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第7章 新しい扉 11

 瞬くうちに、白い都市は遠くなった。

 二人が立っていた石畳は都市に飲み込まれ、そのごく小さなパーツとなってしまう。


「嬉しいな。またあなたの背に乗っけてもらえるなんて」


 七都は、グリアモスとなったカーラジルトのやわらかい毛に顔をうずめた。


(そうですね。私も嬉しいですよ。あなたと初めてお会いした日が、遠い昔のことのようです。まだこの間のことなのに)

「あなたにまた会えてよかった……」


 七都は、カーラジルトの背中にしがみついたまま、しみじみと呟く。

 もしかしたら、もう会えていなかったかもしれない。

 もし自分が、地の都で死んでいたら。ジエルフォートとアーデリーズに助けてもらえてなかったら……。

 ぞくっとした寒気を感じて、七都はカーラジルトにしがみつく手に力をこめる。


(ナナトさま……?)


 カーラジルトは首を僅かに動かして、翡翠色の目をちらりと背後の少女に投げた。

 やがてカーラジルトの四本の足の下に、城の庭園が現れた。

 色をバランスよく配合した、花の絨毯。その見事な色彩の中に、二人は降り立つ。


「ありがとう、カーラジルト。ご苦労さまでした」


 七都はカーラジルトの背中から庭へと飛び降り、ほっと安堵の溜め息をついた。そして、改めてルーアンが作った庭園を眺める。

 それは常に変わらず、そこにある。ルーアンがいつも必ずそこにいるように。

 何百年も昔から、そして、これからもずっと。

 自分がここに帰ってくるたびに、何事もなかったかのように、穏やかに迎えてくれるだろう。

 七都はしばし、庭園を渡る風に髪を乱す。


(ナナトさま!)


 ふと振り返ると、カーラジルトがきびしい顔をして七都を見つめていた。

 もちろんグリアモスの彼は、若者のときの彼に輪をかけて無表情なので、七都がそう思えただけのことなのだが。


(まさか、とは思いますが……)

「え? な、なにかしら?」


 七都は、にっこりと笑って取り繕う。


(薬です。ちゃんとお飲みになられたのでしょうね?)


 カーラジルトが訊ねた。

 やっぱり、聞いてきた!

 七都は思わず、軽く首をすくめる。


(まあ、ここにこうして無事におられるわけですから、当然そういうことなのでしょうけれど。お怪我も治っておられるようですし。公爵さまに治していただいたのですか? それとも、地の都のどこかで……)


「あのね。えーと。怪我は、治してもらったよ。ジエルフォートさまに。それから、エルフルドさまも。二人の魔王さまにお世話になったの」


 七都が言うと、カーラジルトは頷き、七都をまぶしそうに見上げた。


(そうですね。あなたの額には、お二人の口づけのあとがあります。魔王さま方と親しくなられたのですね。……で?)


 カーラジルトは、答えを促すように、大げさに首をかしげた。

 もう、正直に話すしかない。七都は、観念する。


「ご、ごめんなさい! あなたの言いつけを守れなかった。その、結構気をつけてたんだよ。でも、機械猫に薬を全部飲み込まれちゃって、飲めなくなっちゃって、でも、まだ飲まなければならない時刻までには充分間があるはずだったから安心していたら……」

(……いたら?)


 カーラジルトが、じろっと七都を見る。


(……大量出血。起こしたのですか?)


 七都は頷き、再び首をすくめる。

 まずい。カーラジルト、怒るかな。


(……それで、お二人の魔王さまに助けていただいたと?)


 七都の予想に反して、カーラジルトは拍子抜けするくらい静かに言った。いや、不気味なくらいに静か、かもしれない。


「そういうことだね。光のお城にある不思議な水でね。その中に一日浸かってたの。そしたら完治。ジエルフォートさまとエルフルドさまには、本当に感謝してるよ」


(そうですね。私もお二人に感謝申し上げます。次の風の魔王になるかもしれない方を救っていただいたことに。もしあなたに何かあったら、私は生きてはいられないところでした)


「大げさだよ、それ。次期リュシフィン候補にはルーアンだっているんだし」

(公爵さまにも申し開き出来ません。殺されても当然でしょう)

「殺されるなんて、大げさだって。まあ、とにかく、私は今生きてるしね。それでよしとしようよ、伯爵」


 七都は明るく言ってみたが、何げなくカーラジルトの尻尾を見て、どきりとする。

 彼の尾は、それまでの三倍くらいに膨れ上がっていた。

 超特大の煙突掃除用ブラシ、あるいは巨大なネコジャラシがくっついているようだ。

 体の毛も顔の毛も、逆立ってはいない。尻尾以外は、相変わらず涼しげで冷静。そのとんでもないギャップに、七都は慌てる。


 う。やっぱり、カーラジルト、怒ってるんだ……。

 軽く片付けようとしちゃ、だめだよね。

 七都は、反省する。


「よし、じゃないよね。ごめんなさい、カーラジルト。心配かけて。本当にごめんなさい」


 七都は、カーラジルトの前にきちんと立って、しんみりと頭を下げた。

 カーラジルトは、やわらかい頬を七都の首に押し付け、七都の顎をざらりと舐めた。


(おやめください。そういうあやまり方は、あなたの立場ではおかしいです)


 彼が言う。


「だって、こういうのしか知らないから。わたしのいた世界では、普通あやまり方はこうだもの」


(仕方のない姫君ですね。しかし、ナナトさま。年上の者の言いつけは、お聞きくださいますように。我々は、あなたよりもはるかに長い時間を生きているのです。あなたの知らないことをたくさん経験し、知識として備えております。多少うるさいとは思いますが、知識の一部として聞いておかれたほうが得になります。そして、それを利用なさるとよろしいのです)


「うん。わかったよ。ありがとう」


(とはいえ、若い方はたいがい、年寄りの言うことなんぞに耳は傾けてはくれませんがね。そして自分が年を取ってから、かつて言われたことを理解して後悔し、そしてまた若い者にうるさく忠告しようとするのです。古来より、その繰り返しです。人間も、魔神族も)


「あなたが言うと、とてもリアルに聞こえる。今回、わたしも後悔した。あなたがあんなに薬を飲むようにって言ってくれてたのにね。助かってよかったって、心から思う」


「七都さん!」


 いつの間にかナチグロ=ロビンが、七都たちのそばに立っていた。 


「ナチグロ!」

「その名前で呼ぶなって言ったろ」


 彼が、不満そうに七都をぎろっと見る。


「あ、ごめん。ロビーディアンなんとか、もとい侍従長」

「……侍従長?」


 カーラジルトが、不思議そうに呟く。

 彼は、いつのまにか元の美青年の姿に戻っていた。


「うん。彼に私の侍従長になってもらったの。もしかしてカーラジルト、侍従長になりたかった?」


 やっぱりナチグロ=ロビンを侍従長にしたのって、相当な冒険だったのかな。

 七都は改めて思いながら、彼に訊ねてみた。

 カーラジルトは、首を振る。


「いえ。私の性格では、侍従長なんぞ務まりませぬゆえ……」

「実は、ぼくもあまり自信がない。侍従長ってのは、半分お遊びだ。たぶん、七都さんも」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「私は真面目に任命したつもりだからね、ロビーディアンなんとか侍従長」


 七都は、ナチグロ=ロビンを睨んだ。


「はいはい、姫君。ところで、ちゃんと地上に降りて、伯爵に会えたわけだね」


 七都は、頷く。


「まあ、ちょっと危なっかしかったけど、何とかね」


 途中コントロールがきかなくなって地面にぶつかりそうになったなどと、たぶん言わないほうがいいに違いない。

 七都は判断する。

 藪をつついて蛇を出すことはない。余計な心配をさせるだけだし。

 それに、この姿のナチグロ=ロビンに、あまり小言はいわれたくない。


「ところで、二人とも。初対面……のわけないよね」


 七都は、カーラジルトとナチグロ=ロビンの顔を見比べた。

 何となく気まずそうに、二人は突っ立っていた。

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