第7章 新しい扉 3
「ナチグロッ! 侍従長!!! どこにいるのっ!!」
しばらく城の中で無意味な瞬間移動を繰り返した後、七都は廊下の真ん中で叫んだ。
いったいどこにいったのだ、あの猫は!? シャルディンを引きずって!?
いらいらのボルテージが、ほっとくと瞬間的に上がりそうになる。
二人を見つけられない自分にも、いらいらが募る。
この城は広すぎる。まだ中を把握できていない。わたしのお城なのに。
情けない。なんて情けないんだろ。
(うるさいなあ。そんなにヒステリックに叫ばなくても聞こえてるけど?)
のんびりした声が、頭の中に響いた。七都が探している、当のナチグロ=ロビンだ。
「どこ、ナチグロ! シャルディンは?」
七都は、さらにヒステリックに大声を張り上げた。
(その妙ちくりんな名前で呼ぶなって言ったろ。七都さんのアヌヴィムは、おとなしくここにいるよ)
ナチグロ=ロビンが、相変わらずのんびりした調子で答えた。
そののんびりさ加減が、さらに七都の神経を逆なでし、イラっとさせる。
「おとなしく? そうさせたのは、あなたとルーアンでしょっ!!」
「なに朝から怒ってんのさ?」
ナチグロ=ロビンが、突然七都の前に現れた。
彼はとてもご機嫌な様子で、何度も手の甲を顔にこすりつける。
それは猫の仕草。食後のグルーミングだ。もちろん、その食事のメニューは……。
七都は、キッとナチグロ=ロビンを睨んだ。
「何かお気に召さないことでも、姫君?」
彼が、皮肉っぽく訊ねる。
七都は、大きく息を吸い込んだ。
落ち着こう。そうだ。彼には罪はない。
怒ったって仕方がない。ルーアンの言うとおりなのだ。
例えば大好きな猫缶が、「好きなだけご試食ください」なんてラベルを貼られて目の前に出現したら、もちろん彼の立場としては、食べるに決まっている。いや、それは、食べなければ申し訳のない物だという感覚さえあるかもしれない。
彼はただ、アヌヴィムに対しての魔神族の通常の行為を行っただけ。
ごく当たり前のことを当たり前にやっただけなのだ。
そして、それをさせたのは、ほかならぬ自分だ。シャルディンに印をつけなかった自分のせい……。
七都は、こみあげてくる情けなさと、今にも暴れ出しそうなイライラを飲み下す。
それは、この上もなくまずかった。
呼吸を整え、出来るだけ冷静に、七都はナチグロ=ロビンに訊ねた。
「ロビン。シャルディンはどこ?」
ナチグロ=ロビンは、七都の尋常ならざる迫力に肩をすくめる。
そして、めんどうくさそうに背後を指差した。
そこには、誰かが体を折り曲げるようにして、横たわっていた。
それは、無造作に置かれた、壊れたマネキンのようにも見えた。
床に流れるように広がる淡い銀の髪も、マントにくるまった体のラインも、七都にはもちろん見覚えがあった。
「ほら、連れてきてやっ……」
ナチグロ=ロビンが言い終わらないうちに、七都は床に転がされたアヌヴィムのところに瞬間移動する。
「シャルディン!!」
七都は、シャルディンのそばに屈みこんだ。
一瞬ためらった後、思いきって、銀の髪で覆われた彼の顔を覗き込む。
そこには、目を固く閉じた美しい若者の顔があった。
肌は心配になるくらいに血の気がなく、眉は苦痛をこらえているかのようにしかめられていたが、いつもの彼だ。
七都は、ほっとする。
「よかった。シャルディン、しわしわのおじいちゃんじゃなかった。この間みたいに……」
七都が呟くと、シャルディンの口元がほころんだ。
「何せ、私はあなたの魔力をいただいたのですからね。それくらいは簡単に保てますよ」
シャルディンは、ゆっくりと目を開ける。
苺ジャムのような明るい薔薇色の透明な目に、七都の姿が映っていた。
「やっとお会いできましたね、ナナトさま」
彼が微笑んだ。
元気のない弱々しい微笑みだったが、七都をおちょくって喜んでいたシャルディンの、あのいたずらっぽい微笑みだった。
「そうだね、久し振り。少しやつれてるけど、相変わらずきれいだね」
七都も、にっこりと微笑む。
それから、どう見てもかなり具合が悪そうな彼を見下ろした。
老人に戻ってはいないとはいえ、やはり弱っている。
二人の魔神族にエディシルを食べられたのだ。回復するには少しかかるかもしれない。
「ごめんね、シャルディン」
七都は、小さな声で、ぽつりとあやまった。
「なぜ、そのような?」
彼が不思議そうに、宝石のような赤い目を七都に注ぐ。
「だって……。あなたがこんな目に遭っているのは、わたしがあなたに印を付けなかったからだもの。ルーアンにそう言われた。たとえ一口でも、あなたのエディシルを取って、あなたがわたしのアヌヴィムだとわかるようにしておかなかったから」
「別に気にしていませんよ。魔神族の方にエディシルを提供することは、もう子供の頃から日常的にやってきたことですからね。まあ、いつまでも慣れませんが……」
「ここに来るまでにも、たくさんの魔神族に食べられたのでしょう? もしかしたら、魔神族に出くわすたびに……」
七都が言うと、シャルディンが首を振る。
「いえ。そのようなことはありませんでしたよ。カーラジルトさまが守ってくださいました」
「カーラジルト? 彼と一緒なの?」
七都は驚いて、シャルディンに訊ねた。
「風の城には一人で行くように言われましたけどね。伯爵さまは、ご婚約者に会いにいかれるとかで……」
「シイディア……。そう……」
七都は、呟いた。
そして、せつなく悲しい感情が広がるのを防ぐように、ぎゅっと唇を噛む。
「あの方には、エディシルは差し上げましたよ。私を風の都まで一緒に連れて行ってくださる代わりに、そういう条件を出されましたから」
シャルディンが言った。
「条件って……。じゃあ、カーラジルトったら、あなたをお弁当代わりにして……」
「お弁当……ですか。相変わらずおもしろいことをおっしゃいますね、ナナトさまは」
「だって。結局そうだったんでしょう」
「でもね。あの方と一緒にいることで、他の魔神族から狙われることはありませんでしたよ。そりゃあまあ、あの方にエディシルを食べられるのは、あまりいい気分ではありませんでしたが」
「やっぱり……」
だって、グリアモスだものね。口裂けてるもんね。
七都は、心の中で思った。
「あとでカーラジルトに会いに行こう」
「そうなさってください。心配しておられましたからね、伯爵さまは、あなたのことを」
「うん。あなたにも相当心配かけたね。ごめんね」
シャルディンが、七都に手を伸ばす。
七都はその手を握りしめた。
「ナナトさま。私を抱きしめてください」
シャルディンが言った。
「え?」
「ここまで来たご褒美に。そして……あなたは私を抱きしめたかったのでしょう? マーシィが言ってました。あなたはあの墓地で、泣いている私を抱きしめて慰めようとしてくださっていたと」
<シャルディン、泣かないで>
そうだ。そう言いながら、彼を抱きしめ、キスをしようとした。
けれども、もちろん幽体離脱していた七都は、そうすることはかなわず、結果的にマーシィの体を乗っ取って彼を抱きしめ、キスをしてしまったのだ。
「わたしが彼女の中にいたってこと、気づいてた?」
「いいえ。でも、マーシィの中に、あなたの目が一瞬、見えたような気がしました。私の目よりも、もっと暗い赤のその目が……」
七都よりもはるかに明るい色と、人間のあたたかみを持つ赤い目が、七都をじっと見つめる。
「確かに、あなたを慰めようとしたわけだけど。あの時、あなたの様子がとても悲惨だったし」
「今も悲惨ですから。ご覧のように」
シャルディンが呟く。
七都は、唇に広がりそうになる笑いを噛み殺した。
「あのねえ、シャルディン。知ってると思うけど。アヌヴィムのほうから『抱きしめてくれ』なんてこと言うの、いけないんだよ」
「知ってますよ、もちろん」と、シャルディン。
「私が、どれだけ長い間魔神族のところにいたと思ってらっしゃるのですか」
「あなたも相変わらずだね、シャルディン」
七都が苦笑すると、シャルディンは七都の手を弱い力で引き寄せ、唇をつけた。
「あなたは次期リュシフィンさまだそうですね。あなたの母君は前のリュシフィンさまで、あなたはその方の姫君。ですから、次の風の魔王には、あなたがなられる……」
七都は、ふっと溜め息をつく。
「ルーアンに聞いたの?」
「だいたいはカーラジルトさまです。しかし公爵さまも同じ事をおっしゃられてましたよ。私を味見される前に」
「次のリュシフィンがわたしとは限らない。ルーアンかもしれないよ」
「それでも、やはり私は、とんでもない方のアヌヴィムになったようです」
シャルディンが微笑んだ。




