第二十六話 ナダレオオカミ
エリーが防寒具を脱ぎ捨てると、手にはあの深紅のメイスが握られた。すかさず俺も号令の杖を構え、エリーへの魔力供給に集中する。
「寒さはどうだ?」
「ご主人様の魔力供給を受けている間は、さほど問題ないようです。ただ、羽の凍傷は癒えておりません」
「わかった。相手は一匹だ。さっさと仕留めて―――」
俺が言おうとした時だった。目の前にいる魔物が、突然遠吠えを響き渡らせたのだ。すると、その遠吠えの直後、俺たちの周囲に魔物の気配がいくつも現れたのだ。
「こいつは……」
「気を付けてください! あれはきっとナダレオオカミは群れる魔物です。近くに仲間が大勢いるはず!」
二人のうち、姉のほうがそう警告を発する。雪原に雪が降る中でよくわからないが、どうやら雪景色の中に紛れて相当数が潜んでいたようだ。
「なるほど、これは厄介だ。てか、あと何匹隠れてるんだ?」
まるで雪の中から生まれてくるかのように、四方八方からナダレオオカミは現れる。そしてあっという間に、オオカミたちは包囲網を完成させて俺達にじりじりと近づいてきた。
「逃げてください! 私たちは置いていって!」
姉が叫んだ。号令の杖を解してオオカミをけん制するようにエリーに命じながら、俺は後ろを振り返った。
「え? どうして」
「奴らは一度相手の臭いを覚えると、どこまでも追ってきます。いきなり現れたあなた達の臭いなら、まだ覚えていないはずです」
「だからって、君たちを置いていくわけには―――」
「いいえ。私たちは臭いを覚えられました。このまま村に変えれば、ナダレオオカミの群れを村に招き入れることになります」
姉の覚悟のこもった声を聴いて俺は彼女がどうして泣きそうな顔になっているのかを理解した。つまり、村にまであの魔物を招き入れないために、彼女は今ここで死のうとしているのだ。
だが、その選択は
「妹さんも食わせるつもりか?」
「それは……」
姉が何も言えなくなって目を伏せる。やっぱり姉妹だったのか。
それにしても、今のは意地の悪い言い方だった。誰だって、自分が犠牲になるのはまだいいとしても、家族や友人のような親しい人を犠牲になんて、したくないに決まっている。
「心配するなって。おじさんはともかく、あのお姉ちゃんは滅茶苦茶強いんだから」
「ご主人様、来ます!」
空腹に耐えかねたのか、それとも俺がのんきに話しているのが気に食わなかったのか。さきほど姉妹を襲っていたのと同じ個体が、エリーにとびかかってきた! だが、しかし!
「ハァッ!!」
オオカミがとびかかり、かみつくよりも早く、俺はエリーに頭の中で命令を下していた。「きついのを見舞ってやれ」と。
そう受け取ったエリーは、深紅のメイスを腰だめに構えると、オオカミがとびかかってくる軌道に合わせてその頭を打ち返すかのように下からメイスを叩き込んだ。彼女の剛腕も相まった暴力的な一撃は、オオカミの顎を頭蓋もろとも果実のように粉砕し、そしてその砕けた頭から血しぶきや目玉を飛び散らせながら、オオカミは雪の上に墜落した。
「オオカミ風情が、ご主人様がお話ししている邪魔をするとは。身の程を知りなさい」
この極寒の環境にも負けないような冷たい視線と声色で、エリーはオオカミどもを一瞥した。だがオオカミのほうが数で優っている。臨戦態勢を崩さないまま、オオカミたちはいっせいに襲い掛かってきた!
「迎撃しろエリー!」
「了解しました!」
エリーがメイスをふるう。一度振るだけでオオカミの二、三匹をまとめて葬るエリーだったが、それでもオオカミはそこら中から襲い掛かってくる。おまけに雪がカモフラージュになってオオカミがどこから来るのかかなりわかりづらい。普通に考えれば俺たちのほうが圧倒的に不利な状況だ。
普通なら、だが
「お姉ちゃん後ろ!」
「キャァッ!!」
妹が叫ぶ。姉妹の背後にオオカミが、それも二頭。雪の中に紛れるように襲い掛かってきたのだ。
だが、しかし
「そぉら!」
「ギャイィン!」
姉妹を食おうと開いたその無防備な口に、俺は右手で号令の杖の石突をつきこんだ。そしてそのままもう一方のオオカミに素早く近づくと前足の付け根を狙ってナイフを突き刺した!
ノドをやられたオオカミがそのまま動けなくなり、足をつぶされたほうもまたその場に倒れ伏す。
「す、すごい……雪に紛れ込んだナダレオオカミを二頭も倒すなんて」
「このくらいの迷彩、魔獣の森のオークだってやってたさ。むしろそこにいるってわかっている分、こいつらのほうがやりやすい」
「魔獣の森!? それって、ウラル地方でも一、二を争うほど危険だっていう、あの!?」
姉が驚いて声を上げる。だが、今は彼女のリアクションに付き合ってやる暇はない。
「君たちはそこから動かないでくれよ。大丈夫、俺もあのお姉さんも、魔獣の森で魔物を相手に戦っていたんだ」
「すごい……」
姉妹がそろって俺に尊敬のまなざしを向けてくる。だが、エリーの時にそうだったように、そういう視線に慣れていない俺にとってはどうにも背中がむずかゆくなってしまう。
それに、それにだ。俺が仕留めたのはたかだか二頭だけ。つまり、他の多くを今もなぎ倒しているのはエリーだ。
「ハァァァ!!」
エリーが一撃見舞うたびに、ナダレオオカミが雪の中へ消えていく。それも二、三頭まとめてだ。オオカミたちも脅威に感じたのか、ターゲットを彼女に絞って襲い掛かるものの、歯止めにさえなっていない。あまりの実力差に、オオカミたちが何かかわいそうになってくるくらいだ。
「数ばっかりおおくて嫌になりますね。城のネズミをつぶして回っていた時の頃を思い出します」
いらだったように語るエリー。しかし、その口調に反して俺に流れ込んでくるエリーの感情はむしろ楽しそうだった。ただ楽しいという感じではない。なにかこう、鬱屈を晴らしていくかのような……
「ええ、ええ。潰して差し上げましょう。一匹残らず。不届きの物ラファもいずれ……!」
「ス、ストレス解消……」
どうやらラファが悪さしているかもしれないことへの不満をナダレオオカミにぶつけているようだ。俺に忠実で冷静沈着なはずのエリーだが、知られざる一面……というより、あんまり知りたくなかった一面を見てしまった気分だ。
とはいえ、止める理由はない。戦闘は彼女に任せて俺は二人の防御に専念しよう。そう思った時だった。
アオオオォォォォンンン―――
ひときわ太く、強い遠吠えが鳴り響いた。周囲のナダレオオカミが吠えたのではない。その証拠に、そのオオカミたちは示し合わせたかのようにある一点を見たのだ。
「あれは……」
「群れの、ボスです。でもどうして」
姉が呆然として言葉を漏らした。オオカミたちの視線の先には、見るからに巨大な一頭のオオカミが居た。他のオオカミたちが最低でも小型の牛サイズなのに対して、あのオオカミは大人の牛ほども大きい。そしてそのオオカミは、俺たちに向かって牙をむき出しにし、全身の毛を逆立てながら唸り続けていた。
「ご主人様、先ほど打ちのめしたのはあれの息子だったのでは?」
「そうなのか?」
「はい。何やら激怒している様子なので」
エリーの指摘を受けてもう一度吠えた狼を見やる。なるほど、言われてみれば確かにあのオオカミは怒っているらしい。自分の子供を殺されたのなら、その怒りは自然だ。
だが、すぐにはとびかかってこない。子供の仇である俺たちを目の前にして怒りをあらわにしながらも、そいつはあくまで冷静だった。
何を考えているのだろう。慎重に相手の出方を伺う俺たちの目の前で、そいつは高く吠えると俺達に背を向けて走り去っていった。
「なんだ……?」
不可解な行動をとった群れのボスに続いて、他のオオカミたちも走り去っていく。疑問を口にする俺の横で、姉妹が震えだした。寒いからとは考えにくいな。
「どうした」
「く、くる。来ます。ナダレが」
「雪崩? 雪が土砂崩れみたいに押し寄せてくるっていうあれか。でも、この近くには斜面なんて……」
「違います。オオカミたちが!」
そう叫ぶと、姉はオオカミたちが走り去ったほうを指さした。目を凝らすと、降りしきる雪の向こう側で何か白いモヤのようなものが立っているのがわかる。何かが大量に押し寄せてきているようだ。
「ご主人様。オオカミどもは一斉攻撃を仕掛ける様子です!」
「あの雪崩のような一斉攻撃が、ナダレオオカミと呼ばれている理由です。大きさ次第で、村一つあっという間に飲み込んで殺しつくしてしまう……」
どうやら狼たちは本気で俺たちを殺しにかかっているようだ。確かに、エリーが殺して回ったとはいえ、二、三十匹は残っている。いかに彼女であっても、それだけの数にかかってこられれば、対処しきれない。今のままでは俺と姉妹を守り抜くのは不可能だろう。
「行くぞ、エリー。神獣号令を使う」
「かしこまりました。全て掃除してご覧に入れましょう」
だがそれは、あくまで今のままでは、という話だ。まだ切っていない奥の手を切るのなら、話は別。
エリーと俺をつなぐ魔力パスを意識する。号令の杖から延びる青い光線は、俺とエリーを強固につなぎ、安定した魔力供給を可能にしていた。
これなら、いける!
「限定開放。神獣エリプマヴよ、我が敵のことごとくを、今すぐ吹き飛ばせ!」
「承りました!」
光線がひときわ強く発光し、エリーの周囲を取り囲むように雪が巻き上げられていく。
風だ。強力な風が彼女のメイスを取り囲み、雪を巻き込んで見る見るうちに白いメイスを形成していく……!
そうして吹雪の中、彼女の手に握られたのは一抱えもありそうな白い雪の塊だった。
「では、参ります」
彼女がつぶやく。それと同時に、俺の頭の中に「すぐに伏せてください」という彼女の声が飛んできた。
全く同じタイミングでこれから起きることの映像が、エリーを介して俺の頭に流れ込んでくる。それを見た瞬間、俺は彼女の言葉の意味を悟った。
「吹き……とべ!!」
掛け声とともにエリーがメイスを投擲する。それと同時に俺は姉妹を抱きしめると、なるべく雪と平行になるように体を地面に横たえた。そうした俺のさらに上にエリーが覆いかぶさってくる。
そして数舜後、俺たちを襲ったのはオオカミたちの牙ではなく、すさまじい爆風だった。




