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第5章 幽霊たちの都 3

 扉の向こうは、ぼんやりとした白い光で溢れていた。

 開かれた扉からは薄い霧が流れ出し、絡みつくように七都たちを包んだ。

 七都はルーアンと手をつないだまま、扉の奥へ進む。

 そこは、部屋というよりホールと表現したほうがいいくらいの巨大な空間だった。

 七都は、周囲に広がる大きな空間を感じ取る。

 天井の高いところに据え付けられた白い照明は、星のように頭上高く輝いていた。その数から推測しても、かなり広い空間のようだ。

 七都は目を凝らし耳を澄ましたが、何も見えず何も聞こえなかった。

 幽霊らしきものが視界を漂うことも囁くこともなく、七都のどこかを突っつくこともなかった。

 七都は、安堵する。

 その巨大な空間には、廊下よりもはるかに温度の下がった空気が渦巻いていた。

 ぴりぴりとした刺すような冷気が、七都の体の隅々にまで、情け容赦なく回り込む。

 たちまち七都の手も足も、氷付けにされたようにかじかんでしまった。


「寒い……。冷凍庫の中に入ったみたい」


 七都が呟くと、あたたかくやわらかいものが首にふわりと巻きつく。

 再び猫に変身したナチグロ=ロビンだった。


「あは。猫のマフラーだ。ありがとう」


 ナチグロ=ロビンの高い体温は、七都の体全体をゆっくりとあたためていく。

 七都は、その心地よい猫のマフラーを撫でた。

 そうしていると、指先からすぐに冷たさが抜けていった。


「やっぱりグリアモスさんって、あったかいよね」

「どーせ」


 猫になったナチグロ=ロビンが、ぶっきらぼうに言った。

 ナチグロ=ロビンが猫マフラーになったので、ストーフィは置き去りにされた形になってしまう。

 寂しそうに一人で歩いているストーフィに、ルーアンが手を差し出した。


「おいで」


 ストーフィは、ルーアンの肩の上に収まった。


 床は、前方でぷつりと切れていた。

 けれどもその向こうには、はるかな空間が続いている。

 ルーアンは、床の切れ目間際のところで立ち止まった。


「ここ、テラス……?」


 七都は、彼を見上げる。


「そうですね。そういうふうな造りです」

「なんだか、大きなホールみたい。コンサートとか演劇祭が開かれる、外国の古いホール……。で、ここはボックス席。手摺りとかはないけど」

「あいにく、オーケストラも役者もいませんがね」


 ルーアンが呟く。


「ここは古代の遺跡です。遠い昔、魔神族が宇宙を旅していた頃の遺跡をそのまま残してあるのです」

「遺跡……? アルティノエの町の近くにあった神殿の遺跡とは、全然違う。遺跡というより、もっと未来っぽい宇宙船の中みたい。SF映画に出てくる、異星人の宇宙船の……」


 七都は、そのテラスから、下を眺めてみた。

 その空間には、霧がわだかまっていた。

 霧の間に、丸い形状のものがたくさん見える。

 それは、半透明なガラスのようなもので出来ている物体だった。

 試験管を逆さまにして、規則正しく並べたようなもの。

 膨大な数だった。中に何が入っているのかは、わからない。

 けれども七都は、その多くは空っぽのような気がした。

 それは、岩に張り付いた鉱物の結晶のように、はるか遠くまで続いていた。


「あれは何? あれも遺跡?」


 ルーアンは、黙って頷く。

 彼の顔がこわばっているのは、周囲の冷気のせいだけではなさそうだった。


「何だか卵みたい。でなければ、サナギ……。まさか、宇宙生物のタマゴとか?」

「SF映画の見すぎですね」


 ルーアンはそっけなく言って、テラスに向かって手を上げた。

 彼の手の動きに呼応したかのように、透明な円盤がふわりとテラスの向こうに現れる。


「これは?」

「エレベーターです」


 ルーアンが答えた。


「変わったエレベーター」

「ここは魔の領域ですからね」


 一行は、その巨大な鏡を垂直に浮かべたような、円盤形エレベーターに移動した。

 円盤は滑らかに動き出す。

 ぐるぐると弧を描くように、半透明な丸い物体の群れの上空をゆっくりとすべって行く。

 七都は、ルーアンの手をしっかりと握りしめたまま、透明な円盤を通して、足元に広がる景色を眺めた。


(宇宙生物の卵のように見えるけど。これ……。お墓じゃないの? このひとつひとつが誰かの墓標じゃ……)


 ふと、そういう疑問が頭の中に浮かぶ。


(ううん。だって、わたしたちはシイディアに会いに行くのだもの。たとえそうだったとしても、これは単にその途中の景色。シイディアは幽霊じゃないし、死んでもいない。カーラジルトだって、頻繁じゃないとはいえ、彼女に会いに来ているんだもの)


 それにしても、生きているものの気配が全くなかった。

 意識して感じ取るようにしても、生きているもののあたたかさのようなかけらを何も見つけることが出来ない。

 満ちているのは、間違いなく死の静寂。

 遠い昔に滅び去った者たちの、虚しさのようなものだった。

 そう結論付けてしまいそうになる感覚を、七都は無理やり押し込める。

 やはりここは古代の遺跡で、しかも墓所で――。

 生きている者が入るのは、許されない場所なのでは……?

 そして、そして……。

 生身の自分たちには決して見えないけれども、この膨大な物体の上には、それと同じくらいの数の幽霊たちが飛び交っているのでは……?

 ここに入ってきた自分たちを、群がるようにじっと眺めているのでは……?

 幽体離脱したときに聞いた声は何?

 ユウリスさまが、ここから出て行かないように番をしているものって……?

 ここには、絶対何かがいるはず……。

 七都は、その考えも押し込めた。

 少なくとも、今の自分には何も見えず、何も聞こえない。

 それは事実だ。


 円盤形エレベーターは、テラスの下あたりから続く通路に入り、短い螺旋階段に沿って移動したあと、するりと止まった。

 そこには、また扉があった。

 先程の銀の扉よりも重厚で、たくさんの彫刻がしてある大きなものだった。

 七都たちはエレベーターから降り、扉の前に立つ。


「これが、シイディアが住んでいるおうちの扉?」


 七都が訊ねると、ルーアンは困ったような顔をする。


「イエスでもあり、ノーでもありますね」


 彼が言った。


「また、わけのわからないことを」

「とにかく入りましょう」


 扉が自動的に開く。

 そこもまた、謎の物体が並んだホールほどではないが、大きな空間だった。


「教会?」


 七都は、呟く。

 声をしっかりと繋ぎとめておかないと、闇にぼんやりと消えている天井に吸い込まれてしまうような気がした。

 確かにそこは、教会の造りによく似ていた。

 高い天井。それを支える柱。

 中央には通路があり、両側にはベンチとおぼしき椅子が並んでいた。

 柱にも壁にもベンチにも、美しい彫刻が施してあった。

 ルーアンは、七都の問いかけに軽く首を傾げただけで、答えなかった。

 七都の質問が、ここでは場違いで滑稽なものなのだと諌めているかのような素振りだった。


「十字架もステンドグラスもないよ。全体が十字架の形もしていないしさ」


 ルーアンの代わりに、ナチグロ=ロビンが仕方なく言った。


「でも、ほら。この真ん中の通路がバージンロード。右が花婿、左が花嫁の親族のベンチ。お花で飾られてはいないけど」


 ナチグロ=ロビンが、溜め息をつく。


「はいはい。女の子らしい発想ですね。だいたい教会ってのは、結婚式を挙げるだけの場所じゃないからな」

「でもね。十字架はないけど、祭壇はあるじゃない」


 七都は、正面の突き当たりを指差した。

 そこは周囲より数段高くなっていて、直方体の石の台が置かれていた。

 シングルベッドをもう少し狭くしたような――ちょうど人ひとりが横たわれるくらいの幅と長さだった。


「あれは祭壇ではありませんよ」


 ルーアンが言った。


「あれは覚醒の場であり、眠りの場であるのです。ちなみにあなたがベンチだとおっしゃった椅子は、おそらく待つために設けられたものです」

「またまた、わからないことを言う」


 七都とルーアンは、バージンロードを歩く新婦と新婦の父のように、中央の通路を奥に向かってゆっくりと進んだ。


 石の台の前まで歩いて、二人は立ち止まる。

 七都は、目の前のその台に触れてみた。

 ルーアンが、覚醒の場であり、眠りの場であると言った、謎めいた台――。

 やはりその表面にも、美しい模様が刻まれている。

 ゆるやかな窪みがあり、両側には枕、あるいはソファの肘掛のような低い段があった。

 それは何かに合わせて、そのサイズ、その形状に造られたようだった。


「ベッド?」


 七都はルーアンを見上げたが、彼はやはり答えてはくれなかった。

 その代わりに彼は僅かに眉を寄せ、七都に注意した。


「そこに手を置いていては、危ないですよ」

「えっ」


 七都は慌てて、その台から手を引っ込める。


「オルテシス子爵の姫君でしたよね、そのシイディアという方は」


 ルーアンが訊ねた。


「うん。カーラジルトがそう言った。名前はシイディア。オルテシス子爵の令嬢。一族と共にいるって」

「では、呼びます」

「呼ぶ? 呼ぶってどういう……」


 七都は、質問を飲み込んで黙り込む。

 ルーアンが、相変わらず答える気がないことがわかったからだ。

 彼が手を掲げると、台の上あたりに四角い透明なパネルのようなものが浮かび上がった。

 緑の線で描かれた表のようなものが中にあり、そこには七都がわからない文字らしきものが、ぎっしりと区分けされて詰まっている。


「今から私が行う操作を覚えてくださいね。おひとりでここに来られたときに出来るように」


 ルーアンが、ちらりと七都を見下ろして言った。


「そんなの無理だよ。この文字だって全然読めないし、操作もたぶん一回で覚えられない。何度も繰り返し練習して、頭に入れないと。子供の頃からそういうたちだもの。だから高校の勉強だって苦労してるんだから」


 七都が文句を言うと、マフラーになっているナチグロ=ロビンが七都の首のあたりから言った。


「だいじょうぶだよ。ぼくが覚えるから。でも、まあ、一応は見といてよ」

「うん……。さすが侍従長」


 七都は呟いたが、ナチグロ=ロビンにそう言われてしまったことで、情けなさと悔しさを感じてしまう。

 操作を一回で覚えられないことはともかく……。

 勉強しなくちゃ。ここの世界の文字。

 お姫さまが自分の国の文字を読めないなんて、恥ずかしいことだもの。

 だけど、呼ぶってどういうこと?

 シイディアを呼ぶってこと? どこから?

 ルーアンはストーフィを肩に乗せたまま、パネルに手を伸ばした。そして、細い指をその上に這わせる。

 楽器を演奏するような、優雅で素早い動きだった。

 立体映像のような透明なパネルは、ルーアンの指の動きに気持ちのいいくらい滑らかに反応した。

 表と文字が次々に入れ替わり、最後にひとつの文字の連なりが残る。

 ルーアンがそれに触れると、パネルはこくりと頷いたかのように震えて消え失せた。


「シイディアが来ます」


 ルーアンが静かに呟く。

 来るって?

 どこに?

 この石の台の上に?

 どこかから、瞬間移動してくるの?

 七都はナチグロ=ロビンの背中に両手を置き、息を呑んで石のベッドを見つめる。

 やがて、台の両側の枕の部分を繋ぐように、稲妻のような青い光が走った。

 続いて、ぼんやりした白い光が台を覆う。

 ルーアンも、彼の肩につかまるストーフィも、その姿はすべての色が抜かれ、わずかな影だけを残して白く染まっていた。

 ルーアンの二つの目だけが、色のない景色の中で、唯一赤く見開かれている。

 七都は思わずルーアンの手を探して、再び握りしめた。


 光が消えたとき、そこにはある物体が現れた。

 石の台をベッドにし、そこに静かに横たわるそれ――。


「これは……何?」


 七都は、目の前に横たわるその物体を、信じられない思いで凝視する。


「シイディアを呼ぶと……申し上げたはずです」


 ルーアンが声を絞り出すようにして、言った。

 苦しそうな、そして悲しみに満ちた声だった。


「そんな……」


 七都は、その物体――先程通り過ぎてきた巨大な空間に並んでいた、あの半透明の謎の物体の一つ――を、ただ呆然として見下ろした。

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