第4章 エヴァンレットの秘密 3
「わたしのおじいさまが、あなたとおばあさまを引き裂いてしまったんでしょう? それでおばあさまは、強制的におじいさまと結婚させられたのでしょう?」
「まあ、結果的にはそういうことになりましたね」
……ナチグロ=ロビンと同じ答え。
七都がナチグロ=ロビンを見ると、彼は胸にストーフィを抱えたまま、目をあちこちにさまよわせた。
「その話は、それぐらいにしておきましょう」
ルーアンが、七都に言った。
もうそれ以上は訊かないでください。やんわりとそういう意味が含まれていた。
「うん……。ごめんなさい」
ルーアンが、おもむろに立ち上がる。
七都はびくりとして、反射的に思わず後ずさった。
にこやかだったルーアンの顔が、たちまち曇ってしまう。
「ナナト、私が怖いのですか?」
彼が訊ねた。幾分、寂しそうに。
「ごめんなさい。まだ夢のことが頭に残ってるの。あなたには全然関係ないのにね。本当にごめんなさい……」
七都は、再びうつむいた。
「どういう夢ですか? 私が夢の中に登場するのですか?」
ルーアンが訊ねる。
七都は下を向いたまま、手をぎゅっと握りしめた。
あれは、わたしが勝手に見た夢。
あなたはわたしの夢の中に出てきて、わたしを殺すんだよ、なんて言えるわけがない。
ルーアンに対して、とても失礼だ。そういう夢を見たこと自体、失礼だ。
彼が言ったように、彼がわたしを殺すわけがないのに。
それに、あれはわたしじゃない。
あの少女の中に入ってしまっていただけだ。
でも……。
何なのだろう、この不安は。この言い知れぬ恐怖は。
そのせいで、彼が身動きをするたびに、体がすくんでしまう。
「……そう。あなたが出てきた。でも、荒唐無稽な夢だよ。あなたに対して、とても無礼な夢だ」
七都は、ルーアンに言った。
「あなたの夢の中で、私はあなたに何かを……?」
ルーアンが訊ねる。
七都は、首を振った。
話して何になる?
夢の中に出てきて何かをしたからって、現実のその人には全く無縁のことだ。笑い話にもならない。
「話してくれませんか? もしかしたら、ただの夢ではないのかもしれません。あなたは、散らばっている残留思念を拾い集めて夢にする、そのような魔力をお持ちなのかも……。子供の頃の特殊な力を失わずに、ずっと持ち続ける者もいるのです」
ルーアンが真面目な顔をして七都を見つめた。
「そういえば七都さん、こっちにくる前から、変な夢を見てるんだったよね」
ナチグロ=ロビンが言った。
「変な夢とは?」と、ルーアン。
「きのう七都さんが、玉座の間に入る前に、ちょっと口にした夢だよ。冠をかぶった女の子が、階段の上の椅子に座ってて……その子はエヴァンレットの剣で胸を刺されている……っていう」
「そう。その夢の続き……ううん、そうなる直前のことだと思う」
七都は、呟いた。
「その女の子が誰なのかは、わからない。お母さんかもしれないし、わたしかもしれないし、それか、あなたが絵に描いてたお姫さまなのかもしれない。でも、さっきの夢の中では、わたしだった。その女の子の中に入っていたつもりが、いつの間にかわたし自身になっていた。あれがもし、未来のことだとしたら? わたしの未来にああいうことが起きるのだとしたら? とても……とても怖い」
話しているうちに、透き通った液体が、七都の目の表面をじんわりと覆ってしまう。
「あなたはわたしをリュシフィンにしたがってるけど……。もしわたしがリュシフィンになって、あんな結末になるんだとしたら。何か魔力を使い損ねて、とんでもないことをしでかして、その報いとして、あなたに……あなたに……」
喉の奥から何かが込みあがってきて、七都は咳き込みそうになった。
「泣かないでください、ナナト」
ルーアンが言った。
「あなたが泣くとね、たぶん魔神族はみんな、心が動揺します。魔神族は、人間の涙というものに特別な憧れを抱いているのですから」
七都は、涙が溜まったワインレッドの目でルーアンを見つめる。
「ごめんなさい……」
それでも涙は止まらなかった。透明な涙が、七都の頬をつたう。
ルーアンは、ふっと笑った。
「あなたの涙は、立派な武器になりますよ」
それから彼は、真剣な顔をした。そして言う。
「エヴァンレットの剣……ですか。わたしがその剣であなたを刺し殺すというわけですね?」
ナチグロ=ロビンがびっくりして毛を逆立て、七都とルーアンを見比べた。
ストーフィも呆然としていた。黄色と赤の光が、真ん丸い目の内側を何度も行ったり来たりしている。
七都は頷いた。新しい涙が再びどっと溢れ出す。
ルーアンは、やさしく微笑んだ。
「では、申し上げておきましょう、安心してくださっていいと。その少女は、あなたではありません。つまり、エヴァンレットの剣が胸に突き刺さったその少女は、あなたの未来の姿ではありませんよ」
「なんで……なんでわかるの?」
「なぜなら……その少女は、何代か前の風の魔王リュシフィンだからです。あなたが夢に見たのは、過去の出来事なのです」
ルーアンが言った。
「過去の出来事?」
「そうです。あなたが生まれる何百年も前の出来事ですよ」
「知ってるの、ルーアン。その出来事と、それから、彼女……」
「知っています。彼女の名前は、エヴァンレット」
「エヴァンレット!? エヴァンレットって……剣の……」
「ええ。元は剣の名前ではなく、風の魔王の本名です。そして、彼女は……」
ルーアンが眉を寄せ、苦しげに言った。
「彼女は……私の姉です」
「あなたの……お姉さま!?」
「そう……。あなたは、単に夢で見た彼女の中に入り込み、彼女に起こった出来事を自分のことのように感じてしまっただけなのです」
「あなたのお姉さまに起こったことは現実なの? その……エヴァンレットの剣に胸を……」
「現実です。今となっては、もう過去のことになってしまいましたが。あなたが夢に見たとおりなのですよ」
「夢に見たとおりって……。だって、あなたも夢の中に出てきたんだよ」
「それも過去になってしまった現実です。あなたの夢と同様、あの剣で彼女を殺したのは、私なのですから」
時間が一瞬、止まったようだった。
誰も動かない。ルーアンも、ナチグロ=ロビンもストーフィも。
七都もただ、涙が溜まった目を見開いて、彼を眺めるしかなかった。
彼の言葉で、体が凍り付いてしまったような気がした。
「私が風の魔王になれないわけがおわかりでしょう? なぜ王族の身分を捨てたのかも。リュシフィンさまを殺してしまったのですから、当然のことです」
ルーアンが静かに言った。
「なんで? なんでそんなことをしたの? ルーアン……。魔王さまを殺すなんて……。なんでそんなことを……」
「厳密には殺したのではなく、あの剣によって、彼女を彼女の体の中に閉じ込めてしまったのです。魔王さまは、太陽の光以外は不死身ですからね。目も見えず、耳も聞こえず、何の感覚もない体の中に、彼女の意識を封じた……。けれど、殺してしまったのと同じことです」
昨夜夢に出てきた、白いドレスの少女――。
泣きたくても涙が出ない魔神族の体を嘆き、人間をうらやましがっていた少女。
彼女が……エヴァンレット。
ルーアンの姉で、風の魔王リュシフィン……。
七都は、彼女の姿を思い出す。
あのあと……彼女はあの剣を胸に突き刺された。
ルーアンに……血を分けた弟に……。あの夢のとおり。
「あの剣って何なの? 彼女は、全然抵抗しなかった。あなたに剣で封じられることを覚悟して、受け入れようとしていた……。でも、きっと怖かったに違いないんだ。あんなふうに体が固まっていくなんて……」
記憶がよみがえり、七都は体を震わせる。
「彼女は……助けを求めていた。心が壊れてしまいそうだって……自分が自分でなくなっていくって……。ゆうべ、夢の中に出てきたの。夢じゃなくて、残留映像なのかもしれないけれど。あの部屋の窓のそばに立って、とても悲しそうに……」
七都は、天辺の部屋を指差す。
その部屋の宝石の形の窓は、雲を映した薄いラベンダー色に染まっていた。
「そう。彼女は結局、心が壊れて元に戻らなくなってしまいました。この下の都の様子をご覧になったでしょう?」
ルーアンは、暗い表情で地面を指し示す。
「誰もいなかった。廃墟だったよ」
七都は、答える。たぶん彼が望んだ答えをその通りに。
「それは、彼女が犯した罪……。彼女の心が暴走した結果です。あの時外に出ていた人々、日除けのマントをまとっていなかった者は、すべて太陽に焼かれて消えてしまいました。彼女の暴走を止めるには、あの剣を使うしかなかったのです」
「それじゃ……。それじゃ……。風の都を壊滅させたリュシフィンさまって、あなたのお姉さまなの? エヴァンレットってこと?」
ルーアンは、頷いた。
「あなたがここに来るまでに聞かれた風の都の惨状は、彼女が引き起こした出来事です。本来彼女が守るべき民を、彼女は自分で消してしまった」
「彼女の心は、なぜ壊れたの? 何があったの?」
「存じません。いったい何が彼女をそれほどまでに狂わせてしまったのか……」
「リュシフィンさまの恋人が亡くなって、そのせいでそうなったって噂を聞いたよ」
七都は、ルーアンに言った。
「亡くなってはいないと思いますが……ある日突然、私たちの前から姿を消されました。姉も私も、彼には会えなくなってしまいました」
「その恋人って……あなたがあの絵に描いた男の人なのでしょう? エヴァンレットと寄り添っていた、銀の髪に青い目の。額に冠をはめた……」
「そうです」とルーアン。
「彼は誰? 魔王さまだよね? 七人の魔王さまのうちの……」




