第5章 幽霊たちの都 2
「おはようございます」
七都が廊下に出ると、ルーアンが待っていた。
彼は、あまり装飾のない黒い服の上に、同じく黒色の艶のある長いマントをまとっていた。
そのせいで、影が起き上がって、そのまま人化したように見える。
「ルーアン、黒ずくめ」
七都が言うと、彼は肯定の印として、微かに頷いた。
「凄みがありすぎて変に似合ってるから、何だかバンパイアの親玉に見える」
「それは、褒めてくださっているのでしょうか?」
「ちょっと微妙。でも、たぶん褒めてる。ほんとに親玉になればいいのに」
「なりません。あなたのその装飾品も素敵ですよ。とても似合っていらっしゃる。黒い猫と銀の猫ですか」
ルーアンがにっこりと笑って、七都を眺める。
七都の右側の肩には猫の姿のナチグロ=ロビン、左側にはストーフィが張り付いていた。
「うん。魔法使いの黒猫と機械の銀猫。猫二匹は、やっぱりすこーし重いけどね」
ルーアンが手を差し出したので、七都はためらわずに自分の手を乗せた。
彼が自分に対して恋愛感情を微塵も持っていないことがわかったので、七都としても接しやすい。
妙に気を回したり、いろいろ考えたりしなくても済む。
事務的に、彼のエスコートを受けられそうだった。
セレウスも、そうだったらいいのに。
七都は、はるか遠くの人間の町に住む、アヌヴィムの魔法使いの若者のことを思う。
セレウスもわたしに対して恋愛感情なんて持っていなかったらよかったのに。
そうしたら、彼を迷うことなくアヌヴィムに出来るし、お体を拭きましょう、なんて言われても、笑顔で受け入れられるかもしれないのに。
何で彼は、シャルディンやカーラジルトやルーアンみたいになってくれないんだろう。
「きょうは、お茶会はしないの?」
「帰ってきてからにしましょう」
七都が訊ねると、ルーアンが答えた。
「ルーアン。なんか緊張してる?」
七都は、彼の手をぎゅうっと握りしめてみる。
「緊張? していませんよ?」
「ごまかしてもだめだよ。手を通して伝わってくる」
「そうですか?」
ルーアンは、七都の手を握り返した。
その手は冷えてはいたが、強く握っていると、中からあたたかさがほのかに溢れてくる。
「そんなにシイディアに会うのに緊張するの? もしかして、すごく怖い人とか? カーラジルトの婚約者だからとか?」
「申し上げたでしょう。私は彼女に会ったこともありませんし、アールズロア伯爵と敵対もしておりません」
無表情な顔をしたルーアンが言った。
「彼女がいる場所までは、魔力を使えばすぐにでも行けるのですが、今回は場所を覚えていただかねばなりませんので、ゆっくりと参ります」
「うん。場所を覚えられたら、これからはひとりで行ってもいいよね? シイディアといっぱいお話したいの。お友達になりたいな」
「ご自由に行かれるとよろしいでしょう。しかし、お友達になるのは難しいかと」と、ルーアン。
「何でよ?」
七都は、眉を寄せる。
「王族の姫君は、ご友人を選ばなくてはなりません、なんて言うんじゃないよね?」
「そういう理由ではありませんよ。まあ、なっていただいてもよろしいでしょうが。虚しいご関係しか築けないでしょう」
「意味わかんないんですけど。虚しいかどうかは、わたしが判断する」
「これからわかりますよ」
やがて七都の目の前から城の景色が溶け落ち、次に視界に広がったのは、明るい外の風景だった。
静かすぎる白い建物の重なり。透明な風が、建物の間を吹きぬける。
頭上には、城の底を覆っている雲の巨大な盆。
その上には、青い空を見慣れている七都にとっては少し不気味に思えるほどの、美しいラベンダー色の空が広がっていた。
足元には、誰も歩かない白い石畳が、遠くの外壁までのスペースを埋めるように果てしなく続いている。
「ここ……。風の都の中だ。ここに来るときに通った道」
七都は、周囲を見渡す。
七都の肩にくっついた銀猫と黒猫――ストーフィと猫の姿のナチグロ=ロビンも、きょろきょろとあたりを見回した。
「そうです。ここから参ります」
「じゃあ、やっぱりシイディアって、この都市に住んでいるんだね。誰もいないと思ってたけど、ちゃんと人はいるんだ」
ルーアンは黙り込んだまま、七都の手を引いて歩き出す。
しばらく石畳を進んだあと、ルーアンは立ち止まった。
一行の前には、四角い闇がぽっかりと口を開けている。
白い石畳の中、そこだけにすべての影が集められ、その形に凝縮されているようだった。
四角の闇は、装飾を施された手摺りと階段で縁取られている。
「ここから降ります」
ルーアンが言った。
「何か避難所の入り口みたいだね。シイディアの住んでるお屋敷って、地下?」
「そう。地下です。このはるか下……。あなたのおっしゃるとおり、まさしく避難所なのかもしれません」
ルーアンが、相変わらず無表情のまま呟く。
「階段は省略しますか?」
「ううん。なんだか怖い。いきなり行きたくない。きちんと歩いて降りよう」
七都が言うと、ルーアンは頷いた。
さすがに、肩に乗ったまま階段を降りさせるのはまずいと思ったのか、ナチグロ=ロビンとストーフィが、七都の肩から同時に飛び降りた。
ナチグロ=ロビンは少年の姿に変身し、ストーフィを抱き上げる。
七都はルーアンに手を引かれて階段を降り、その後にナチグロ=ロビンとストーフィが続いた。
その空間は、七都の目を通しても、薄闇しか見えなかった。
ぐるぐると回る螺旋階段を下に降りるに従って闇は濃くなり、七都たちを包む空気も冷えてくる。
そのせいか、不安めいた感覚が、七都の皮膚を駆け上がるように頭を持ち上げてきた。
怖い。
何なのだろう、この感覚。
とても不安だ。どんどん大きくなって行く。
やはり温度が下がっているせいなのだろうか。それとも、闇が深くなっているせいなのか。
「なんか、いやな雰囲気だな。苦手だよ、ここ」
ナチグロ=ロビンが呟く。
彼もまた七都と同じように、何かわけのわからない不安を感じているようだった。
七都は、ルーアンの手を握りしめる。
彼は、七都を安心させるかのように、七都の手を力強く握り返してくれた。
螺旋階段が終わる。
七都は、最後の一段をゆっくりと降りた。
そこからは、廊下が続いていた。
急にあたりの雰囲気が変わる。
石のレンガを張られたような壁はなくなり、灰色のなめらかな材質で出来た、のっぺりとした壁が現れる。床も同じような材質だった。
滑り止めなのか、床には幾何学模様めいたレリーフが刻まれている。
天井には薄青い照明が、列を作って並んでいた。
一行は、その灰色の暗い廊下を進む。
廊下を通っているうちに、七都の中で、ふと疑問が沸き起こった。
それは、次第にもやもやと大きくなる。
廊下の向こうに現れたあるものたちを認識すると、その疑問は、パズルが出来上がったかのように確実な形を取った。
「ここって……。来たことがある」
七都は、呟いた。
「しかし、あなたが風の城においでになったのは、今回が初めてのはずですよ」
ルーアンが言った。
「生身ではね。光の都で幽体離脱したときに、意識だけで来たの。でも……。でも……」
七都は、立ち止まる。
立ち止まるというより、足がすくんで動けなかった。
七都は、ルーアンを見上げた。
「わたしたち、シイディアとのところに行くんじゃないの?」
「もちろん、そうですよ?」
ルーアンが答える。
「だって……。違うよ。ここは……。ここは……」
七都は、震える手で廊下の突き当りを指差した。
そこには、赤や青、オレンジ色の小さな光が規則正しく輝いていた。
その隣には、四角いスクリーンやボタン、ドーム形の計器のようなものも沢山見える。
そして、そういう装飾品たちの中央に、あの扉がはめられていた。
あの扉――。
それは、七都が幽体離脱したときに迷い込み、開けそうになったあの銀の扉――。
ユウリスが、その中にいる幽霊が外に出ないよう、番をしているその扉だった。
「……順番を変えたの? 先にこの扉で、このあとシイディアのところに行くことにしたとか?」
「いいえ」
ルーアンが短く答える。
笑顔のかけらもない、怖いくらいの真面目な顔だった。
何の逃げ道もなかった。
七都は、彼の言おうとしていること、そして目の前の扉の存在を現実のものとして受け入れざるを得なかった。
「そんな……」
七都は、銀色の扉を見つめる。
つまり、そういうことだ。
扉の場所とシイディアがいる場所。その二つは、同じところだということ。
ぞくりとする何かが、七都の背中を駆け下りていく。
「シイディアはここにいるの? この中に?」
ルーアンは、頷いた。
「この扉の中には、幽霊がいるんだよ。わたし、幽体離脱してここに来たとき、ユウリスさまに注意されたの。中に入っちゃだめだって。言ったでしょ。ここには番人がいるって。それがユウリスさまだよ」
「彼は、ボランティアで番人をしていると……?」
ルーアンが眉を寄せた。
「うん。わたしみたいに幽体離脱した人が、ふらふら迷い込まないように。扉の中に入ったら、中の幽霊に取り込まれてしまって、二度と出られないって……」
「しかし、私も申し上げたでしょう。私はこの中には何度も入っております。幽霊など見たこともありません。もちろん、ユウリスの姿も」
「生身の者には見えないんだよ、きっと」
「では、生身の者は幽霊にも取り込まれないということですよね? わたしは取り込まれてなどいませんから」
「うん……」
「では、参りましょう、ナナト。この中には、あなたに危害を加えるようなものはおりません。何も不安に思うようなことはありませんよ」
七都は、ルーアンの冷えた手を改めて握りしめた。
「うん。そうだよね。あなたはいつもそうやって、わたしを力づけてくれるよね。そして、あなたの言うことは、いつも本当のことだもの。でも、あなたは何回もここに入っているのに、なぜシイディアのことを知らないの? 彼女がこの中にいるのに?」
ルーアンは答えなかった。
けれども、彼の七都を握っている手から、すぐにわかりますよ、という言葉ではないものが伝わってきた。
七都は、ルーアンを引っ張るようにして、再びゆっくりと歩き出す。
ストーフィを抱えて突っ立っていたナチグロ=ロビンも、七都たちに続いた。
近づくにつれて次第に大きくなっていく扉は、さらに不気味なくらいの存在感をも増して行く。
七都は、ユウリスが座っていた階段の前で立ち止まった。
「いるかもしれない。今、ここにユウリスさまが座っていて、私たちを見ているのかもしれない」
七都は、塵ひとつ落ちていない、扉の前の低い階段を眺めた。
「ユウリス……?」
ルーアンは、階段に向かって、話しかけるように呟く。
けれども、誰も答えなかった。
冷たい地下の空気が、沈黙を包み込んだ。
「ユウリスさまは言ったの。この中にいるものを風の城の人たちに何とかしてもらいたいって。それが彼らの役目だって。でも、それ、まさしくわたしのことだよね。王族は、わたしひとりなんだもの」
「……そういうことになりますね。では、扉を開けますよ」
ルーアンが言った。
七都は、真ん中から分かれ、左右に静かにスライドして開いて行く銀の扉を見つめた。




