第四話「新緑の誓いと仕返し」
守護官である氷雨と鏡花が、
警備班との打ち合わせのために「花の間」を出ていってから、
どれほどの時間が経っただろうか。
部屋に残された柊夜は、どこか居心地の悪さを感じながら、
座布団の上で一人、生温かい目で襖を見つめていた。
そんな柊夜の背後から、すう、と静かな気配が近づいてくる。
その直後、柊夜の五感が奇妙な違和感を捉えた。
「ん……?」
視線を下に向けると、自身の足首に見覚えのある緑の植物──頑丈な『蔓』が、
蛇のように静かに巻き付いているのが見えた。
蔓は容赦なく柊夜の両足を縛り上げ、身動きを封じていく。
「えっとお……絢芽さん?」
わざわざ声を張り上げるまでもなかった。
この部屋、この瞬間において、
このような悪戯を仕掛けてくる人間など世界に一人しかいない。
「ん? どうかしましたか、柊夜様?」
振り返ると、そこには屈託のない、
向日葵のような満面の笑顔を浮かべた絢芽が立っていた。
だが、その桃色の瞳の奥は、一切笑っていない。
「う、いや……なんで俺の足を縛っているんですかね?」
「なぜって、決まっているじゃないですか。
柊夜様をここから絶対に逃がさないため、です」
「いや、逃げないって。さっき本殿の門の前で、
今日から一週間ほど滞在するって言ったじゃん」
苦笑いする柊夜だが、絢芽の術式が解ける気配はない。
これこそが、花の一族の血を引く彼女の能力──『新緑の誓い』。
幻力を通わせることで、その場にあらゆる植物を生み出し、
自らの手足のように操作する上位の魔術だ。
本来であれば、襲い来る『灰燼』の連中を締め上げるために使うべき強力な力を、
今の花の継承者は、恋人をその場に縛り付けるためだけに全力で行使していた。
「嘘です。柊夜様は、私がこうやって甘えようとすると、
いつもなんだかんだ理由をつけて、氷みたいにするりと逃げてしまうじゃないですか」
「いや、それは……うん、まあ」
「でも、これなら柊夜様は一歩も身動きが取れませんし、絶対に逃げられません!
さあ、半年間も寂しい思いをさせられた女の仕返し、たっぷり受けてください!
つーん、です!」
(あ、これ、めちゃくちゃ怒ってるな……)
柊夜が冷や汗を流した瞬間、絢芽が小さく「えい」と声をあげて、
正面から柊夜の胸元に飛び込んできた。
ぎゅっと、細い腕が柊夜の身体を強く抱きしめる。
「私、本当に寂しかったんですよ? 柊夜様……」
着物越しに伝わってくる、絢芽の小さな身体の温もり。
柊夜の胸元に顔を埋めた彼女の肩が、微かに震えているのに気づいた瞬間、
柊夜は心底降参したように、小さくため息をついた。
「……悪かったよ、絢芽」
柊夜が優しく、静かにそう呟くと、彼の足元を容赦なく縛り上げていた植物の蔓が、
主の感情の変化に合わせるようにして、すうっと霧のように解けて消えていった。
自由になった両腕をどうするべきか、
柊夜は一瞬だけ迷ったが──観念して、
絢芽の薄桜色の長い髪を大きな手でそっと撫でた。
そのまま、彼女の華奢な身体をそっと抱きしめ返す。
「これからは、もっとお前に会いに来られるように、こっちの仕事も上手く調整する。
努力するから……だから、もうそんな、今にも泣きそうな声は出さないでくれ」
「……っ、はい……! 約束ですよ、柊夜様。忘れたら、
次はもっと太い薔薇の棘で縛っちゃいますからね?」
桃色の目を潤ませながらも、絢芽は本当に幸せそうに、
柊夜の胸に身を委ねて小さく笑った。
「ああ、わかったよ。約束だ」
夕暮れの花の間。そんな、砂糖を吐き出しそうなほどに甘ったるい空間を、
少し開いた障子の隙間から静かに傍観する影が二つあった。
「ふふ、今回は絢芽様が上手でしたね、氷雨様?」
「……まったく。我が主ながら、柊夜の絢芽殿に対する甘さは、
いつ見ても底が見えんな」
打ち合わせを終えて戻ってきた守護官の二人は、邪魔をしないように声を潜めながら、
お互いに肩をすくめ合うのだった。




