第一話「唯一無二の存在」
「絢芽っ……! ごめん、ごめん……っ!!」
柊夜の声は、震えていた。
あの氷のように冷徹で、周囲を圧倒するような威厳に満ちた声音は、
今の彼にはどこにもなかった。
『氷の継承者』という重荷も、最強としてのプライドも、
すべてがどこかへ吹き飛んでいた。
ただただ、一人の男として。
一人の、恋人を狂おしいほどに愛する人間として、彼は涙とともに言葉を紡いでいた。
「俺は……何もできなかった……!
継承者としての覚悟も、
絢芽と未来を歩むための覚悟も、
戦い方も……!
全部、全部、すべてがダメだった……!!!!」
言葉を絞り出すたびに、視界が涙で歪む。
胸を貫かれ、自分の腕の中で確かに冷たくなっていった最愛の少女の温もりが、
今、奇跡のように目の前にある。
その事実だけで、柊夜の胸は張り裂けそうだった。
己の無力さへの悔恨が、大粒の涙となって白銀の雪原へと零れ落ちる。
そんな愛おしい人を、絢芽は愛おしそうに、抱きしめ返した。
「いいえ……私のほうが、できていませんでした」
絢芽の細い腕が、柊夜の背中に回される。
衣服は切り裂かれたままだが、その肌には傷一つなく、
確かな心臓の鼓動がドクン、ドクンと柊夜の胸に伝わってくる。
「敵の思惑を見誤り、隙を見せて、命を奪われてしまった……。
柊夜様を、あんなにも苦しませて、絶望させてしまった。
悲しませてしまい、本当に、ごめんなさい……」
「なんで……なんで、絢芽が謝るんだよ……っ」
柊夜はもう、それ以上何も言えなかった。
絢芽もまた、静かに微笑むだけで、言葉を重ねることはしなかった。
ただ、世界で一人しかいない二人は、
互いの肌の温もりを確かめ合うように強く抱きしめ合い、
自分たちの再会に心から喜び、泣き、そして己の至らなさを悔いていた。
だが──ここはまだ、硝煙と血煙の渦巻く戦場だった。
「くっっ……、あぁっ……!」
重々しい呻き声が、激しい金属音とともに響く。
冥の猛攻を正面から受け止めていた大地が、苦悶の声を漏らした。
大地は腐っても、あるいは死に体であっても『土の継承者』だ。
その実力と、仲間を護るという執念は本物だった。
大地の持つ太刀『砂礫』が放つ重厚な一撃は、
あの九条冥を相手にしても一歩も引かず、むしろ攻め立てるほどの威力を発揮している。
しかし、先の戦いで負わされた傷はあまりにも深すぎた。
肉体の限界を精神力だけで引き延ばしているに過ぎない。
「柊夜……っ、絢芽ちゃん、ごめん……っ!
あんま、長くは時間……稼げない、かも……っ!」
大地の悲痛な叫びが、二人の世界を現実に引き戻す。
柊夜はハッと顔を上げた。ずっと泣いているわけにはいかない。
愛する人が繋いでくれたこの命を、
戦友が命懸けで守ってくれているこの時間を、無駄にするわけにはいかない。
柊夜はそっと手を伸ばし、絢芽の頬に伝う涙を指先で拭った。
それに呼応するように、絢芽もまた、柊夜の目元に溜まった涙を優しく拭う。
二人はこつんと、お互いの額を合わせた。
視線が至近距離で交錯する。
「柊夜様、大丈夫ですか?」
「ああ……。取り乱して、すまなかった」
柊夜の声から震えが消え、いつもの、静かで確固たる口調が戻ってきた。
瞳には、先ほどまでの絶望の闇ではなく、
澄み渡るような決意の光が宿っている。
二人は同時に、石段の上を睨み据えた。
ドンッ!! と激しい衝撃音とともに、
大地が冥との打ち合いを強制的に終わらせ、大きくバックステップを踏んで退いてきた。
大地の全身の傷口からは再び血が滲み、肩を大きく上下させている。
だが、その表情には微塵の悲壮感もなかった。
親友たちの『復活』を、その眼で確かに確認したからだ。
「……あとは、任せてもいいかい?」
信頼と安心に満ちた大地の声。
「「はい」」
柊夜と絢芽の声が、完璧に重なった。
もう、先ほどまで絶望に暮れていた二人はどこにもいない。
過去の因縁がどうあろうと、世界のシステムがどれほど歪んでいようと、関係ない。
ただ、自分が命を懸けてもいいと思える愛しい人が、今、隣にいる。
その厳然たる事実だけで、
二人の身体には無限の幻力が、爆発的な闘志が満ち溢れていく。
「行くぞ、絢芽」 「はい、柊夜様」
二人は並んで歩み出す。 白銀の結晶が、桃色の花弁が、戦場を舞う。
この地に佇む闇に抗い、
今度こそ二人の、そして皆の未来に平和を齎すために──。
てえてえ。




