカレーは何でも『カレー味』になっちゃいますもんね」
料理好きの相模が同調する。
なるほどな。言われてみれば面白い。
日本料理は素材を活かすイメージだが、ことカレーに関しては逆転する。
もちろん日本のカレーも素材を活かそうとしているのだろうが、あくまで日本風のカレーという枠組みの中での話だ。
一方、今食べているマトンカレーは、スパイスで煮込んだマトン料理と呼ぶ方がしっくりくる。
そんな食通ぶった現実逃避をしている最中、ついに「本日の主役」が登場した。
小さな透明の皿にシロップが満たされ白い球体状の物体が三個ほど浮かんでいる。
「白玉団子みたいね」
「カッテージチーズを丸めたものらしいですよ」
「周りにかかっているのはシロップ?」
「そうみたいです。ただ……」
「ただ?」
「ものすごく甘いらしいです」
「そう、面白そうじゃない。じゃあ、いただきましょうか」
三人ほぼ同時にスプーンを入れ、謎の球体を口に放り込む。
「これは凄いな……」
「何かしら……これ……」
「グラブジャムンとも違いますね……甘さは同等ですが、シロップの染み込み具合はこちらが上です」
相模は冷静に味を分析しているが、甘い。暴力的と言っていいほど甘い。
噛んだ瞬間、球体から口の中にシロップがあふれ出してくる。
ラスグッラの正体は白玉というよりケーキのスポンジだった。
スポンジがシロップを、これでもかと吸い込んでいる。
グラブジャムンはドーナツそのものも甘かったが、揚げてある分だけシロップの吸収能力はラスグッラに劣っていた。これは甲乙つけがたい。どちらも世界一の名に恥じない甘さだ。
ふとCFOを見ると、何とも形容しがたい表情で固まっていた。
「……相模さんは、どうしてこれを食べてみようと思ったのかしら」
「先輩への……罰ゲームだったんです……」
「それに私が巻き込まれたわけね」
「申し訳ありません……」
「あなたは悪くないわ。悪いのは……この子よ」
CFOを巻き添えにして、相模にも同じ罪の味を味わわせようという私の策略は、完璧に見抜かれていた。
――結局、彼女たちの分も含め、三皿に残ったラスグッラはすべて、私が責任を持って食べる羽目になった。
その姿を見守るCFOの目は、子供の頑張りを厳しくも優しい目で応援するかのようなもの……ではなく、単にドン引きしていた。
ただ、ランチ代はCFOが「ホント馬鹿ね」の一言で、まとめて払ってくれた。
ごちそうさまでした。




