第一話:南国日向の散涙
国都での緊迫した緊急会議から、二週間ほどが経過した頃。
敷島の最南端に位置する常夏の島『日向』に、氷と花の一行の姿はあった。
「──柊夜さぁま……ここ、暑すぎますぅ……っ」
冷房が効いているはずの高級ホテルの一室。
そのふかふかのソファに倒れ込みながら、
花の継承者・花菱絢芽は、
だらしなくも愛らしい声をあげて隣の青年に愚痴をこぼしていた。
「まあ、仕方がないだろう。北海洲の極寒とは真逆だからな。
だが、遊んでいる暇はないぞ。
零から、向こうの不審な部隊の動きを確認したと報告があった。
手を打っておくに越したことはない」
柊夜はいつも通り涼しい顔のまま、水縹色の瞳を窓の外の青い海へと向ける。
「でもぉ……! 女の子にとって、強い太陽の光は天敵なんですよ!? お肌の天敵!」
「……。十人の継承者の中に太陽の属性がいなくて、本当によかったな」
柊夜が冗談交じりに苦笑していると、
絢芽は頬をこれでもかと膨らませて彼を睨みつけた。
「冗談じゃありません!! ぶうっ!!」
「はは。まあ、本当ならじっくり観光でも楽しみたいところだが、
夜に動きがあると皓が言っていたからな。
昼間のうちは、鏡花とでもどこかで遊んでいろ」
すると、部屋の隅で控えていた花の守護官・神崎鏡花が、
くすくすと上品に笑いながら一歩前に出た。
「そうですよ、絢芽様。ここは柊夜様がご自身の能力を応用して、
お部屋の冷房代わりになってくださっているからこれでも涼しいですが、
一歩外に出ればもっと熱いんですからね?」
「うぅ……鏡花ぁぁ……」
「ほら、泣き言を言わないで行きますよ。
──柊夜様、氷雨様、しばし失礼いたします」
「ああ、気をつけてな」
こうして絢芽は、
姉のように慕う鏡花にずるずると連れ去られるようにして部屋を後にした。
残された氷の主従は、静かに夜の決戦に向けて精神を研ぎ澄まし始める。
◇
時計の針が進み、午後九時五十五分。
昼間の南国の陽気が嘘のように、夜の日向は不気味な静寂に包まれていた。
一行が陣取ったのは、滞在しているホテルの広大な屋上。
夜風が四人の衣服を激しく揺らす。
そして──午後十時ジャスト。
「……来たな」
氷雨が低く呟いた瞬間、屋上の周囲の暗闇から、
陽炎のように次々と黒い影が湧き出してきた。
その数、およそ三十名以上。
すべてが武装した『灰燼』の精鋭たちだ。
「皓、流石だな。情報のズレは一秒もない」
柊夜はここにはいない遠くの仲間に心の中で感謝を送り、
腰の愛刀「氷河」の柄に手をかけた。
静かに引き抜かれた藍墨色の刃が、月光を浴びて冷たく煌めく。
「俺の名は氷の継承者、冷泉柊夜だ! 賊ども、さっさと出てこい!」
朗々とした、しかし絶対的な強者の声が夜空に響く。
闇の中から、隊長らしき大柄な男が下卑た笑みを浮かべて前に出た。
「はっ! わざわざ名乗ってくれるとはありがたい、手間が省けた!
お前ら、一気にやるぞ! 突撃ィィ!!」
──だが、突撃という言葉よりも、氷の継承者の『速度』の方が遥かに速かった。
「『止めろ断氷』──」
柊夜が小さく言葉を紡いだ瞬間、世界が静止したかのような錯覚が一同を襲う。
氷の能力を極限まで引き出す術式──『雪原の誓い』。
「『全てを蒼に塗り替えろ』『吹雪、氷嵐と共に』『蒼に眠れ』──」
流れるような、しかし重厚な詠唱。
柊夜の水縹色の瞳が、夜闇の中で神聖な輝きを放つ。
「奇術──『氷河の散涙』」
詠唱が終わったその瞬間、灰燼の連中は人生で最も美しい、
そして最も恐ろしいホワイトアウトを経験することになった。
屋上全体に、猛烈な氷柱の雨と、
すべてを凍りつかせる絶対零度の吹雪が吹き荒れる。
「が、あ……ッ!?」
声すらも一瞬で凍りつき、パキィン──と綺麗な音を立てて、
賊たちの身体が次々と氷晶へと変わり、砕け散っていく。
先ほどまで息巻いていた三十を超える軍勢は、柊夜が刀を抜いてから、
わずか一分足らずで完全に殲滅された。
「さすが柊夜様! でも、残りのお寝坊さんたちは私の担当です!」
生き残って建物の陰から襲いかかろうとしていた残党の部隊に向け、
絢芽が鮮やかに扇を翻す。
彼女の生み出した無数の新緑の刃が、逃げ惑う残りの部隊を瞬時に叩き伏せた。
かくして、日向での戦闘は、圧倒的な実力差をもって完全終結した。
──しかし。
「っ……」
刀を鞘に収めた瞬間、柊夜の身体から一気に力が抜け、前方へと倒れ込む。
いくら最強と評されるとはいえ、広範囲の環境すら変える「奇術」の単独行使は、
その身に大きな負担を強いる。
「柊夜!」
間一髪のところで、
背後に控えていた氷雨がその逞しい腕で柊夜の身体をしっかりと受け止めた。
「相変わらず無茶を……。絢芽殿、鏡花殿、ここは一度部屋に戻るぞ」
「はい……っ!」
気絶するようにすやすやと眠り始めた主人を背負い、
一行は再びホテルの室内へと急いだ。
◇
──数十分後。ホテルのリビング。
ベッドで眠る柊夜のすぐ横で、鏡花が不思議そうに首を傾げながら、
静かに言葉を発した。
「氷雨様、絢芽様。一つ、質問をよろしいですか?」
「ああ、構わないぞ、鏡花殿」
ソファで一息ついていた氷雨が答え、
絢芽も「いいよ〜、何でも聞いて!」と優しく微笑む。
「では……。先ほど柊夜様が使われた、あの『奇術』と言ったものは一体何なのですか?
私たちが普段使っている『魔術』や『幻術』とは、何が違うのでしょう?」
「ああ、そういうことか」
氷雨は納得したように頷き、絢芽は「あちゃー」と自分の額を押さえた。
「そうだ、私、鏡花の前でまともに奇術を使ったこと、一度もなかったっけ」
「説明しよう」
氷雨が静かにお茶を口に含む。
「まず鏡花殿、お前が理解している『魔術』と『幻術』について説明してみてくれ」
「はい。まず私たち継承者の血統には、
体内に『幻力』という特別なエネルギーが扱えます。
そして、その幻力を使って攻撃や防御などに転用したものを、
総称して『魔術』や『幻術』と呼びます」
「基礎は完璧だ。
付け加えるなら、
幻術というものは『一つの物(あるいは対象)』だけに作用する術のこと。
対して魔術とは、特定の『詠唱』を行い、
その詠唱を代償にすることで、
一つの物だけでなく『その周囲の環境すべて』を巻き込んだ
大規模な現象を起こす術のことだ」
「そこまでは、私も学んできました。ですが、あの『奇術』というのは……?」
そこまで説明した氷雨は、隣の少女へと視線を向けた。
「ここから先は、私より絢芽様の方が詳しいだろう。絢芽様、お願いできますか」
「うん! 簡単に言うとね、鏡花。『奇術』っていうのは、
私たち継承者が保持している固有の属性をベースにして、
さっき言った『幻術』と『魔術』を、
高度な技術で完全に一つに『融合・構築』させた術式のことなの」
絢芽は自身の扇を優しく撫でながら、真剣な表情で続ける。
「だから、発動するための代償はものすごく大きいけれど、
その分、ただの魔術とは比べ物にならないくらい強い威力を誇るんだよ。
まあ、代償って言っても、私たちの場合は幻力を多量に消費して、
柊夜様みたいに疲れ果てて寝ちゃうくらいだけどね」
「な、なるほど……。ちなみに絢芽様も、それは扱えるのですか?」
「ん? ああ、できるよ! 奇術にも強いものから比較的軽いものまで、
色々種類があるからね」
「先ほど柊夜が放った『氷河の散涙』は、奴にとっては中くらいの規模のものだな」
氷雨が淡々と告げると、鏡花は驚愕のあまり目を丸くした。
「えええっ!? あの規模で……中くらい、なのですか……!?」
「そうだな。まあ、これは慣れだ」
「な、なるほど……。氷の一族は、やはり化け物じみていますね……」
鏡花が戦慄しているその時──静まり返った部屋の中に、
ピリリリ、と柊夜の携帯電話の着信音が鳴り響いた。
「ええっ、この着信音って……零くん!?」
携帯の画面に表示された名前に驚きつつも、
絢芽は『慣れた手つき』で柊夜の携帯を開き、通話ボタンを押した。
「もしもし、零くん? どうしたの?」
『え? エぇ……? なんで絢芽さんが出てるんですか? ……まあいいか。
緊急の情報が入りました。──風と光のところに、灰燼の別動隊が……っ!
あ、あと、柊夜さんは無事ですか?』
「柊夜様は無事だよ、今さっき戦い終えて寝てる。……っていうか、え!?
凪と日奈のところに灰燼が!?」
絢芽の叫び声に、氷雨と鏡花がガタッと椅子を蹴って立ち上がる。
『ええ。日向への襲撃は陽動で、本命の別動隊がそちらへ向かったのだと考えられます』
「──状況は分かった」
「あ、柊夜様!?」
いつの間にか目を覚まし、上体を起こしていた柊夜が、
絢芽の手から携帯を滑らせるようにして受け取った。
その水縹色の瞳には、すでに一切の眠気はない。
「零、俺と絢芽が今からそっちへ出る。お前は皓と一緒にそこを動くな。
凪と日奈に、少しの間だけ持ちこたえろと伝えておけ」
『わかりました。……ですが柊夜さん、これからもこういう連戦が増えると思うので、
身体への負担が大きい奇術の使用はしばらく控えてくださいね。では──』
零が事務的に電話を切った──その瞬間だった。
部屋の中央の空間がグニャリと歪み、そこへ不気味な『黒い扉』が音もなく出現した。
「流石だな、零。仕事が速くて助かる」
柊夜は当然のようにベッドから立ち上がり、愛刀を腰に帯び直す。
「あ、ちょっと柊夜様!
零くんの言う通り、奇術の使用は絶対にダメですからね!?
一応、私もいるんですから、もっと私を頼ってください!」
「あ……。あ、はい。わかりました……」
絢芽の剣幕に、最強の青年が小さくなってコクコクと頷く。
「え……っ、ちょ、ちょっと待ってください!
なんでこんな禍々しくて怖い扉が突然部屋に出てきているのに、
お二人ともそんなに平常心なんですか!? 絢芽様ぁ!?」
一人だけパニックになる鏡花に、柊夜が扉の手前で振り返った。
「ああ、これか。これは零の固有能力だ。
詳しい説明はあとだ、鏡花。氷雨, 鏡花、臨戦態勢を取れ。
この扉を潜れば──そこから先は、本物の死地だ。行くぞ」
「御意!」
「あ、待ってください柊夜様ぁ!」
柊夜を先頭に、絢芽、氷雨、そして慌てて武器を構えた鏡花の四人は、
日向のホテルから、空間を越えた激戦の地へと一歩を踏み出すのだった。
なげえ、
ちょくちょくこういう感じで長い話あるかもしれません。
ごめんなさい




