第5話 世界の中心にいるエイリアン
エイリアンに出会いました。
それは人間の形をして人間の言葉を話していたけど、人間の社会というものを知らず、まるで世界は自分のために回っていると思っているようでした。
このエイリアンにとって自分の意見が否定されるなんてことはあってはなりません。自分がしたいと思ったことは、いくら周りが迷惑を被ろうと自分の目的を達成しないことには気が済まず、もちろん他の意見を聞く耳なんて一切持ちません。自分の意見が実行されることこそ当然だと思っているので、周りをどれだけ振り回しても当然感謝の気持ちなんてありません。
そんなエイリアンなので、自分がやりたいことと違う方向へ話が向かっているときは、お腹がすいた赤子の如くわめき散らし手のつけようがありません。理性的に論理的に話し合おうなんて到底無理な話です。
このエイリアンの厄介なところは、少なからず場の空気が読めるということです。もし、目上の人間や一筋縄でいかない人間と対峙したときには別の手を使ってきます。いつもの如く我を通すかと思いきや急にしおらしくなって、もじもじと、しかし自分のやりたいことをはっきりと口にだすのです。それが周りの人間が受け入れられる内容なら問題ないのですが、問題は周りの人間がNoと言ったときです。Noと言われて簡単に引き下がるようなエイリアンではありません。もう一度言い方を変え自分の要求を通します。もじもじとしおらしい演技に、周りの常識ある人間はさすがに無下にできません。できない理由をきちんと伝え、エイリアンが納得できるよう説明を続けます。普通の人間なら「わかりました」と言うところを、エイリアンは決してそうは言いません。「でも」「なぜなら」「それなら」「だから」とつらつらと言い訳を連ねてどうにかしてでも自分の意見を貫こうとします。その言動に人間が違和感を感じ始めていてもエイリアンはその空気に一切気付きません。なぜなら、自分の意見が不採用になるなんてことは頭の片隅にもないのです。そのうち人間が根負けして、あるいはその場の空気を乱さぬようにエイリアンの意見に同意します。するとエイリアンは水を得た魚のように生き生きとし、スキップでもしそうな勢いです。
エイリアンは食べ物に関しても妥協はしません。自分が食べたいもの、食べたくないものがはっきりしていて、食べたいものや気に入ったものは周りの人間に平等に配分しようなどとは微塵も思わず全て自分の胃に納めてしまいます。食事の最初から最後までそれだけしか食べないなんてこともエイリアンにとってはおかしなことではありません。
食べたくないもののときは、少し箸をつけただけで食事を止めてしまいます。あからさまに「美味しくない」と発言するときもあります。ただ、それはエイリアンの好みであって、周りの人間は美味しく食べられることがほとんどです。作ってくれた人への敬意やお土産を選んでくれた人の気持ちなんてお構いなしです。自分が食べたいかどうか、それがエイリアンの全てなのです。
見知らぬ食べ物に出会ったとき、自分の口に合うかどうか知りたいときは、誰かに食べさせてその反応と美味しいかどうかを執拗に聞き出します。そして美味しいという返答があると、恐る恐る食べ物の端を数ミリだけ噛り、気に入ると全て目の前に引き寄せ、自分の手中に納めます。気に入らないときは明らかに不機嫌になり、食べかけだろうがテーブルの上に放り投げます。当然、周りの人間はその行動に唖然としますが、エイリアンにとっては食べたくないものを提供されたことに対する怒り心頭で一杯です。その食べかけをエイリアンが自分で片付けるなんてことは、誰も見たことがありません。
食べかけを誰かに処理させることに何の疑問も抱かないエイリアンですから、食事中のマナーも見れたものじゃありません。寄せ箸、刺し箸なんてお手のもので悪い作法と言われているものは一通りこなし、箸をナイフのように使うという奇想天外な行動も起こします。
食事の最後にお茶でぐちゅぐちゅと口の中の掃除をし、それをそのまま飲み込んだときは、周りの人間は吐き気を催すほどでした。それを人がいないところでするなり、せめて後ろを向いてしてくれれば問題ないのですが、エイリアンはまるでみんなに見せつけるかのようにします。周りの人間の表情を察し、協調性の一欠片でも持っていればそんなことにはならないでしょうが、そもそもエイリアンの中では自分がしたいかどうか、この二択しかないので、人間のように高度な社会性を持ち合わせるのは不可能です。
世界の中心にいるのは自分なので、周りの人間が不愉快な気持ちになろうがなるまいが、エイリアンの世界は変わらず周り続けるのです。その代わり、エイリアン自身が不機嫌になったとき、それは世界が回るのことを止めたことを意味します。すると、エイリアンは再び世界を回そうとあの手この手で自分の不機嫌を治そうと試みます。しかし、常識ある人間は、一人また一人とエイリアンの側を離れていきます。それがエイリアンにとって学習の機会になることができれば、あるいは生まれ変われることができるかもしれませんが、周りの人間が離れていってもエイリアンにとって苦痛でも何でもありません。なぜなら、エイリアンのすぐ側にはエイリアンを誰よりも理解し、エイリアンの行動を肯定し続けるまた別のエイリアンがいるからです。
あなたの周りのもエイリアンはいますか?




