第二話:闇の守護官『伏見 依織』
「絢芽」
柊夜の短く、しかし全てを乗せた一言。それが合図だった。
刹那、総本殿の張り詰めた空気が一変する。
パキパキパキパキッ!!!
大気が悲鳴を上げるような音を立て、
柊夜から冷気が広がってゆく。
一瞬にして誓いの森の中央部は、
世界から隔離されたかのような白銀の氷雪地帯へと変貌を遂げる。
「なっ……!?」
闇の守護官・伏見依織が、その圧倒的な凍結速度に驚き平伏すような声を漏らした。
だが、その驚愕の隙を、氷の主従が見逃すはずがない。
柊夜と絢芽は、言葉を一切交わすことなく、同時に地を蹴った。
絢芽が視線を定め、風を切って駆け出す先は──闇の守護官『伏見 依織』。
「ハァッ!!」
絢芽は自身の扇「桜蘭」を逆手に構え、
鋭い踏み込みと共に依織の首元をめがけて一閃した。
金属の擦れ合う、甲高い音が静寂を切り裂く。
それは、依織が咄嗟に突き出した漆黒のナイフによって防がれた。
「くっ……!」
「うふふ、挨拶代わりにしては、いささか鋭すぎるんじゃないかしら?」
二人が火花を散らすその瞬間、柊夜の「氷河」が猛然と振るわれていた。
依織の背後から迫ろうとしていた九条冥を遮るように、
地面から巨大な氷の絶壁が隆起する。
ドゴォォォォンッ!!!
だが、それだけでは終わらない。
柊夜は冥への牽制と攻撃も決して忘れてはいなかった。
壁の生成と並行し、無数の氷の剣が冥の死角から雨なりと降り注ぐ。
これら全ての連動にかかった合計時間は──わずか十秒。
数秒の間に、柊夜と絢芽は全く同じ思考に至っていた。
(この闇の二人を、一緒に居させると危険だ。確実に引き離す──!)
その冷徹な判断のもと、二人は完璧に敵を分断してみせた。
氷の壁の向こう側。無数の氷剣をその黒刀で叩き落とし、
防ぎきった九条冥が、冷笑を浮かべながら柊夜へと反撃の闇の刃を振るう。
「あれえ……? 花の恋人と一緒じゃなくていいのかい?
僕たちを離したところで、君の恋人が依織に惨殺されるだけだよ?」
「……お前が心配すべきは、自分の首だ。九条」
激しくぶつかり合う、氷の刀と闇の黒刀。
一方、絢芽と依織が対峙する戦区でも、冷酷な心理戦が始まっていた。
依織は絢芽の扇をナイフで押し返しながら、挑発するような口調で甘く囁く。
「あらあら、お嬢さん。貴方、私なんかと遊んでいていいの? こっちに来ちゃってさ。
……放っておいたら、貴方の彼氏さん、九条様に無惨に殺されちゃうわよ?」
並の少女であれば動揺を誘われる邪悪な揺さぶり。
だが、幾多の死線を乗り越え、
何よりも柊夜を心の底から信じ抜いている今の絢芽には、
そんな軽い挑発は微塵も通じなかった。
「ん?……ふふ。何を言っているのか、さっぱりわかりませんね」
絢芽はふっと冷ややかな、美しい微笑を浮かべて言い放った。
「柊夜様が、あの前髪が鬱陶しい、薄気味悪い男に負けるとでも?
──絶対に、そんなことはあり得ません」
「……。」
沈黙。
相手を精神的に揺さぶろうとした依織だったが、
絢芽のあまりに迷いのない絶対的な信頼と、
痛烈な「薄気味悪い男」という辛辣な返しに、逆に言葉を詰まらせたのだ。
口論においては、完全に絢芽に軍配が上がった。
「……うるさいわね、小娘が」
依織の美貌がピキリと怒りで歪む。
不快感を隠そうともせず、依織は黒い影を纏いながら一気に距離を詰めてきた。
ナイフが容赦なく絢芽の喉元を狙う。
しかし、絢芽は美しく舞うように身体を翻し、紙一重でその鋭い一撃を躱した。
避けると同時に、絢芽の反撃が炸裂する。
「桜蘭」を大きく一振りし、周囲に無数の鮮烈な桜の花弁を舞い散らせた。
ただの美しい花ではない。
一つ一つが幻力を極限まで圧縮された、肉をも容易に削ぎ落とす刃の突風だ。
これを、依織は必死の形相で身をよじって──避けた。
そう。
『避けた』のだ。
絢芽の観察眼は、戦場において誰よりも鋭い。
もし相手が、これまでの灰燼の兵たちのように魔術を無効化する
『反・術式兵装』を身に纏っている、あるいは武器に組み込んでいるのだとすれば、
こんな面倒な回避行動をとる必要はない。
ただ盾を構えるか、受けるだけで、
私の桜の術式は兵装によって消し去られるはずだからだ。
絢芽はその違和感を、すぐにぶつけた。
「……不可解ですね。なんで避けるのですか?
もしかして怖いのですか?」
図星を突かれたのだろう。
依織の動きが一瞬硬くなり、その言葉には明らかな苛立ちと鬱陶しさが滲み出た。
「ええ、そうよ。鬱陶しいわね……!
私と九条様の武器は、古くから伝わる純粋な『神器』。
兵器として量産された反・術式兵装とは格が違うの。
あんな無粋な兵装をこの美しい神器に組み込めれば最高だったのだけれど
……さすがに無理だったわ」
「なるほど。……ですが、その敗北宣言のような言葉を、
私がそのまま素直に信じても良いのでしょうか?」
「好きにしなさいっ!!」
激しい口論を繰り広げながらも、二人の刃は何度も交錯する。
しかし、言葉の応酬とは裏腹に、戦況は残酷なまでに明確だった。
一方は、幻力を急速に回復させながら戦う、天賦の才を持つ「継承者」花菱絢芽。
もう一方は、どれほど練度が高かろうと、限界のある「守護官」伏見依織。
どちらが勝つかは、最初から目に見えていたのだ。
現に、絢芽は北部防衛線で特殊重機と戦い、わずかに幻力を消費していたが、
そんなものは今の圧倒的な実力差の前には些細なハンデに過ぎなかった。
攻防が続くにつれ、依織のステップは目に見えて遅くなり、呼吸が荒れていく。
その動きが完全に鈍くなった一瞬の隙──。
「──これで、終わりです」
鮮やかな桃色の軌跡を描き、絢芽の「桜蘭」が、依織の無防備な胴体を深く切り裂いた。
「が、はっ……!?」
鮮血が白銀の雪原に散り、依織はその場にドサリと崩れ落ちた。
致命傷だ。
薄れゆく意識の中、虫の息となった彼女は、見下ろす絢芽に対して呪詛とも、
嘲笑ともとれる奇妙な言葉を残した。
「……九条様は……必ず、貴方の、大事な彼氏く、んを……こ、ろす、わ……。
あ、と……『二人』……がんば、っ、て……ね……」
意味深な笑みを浮かべたまま、依織の身体は、
まるで最初から実体がなかったかのように、ドス黒い闇の底へと溶けて消えていった。
だが──その直後だった。
ゾクッ!!! と、絢芽の背筋に、今まで経験したことのないような強烈な悪寒が走る。
「っつ!!!」
本能的な恐怖に突き動かされ、絢芽は全力で真後ろへと跳躍した。
その刹那、彼女がたった今まで立っていた場所を、
漆黒のナイフが猛烈な速度で突き刺し、空間を切り裂いた。
土煙と闇の霧の中から這い出てきたのは──信じられないことに、
今さっき肉体を切り裂かれ、完全に消滅したはずの、
傷一つない『伏見 依織』だった。
絢芽は間一髪でその奇襲を凌ぎ切ったものの、その美しい瞳から驚愕の色は隠せない。
「な、んで……っ!? 貴方は今、確実に私に引き裂かれ、死んだはず……っ!」
「ふふ、あはははは! なんで驚いてるの?
──これが、私の持つ『神器』の力よ」
新しく現れた依織は、クスクスと不気味に笑いながら、
つい数秒前に「前の自分」が倒れ、闇に消えた地面へと冷ややかな目を向けた。
「まあ、一人目の私は、
死に際にちょっと余計なことを喋りすぎちゃったみたいだけどね?」
今、目の前に立っている依織。そして、先ほど消えた依織。
絢芽はその混乱の最中、頭の回転を極限まで速め、
依織が残した死に際のセリフが頭に残った。
(──『あと二人、頑張ってね』──。彼女は確かにそう言った。
ということは、目の前にいるこの依織を含めて、
あと二人……合計で三人の彼女を倒せば、今度こそ完全に終わりということ!?)
絢芽は頭の中で瞬時に状況を整理し、敵の能力の全貌を導き出した。
絶望的な継戦能力。だが、絢芽の心が折れることはない。
彼女は凛とした態度を崩さず、不敵に微笑んでみせた。
「さすがは闇の守護官ですね。驚いちゃいました。」
「口が減らないわね小娘。今度こそ、その可愛い顔を切り刻んであげるわ!」
命のストックを持つ不気味な闇の守護官と、それを迎え撃つ桜の継承者。
互いの命とプライドを賭けた、
騙し合いと殺し合いの戦いが、再び幕を開けるのだった。
はい。
分断作戦です。
ちょっと七章は一日一話になっちゃうと思う。
ごめん




