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第3章 風の城の住人たち 15

 七都とナチグロ=ロビンは、うねうねと続く小道をしばらく歩いた。

 黄色いトランペットのような花が鈴なりになっている場所を抜け、薄紫の絨毯のような花畑を横切る。

 何種類もの花の香りが朝の空気の中に混じり、透明な蝶が庭園のあちこちを賑やかに舞っていた。

 やがて正面に、建物が現れる。

 屋根のあるきちんとした家ではなく、石の床と簡単な壁だけで構成された、どことなく遺跡や廃墟を連想させるような、装飾用の建物だった。

 蔦で覆われたアーチを抜けると、中にはテーブルと椅子が置かれていた。

 テーブルの上にはお茶の支度が既にされていて、その横にはルーアンが立っていた。

 椅子にはストーフィが、当たり前のように、ちょこんと座っている。

 七都は、思わず固まってしまう。

 さっき、木陰でアヌヴィムを抱きしめていたのに。いつの間に。


「あのね。ルーアンが魔神族だってこと忘れてるよ。それに七都さんだって、同じこと出来るだろ」


 ナチグロ=ロビンが七都の耳元で言った。


「そうだった。単に瞬間移動したんだ」

「どうぞ、二人とも」


 ルーアンが、微笑んだ。

 七都たちは、席につく。「おはよう」とストーフィに声をかけると、ストーフィは相変わらず無表情な顔のまま、わずかに頷いたような気がした。

 ルーアンは、きれいなカップに入れられたお茶を七都の前に出してくれた。


「赤いお茶だ」


 七都は、カップの中を覗きこむ。

 そこには、薔薇色の絵の具を溶かしたような液体が入れられていて、ゆらゆらと白い湯気を表面に漂わせていた。

 元の世界の人間の感覚だったら、思わず顔をしかめてしまいそうな、受け入れがたい色だった。

 けれども、今の七都には、おいしそうに見えてしまう。


「これも何かの薬草?」

「眠気ざましですよ。朝に飲むにはふさわしい飲み物です」


 ルーアンが言った。


「でも、バンパイアのお茶会って感じ」

「確かに、バンパイアのお茶会には間違いありませんね。我々全員がバンパイアなのですから」


 ルーアンが笑う。ナチグロ=ロビンも、横で歯をニカッと剥きだして笑った。

 七都は、お茶を口に含んだ。

 見た目の色とは違って、すっきりとした少し苦味を含んだ味が、舌の上に広がっていく。

 あの夢は、過去に本当にあったことなのだろうか。

 過去のいつかリビングで、ああいうシーンがあったのだろうか。

 七都は、薬草のお茶のカップを両手で包み込みながら、ルーアンの笑顔を見つめた。

 夢の中では、ぼやけて見えていなかった彼の顔。

 ぼやけていたのは、たぶん自分が赤ん坊で、まだちゃんと見えていなかったからだ。


「ルーアンって、わたしのお母さんを抱きしめたことがない?」


 七都が訊ねると、ルーアンは驚いたような顔をした。

 確かに、いきなりそんな質問をされたら、びっくりするだろう。何の脈絡もないのだから。


「ミウゼリルをですか?」


 ルーアンが、記憶を探るように考え込む。


「そのう、眠っているお母さんを運ぶとか、食事のときの便宜的なのとか、そんなんじゃなくて。いわゆる抱擁ってやつね」

「リュシフィンさまにそんなこと出来るはずもありませんよ」


 ルーアンがにこやかに言った。


(夢と同じ答え……)


 では、あれはやはり、実際にあったことなのかもしれない。それを七都は夢に見てしまったのかもしれない。この魔の領域の不思議な空気に感化されて。

 母が不満げにルーアンに言った言葉も、父を慰めるように言った言葉も、もしかすると全部本当にあったこと。

 母はたぶん子供の頃から、保護者であり、育ての親であるルーアンに抱きしめられたかった。

 おそらく、小さなときからルーアンを慕っていたのだろう。

 憧れていたのかもしれない。こんなにきれいな人なのだから。

 けれども、ルーアンは抱きしめてはくれなかった。食事の時にしても、母を抱きしめたかどうかは怪しい。

 確実にルーアンが強く抱きしめたのは、食欲を満たしてくれるアヌヴィムだけ。

 アヌヴィムを除いては、おそらく彼に抱きしめられたのは、たったひとり。七都の祖母だけだ。

 あなたは、おばあさまを抱きしめたの? キスしたの?

 恋人同士だったのだから、当然だよね。

 七都は、お茶を静かに飲むルーアンを眺めた。

 会ったことのないおばあさま。

 おばあさまは、おじいさまと結婚したあとも、きっとルーアンを愛していたんだよね。

 ルーアンはいつもそばにいて、おばあさまを見つめていた。

 なんて残酷なんだろう。

 愛し合っていたのに。婚約までしていたのに。

 引き裂かれて、しかもいつも身近にいなければならないなんて。

 だけど、二人を引き裂いたのは、わたしのおじいさまなんだよね……。


「……何か?」


 七都にじっと見つめられて、ルーアンが訊ねる。


「ううん。なんだか眠くなっちゃって……」


 七都は言い訳したが、眠気を感じているのは事実だった。

 お茶のあたたかさがそのまま体をあたため、それが心地よい眠気へと変化して行く。


「眠気ざましのお茶なのに?」


 ナチグロ=ロビンが、あきれたように呟いた。


「よろしいですよ。ここでしばらくうとうとされても」


 ルーアンが微笑んだ。


 七都は、かぶさってくる瞼の下から、ルーアンを眺める。そして、ぼんやりと思った。

 そうやってあなたがやさしく微笑む度に、おばあさまは、きっと悲しかったに違いないよ。

 おばあさまが長生き出来なかったのは、あまりにも悲しかったからなのかもしれない。

 元婚約者と夫との間で。しかも二人は主従関係。ルーアンは、絶対に魔王さまには逆らえない立場。

 おばあさまは、愛してもいない男性の子供を生んで、愛する人のそばでその子を育てなければならなくて、それで心が引き裂かれてしまったのかもしれない……。

 お母さんが、おばあさまに愛されなかったなんて寂しそうに言っていたのはそのせい?

 ルーアン。あなたがお母さんを子供の頃から抱きしめなかったのも、そのせい?

 リュシフィンさまだからなんて、言い訳なのでしょう?

 そして、わたしも、たぶんあなたには抱きしめてもらえない……。

 眠気が七都を包む込む。

 薔薇色のお茶が、視界からぼやけて消えた。


 ふと気がつくと、七都は、別の場所にいた。

 頭上には、レースの飾りで覆われたような、大きな天窓。その向こうにはラベンダーの空。

 はるか下に、天窓から射し込む光の濃淡で彩られた床が見える。


(あれ? ここって……。玉座の間?)


 七都は、玉座に座っていた。

 昨日、ルーアンに無理やり座らされた、あの玉座に。

 背もたれを見上げたが、そこに浮かんでいるはずの冠はどこにもない。

 やがて七都は、冠は自分がはめていることに気づいた。

 額に触れてみると、冠の冷たい感触がそこにあった。


(冠かぶってる? 何で……?)


 七都は両手を広げ、自分が着ている衣装を眺めた。

 ドレープのたくさん入った、流れるような白いドレス。

 その上に羽織っているのは、赤紫のマントだった。


(あの女の子の服だ……。ううん、わたしがあの女の子になってる……?)


 七都が着ている衣装は、元の世界でよく夢の中に現れた少女の衣装だった。

 おそらく、冠のデザインも夢と同じだ。指に触れるその形は、少なくとも七都が変えたミルククラウンではなかった。

 何でいきなりこうなっちゃったんだろう?

 風の城の庭園で、ルーアンやナチグロと一緒に、バンパイアのお茶会をしていたはずなのに?


(そうか。これも夢なんだ。あの夢の別パターン。いつも外から見てるけど、今回は、女の子の中から見てる……)


 え。でも、そうしたら……。

 ちょっと待って。

 七都は、おそるおそる自分の胸を見下ろした。

 そして、そこにエヴァンレットの剣が刺さっていないことを確認して、ほっとする。


(剣がない。よかった。なんだ。剣なんか刺さってないんじゃない)


 その時、扉が勢いよく両側に開いた。

 扉を抜けて玉座の間に入ってきたのは、ルーアンだった。

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