第二話「四代目による氷花の詩」
かつてこの総本殿を包み込んでいた、
悲しみと絶望に暮れる二人は、もうそこにはいなかった。
柊夜は「氷河」を真っ直ぐに構え、
絢芽は優美に、しかし一片の隙もなく扇「桜蘭」を開く。
二人の瞳に宿るのは、一切の揺らぎがない、
ただ目の前の悪を討ち果たすという覚悟があった。
そんな二人の様子に呆れたのか、
冥は小さくため息を漏らした
「はあ……。もう、お別れの言葉は十分に伝えたのかい?」
挑発するような、冷たい口調。
だが、今の二人にとって、そんな揺さぶりなど何の意味もなかった。
時間を巻き戻してまで繋ぎ止めた二人の意志は、
今や何よりも強固に結ばれている。
「それを言うのならば──お前がこの世界に残す、最期の言葉の間違いだろ?」
柊夜が冷徹に言い返す。
「残念」
冥はその一言だけを落とすと、闇の力を纏って二人へ近づいた。
空間を歪めながら襲い来る、闇の神器による斬撃。
一撃一撃にすべてを呪うような悍ましい力が籠められている。
しかし、大切な者を一度失い、覚悟を決めた今の柊夜に、
そんな小細工はもう通用しない。
キィィィィンッ!!!
真っ正面から闇の黒刀をねじ伏せる、柊夜の重い一撃。
予想外の反撃に冥は距離をとった。
その最中、絢芽の脳裏には、記憶が鮮烈に蘇っていた。
それは戦いが始まる直前、氷と花の主従が列車を降り、
柊夜と共に北部へと向かっていた道中のことだ。
ピリリリリリリリリ──。
突如として、絢芽の懐にある携帯電話から緊張感のない着信音が鳴り響いた。
「ええと……、柊夜様。里長からです……」
「ん? この状況だし、出ればいいだろ?」
「う、はい……」
柊夜は何か歯切れの悪さを感じていたが、絢芽はあからさまに嫌そうな顔をしながら、渋々電話に出た。
「はい、絢芽です……」
『絢芽さん、元気にしていますか? 柊夜さんとなにか進展はありましたか?
いつ私に嫁入りの報告を届けてくれるのかしら──』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、悲劇のような国都の戦場とは真反対にある、
のんびりとした、しかしどこか悪戯っぽい優しい声。
一瞬で顔を真っ赤にした絢芽は、照れ隠しなのか里長の言葉を激しく遮った。
「う、う、うるさいです、もうっ!!」
『あらあら、怒られてしまいましたか。相変わらず余裕がありませんね』
「……で、なんの要件ですか、里長」
『あら? いつもなら私のことを『ひいおばあちゃん』って
可愛らしく言ってくれるのに、冷たいわねえ』
「なんでもいいから早く要件を…… はあ…」
絢芽は思わず深い不いため息をこぼした。
(これだから、電話には出たくなかったんです……!)
里長に伝わらないよう、
柊夜に向けて「助けてください」と必死に身振り手振りで伝える絢芽。
だが、柊夜の理解力の問題か、
それとも絢芽のジェスチャーの表現力が低すぎるのが問題なのか、
柊夜は小首を傾げるだけで何も伝わっていないようだった。
『それで、そうそう、要件でしたね。今、お隣に柊夜さんはいます?』
「ん? ええ、いますよ?」
『スピーカーモードにしてもらえますか?』
「? はい、わかりました」
絢芽は首を傾げつつも、柊夜にも声が聞こえるように通話をスピーカーに切り替えた。
「こんばんは。今世の氷の継承者、冷泉──」
『ああ、そういう堅苦しい挨拶は大丈夫ですから。
時間もないですし、さっさと本題を伝えますね?』
花の里長は、柊夜の真面目な挨拶を小気味よくぶった切り、話を続けた。
『改めまして。花の隠れ里の里長、または──初代花の継承者『花菱優佳』です。
以後お見知りおきを』
「は、はい」
(いや、今さっき挨拶はいらないって言ってなかったか?)と、
柊夜の心がツッコミを入れた瞬間、優佳の声が真剣味を帯びる。
『あなたたち、今日、氷柱さんのところへ行きましたよね?』
「え、ええ。初代氷の継承者の方ですよね?」
『ええ。そして、あの人から『共鳴奇術』を教えてもらったとか』
「は、はい。そうです、が……」
柊夜が恐る恐る答えると、受話器の向こうの初代花守護官は、
呆れたようにため息をついた。
『あのバカが、一番肝心なことを伝え忘れていたらしいので、私が代わりに伝えますね
えっと…―『柊夜、花菱の娘。お前たちの奇術はまだ完成していない。
その未熟な詠唱から練り直せ』……ですって』
「「えええっ!!!?」」
驚くほど綺麗に、二人の声が重なった。
『ふふ、息ぴったりですね!
やっぱり花が氷を愛するのは、逆らえない呪いのようなものなのかしらねえ?』 「──さようならっっ!!」
羞恥とからかいに耐えきれなくなった絢芽が、
勢いよく通話終了ボタンを押して電話を切った。
そして、半分涙目になりながら柊夜を振り返ったのだ。
「わかりますか?! これだから、あの人の電話には出たくなかったんですよ……!」 「あ、ああ、わかったから。一旦落ち着こうな、絢芽」
柊夜は両手を挙げて絢芽に深呼吸を促した。
「しかし、あの詠唱を練り直せ、か……」
「個人的には、あれで完璧に完成したと思ったんですけどね……」
「どうするか……っ! ──なっ、北部が襲撃されただと!? 絢芽、行くぞ!」
「は、はいっ!」
……。
そうして、慌ただしく戦場へと駆り出され、今に至る。
(それっきり、詠唱について二人で相談できずじまいだったんですよね)
傍から見れば、ぶっつけ本番の未完成の奇術を放とうとする、
あまりにも無謀でおかしい状況。
しかし、固い絆で結ばれた今の二人には、そんな不安など関係なかった。
言葉を交わさずとも、今ならわかる。
初代の継承者たちが伝えたかった、
四代目である自分たちの「共鳴」の形が。
冥が、二人の放つただならぬ気配を察知し、大きく距離をとった。
この好機を逃すような二人ではない。
見つめ合う水縹色と桃色の双眸。
打ち合わせなど一切していない、魂の詠唱が、総本殿の夜空に響き渡った。
「──『氷は涙を流し、孤独を恨んだ』」
柊夜の声が響き、美しく重奏を奏でる。
「──『花は寂しさに耐えられず、救いを求めた』」
絢芽が凛とした声で続ける。
言葉など交わさなくても、お互いの目を見れば次に紡ぐべき言葉が魂に流れ込んでくる。 自然と、愛おしい旋律が唇から零れ落ちていく。
「「『『そんな二人は嘆き、苦しみ、互いを求めた』』」」
「っつ!まさか!!!……、させるかああああああ!!!!」
その詠唱から放たれる幻力の膨張に、
冥が初めて本物の恐怖に満ちた悲鳴を上げ、形振り構わず突っ込んできた。
だが、二人の言葉は止まらない。
いや、世界の誰も、もう止められない。
「「『『孤独の絶望は、愛で満たされた』』」」
微かな光と共に、一本の小さな苗木が二人の背後の空間に音もなく現れた。
「「『『この愛は溶けず、散りもせず、永遠に残り続けさせる』』」」
そして、運命を完全に変える、最後の一節が解き放たれる。
「「『『氷は彩り、花は歌う。空に響くは恋の詩──』』」」
「「──共鳴奇術『『氷花の詩』』!!!!!!」」
言い放った言葉と共に、四代目の柊夜と絢芽による、
『氷花の詩』がここに完全成就した。
二人の背後にあった苗木が一瞬にして急成長を遂げ、
美しく神秘的な「氷桜の大樹」へとその姿を変貌させる。
冥は直感的な死の危険に身を震わせ、必死に距離をとろうとするが、
もうすべてが遅すぎた。
「ああ! ぐあああああああああああああッ!!!!」
大樹から解き放たれた無数の花弁が冥の肉体を凍らせ、焼く。
同時に舞い散る葉が冥の闇の幻力を清らかに霧散させていく。
しかし、この共鳴奇術の効果は、ただの浄化だけではなかった。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「っ!!!!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
その瞬間、東西南北の各地での死闘を終え、
ボロボロになりながらも中央部へと這うように向かっていた
合計十八人の戦士たちを、奇妙な異変が襲った。
彼らの身体に深く刻まれていた凄惨な傷が、
枯渇していたはずの幻力が、
さらには破れた服までもが──まるで時間が逆行するように、
修復され、再生し始めたのだ。
「これは……いったい……?」
正面防衛線を死守していた宗星が、自身の掌を見つめながら唖然と言葉を漏らす。
(まさか、あの二人だというのか? いや、馬鹿な。
傷の治療はおろか、服の修復や幻力の完全譲渡なんて、
そんな術、歴史上聞いたこともないぞ……!)
「柊夜……、絢芽ちゃん……」
総本殿の広場で、冥を除いて最も間近でその光景を目撃した大地は、
驚愕のあまり言葉を失っていた。
大地の全身の致命傷もまた、桜の光に包まれて完全に完治していた。
(『共鳴奇術』……! なんなんだ、これは。ただの連携技なんてレベルじゃない。
世界そのものを書き換えるようなものじゃないか……)
そう。
この二人が完成させた共鳴奇術は、純粋な攻撃用ではない。
術の性質は、使用者の精神の在り方によってその姿を変える。
誰も死なせたくない、みんなで未来へ歩みたいという二人の強い精神が、
国都の仲間全員を救う奇跡の波動へと昇華したのだ。
その圧倒的な奇跡の威力だけで、闇の継承者・九条冥は地面に両膝をついた。
(ああ……、視界が霞む。僕の命のが、消えていく……。
僕の、復讐劇も……ここまで、か……)
だが、冥はそれでも、執念だけで辛うじて立ち上がった。
しかし、その姿はすでにボロボロで、
今なお立っていること自体が奇跡のような、悲惨な状態だった。
「「柊夜! 絢芽ちゃん!」」
その時、総本殿の四方八方のあらゆる方角から、
聞き馴染みのある声が一斉に響き渡った。
回復を遂げた宗星や鏡花、氷雨をはじめとする、国都のすべての戦士たち
──二十人全員が、ついにこの中央部へと戻り、集結したのだ。
勝負は決した。
「……これで、おしまいです」
絢芽は静かに扇を振るい、地面から強固な茨の蔓を出現させ、
身動きの取れない冥の身体を完全に拘束した。
「うっ……、がっ……」
冥は呻き声をあげ、なおもその濁った瞳で抗おうとする素振りを見せる。
だが、その手にある闇の神器は、すでに完全に光を失っていた。
「こいつも、腐っても『継承者』か。
しぶといな……。仕方ない、その身に宿る幻力の回路を凍結させる」
柊夜が「氷河」の刀身を冥の肩へと突きつけると、
「氷河」を通して柊夜は凍結の術式を流していく。
「はっ……!」
冥の口から短い悲鳴が漏れ、彼の中から、禍々しい闇の気配が完全に消え去った。
「あとは、政府の連中に任せよう。──俺たちの戦いは、これで終わりだ」
柊夜が、静かに、しかし確固たる言葉で全てを締めくくった。
この『灰燼』による未曾有の国都襲撃事件は、
負傷者多数、建物の損壊などの重軽傷様々な被害を出したものの
二人が起こした奇跡により、最終的な『死傷者はゼロ』という、
奇跡的な結末を迎えた。
この後、
唯一の心の拠り所であった『闇の継承者』という最大の後ろ盾を失った
テロ組織『灰燼』は、みるみると衰退し、やがて完全に壊滅した。
二百年の因縁を越えた、闇との過酷な戦いは
─今ここに、最高の形で幕を閉じたのだった。
はあ、
疲れた。
次で氷花の詩は終わりです。




