第二話:空白
「ぐ、あぁぁぁ……ッ!!」
総白木造りの厳かな玉座の間に、冷泉柊夜の悲痛な呻き声が響き渡った。
当代最強と謳われる氷の継承者が、床に膝を突き、
自身の胸元を掴んで激しく呼吸を乱している。
彼の胸元に冷たい手のひらを突き立てている里長・雪松氷柱の身体からは、
現代のそれとは比べ物にならないほど濃厚で、
どす黒いまでに青い「初代の幻力」が、柊夜の体内へと注ぎ込まれていた。
「柊夜様……っ!」
絢芽が思わず一歩を踏み出し、その場に駆け寄ろうとする。
しかし、その肩を氷雨の冷徹な手が制した。
「来るな、花菱。今、冷泉の体内では、初代の純血たる幻力が、
既存の術式回路を強引に拡張している最中だ。
部外者が触れれば、その衝撃で回路が破裂する」
「でも……っ! あんなに苦しそうな柊夜様、見たことありません……!」
絢芽は自身の扇「桜蘭」を壊れそうなほど強く握りしめ、
ただ祈るようにその光景を見つめるしかなかった。
「──ふん、この程度の密度で音を上げるか、柊夜」
雪松は冷酷な笑みを浮かべたまま、さらに幻力の出力を高めていく。
「共鳴奇術とは、個の属性を極める魔術ではない。
己の術式回路を他者へと開き、完全に『同調』させることで、
十属性の壁を越えた新たな概念を生み出す神域の技術。
そのためには、己の魂の形、引いては『過去の記憶』の隅々までを完全に把握し、
一切の濁りなく開示せねばならん。──さあ、己の根源を意識しろ。
そして、隣に立つ花菱の娘の波長を捉えるのだ」
「……つ、あ、あぁぁ!」
柊夜は必死に意識を保ち、雪松から流れ込む理を理解しようとした。
脳裏に、自身の過去が走馬灯のように駆け巡る。
北海洲での過酷な修行、冷泉の家系としての重圧、
そして──先ほど列車の中で絢芽が思い出していた、
あの「巨大な桜の木の下」での出会い。
(絢芽を……あの時、泣いていたあいつの手を、俺は……)
共鳴奇術を起動するため、柊夜は絢芽の幻力波長を探り、
同時に自身の記憶の底にある「絢芽との繋がり」を強く意識しようとした。
──その、瞬間だった。
ピキリ、と柊夜の脳内で、ガラスが割れるような不気味な異音が響いた。
「がはっ……!? げほ、ごほっ……!」
突如として、柊夜の術式回路が激しく拒絶反応を起こし、
雪松の幻力を文字通り「弾き飛ばした」のだ。
凄まじい冷気の衝撃波が玉座の間に吹き荒れ、雪松は退屈そうに数歩下がり、
柊夜はその場に激しく血を吐いて崩れ落ちた
「柊夜様!!」
今度こそ制止を振り切り、絢芽が柊夜の元へと駆け寄る。
その身体を抱き起こすと、柊夜の身体は信じられないほど熱く、呼吸は浅かった。
「どういうことだ、雪松。柊夜の回路は完璧だったはず。なぜ拒絶が起きた」
氷雨が愛刀に手をかけながら里長を睨みつけるが、
雪松はただ冷ややかに己の手のひらを見つめ、それから抱き合う二人を見下ろした。
「……なるほどな。壊れているのは術式回路ではない。──貴様たちの『記憶』だ」
「何……?」
柊夜が血を拭いながら、水縹色の瞳で雪松を睨む。
「共鳴奇術は、魂の完全な同調を求める。
だが、今の貴様たちの波長は、ある一点において奇妙に歪み、噛み合わん。
柊夜、そして花菱の娘よ。
貴様ら、自分たちの幼少期の記憶に欠陥があることに気づいていないな?」
「欠陥、ですか……?」
絢芽が戸惑いの声をあげる。 頭をひねる。
思い出すのは、あの雪の日の記憶だ。
泣いていた自分に、柊夜が声をかけてくれて、手を握ってくれた。
その前後は──。
「……あ」
絢芽の顔から血の気が引いた。
なぜ自分は、あの桜の木の下で泣いていたのだろう。
厳格な大人たちに叱られたから?
いや、違う。
もっと根本的な、恐ろしい何かが起きていた気がする。
だが、その「理由」を思い出そうとすると、脳の奥に深い霧がかかったように、
何も見えなくなるのだ。
柊夜もまた、自身の頭を押さえて呻いた。
「俺が……なぜあの時、花の隠れ里にいた……?
北の冷泉が、なぜ他の一族の里へ……」
「気づいたようだな」
雪松は玉座への階段を上り、冷酷に言い放った。
「貴様たちの記憶は、何者かによって都合よく『改竄』、あるいは『封印』されている。
その歪みがある限り、魂の同調など不可能。
共鳴奇術は絶対に完成せん。
国都へ戻るがいい。
時の小僧の力を使えば、あるいはその閉ざされた扉を開けられるかもしれんぞ」
◇
──数時間後。国都・総本殿、地下儀式の間。
「──なるほどね。二人の記憶に、意図的な欠損がある、と」
円卓の中心で、時の継承者・久遠皓は、手にした杖「遡航」を静かに床に突いた。
彼の隣では、影の継承者・零と守護官の幽玄、
そして時東刻成が、複雑な魔術陣を展開している。
「無茶は承知の上だ、皓。俺たちの記憶を開け」
満身創痍のまま国都へ戻った柊夜が、壁に背を預けながら言った。
その隣には、不安げに、しかし決意を秘めた瞳をした絢芽が立っている。
「僕の『時の遡航』は、通常、物質の時間を遡るものだ。
けれど、零の『影』で二人の精神の影を固定し、
僕がその『記憶の時間』へ直接介入すれば
……理論上は、二人の過去の精神世界へ『旅する』ことは可能だよ」
皓はいつになく真剣な表情で、杖を二人の前に掲げた。
「ただし、封印されている記憶を無理やり開くんだ。
凄まじい精神的負荷がかかる。
最悪の場合、過去のトラウマに呑まれて、現在の意識が戻らなくなるかもしれない。
それでも、行くかい?」
「愚問だ」
柊夜は一瞬の躊躇いもなく短く答えた。
「私も、行きます。柊夜様と一緒に、真実を知りたい」
絢芽も強く頷く。
「わかった。──『時の歯車よ、逆行せよ』」
皓が杖を強く振り下ろすと、
地下室全体にカチ、カチ、と無数の時計の秒針の音が鳴り響いた。
金色と漆黒の魔術光が柊夜と絢芽を包み込み、
二人の意識は、一瞬にして深い闇の底へと引きずり込まれていった──。
重力の感覚が消え、光が弾ける。
次に二人が目を覚ました時、
そこは一面に咲き誇る、血のように赤い「夜の桜」の世界だった。
「ここは……花の隠れ里……?」
絢芽が周囲を見渡す。だが、何かがおかしかった。
穏やかで美しいはずの里は、激しい炎に包まれ、無数の悲鳴が響き渡っていた。
「おい、絢芽、見ろ」
柊夜の凍り付いた声に、絢芽が視線を向ける。
そこには、十数年前の、幼い頃の自分たちの姿があった。
そして──その二人の前に立ち塞がっていたのは、赤黒い光を放つ刃を掲げた、
あの最凶の男。
「──あはははは! 綺麗な花だ、氷のガキもまとめて、ここで肉片にしてやろう!」
狂気的な笑い声をあげる、若き日の九条冥の姿が、そこにあった。
また出てきたよ冥。
出したくねえ




