第3章 風の城の住人たち 14
クローゼットのたくさんのドレスの中から、七都は青いドレスを選び出した。
最初から、青いドレスにすると決めていた。
夢の中の少女が着ていた白いドレスや赤紫のマントのことは頭から締め出して、とにかく青を探した。
元の世界では、七都の頭上にいつも広がっている青色。その懐かしい天の青と同じ色。
魔の領域のラベンダー色の空も美しかったが、『空は青』という先入観が、七都にはどうしても拭いきれない。
やはり時々空の色に違和感を覚えて、青い空が恋しくなってしまうのだ。
ドレスは、胸から裾の前の部分に青の濃淡のレースが豪華に縫い込まれていて、それもまた素敵だった。
「お、いいね、いいね。ブルーのドレスは、七都さんの赤い目がいい感じに強調される」
ナチグロ=ロビンが、機嫌よく褒めてくれた。
彼はさっそく、七都がドレスを着るのを手伝ってくれる。
青いドレスに身を包んだ七都は、今度はアクセサリーの棚から、水色の宝石のイヤリングとネックレスを選んだ。
昨日付けたものとはデザインの違うものだった。
イヤリングは雨のように長く滴るデザインで、七都の肩くらいまでの長さがあった。
「ナイジェルのおめめ。やっぱり、これがいい」
七都は鏡を覗き込みながら、呟く。
「うん。その宝石はドレスにも、とてもよく合うよ」
ナチグロ=ロビンが、頷いた。
「確かにシルヴェリスさまの目の色と同じだね」
「ナイジェルに……会いたいな」
七都は、水色の宝石を握りしめた。
「風の姫君として、正式に水の魔王さまに面会を申し込んだらいいのかな。そうしたら、堂々と会いに行けるものね。魔貴族や側近にも歓迎されるだろうし。場所は、息の詰まる水の王宮の中でってことになるかもしれないけど。キディアスも、さすがにわたしを閉じ込めようとは思わないだろうし……」
「シルヴェリスさまに? なら、ルーアンに言ったら? きっと水の都訪問の段取りをきちんと整えてくれるよ。ぼくが、水の都にお使いに行ってもいいし」と、ナチグロ=ロビン。
「ありがとう、侍従長」
七都が言うと、途端に彼の機嫌が悪くなる。
「侍従長? ぼくはいつの間に侍従長になったんだよ?」
「いいじゃない、ナチグロ。もといロビーディアンなんとかかんとか。意地張らずに、侍従長やってよ」
「断るって言ったろ」
「頑固なんだから」
「七都さんやルーアンほどじゃないよ」
ナチグロ=ロビンは、七都の髪を櫛で梳いて、花の飾りを頭に付けてくれた。
「こういうのは、侍従長じゃなくて侍女の仕事だっつーの」
彼は呟いたが、七都の身支度を手伝う仕事を彼はどこか楽しんでいるように見えた。
「朝起きたら、まずあのオサカナゲームをしようって思ってたんだけどな。運動がてら、剣のお稽古できるし……。きょうは無理かな」
七都は、昨夜寝る前にちらっと考えた自分なりのスケジュールを思い出す。
「夕方にでもすればいいさ。別に真夜中にやったって構わないし。七都さん、この世界では夜中でも目が見えるだろ」
ナチグロ=ロビンが言った。
「そりゃまあそうだけど。でも、健康的じゃないよね」
ナチグロ=ロビンは、七都の肩にミッドナイトブルーのマントをかけた。そして、うやうやしく七都に手を差し出す。
「吸血鬼に健康もへったくれもあるもんか。さ、行くよ、吸血鬼のお姫さま。吸血鬼の公爵さまとお茶をしに」
七都とナチグロ=ロビンは、庭に出た。
幻想的な光景を作っていた靄はほぼ消え去り、木々や花々の色が鮮やかによみがえっていた。
朝のやわらかい太陽の光が、庭園全体に降り注ぐ。
七都は、空に張り付いたように輝く太陽を眺めた。
魔の領域のバリヤーによって有害な成分を遮られた太陽は、心なしか、やはり外部で見るよりもわずかに暗く、翳っているように思える。
それでも、朝の太陽は気持ちがよかった。
夜の暗さや息苦しさをまとめて一新してくれる。
「やっぱり、太陽っていいよね。ここの世界の太陽は、きつくて暑いから苦手だけど」
七都はナチグロ=ロビンと並んで歩きながら、呟いた。
「そうだね。ぼくは七都さんの世界の太陽がいちばん好きだな。あの太陽には魔神族は溶けないし。ひなたぼっこだって、思う存分できるもの」
ナチグロ=ロビンが言う。
「だからといって魔神族は、そういう太陽があるわたしたちの世界を手に入れようとしたりなんかしないんだよね。魔神族にとっては、ものすごく危険なこの世界に、我慢して住んでる。人間に魔物なんて呼ばれて、この都市の中に閉じこもって」
「この世界に来たのは、そういう定め。ここで生きていくと最初に決めたから、どうあってもここで生きていく。ただそれだけさ。魔物ってことになってるけど、野心なんてないんだ。基本、善良な人々なんだよ」
「うん。それはなんとなく、わかるような気がする……」
たぶん魔神族は、人間なんかより、ずっと出来た人たちなのだ。父が言っていたように。
この世界を占領して、征服者になったりなんかしない。魔力や科学力を使えば、そういうことは簡単に出来てしまうはずなのに。
人間と争わず、ひっそりと暮らしている。生きるために、人間と最低限の取引をしながら。
何という慎ましやかな生活。
ただ不幸なことに、糧とするものが、たまたま人間にとっては最悪なものであっただけなのだ。
そしてさらに不幸なことに、人間を襲うはぐれグリアモスや、人間を狩ることを趣味とする同族が存在することによって、一般の人間からより怖れられ、嫌われる。
そして七都自身も、その不幸を受け入れられないでいるのだ。
「ルーアンはどこにいるの?」
「庭のどこか。いつも庭を眺めながらお茶してるよ。でも、お茶の前に食事をするって言ってたから……」
うめき声がする。
七都は、思わず立ち止まった。そして、顔をしかめる。
この声って……。
「ほら」
ナチグロ=ロビンが、ぞっとするくらいの妖しい笑顔を輝かせた。
彼は、銀色にきらめく葉が重なる、木の陰を指差す。
そこには、男女の抱き合う姿があった。
七都はワインレッドの目を見開いて、彼らを凝視する。
女性は、アヌヴィムの一人。昨日のお茶会にいた、紫の髪の貴婦人だった。
彼女を抱きしめて口づけをかわしているのは、チャコールグレーの長い髪の人物。
狂おしげに、せつなげに、終わりがないかと疑いたくなるくらいに、その甘いキスは延々と続けられていた。
(ルーアン……)
七都は、思わず二人から顔をそむける。
見てはいけないものを見てしまったような気がした。
聞こえるのは、アヌヴィムの女性のうめき声。
それは、アーデリーズの館で、キディアスから口づけを受けていたアヌヴィムの少年と同じうめき声だった。
溜め息のような甘い声ではあったが、声の中には、本能的な恐怖も確かに混じっている。
彼女は数え切れないくらいの回数、ルーアンから口づけを受けてきたであろうに。
おそらくその度に、彼女は恐怖と不安にさいなまれるのだろう。
自分の生体エネルギーを、今魔物に食べられている。
たとえ殺されないとわかってはいても。やがて開放されると理解してはいても。そして、溜め息を漏らしてしまうほどの快感を毎回貪りながらも、そのどうしても抵抗しきれない、底知れぬ恐怖と不安に――。
開放された彼女は、魔法がとけた本来の姿に戻ってしまう。七都が昨日見かけた、あの少女のように。
普通の人間ならば生きるはずもない長すぎる時間を生きてきた彼女。その自分の本当の姿と、否が応でも直面しなければならないのだ。
それこそが恐怖なのかもしれない。
「キスしてるんじゃないからね」
ナチグロ=ロビンが、うつむく七都に言った。
「どう見ても、恋人どうしがキスしてるようにしか見えないわけだけどさ」
「わかってるよ。あれはルーアンの食事だってこと」
七都は、やけ気味に呟く。
「七都さん、やっぱり嫉妬してる」
ナチグロ=ロビンが、にやりと笑った。
「嫉妬? わたしが?」
「うん。彼女に嫉妬してる」
ナチグロ=ロビンが、益々にやにやを大きく引き伸ばして言った。
「あのアヌヴィムの女の人に? なんでわたしがっ!」
七都は顔を上げ、ナチグロ=ロビンをキッと睨む。
「七都さんこそ意地を張らずに、ルーアンとエディシルの食べ合いをすればいいのに。そうしたら七都さんは、ルーアンにいーっぱい抱きしめてもらえるよ。ルーアンも、遠慮なく七都さんを抱きしめられるんだけどな」
「お断りしますっ!」
七都は、叫んだ。
「ま、それはともかく。とにかくルーアンはお食事中ってことで、先に行っとこう」
ナチグロ=ロビンが、のんびりと言う。
「行っとこうって、場所わかるの?」
「だいたいお茶する場所は決まってる」




