第三話「花の間、束の間の休息」
花の隠れ里の本殿最奥──『花の間』。
畳の香りと、窓の外から流れ込む桜の香気につつまれたその部屋で、
花と氷の主従は机を挟んで向かい合っていた。
「それで……先日の襲撃は本当に大丈夫だったのか? 絢芽、鏡花」
柊夜が水縹色の瞳に真剣な色を宿し、改めて問いかける。
「ええ、難なく対処できました。ご覧の通り、二人ともちゃんと無事ですよ」
絢芽はふわりと袖を揺らしながら笑顔で答えるが、柊夜は首を横に振った。
「身体の怪我のことじゃない。
急な襲撃だ、精神的なストレスなどを感じてはいないか、と聞いているんだ」
「えっ……」
予想外の角度からの気遣いに、絢芽は一瞬だけ桃色の目を丸くした。
だがすぐに、嬉しさを隠しきれないといった様子でふにゃりと頬を緩める。
「ええ、それは大丈夫です。私、こう見えて結構メンタル強いんですよ?
……あ、でも、強いて言うなら、柊夜様が寂しい氷の隠れ里に引きこもって、
私にあまり会いに来てくださらないことの方がよっぽどストレスですかね?」
「う……それは、悪かった。いやしかしだな、俺だって色々と──」
「いいじゃないですか。もっと来てくれたって、誰も文句言いませんよ?
里長だって歓迎してくれますし!」
むー、と口を尖らせて不満を訴える絢芽。
「いや、俺も継承者としての仕事ってものが山積みで……」
「じゃあ、私が冷泉家に嫁入りすれば解決ですか?」
「ああ、うん。そうだな、それなら──って、はあ!?」
流れるような提案に頷きかけた柊夜が、一瞬遅れたすっとんきょうな声をあげた。
「な、な何を言っているんだ、お前は……っ!」
「あら? 私はいつでも大真面目ですよ?」
「いや、お前の好意は知っているけどさ。
もし嫁入りなんてしたら、花菱家の『花の継承者』の座はどうするんだよ」
「そんなの、私たちの間に生まれた子供に将来擦り付けましょう」
「さらっと未来の我が子に酷いこと言ったな!?」
「でも、継承者は血縁からしか出ないのですから、結局は同じことです。ね?」
「あ……それは、そうだったわ……」
「はい! ですから、私が嫁入りして、柊夜様のお部屋に──」
「だから、なんでそうなるんだ。落ち着け」
「え? だって私たち、将来を誓い合った恋人同士でしょう?
何か変なことはありますか?」
小首を傾げて純粋な瞳で見つめてくる絢芽に、柊夜は頭を抱えた。
(ああ、誰か助けてくれ……こういう時の絢芽は、
俺の言うことなんて一切耳に入らないんだ……)
そんな主人の限界突破したデレっぷりを、少し離れた畳の上で見守る影が二つ。
「はあ。またやっていますね、あの二人」
花の守護官である鏡花が、あきれ半分、微笑ましさ半分といった様子で、
氷雨にお茶を差し出す。
「……我が主ながら、柊夜のあの余裕のない顔は珍しいな。
いつもは氷のように冷徹な男なのだが」
「それだけ絢芽様のことが特別なのでしょう。
……ふふ、でも、あのままだと本題の会議が始まりそうにありませんね。
氷雨様、私たちは私たちの間で、先に情報の共有を済ませてしまいましょうか」
「ああ、そうだな。頼む」
少しの間、主人の二人はそのまま甘い空間を繰広げさせておくことにして
(これ以上は目に毒なのでカメラはカット)、
守護官二人は真剣な面持ちで声を潜めた。
「それで、鏡花殿。先日の『灰燼』の襲撃について、
詳しい状況を聞かせてもらっても構わないか?」
「ええ。私たち花の一行は、例年通り、
秋津洲の西部にある神社へ『花の加護』を届けるために隠れ里を出ていました。
その移動の最中、待ち伏せしていた奴らに襲撃されたのです」
鏡花は一度言葉を区切り、灰色の瞳の守護官を真っ直ぐに見つめた。
「ただ……いつもと少し、変わったところがありまして」
「ほう? 変わったところ?」
「ええ。何か、これまでの灰燼に比べて『理知的になった』というか
……明らかに、こちらの裏をかくような知恵が回る動きをしていました」
「なるほど。ただの烏合の衆ではなく、戦術を理解している組織的な動きだった、と」
氷雨が顎に手を当てて思考を巡らせる。
「ええ。これまでは数に任せた一方向からの突撃ばかりだったのですが、
今回はこちらの陣形を完全に把握した上での包囲網でした。
……恐らく、上の親玉でも変わったのではないかと」
「指導者の代替わり、か。……確かに、その線を考えるのが最も自然で正しいな。
となれば、今までの奴らの行動パターンは通用しないと考えたほうがいい」
「はい。こうなってしまった以上、今まで通りの警戒レベルでは、
近いうちに足元をすくわれる可能性が高いです」
「なるほど。非常に重要な情報だ、感謝する。
明日の継承者会議でも共有させてもらおう」
「いえ、同じ守護官同士、敷島を守るために共に頑張りましょう!」
鏡花がふわりと微笑んだ、その時だった。
「だーかーら! 嫁入りの話はまだ早いって言ってるだろ!」
「もう、柊夜様の意気地なし!」
部屋の向こう側から、相変わらずのやり取りが聞こえてくる。
「……一応、まだやっているようだな、あの二人」
「ふふ、本当に仲がよろしいことで。……少し、目に毒ですよねえ」
「まあ……明日は国都で重い会議が待っている。
今は、彼らにとっての束の間の休息を楽しんでもらうとしよう」
夕暮れ時の優しい光が、花の間を静かに照らしていた。
柊夜は普通に半年間仕事詰めでした。
だから仕方なくないけど仕方ない。




