第7章 新しい扉 4
「どちらにしろ、私はずっとナナトさまのアヌヴィムでいたいですよ。別に大魔法使いなんぞ望みませんけどね」
「うん……。ずっといればいいよ。わたしがこの世界と繋がりをもっている限り……」
シャルディンの表情が、すうっと翳る。
「それは、いずれあなたが元の世界に帰ってしまわれて、もうここには戻られないかもしれない。そういうことを意味すると?」
「当分は、ここと向こうを行き来する。そうしたい。でも、未来のことはわからないもの。そうなるかもしれない。ならないかもしれない」
「いけませんね。若者が未来のことを気にして、くよくよ悩むのは。何とかなる、くらいの気分で過ごさないと前に進めませんよ」
「シャルディンったら。弱っていても、私にお説教しようとするんだから」
七都は、口を尖らせた。
「あなたをおちょくって、あなたとじゃれることが、私の楽しみですから。いえ、生きがいにしますからね、これからは」
「わたしって……アヌヴィムからもおちょくられるのか」
七都は、再び溜め息をつく。
「そういうキャラなんだろ。七都さん、そのアヌヴィムに印をつけといてくれないかな。共有アヌヴィムにするんじゃないならさ」
七都とシャルディンのやりとりを突っ立って見守っていたナチグロ=ロビンが、ぼそりと口を出した。
「共有アヌヴィム? 何、それ?」
七都は、ナチグロ=ロビンを振り返る。
「それは、今作った言葉だけどさ。つまり、この城にいるアヌヴィムは、みんな共有なんだ。この城に来た魔神族なら、誰でも彼らのエディシルを食べることができる。もっとも、今この城にいるのはルーアンとぼくだけだから、二人の共有ってことになるけどね。七都さんは食べることを拒否してるし」
「……だから?」
「このまま彼をほうっておくと、彼はルーアンとぼくにエディシルを食べられるということになるんだよ。もちろん、アヌヴィムたちは平等に扱わなきゃならないわけだけどね。そのアヌヴィムのエディシルは、とても美味だ。ルーアンもぼくも、彼からばかり食べないとも限らない」
「そんなあ……」
「光栄ですね。美味だなどと……」
シャルディンが笑う。
「私は別に構いませんよ。公爵さまや侍従長さまにエディシルを毎日食べられても。そういうことは慣れていますし」
「さっき、いつまでも慣れないって言ったじゃない」
「エディシルを食べられることが、ですよ。行為自体に関しては、慣れております。構いません」
「構わないよっ! それ、どこがどう違うの。とどのつまり、いやってことじゃない。それに、何事も『慣れてますから』であきらめて終わらせちゃだめだよっ」
七都は、叫んだ。
「では、姫君。私にあなたのアヌヴィムであるという印を付けていただけますか?」
シャルディンが、真面目な顔をして、七都を見上げる。
その真剣な赤い目に、七都は思わずひるんでしまう。
「それ……要するにあなたのエディシルを食べろってことでしょ」
シャルディンとナチグロ=ロビンは、同時に頷いた。
「もちろん。七都さんがシルヴェリスさまにされそうになったこととは、ぜんっぜん違うからね」
ナチグロ=ロビンが、念を押すように言う。
「わかってるよっ! それに、ナイジェルのあれは、冗談だったんだからっ!」
七都は振り返り、ナチグロ=ロビンをにらみつけた。
「冗談……? そうは見えなかったけどな」
ナチグロ=ロビンは肩をすくめ、天井を見上げる。
「シルヴェリスさまが、何か……?」
シャルディンが訊ねると、七都は、急ごしらえの満面の笑みでごまかした。
「そ、その話は、またね。気にしないで」
「そうですか……。ナナトさま。たった一口だけでもよいのですよ。そうすれば、他の魔神族には、私には主人がいることがわかる。あなたは、あの体で私をアヌヴィムにしてくださいましたが、実はそれで終わりではないのです。あなたが私のエディシルを得られて、それで私は初めて、あなたのアヌヴィムだと公言できる……」
「そうしておけば、もう誰も彼には手出しは出来ないよ。ルーアンだって、ぼくだって。もちろん、アールズロア伯爵だってさ」
ナチグロ=ロビンが言った。
「私をアヌヴィムにするときも、さんざん迷っておられましたね」
シャルディンが呟く。
「あの時とは、ちょっと事情が違う。あの時、そうしなければあなたは助からなかった。でも、今回は……」
「では、今回は私を助けてはくださらないと?」
シャルディンが、はかなげに微笑んだ。
「そんな顔しないでよ……」
「七都さんのこだわりは、要するに吸血鬼になりたくないってことだけじゃないの」
ナチグロ=ロビンが言う。
「ルーアンにも言われただろ。なりたくない、なんて言う前に、既に七都さんは吸血鬼なんだって。元の世界からこの世界に来た時点で、吸血鬼の体なんだよ。どうあがいてもね。現実は受け入れなきゃ。それに、今回は食料にするためにそうするんじゃない。印をつけるためだ。自分の物には自分の名前を書いておかなきゃね。他の人が困るんだよ。書かれていない物のほうも困るしさ」
「シャルディンをモノ扱いしないで!」
七都は、叫んだ。
「だって、アヌヴィムじゃん」と、ナチグロ=ロビンが小さく呟く。
「相変わらず、お取りになるのはカトゥースと蝶なのですね……」
シャルディンが、苦笑した。
「ちゃんとした食事は、元の世界に帰ってから。そう決めたの。両方の世界を行き来するわたしには、それが出来るもの。それにだよ。だいたいシャルディン、あなたは今、とても弱ってるじゃない。そんな人からエディシルなんて取れないよ、どっちにしろ」
「弱っているからこそ、今やったほうがいいんだよ。元気だったら、七都さんの抑制がきかなくなる」
ナチグロ=ロビンが言った。
「抑制がきかない? なんでよ?」
「そのアヌヴィムのエディシルが、おいしすぎるから。ポテチを食ってて、途中で止まらなくなるのと同じだね」
「シャルディンとポテチを一緒にしないで!」
「じゃあ、ちょっと格上げしてロールケーキ」
「ポテチ……。 ロールケーキ……?」
シャルディンが、見事なくらいの発音とアクセントで繰り返す。
「何でもないからっ! ジュネスと似たような反応しないのっ!!」
七都は噛み付きそうな形相で、シャルディンに叫んだ。
「それにさ、物事を先延ばしにするのはよくないね。七都さんもルーアンに、えらそうにそう言ってたじゃないか」
と、ナチグロ=ロビン。
「ルーアンに文句言うのなら、まず七都さんが先延ばしにすることをやめたら?」
「う……」
「私は、うんと先延ばしにされても一向に差し支えありませんよ。ナナトさまのお気が向かれたときで……」
シャルディンが呟いた。
「七都さん。……いえ、七都さま。あなたには、彼を自分のアヌヴィムにした責任がある。それから逃れようとしてはなりません」
ナチグロ=ロビンが、それまでとは一変した、丁寧な口調で言った。
声のトーンも違っている。
七都が顔を上げると、そこには青年になったナチグロ=ロビンが、たたずんでいた。
「なんで今、突然その格好になるんだよっ!」
「もちろん、少年の姿では説得力がありませんからね」
「それ、ずるいと思うけど」
「何しろ私は、七都さまにご使命をいただいた、正式な侍従長ですから」
青年のナチグロ=ロビンが、にんまりと笑う。
けれども、彼はその笑みをたちまち消滅させてしまった。
「あなたがこの件を拒否するのは、単なる自分勝手なわがままです。あなたのそのわがままで、一人のアヌヴィムが、これからずっといやな思いをしなければならないのですよ。あなたはご自分の意思で始められ、そのまま放っておかれたことを、今ここで完結させなければなりません」
ぴしりと彼が言った。
たくさんの時間を重ねた彼の金色の目の中に、七都は有無を言わさぬ真剣な表情を見る。
七都は、仕方なく頷いた。
「わかった。シャルディンが困るのは、私もいやだもの。それに、一口だけだったら……。食事するわけじゃないんだものね」
「ありがとうございます、ナナトさま。とても嬉しいですよ、アヌヴィムとして」
シャルディンが、安堵したように微笑む。
「構わないとか、差し支えないとか言いながら、やっぱり結局嬉しいんじゃない、シャルディン」
「当然だろ。ほんっと、いちいち手間のかかるお姫さまだな」
ナチグロ=ロビンが元の姿と元の口調に戻って、はーっと溜め息をつく。




