第38話 課題整理①
「おはよう」
「おはようございます」
月曜日。いつものように、私より先に出社している相模と挨拶を交わす。
しかし、眠い。
結局、昨夜は例の謎理論(お父さん=ビッチ説)のせいで目が冴えてしまい、ほとんど眠れなかったのだ。
フロアに他の社員の姿はない。
月曜日はリモートワークを選択する者が多いのだ。
いつも出社しているのは私と相模。あとは課長の日向さんくらいなものだ。
それにしても、とにかく眠い……。
意識は朦朧としているが、自席のPCをスリープから復帰させ我が課の勤務シフト表を確認する。やはり今日このオフィスに顔を出すのは我々三人だけのようだった。
これなら相模と週末の振り返りを始めても問題ないだろう。
それにしても、とんでもなく眠い……。
「週末はありがとう。ご飯も美味しかったし、双子ちゃんたちも『大乱入』で大歓迎してくれたから、最高に楽しかったよ」
礼を言うために口を動かしながらも、脳からは「眠い」というアラートが連続で飛んできている。
相模がディスプレイから視線を外し、私の方へと顔を向けた。
「こちらこそ、ありがとうございました。お土産のガレット・ブルトンヌも昨日いただきましたが、とっても美味しかったですよ」
「それは良かった。あの甘ーい、甘ーいグラブジャムンの口直しには、ちょうど良かったかな?」
眠い……。
「食べてから丸一日経ってますけどね。……でも、アレはアレで面白い体験でした。何せ『世界一甘い』という肩書きは伊達じゃなかったですから」
相模はあの暴力的な甘さを思い出したのか、手元のペットボトルを引き寄せ、無糖のアイスティーを口にした。
「悪役令嬢にふさわしい、暴力的で高貴な甘さだったろ? せっかくだから今度のゲームに両方組み込んでみるか。グラブジャムンと悪役令嬢」
「いきなり月曜日から飛ばしてきますね……」
いや、飛ばさないと寝落ちしそうなんだよ。
今朝だって、電車で珍しく目の前の席が空いたのに、我慢して立ったまま来たんだから。もし座っていたら、今ごろどこまで運ばれていたか分かったもんじゃない。
不意に相模が心配そうに私の顔を覗き込む。
「先輩、顔色が良くないですよ。大丈夫ですか?」
「いや、単なる寝不足だよ。夜中に変なこと思いついてしまってね」
「また変なこと思いついたんですか?」
その「また」は余計だ。
まさか娘を前にして「お父さんはビッチかもしれない」とは言えず、その場は適当にごまかして業務を開始することにした。
睡魔に耐えながら、タスクを片付けていると、日向さんが「今日の出社組はお前らだけか」と言いながら現れた。自席にいなかっただけで、とっくに出社していたらしい。朝からミーティング続きだったとのことで、相変わらず多忙な人だ。
「おはようございます、日向さん」
二人揃って挨拶を返す。
「どうだ、例の件。固まったか?」
私の姿を見て「なんだか眠そうだな」と苦笑しながら尋ねてくる日向さんに、週末二日分の議事録を見せつつ成果を説明する。時折、相模のフォローを受けながら言葉を継ぐうちに、徐々に眠気が薄れてきた。通常比六十パーセントといったところか。
「ちゃんと時間を取って説明した方がよろしいでしょうか?」
相模が、資料を眺める日向さんの顔色を窺う。
「いや、これで十分だ。世界観、ストーリー、システムがちゃんと噛み合ってきているな。とっさの思い付きをよくここまでまとめた、大したもんだ」
お褒めの言葉をいただく。
正直、かなり嬉しい。
脳の出力が一〇パーセントほど跳ね上がる。
しかし、日向さんは苦笑いを浮かべて続けた。
「……ただ、背後霊の匂いフェチ設定は余計だな」
「ですよねー」
相模が即座に裏切った。
あの時、同意してくれたはずだが。いや、呆れて思考を停止していただけか。
相模への制裁(嫌がらせ)を考えることで、いつもなら、さらに一〇パーセントほど脳の出力が上がる……はずが、上がらない。
やはり眠気には勝てない。
「で、今日の活動ですが」
通常比七〇パーセントの頭で今日は午後から残った課題を整理する方針を伝える。
キックオフまであと二週間。
来週は準備作業もしないといけないことを考慮すると、あれこれ内容を詰められるのは今週が最後と思った方が良い。よって課題を絞り込む必要性を感じていた。
「いいんじゃないか。課題を全部自分たちだけで抱え込む必要はないぞ。これからチームを組んでいくんだから、後回しにできる部分は任せてもいい。因幡が言うように、このあたりで一度クールダウンさせたほうがいいかもな」
「クールダウン、ですか」
相模が尋ねる。
「そうだ。噛み合ったものを、こねくり回しすぎても良くない。細かいことに熱中しすぎて、作品を壊しかねないからな。いったんクールダウンして『寝かせる』活動も大事だぞ」
「寝かせる」か。うまい言い回しだ。
ただし、と日向さんが釘を刺す。
「大事な課題の解決を人任せにしちゃダメだぞ。コアな箇所は因幡と相模が決めるんだ。後から決めても問題ない枝葉だけを他のメンバーに任せられるようにしろ。この前も言ったが、コアな部分を大勢でいじると作品の純度が落ちるからな」
以前にも注意されたことだ。「しっかり覚えています」と、心の中で応える。
「それから因幡、お前ひどい顔してるぞ。寝不足か? 急ぎの仕事がないならミーティングルームで休んでこい。業務命令だ。相模、すまないが介護を頼む。因幡を『寝かせて』やって、しばらくしたら起こしてやってくれ」
日向さんが、綺麗にオチをつけた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、相模が予約してくれたミーティングルームに一人で来たわけだが。
いったい、どう寝ればいいのだろうか?
机の上に突っ伏すべきか。
それとも椅子を並べてその上に横たわるか。
いっそ床に転がるか。
上司公認で会社で寝るという稀有な機会に、私は真剣に悩んでしまった。
……いかん。寝るために来たのだ。
目が冴えるような検討をしてどうする?
結局、横になれる椅子を並べてその上で寝る案を採用することにしたのだか……。
「……安定感がないな」
思わず独り言がこぼれる。
椅子にキャスターがついているせいで、腰の位置が落ち着かない。
ちょっと動くとズレる。
これでは熟睡など到底無理だ。
キャスターを固定するのも面倒くさい。
ふと思いついてテーブルの上に這い上がった。
「安定感はあるけど……お尻が痛いな」
贅沢な悩みだと思いつつ、うつ伏せになってみる。意外と収まりがいい。
私はそのまま、深い眠りへと落ちていった。
————どれぐらい時間が経っただろうか、人の入ってくる気配で目が覚める。
相模が起こしに来たのだろうか?
薄目を開けると、お弁当を持ったまま石のように固まっている、女性社員の姿が見える。ここでランチを食べるつもりだろうか?
時計を見ると、すでに昼休み。
相模が確保していた、ミーティングルームの予約時間も過ぎていたらしい。
(なんだ、和泉ちゃんか)
目を凝らすと、彼女は相模の同期である和泉ちゃんであった。
彼女も今回のプロジェクトメンバーになる予定だったな……。
こんな寝姿を見られた照れ隠しついでに挨拶くらいしておこうか。
「おはよう、和泉さん。今度のプロジェクト一緒だったよね、これからよろしく」
「い、いえ……お、おはようございます。もう昼ですけど。それよりプロジェクトって……まだ始まっていないのに……もうミーティングルームで寝なきゃいけないほど過酷なんですか……?」
和泉ちゃんが怯えた表情で後ずさりする。
完全にブラックな現場だと勘違いされている。
誤解を解くか?いや、ここはひとつ、和泉ちゃんをからかってみるか……。
一眠りしたおかげで大幅に回復した脳が、悪いことを思いつく。
「和泉ちゃんはプロジェクトでもグラフィックデザイン担当だったよね」
「はい、そうですが……、和泉、ちゃん?」
うっかり、いつもの口癖で「ちゃん」付けで呼んでしまったが、気にせず続ける。
「チャーハンはモデリングできる?」
「えっ? ……多分、はい」
和泉ちゃんは質問の意味が分からないであろうまま、恐る恐る答える。
「チャーハンを『しっとり』と『パラパラ』で質感を描き分けられる? ダメなら厳しいよ」
「えっ? えっ?」
和泉ちゃんが混乱するところに、さらにとどめの一言を加える。
「それぐらい大変な現場だよ、ここは」
「ひっ……」
「先輩、そろそろ起きて下さ……」
和泉ちゃんが悲鳴を上げそうになった時、相模がタイミング悪く入ってきた。
震え上がっている和泉ちゃんの姿を見て相模は即座に私を問い詰めるが、事の顛末を聞き届けると彼女は心底呆れ果てた顔をした。
その後、真顔に戻った相模から「人が目を離した隙に何やってるんですか!」と、なかなかのボリュームで、叱られる。
——相模の声は、よく通る。
何事かと人が集まってきた。
その怒号を漏れ聞いた、野次馬根性たくましい同期までいやがる。




