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第4章 エヴァンレットの秘密 4

「あの方は、水の魔王さまです。お名前はユウリスさま。エヴァンレットの婚約者でした」


 水の魔王……。

 じゃあ、やっぱり、あの番人の魔王さまは、ナイジェルの何代か前の水の魔王さまで、きっとナイジェルのご先祖の誰かなんだ……。

 そして、やっぱり彼女の大切な人だったんだ。


「ユウリスさまは、時の魔王さまに呼ばれ、突然時の宮殿に行ってしまわれたそうです。水の魔王の冠を玉座に置いて。水の都では、間もなく新しい水の魔王さまが誕生されました。ユウリスさまの弟君だったと思います」


 ルーアンが言う。


「でも、それって……お母さんと同じだ……。時の魔王さまに呼ばれて、冠を置いて行っちゃうって……」


 七都は呟いた。


「そういうことになりますね。私たちがミウゼリルに会えなくなったように、エヴァンレットも恋人に会えなくなってしまったのです。彼女は嘆き悲しみ、衰弱し、とてもそばで見ていられる状態ではありませんでした。そして私は、彼女の願いを受け入れたのです。彼女の悲しみが消え、彼女が幸福になれるのなら、私は何も惜しみませんでした」

「彼女の願い……?」

「王太子だった私に、次の風の魔王になりたいと……。ユウリスさまに会うために。魔王さま以外は、時の都に入ることは許されませんから」

「それで……それであなたはエヴァンレットに冠を譲ったの? だから、次のリュシフィンにならなかったの?」


 ルーアンは、頷いた。


「もともと王位は長子相続です。男性であろうが女性であろうが。ですから、姉が本来ならリュシフィンになるはずだった。けれども姉はユウリスさまと婚約し、水の魔王の妃になることを選んだため、私が継ぐことになっていました。ゆえに、彼女に冠を返しただけなのです。ただ、周囲は不安がりました。姉のあまりにも激しすぎる性格は、王位を継ぐには向いていないと。でも私は押し切った。そして父が亡くなったあと、姉がリュシフィンになったのです」

「あなたの絵に描かれていたエヴァンレットは、冠を付けていなかったよね……」


 七都は、呟く。


「あの絵を描いたとき、私はまだ王太子で、あの二人は、周囲の者たちがあきれるくらい仲のいい恋人同士でした。あの絵を描いた頃が、三人にとっていちばん幸福なときだったのかもしれません」


 ルーアンは目を細めて、城の天辺にはまっている宝石の窓を振り仰いだ。


「それでエヴァンレットは、ユウリスさまに会いに行ったの? 時の魔王さまの宮殿に……」

「会いに行ったのだと思います。私は姉が王位を継いだあと、この都を出てしまいました。何となく居づらかったこともあって。ですから、何があったのかは知りません。ともかく姉はユウリスさまに会いに時の魔王さまの城に行き、心が壊れてしまった。私が帰ってきたとき、都は廃墟になっていました。姉はただひとり、玉座にすわっていたのです」

「彼女に何があったかは、誰にもわからないの……」

「彼女本人に聞いてみないかぎりは。あるいは、ユウリスさまに……」

「ユウリスさまは、いるんだけどね。きのう話した番人の魔王さまが彼だよ。この風の都のどこかにある扉の前に座ってる。エヴァンレットを待ちながら」


 七都は、ルーアンに言った。


「でも、我々には見えないのでしょう?」

「うん……。残念ながらね。幽体離脱をしない限り……」

「ユウリスさまは、エヴァンレットを待っておられるのですか? 今でも?」


 ルーアンが訊ねる。


「正確には、エヴァンレットの魂を……かな。二人とも、体から心が離れてしまってるから。あの二人の体は、時の魔王さまの宮殿の近くにある、不思議な空間みたいなところで凍り付いてる。二人、抱き合ったままね。お母さんに会ったあと、ちらっと見たの。ユウリスさまがエヴァンレットを見つけたら、あの二人はよみがえるの?」


 ルーアンは、肯定も否定もしなかった。

 ただ複雑な表情をして、じっと七都を見つめた。


「エヴァンレットの体は、たぶんユウリスさまが連れて行ったんだね、時の都に。もしかしたら、時の魔王さまかな。時の魔王さまが、二人をそうしてくれたのかも……」


 七都は、呟く。


「エヴァンレットは、魂はともかく、体はユウリスさまとしっかり抱き合っているのですね。その話をお聞きして、安堵しました」


 ルーアンが微笑んだ。


「だけど、そうなると、すべての元凶は時の魔王さまじゃない。アストゥールさまがユウリスさまを呼ばなかったら、エヴァンレットはユウリスさまと結婚して、水の都で幸せに暮らせてた。あなたも王太子のままで、そのまま次のリュシフィンになって、風の都だって壊滅なんてせずに……」

「恐れ多いことを、ナナト。アストゥールさまを非難するおつもりですか?」


 ルーアンが、諌める。


「だって……。お母さんが出て行っちゃったのも、アストゥールさまのせいじゃない。呼ばれなかったら、お母さんはそのままうちにいて、家族三人、幸せに暮らしてたのに……」

「幸せに暮らせていたかどうかは少し疑問ですがね。ミウゼリルは魔王だったのですよ。魔王が異世界で人間の家族と、果たしていつまでも幸せに暮らせるものかどうか……」

「でも、少なくともお母さんとは、顔も覚えていない赤ん坊の頃に別れなくてもよかったわけだもの。そんな頃に無理やり引き離さなくてもいいじゃない」

「ナナト、時の都まで聞こえてしまいますよ。それにきっと、アストゥールさまにはアストゥールさまのご都合と理由がおありだったのでしょう」

「それにしても、ひどいよ。なんでそんなことをしちゃうの。そりゃあ、お母さんは償いだって言ったけど……エヴァンレットの罪の償いってことなのかもしれないけど、じゃあ、ユウリスさまは何のために呼んだんだよ」

「では、ナナト。あなたが直接アストゥールさまに質問して、答えていただけばよろしい」


 ルーアンが言った。


「え? だって、時の都には普通の魔神族は行けないじゃない」

「だから、あなたが風の魔王になれば済むことです。あの冠を額に戴き、リュシフィンさまとなって、堂々とアストゥールさまの宮殿に出かけられればよろしい。そして、質問されればいいのです」


 七都は、ルーアンを睨んだ。


「……そうやって、外堀を埋めようとするんだ?」

「当然です」


 ルーアンが、にっと笑った。

 そして、しばらく考え込むような表情をしたあと、彼は七都に言う。


「ところで、やはり、あなたにはお話しておくべきですね。風の王族のただひとりの姫君として、知っておいていただかなければ。あなたはここにおいでになったばかりで、まだ早いかと思ったのですが」

「え? 何のこと?」

「あなたにお見せしたいものがあります。きょうはもう、シイディアのところに行くのは取り止めて、そちらに変更致しましょう」


 ルーアンが、七都にさりげなく手を差し出す。昨日、七都がここに到着したときに、エスコートしてくれたように。

 けれども七都は、自分の手をまだ素直に彼に預けられなかった。あの夢がしつこく影を落としている。

 夢の中での彼の手の感触が、まだ残っていた。

 七都の手を引き剥がした冷たい手。七都を抱きしめたその手。

 実際は、そうされたのが七都ではなくエヴァンレットだとしても、彼女の中に入り込んで感じてしまったさまざまな感覚は、ごく新しい記憶として、七都の中に刻み付けられてしまっていた。

 そんな七都の胸中を察したように、ルーアンは寂しそうに微笑んだ。


「あなたは、私に心を許してはくれないのですね」

「ごめんなさい……。夢が強烈すぎたから……。本当に悪いとは思うけど……」


 たとえ暴走を止めるためとはいえ、彼は、リュシフィンである姉にあの剣を使ってしまった。

 七都が彼を拒否することは、さらに彼を苦しめることになる。

 七都はそのときの彼女に入り込んで、彼女と一体化したのだ。彼女がルーアンを拒否し、恨んでいることになってしまう。

 それはわかってはいた。

 けれども七都は、彼に触れられるのが、途方もなく怖かった。我慢をして演技なども出来ないくらいに。

 ルーアンは、頷く。


「ロビーディアン」


 ナチグロ=ロビンは、さっと七都の横に瞬間移動し、七都の手を取った。

 ルーアンはストーフィを抱きかかえる。

 ストーフィは、ルーアンの首にしっかりと両手を回した。まるで彼を抱きしめるように。


「それでは、参りましょうか」

「あ。待って。シイディアに言わなくてもいいの? きょうは訪問しないって。彼女にわたしたちが行くことを伝えてるんでしょう?」


 七都が訊ねると、ルーアンが事もなげに答えた。


「ご心配には及びません。私たちが訪問を取りやめようが、明日にしようが、明後日にしようが、彼女は気にはしないでしょうから」


 またそんなふうに言うんだ。

 だって、お城のお姫さまと公爵さまが訪問するんだよ。

 魔貴族としては、普通、いろいろ準備とかあるじゃない?

 七都は不思議に思ったが、もう質問はやめておく。

 きっと魔神族には魔神族のやり方があるのだ。


「では、参りましょう」


 七都の周囲から庭の明るい景色が、あっという間に溶け去った。

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