第三話「Tarina jatkuu.」
あの国都を揺るがした未曾有の襲撃──いや、
後に『大戦』と呼ばれることになる激闘から、およそ数ヶ月が過ぎた頃。
隠れ里の『氷の継承者』冷泉柊夜は、窓の外に柔らかな桜が咲き誇る春の季節、
花の隠れ里・総本殿にある「花の間」で静かに目を覚ました。
「うっ……、ここは……?」
視界に飛び込んできたのは、見慣れた冷泉の屋敷ではなく、風情ある木造の天井だった。 身体を動かそうとするが、鉛のように重い。
(たしか俺はあの後……、神事庁の護衛部門の奴らに九条の身柄を引き渡して、
それから……。だめだ、記憶が綺麗に途切れてる……)
頭を痛そうに押さえ、状況を整理しようと考え込んでいる柊夜の耳に、
すぐ横から「すうすう」と、ひどく無防備で愛らしい寝息が聞こえてきた。
視線を横に向けると──そこには、花の継承者『花菱絢芽』の姿があった。
それも、同じ布団の、柊夜のすぐ真横に。
(っっっっ~~~~~~~!!!!!!????)
柊夜の心臓が爆発せんばかりに跳ね上がった。
大声を出しそうになるのを、超人的な精神力で必死に堪える。
だが、あまりの動揺にシーツを大きく揺らしてしまい、
その大振りな動きが、ぴったりと寄り添っていた少女の意識を覚醒させてしまった。
「ん、にゅ……? あれぇ、しゅうやしゃま……。おはようごじゃいましゅ……」
完全に寝ぼけているのだろう。
いつも凛としている絢芽の口調が、限界突破するほど柔らかく、
ふにゃふにゃに蕩けている。
「は?」
柊夜が呆然と声を漏らした瞬間、絢芽の目が、これ以上ないほどパチッと見開かれた。
「え? ……ええ? えええええええええええええええええ!!!」
一瞬で正気に戻った絢芽が、部屋中に響き渡るような大声を上げた。
跳び起きると同時に、ボウッ! と音が聞こえそうなほどの勢いで、
その白い頬が極限まで真っ赤に染まっていく。
「あ、柊夜様! いえっ、あの、これはですね!? えっと、その、あの……!」
完全にキャパシティをオーバーした絢芽は、金魚のように口をパクパクさせ、
それ以上言葉を発するのをやめてしまった。
(ああ……、これは完全に頭がパンクしてダメな状態の時の顔だわ)
柊夜の第六感がそう告げていた。
これ以上彼女を問い詰めるのは酷だと判断し、
代わりに状況を知っていそうな己の従者を呼ぶことにした。
「おい、氷雨。いるか?」
返事こそなかったが、直後、廊下をドタドタと全力で走ってくる騒がしい足音が響いた。
「柊夜!! お前、意識が戻ったのか!? 体は大丈夫か!?」
勢いよく襖を開けて飛び込んできたのは、息を切らした氷雨だった。
「ん? まあ……少し体がだるいくらいだけど、一体何が──」
「よかった……! お前、あの戦いが終わってから、
丸々三ヶ月間もずっと眠り姫みたいに寝てたんだぞ!」
「は? ……ん? ちょっと待て、理解が追いつかない」
柊夜は思わず眉間を押さえた。三ヶ月? 俺が?
「まあ、そうだろうな。お前が神事庁に冥を引き渡した直後、
糸が切れたようにぶっ倒れたんだ。
原因はまあ、一言で言えば『幻力の過剰消費による深刻な昏睡』。
里長も、人間が限界以上に幻力を放出していたんだから、
命があるだけ奇跡だって言ってた」
「……ちなみに、絢芽は?」
「ああ。絢芽様はお前が倒れたのを見た瞬間、
大慌てで植物の蔓でお前をご神体みたいにぐるぐる巻きにして、
ここまで強制連行してきたんだ」
「は?」
「だから、絢芽様がお前をここまで運んで、
そのまま安心したように隣で寝落ちしたんだが…
…その後、絢芽様も丸一ヶ月は起きなかった。
二人とも、あの過酷な戦場の中で、
未完成の共鳴奇術をぶっつけ本番で練り直してぶっ放したんだ。
それだけの反動がくるのは当然さ」
氷雨の説明に納得しつつも、柊夜は最大の問題点へと視線を戻した。
「……違う。それはわかった。
俺が聞きたいのは、なんで絢芽が、こんな風に俺の布団の真横にいるんだ?
別個に布団はあるだろ」
「あー……それは、だな。……うん、回答を拒否する。命が惜しい」
「なんでだよ!」
引きつった笑いを浮かべる氷雨の背後から、
クスクスと楽しげな笑い声と共に鏡花が姿を現した。
「ふふ、それについては私が説明してあげましょうか、柊夜様」
「鏡花、頼む」
「一ヶ月後に目を覚ました絢芽様は、こう思ったわけです。
『私が起きたのに、なんで柊夜様はまだ起きてくれないの!?』……と。
要するに、一人でいるのが寂しくなってしまって、
お留守番のご褒美と称して、毎晩一方的にこうして添い寝をされていたわけですね」 「な、なるほど……?」
柊夜は納得したような、けれども男として色々と限界なような、
なんとも言えない複雑で微妙な表情を浮かべた。
横では絢芽が両手で顔を覆って小さくなっている。
「……まあ、いいか。無事だったなら何よりだ。他の継承者たちはどうなった?」
「全継承者と守護官の中で、戦後に意識が戻らなかったのは大地様とお前、
そして絢芽様の三人だけだったよ。
戦いから一週間後に大地様が起きて、一ヶ月後に絢芽様。
そして、最後がお前だ」
「俺が一番最後だったのか……」
「はい! そうですよ! 本当に、結構……寂しかったんですからね?」
絢芽が覆っていた手を退け、少し潤んだ瞳で柊夜をじっと見つめる。
その瞳には、からかわれた恥ずかしさよりも、
最愛の人が目覚めてくれたことへの心からの安堵が満ちていた。
「……悪かったな。留守をありがとな。
──そういえば、継承者会議はどうなったんだ? 俺たちが不在の間、誰が回してた?」 「今の、例の炎の男の子が代理で仕切っていたわよ」
「宗星か。ん? その声は──」
聞き覚えのある、しかしこの部屋にいるはずのない、どこか浮世離れした艶やかな声。
「お元気かしら、四代目の柊夜さん?」
「え? あ、はい、特に異常なしです……って、貴殿は……初代の!?」
そこには、白と桃色の美しいグラデーションを描く髪をさらりと靡かせ、
悪戯っぽく桃色の瞳を輝かせる女性──かつて電話越しにダメ出しを食らわせてきた、
初代花の継承者『花菱優佳』が立っていた。
「ええ。初代花の継承者の優佳よ。改めてよろしくね。
──じゃあ、用件は済んだし、あとは若い二人きりで存分にね〜?」
優佳はウインクを一つ残すと、まだ話したそうにしていた氷雨と鏡花の首根っこを掴み、風のように部屋から去っていってしまった。
静まり返る「花の間」。
ふたたび、二人きりの時間が訪れる。
「……ちなみに、絢芽さんや」
「は、はい……何でしょうか、柊夜様」
「今、何月何日だ?」
「今は、瑞月五十九年の……三月九日です。
ちなみに、今年の柊夜様の誕生日は、まだお祝いできていません。
寝ている間に過ぎてしまいましたから……」
「え? 三月九日?」
「はい。今日が何の日か、まさかお忘れで?」
少し拗ねたように唇を尖らせる絢芽を見て、柊夜の口元が優しく緩んだ。
「俺を何だと思ってる。……さすがに忘れんさ。絢芽、十八歳の誕生日、おめでとう」 「──っ! はい! 柊夜様も、十八歳の誕生日、おめでとうございます」
二人は同じ三月九日生まれ。
今日という日に目覚められたのは、運命の悪戯か、それとも神様の粋な計らいだろうか。
「今日、起きられて本当によかった……」
「ええ、本当に。……あ、それでですね、柊夜様。
お誕生日プレゼント、何か準備はありますか?
もしなかったら……私、どうしても欲しいものがあるのですけれど」
「いや、起きたのが今日の今日だから、準備も何もできてない。
本当にごめん。……で、欲しいものってなんだ? 宝石か? それとも土地か?
冷泉の財力なら、大体の物は買ってやれると思うけど……」
大真面目にそんな世俗的な提案をする恋人に、絢芽は呆れたように小さく笑い、
それから、上目遣いでじっと柊夜を見つめた。
「いいえ。世界中のどんなに高価な品物よりも、
まだ私、貰っていないものがあったなと思いまして」
「……何だ?」
「──柊夜様からの、愛の言葉?です」
「ゴホッ、ッ!?」
柊夜は、サイドテーブルに置いてあった飲みかけの水を盛大に吹き出しかけた。
「は、はあ!?」
「ですから。私への、真っ直ぐな愛の言葉を、今ここでいただきたいのです」
顔を真っ赤にしながらも、絶対に退かないという強い意志を宿した桃色の瞳。
その真っ直ぐな視線を受け止め、柊夜は小さくため息をつき──観念したように、
微笑んだ。 起きた早々これか、と思いながらも、
これこそが自分の求めていた愛おしい日常なのだと、胸が熱くなる。
柊夜は絢芽の小さな手を、両手でそっと包み込んだ。
「……絢芽」
「はい」
「好きだ。──俺と、結婚してくれ」
一瞬の静寂の後、絢芽の瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
けれど、その顔には、世界で一番幸せな満面の笑みが咲き誇っていた。
「──っ……。はいっ、喜んで……!!」
……ここから先に何があったのかは、わざわざ語るまでもなく、
君の想像がつくだろう。
里長と両親に盛大な冷やかしと共に許可をもらい、婚姻届を提出し、
その後二人がどれほど温かく幸せな家庭を築いていったか。
その幸せな惚気話は、また今度の機会としよう。
氷と花が織りなした、長きにわたる因縁の物語は、ここで静かに幕を閉じた。
では、最後に君に問おう。
「この物語は、一体どんな話だったのか?」と。
当事者たちに尋ねれば、きっとバラバラな答えが返ってくるはずだ。
柊夜は「残酷な人殺しの物語だ」と静かに語り、
絢芽は顔を赤くしながら「絶対に、至高の恋の物語です!」と胸を張り、
氷雨は苦笑しながら「叶わぬ復讐の物語だろ」と笑い、
鏡花はどこか遠くを見つめて「初めて絶望を味わった物語でした」と呟く。
では──ここまで彼らの旅路をずっと見守ってきてくれた、
画面の向こうにいる「君」は、この物語をどう考えるだろうか。
この物語は、君たちが生きる「今」とどこか似ていて、
けれど、決定的にどこかが違う──そんな、世界の物語。




