第21話 物語①
「アイスブレイクって、ホントに便利な言葉ですね」
オフィスを出て、最寄り駅へ向かう薄明かりが残る道。隣を歩く相模が、ホッとした様子で笑う。
あの「黒ウサちゃん」という表記は、アイスブレイクの一環で行われた「私のあだ名を考える」というコーナーで出てきたネーミング、ということにした。その会話を拾ったAIが、出席者名に誤って転記してしまった――というカバーストーリーだ。
「日向さんの中で『黒ウサ』が定着しそうで嫌なんだよな……」
「いいじゃないですか。因幡の白兎より可愛いですよ」
「日向さんから社内に広まって、『天界のプラネットオンライン』をやってる他の社員に声をかけられたら最悪だぞ。『黒ウサって……お前、因幡だろ』なんて聞かれたら、動揺して『はい』って答えてしまうぞ」
「嫌な身バレですね。見た目、女の子ですし」
「まあ……男同士なら、女キャラクターで遊ぶ楽しさを分かってくれると思うけどな」
男なら、自分のキャラにエッチなポーズをとらせて遊ぶ楽しさくらい、理解してくれるはずだ……たぶん。
「女性は引きますよね」
相模がバッサリと切り捨てる。
架空世界のキャラクターが現実の自分を侵食してくる。これもまた、世界の正しい進み方なのだろうか。
「さてと今週の仕事も今日で終わりだ。相模は土日どうするんだ」
「研究です」
「研究?」
「来週先輩にご馳走するご飯の研究です。期待して下さいね」
一体何を作る気なのだろうか。
「先輩こそ何か用事はあるんですか」
「俺は新しいパンツを買いに行くよ」
「靴下も新しいもの用意して下さいね」
「……分かってるよ。そうする」
さすがに、穴の開いた靴下でよそ様の家にお邪魔するほど無頓着ではない。
「それから」
「それから?」
「私の妹たちに『おじさん扱い』されない服。それも一着用意しておいた方がいいですね」
ハードルがじわじわと上がっていく。
おじさん扱いされない服……か。
若作りしたラフな格好は、かえって痛い目を見ると聞く。となると、大人の余裕を見せた「きれいめ」なスタイルが正解だろうか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
というわけで、土曜日の午後。私はショッピングモールにいた。
今日の目当ては「おじさん扱いされない服」だ。
パンツと靴下は後回し、新しいモノを買うのは気分の問題だ。まず優先すべき「服」から見ていくことにする。二十九歳、大人のセンスを見せてやる。
……と意気込んでみたものの、二、三軒ハシゴしたところで早くも自分のセンスに自信が持てなくなってきた。選択肢が多すぎて、何が正解か分からない。
しばし立ち尽くした後、私は意を決して、次に入る店で「秘策」を使うことに決めた。
「これなんか、いいと思いますよ。シンプルな色合いで、清潔感のあるコーディネートのほうが『おじさん扱い』されないはずです」
店内の女性店員に自然な振りを装ってわざと捕まったあと、ド直球で尋ねる。これが私の秘策だった。
問いかけた内容はこう――「女の子の家へ遊びに行くのですが、そこにいる十五歳ぐらいの彼女の妹たちにおじさん扱いされない服って、どんなのですか」
あとで店員が仲間に「今日、変な客が来たんだけど」とネタにするかもしれない。だが、背に腹は代えられない。今の私には、プライドよりも「正解」が必要だった。
「このブルーのサマーニットなら、重い印象にもなりません。これにオフホワイト系のパンツを合わせれば、シュッとしたお兄さんって感じですよ」
正解は「シュッ」としただった。
「十月でもおかしくないですかね?」
「ええ、最近は十月の上旬でも暑い日が多いですから。秋色の羽織ものを合わせれば長く着られますよ」
なおも「何しに行かれるんですかー?」と尋ねてくる店員に適当に相槌を打っていると、彼女の食いつきが目に見えて良くなってきた。相模と同じくらいの年恰好だし、やはりこの手の話は好きなのだろう。
「ご両親にもお会いするんですか? なら、パンツのスタイルは無難なほうがいいですね。アンクル系やワイド系ですと、ちょっと軽い感じが出てしまいます。清潔感と誠実さで勝負です」
結局、店員のアドバイスに従い、インナー(下着ではない)も含めて上下一式揃えることになってしまった。
裾上げの採寸が終わるまでの間に店内をぶらつく。男性用の下着も売っていたが、さすがにこの流れで「おすすめのパンツ(下着)はどれですか?」とまで聞く勇気はなかった。
自分で選ぶかとも思ったが、もはや顔見知りになったと言える女の子の前に、これから履くパンツ(下着)を持っていくのも気恥ずかしい。気合入りすぎだろう、この人と絶対に思われる。別の店で済ませよう。
「ありがとうございました。頑張ってくださいね!」
会計を済ませ、ややお節介ながらも親切だった店員に見送られる。
いい店だったな。でも、もう二度と来たくない気もする。もし顔を覚えられていたら、次に何を言われるか想像するだけで、いたたまれない気持ちになる。
目的のひとつは達成した。次は下着を買いに行こう。靴下も忘れてはいけない。
ところで、パンツ(下着)を主目的とした場合、どの店に行けばいいのだろうか?女性向けなら専門店があるが、男性向けにもあるのだろうか。
リフォームショップに裾上げを頼んだパンツを預けた後、ひと通りショッピングモールを歩き回ってみたが、やはり男性向けの下着専門店などはない。改めてその事実を認識する。
あったら、あったで驚いたけれど……。結局、ふらっと入った店で、サイズが合ったものを購入して済ませる。
ひと通りの用事を済ませ、少し歩き疲れたこともあり、コーヒーショップに入って一息つくことにする。
アイスコーヒーを注文しようと列に並ぶと、カウンター脇のガラスケースの中に小さなオレンジケーキがあることに気づく。以前、相模が注文していたなと思い出し、私もそれを選ぶことにした。休日ということもあり店内はそれなりに混み合っていたが、運良く席を確保できた。
休みがてら、主人公の物語を考えてみることにしよう、休み明けに相模と話すことができるように。
——しばし思索に耽る(ふける)が、物語の根幹となる「目的」が、なかなか思い浮かばない。
ぼんやりとしたイメージの中にあるのは、主人公が旅に出る姿だけだ。ロールプレイングゲームといえば「旅」が定石。住み慣れた村を旅立ち、仲間と出会い、強敵を打ち倒し、やがて英雄と呼ばれる存在になる。最後には邪悪な支配者を倒し、姫と結ばれて大団円――。
テンプレート通りの、ありふれたストーリー展開だ。だが、肝心の目的が思いつかない。なぜ主人公は、村を出たのだろう?
考えを止め、改めて店内を見渡すと、カップルや子連れの家族が目立つ。二つ隣のテーブルも家族連れのようだ。いつの間にか、その子供が私の手つかずのオレンジケーキをじっと見つめている。その視線に気づき、どうしたものかと戸惑っていると、「どうも、すみません」という申し訳なさそうな顔をした父親と目が合った。
「気にしないでください」と目で伝えると、「あっちに、すっごい大きいぬいぐるみがあったよー!」ともう一人の子供が母親の下へと駆け寄ってくる。この子がお姉ちゃんだろうか。
「そう、よかったわねー。すごいの見つけたねー」
「お姉ちゃんも来たからケーキを頼もうか。けど、ふたりで半分こだぞ」
母親がにこやかにお姉ちゃんを褒め、父親が子供たちに「ご褒美」を提示した。
「あっちのね、大きいぬいぐるみね、すっごいかわいいんだよー!」
お姉ちゃんは気を良くしたのか、なおも自分の小さな冒険の成果を両手一杯に広げながらアピールしている。
やっぱり子供は未知の場所を探検したり、冒険が好きなんだな、と思う。自分も小さい頃は、あんな感じだったのだろうか。ふと、幼少期の記憶と故郷の風景が頭をよぎる。
————私の出身は、どこにでもあるありふれた地方都市だ。それでも当時の自分にとっては、そこが世界のすべてであり、果てしなく広い場所に思えた。年齢を重ねるごとに少しずつ歩ける距離が延び、より遠くへ行けるようになる。そこで新しい何かをみつける。ただそれだけで、誇らしくて楽しかった。
「今日、神社に行ってきた。お祈りしてきたよ」
「そう、ひとりで偉いわね、いいことあるといいね」
——親の目からは離れるが、親の知っている場所から始まる私の冒険。
「昨日は橋の向こうまで行ったんだぜ」
「俺なんか隣の町まで、一人で行ってきたもんね」
——ちょっと大きくなってからは、子供同士で小さな冒険をお互い自慢し合い、時には羨む(うらやむ)。
そんな他愛もない冒険が、当時は最大の武勇伝だった。時には遠出をしすぎて帰り道が分からず途方に暮れたり、帰宅が遅くなって両親にひどく叱られたりもした。
行ける場所が増えるだけで、自分たちが少しずつ自由に、少しずつ大きくなっていくような、全能感に満たされていた頃。
——そして今、私は、故郷から遠く離れた場所で主人公が冒険にでる目的と物語を考えている。
などと、モノローグを気取って格好つけてみたものの、ある事実から逃れられない。
……お泊まりだから、次の日分の服も必要だったな。
コーヒーを飲み終えた私は、冒険を再開する。服探しの旅へと。ただ今度の旅は短くて済むはずだ。なにせ店員を捕まえて「シュッとした服をください」と伝えればいいだけなのだから。




