第5章 幽霊たちの都 4
それは、楕円形の大きなカプセルのようなものだった。
あのホールにあった膨大な量の物体は、これの集まりだ。
これが床に突き刺さるように、縦に並んでいたのだ。
「ルーアン。これは何なの? これが、まさか……シイディアなの?」
「彼女は、この中にいます」
ルーアンは、それを指し示す。
「この中に……?」
七都は中を覗きこもうとしたが、何も見えなかった。
半透明なはずなのに、中は決して見えない。
まるで、外部から眺めた魔の領域のドームのようだった。
「しばらくお待ちを。もう少ししたら、中が見えるようになります」
ルーアンが言った。
「これって……。さっきのあのタマゴだかサナギだかでしょ? あのいっぱいあった……。あの中全部に魔神族が入っているの?」
「全部ではありません。三分の一分か、四分の一か……。それくらいでしょうか」
「いったいどういうことか説明して。何でシィディアはこの中に入ってるの? まさか……生まれた時から入ってたわけじゃないよね?」
「もちろんですよ。彼女は、アールズロア伯爵の婚約者。ここに入る前には、彼と愛を語り合ったことでしょう」
「じゃあ、なんで……」
ルーアンが黙り込み、暗いワインレッドの目で七都を見つめ返す。
そのとき、そのカプセルの表面が透明になった。
曇りガラスが突然粉々に分解し、消え去ったように。
七都はその中に現れたものを、魅入られたかのようにじっと眺めた。
カプセルの中は、液体で満たされていた。
その中に閉じ込められているのは、人魚の王女のような美しい少女だった。
繭を覆う糸のように、カプセルの内面を幾重にも重なり合って這う、長い金の髪。
透き通ったヒレのような、薄い浅葱色のドレスの袖と裾。
額と胸元には、魔貴族の姫君らしく、花をかたどった上品な宝石の飾りが輝いている。
華奢な手は胸の上で軽く組まれ、ゆったりと水の中を漂いながら、けだるい午後のしばしのうたた寝を楽しんでいるかのよう……。
シイディア。カーラジルトの婚約者。
彼が七都の体から引き上げて行くとき、七都が彼の記憶の中に垣間見た、あの少女だった。
カーラジルトにやさしく微笑んでいた少女。その幸せそうな、美しい微笑み――。
七都には笑ってくれないカーラジルトも、そのときは微笑み返したであろう、恋人に対する最高の微笑み。
けれども、今、彼女は微笑むこともなく、カプセルに入れられた液体に浸かっている。その体は凍り付いているかのようだった。
七都は、冷たいカプセルの表面に両手を乗せ、彼女の額のあたりをそっと撫でた。
「……死んでるの?」
七都は、震えそうになる声を押さえつけて、ルーアンに訊ねた。
「いいえ。眠っているだけです」
その言葉の中に、何か微妙に違うようなニュアンスを感じ取って、七都は顔を上げた。
ルーアンの無表情な目が、七都の視界に入る。
(ルーアン。嘘ついてる……?)
七都は、再びシイディアの真上から彼女を見下ろした。
半分閉じられた金色の睫毛の下に、闇の色をした目があった。
それは、本能を現したときの魔神族がする、宇宙の暗黒を映し出したあの目ではなく、何もない闇色だった。
それは、虚無。目の奥には、何もない。
ぽっかりと開いた単なる穴であり、かつて機能し、そして今はその役割を完全に終えた組織……。
それが使われることは、二度とない。
これと同じものを見たことがある。
七都は、思い出す。
美術館だ。
何かの展覧会で展示されていた、生きているかのような遠い異国の少女のミイラ。まるでそれと同じだ。
「本当に眠っているだけ?」
七都が訊ねると、ルーアンは深く頷いた。
けれども彼は、自分の疑問をも納得させるように、無理やりそうしたかのように七都には思えた。
「彼女の一族は、避難したのです」
ルーアンが言う。
「避難……?」
「エヴァンレットが狂ったとき……。この風の都には直射日光が降り注ぎ、多くの民が消えました。でも、それを逃れた人々も数多くいたのです。彼らは太陽を避け、地下に潜りました。そして、遺跡に残っていたこのカプセルの中に……。彼らはそこで一旦眠りにつき、風の魔王の狂気が治まって、再びこの都が元に戻るのを待つことにしたのです」
「この中に入って? このカプセルって……」
「これは、元々は、魔神族が宇宙を旅していたときに入っていた装置です。この中に入ることによって、気の遠くなるくらいの年月、宇宙を旅することが出来たのです。そして、ここは覚醒の場であり、眠りの場。旅をする前、昔の人々はここからカプセルに入って眠りにつき、また、ここで覚醒してカプセルから出たのです。あなたが教会のベンチだとおっしゃった椅子は、おそらく順番を待つための椅子。あるいは、先に目覚めた人々が、後から目覚める家族を待っていたであろう椅子です」
「つまりそれって……SFでいうところの、コールドスリープってこと?」
「そうですね。この中に満たされた液体に浸かっていれば、永遠に生き続けることができます。エディシルを摂取せずとも。太陽にさらされようとも」
七都は、シイディアを覆う透明な液体を見つめた。
カプセルいっぱいに満たされた水。
羊水のように、やさしくシイディアを包む。
この水……。
知ってる。
だって、わたしも同じ水の中を漂っていたのだもの。つい最近。
「これ……。同じだよ。これと同じ水が、ジエルフォートさまのお城にもある。大きな水槽が、これと同じの大量の水で満たされている。わたしはその中で、怪我を治してもらったの。古代の水だって、ジエルフォートさまは言ってた」
「では、同じものが光の都にも残っているということですね。別の形で」
七都は立ち上がり、闇に溶ける荘厳な天井を振り仰ぐ。それはやはり、巨大な教会か寺院の天井のように思えた。
「幽霊……。幽霊なんだ」
七都は呟く。
「え……?」
ルーアンが片方の眉を上げた。
「やっぱり幽霊はいるんだよ。いるどころか、たぶんこの建物の中は幽霊でいっぱいだ。でも、わたしたちには決して見えない。幽霊たちは、この遺跡の中に閉じ込められてる。そのまま体から離れて、どこかに行ってしまわないように。すぐに覚醒できるように。そして時々、呼び声に反応して近づいてきた幽霊をこの中に引き入れてしまいながら。そうならないように番をしてくれているのが、ユウリスさま。風の都は幽霊都市。つまり、そういうことなんだ」
「何を言っておられるのでしょうか?」
ルーアンが訊ねた。
「幽霊っていうのは、幽体離脱した人の意識。生霊だよ。この水の中につかると、幽体離脱が簡単に出来る。私もそうやって、体を水の中に残したまま、意識だけはあちこちさまよったもの」
「生霊……。では、ここには、シイディアのようにカプセルの中に入った人々の意識が閉じ込められていると?」
「うん。わたしたちは生身だから見えないけれどね。みんな、この中を飛び回っているのかもしれない。かもしれないじゃなくて、きっとそうなんだ。飛び回ってる。もしかしたら、ベンチにきちんと整列して座ってる……。シイディアだって、ほら、その一番端の席にいたりするのかも……」
七都は、誰も座っていないベンチを指差す。
「うわ。やめてくれよおお。しゃれになんないよお」
ナチグロ=ロビンが、七都の首に巻きついたまま、顔をしかめた。
「でも……。じゃあ、おかしくない? シイディアは、とうに目覚めていないとおかしいよ。何百年も前にこのカプセルから出ていなきゃならないはずなのに。他の人たちもだよ。何で目覚めていないの? 風の都は、すぐに修復されて元に戻ったんでしょう? カーラジルトだって、なぜ彼女を起こさないの? この状態の彼女に、いつも会いに来てたわけでしょ」
「太陽の光は、ただちに遮断されました。時の魔王さまがエヴァンレットが開けた穴を塞がれたのです」
「じゃあ、なぜシイディアたちはそのままなの?」
ルーアンが、真剣な表情をする。彼の尋常ならざる迫力に、七都は思わず身構えた。
何を言おうとしている、ルーアン?
「ナナト。このカプセルに入った人々を起こせるのは、たったひとり……リュシフィンさまだけなのです」
ルーアンが言った。




