第9話 初陣と昇級
倉庫拡張の進行を確認したあと、ミオはクロウと指揮所へ戻っていた。
窓から拠点全体を見ていた時、北の森に赤い印が浮かんだ。
最初は、木々の間に差し込んだ光だと思った。
だが、赤いものはその場に留まらず、森の奥をゆっくりと動いていた。
一つではない。
重なったり離れたりしながら、採取ポイントのある方角へ近づいている。
ミオが目を凝らすと、表示は一度薄くなった。
木々の間に、人の形が見える。
人数までは読めない。
ただ、エルク拠点や所属ユニットに浮かぶ青白い表示とは、明らかに色が違っていた。
「クロウさん」
部屋の中央では、クロウが管理画面を確認していた。
「北の森に、赤いものがあります」
黒い兜が窓へ向く。
「どの辺りだ?」
ミオは森を指さした。
「採取ポイントより奥です。動いています」
クロウは空中へ手を伸ばす。
何もない場所へ指を滑らせ、数度操作した。
「敵性反応だな」
「敵がいるんですか」
「ああ。七体」
ミオに見える赤い印は、まだ一つずつ分かれていない。
クロウには、数まで見えているらしい。
「山賊ですか」
「たぶんな。前の連中の残りだろ」
クロウは画面を閉じるように手を払った。
壁際に立てていたハルバードを取る。
山賊がいると分かった直後には、もう外へ出る準備を終えていた。
「今から行くんですか」
「採取班が襲われる前に処理する」
採取班は今日も森で作業している。
木材や薬草、糧食を持ち帰るためだ。
彼らは命じられた作業を止めない。
敵が近づいても、自分から逃げることはないのかもしれない。
「採取班は戻した方がいいですよね」
「ああ。戦闘用じゃない」
クロウは指揮所を出た。
ミオも後を追う。
外では、労働ユニットが倉庫の拡張を続けていた。
木槌の音が、一定の間隔で響いている。
クロウが空中へ指を動かした。
「採取班、帰還」
森の中にいる者へ、どうやって命令が届いたのかは分からなかった。
だが、ミオの視界に新しい表示が浮かぶ。
《採取ユニット 帰還中》
北側に見えていた青白い印が、拠点へ向かって動き始めた。
それを追うように、赤い印も近づいている。
「追われています」
ミオの声が強くなった。
「赤い表示が、採取班に近づいてます」
「間に合う」
クロウは門前へ向かった。
農民兵が八体、左右に分かれて立っている。
「六体、ついてこい。二体は門を守れ」
命令を受け、六体が槍を持って列を作った。
残る二体は門の左右へ戻る。
「この人たちを戦わせるんですか」
「ああ。実戦確認もする」
農民兵に変えられてから、彼らは一度も戦っていない。
門を守り、訓練場で槍を構えていただけだった。
「戦ったことがあるんでしょうか」
「農民兵になってからは初陣だ」
クロウは六体へ兜を向けた。
「だから連れていく」
兵士たちの顔に変化はない。
山賊がいると聞いても、槍を持つ手は震えていなかった。
山賊が村へ来た日、同じ男たちは門の後ろに隠れていた。
誰も前へ出なかった。
村を守る代わりに、ミオを差し出した。
今は、クロウの命令だけで山賊のいる森へ向かおうとしている。
「ミオ」
黒い兜がこちらへ向く。
「戦闘表示が見え始めてる。来るなら後列にいろ」
来いという命令ではなかった。
実際の敵を使って、見える表示を確認させるつもりなのだろう。
ミオは森を見た。
赤い印は、先ほどよりも近い。
実際の姿はまだ見えない。
それでも、そこに敵がいることだけは分かる。
怖かった。
山賊に腕をつかまれた感触を思い出す。
すぐには殺さないと笑った男の顔も、まだ忘れていない。
ミオは外套の端を握った。
クロウから渡された装備。
布にしか見えなくても、普通の服より強いと言っていた。
納屋へ閉じ込められていた時とは違う。
今は、敵が近づいていることも分かる。
クロウもいる。
兵士もいる。
「行きます」
「分かった」
クロウはそれ以上確認しなかった。
門が開く。
農民兵四体が先頭に立った。
クロウがその後ろに続き、ミオはさらに後ろを歩く。
残る二体の農民兵が、ミオの左右についた。
北の森へ近づくと、採取ユニットが戻ってきた。
背負った籠には、枝や薬草が入っている。
敵に追われているはずなのに、急いでいる様子はない。
決められた歩調のまま、拠点へ向かっていた。
「採取班を先に通す」
クロウが言った。
先頭の農民兵が左右へ開き、道を空ける。
採取ユニットはその間を通り抜けた。
誰も山賊のことを訴えない。
助けを求める声も上げない。
帰還命令だけに従い、そのままエルク拠点へ向かっていく。
最後の一体が通り過ぎた直後、森の奥から枝を踏む音が聞こえた。
「止まれ!」
男の声が響く。
木々の間から、人影が現れた。
革鎧を着た男。
短い剣を持つ男。
手斧や弓を持った者もいる。
七人。
クロウが言った数と同じだった。
服や装備は、村を襲った山賊たちと似ている。
先頭の男が、黒い鎧と農民兵を見て足を止めた。
「なんだ、こいつら」
別の男が、遠ざかる採取班を見た。
「あいつら、村の連中だろ」
「変な格好になってやがる」
声を聞いた瞬間、ミオの呼吸が浅くなった。
耳の奥で、あの日の笑い声が重なる。
痩せている。
食わせれば働ける。
いなくなっても問題ない。
頭では、あの日とは別の山賊だと分かっている。
それでも身体は同じものとして反応した。
ミオは一歩下がる。
左右にいた農民兵が、同時に半歩前へ出た。
「ミオ」
クロウの声が聞こえる。
「赤い表示は残ってるか?」
ミオは農民兵の間から山賊を見た。
剣を持つ手。
こちらを値踏みする顔。
人の姿に意識を向けると、赤い線が浮かび上がった。
今度は、一人ずつを囲んでいる。
頭上には、揺れる文字があった。
《敵性ユニット 七体》
「見えます」
声が掠れた。
「七人とも、赤いです」
「なら、その表示を見てろ」
クロウがハルバードを構える。
「前へ出ろ」
ミオの左右にいた二体も、ほかの農民兵のもとへ移動する。
六体はクロウの前で、三体ずつ左右に分かれた。
ミオの前には、黒い鎧だけが残った。
槍の穂先が揃って前を向く。
先頭の山賊が剣を抜いた。
「仲間をやったのは、お前か」
クロウは答えなかった。
先頭の男が苛立ったように剣を構える。
クロウの兜は、山賊の人数と武器を確認するように動いている。
言葉が聞こえていないわけではない。
返す必要がないのだ。
「弓が一。右に一体」
右側の農民兵が前へ出た。
森の奥へ回ろうとした山賊の進路を塞ぐ。
迷いのない動きだった。
山賊の一人が舌打ちする。
「ただの農民じゃねえぞ」
「関係あるか。やっちまえ!」
山賊たちが散った。
弓を持った男が後ろへ下がる。
前の者たちが武器を構え、一人が木々の間を回ろうとする。
ミオの視界で赤い枠が動いた。
木の陰へ隠れても、輪郭だけは薄く残っている。
山賊が駆け込んでくる。
剣を振り上げた男へ、三本の槍が同時に向いた。
男は足を止め、横へ避けようとする。
そこへ別の農民兵が踏み込み、槍を突き出した。
男が地面へ倒れる。
農民兵は倒れた相手を見なかった。
槍を引き、すぐに次の敵へ向ける。
手斧を持った山賊が、倒れた仲間を見て顔を歪めた。
怒鳴り声を上げ、農民兵の一体へ斧を振り下ろす。
兵士は槍の柄で受けた。
衝撃で体勢を崩し、腕の防具が欠ける。
隣の兵士がすぐに槍を突き出し、手斧の男を下がらせた。
傷を受けても、農民兵たちの動きは止まらない。
山賊が横へ回ろうとすると、二体の農民兵が同時に位置を変え、その進路を塞いだ。
山賊たちの動きには、まとまりがない。
対して、農民兵は六体で一つの陣形を保っていた。
ミオの視界にも、青白い枠が浮かぶ。
《農民兵 六体》
弓の弦が鳴った。
矢が農民兵の間を抜け、クロウへ向かう。
黒い鎧がわずかに動く。
矢は肩の装甲へ当たり、弾かれて地面へ落ちた。
クロウは矢を見なかった。
農民兵の列の横から前へ出る。
「前列は維持」
山賊が二人、同時にクロウへ襲いかかった。
剣を避ける。
振り下ろされた手斧の外側へ踏み込み、ハルバードの斧刃を横へ走らせた。
手斧の男が倒れる。
クロウは止まらない。
剣を持った山賊が振り返るより先に、返した斧刃が肩口を薙いだ。
赤い枠が二つ消える。
《敵性ユニット 四体》
ミオは息を呑んだ。
人が倒れた。
そう考えるより先に、表示が減ったと思ってしまった。
地面には男たちが倒れている。
それでも、ミオの視線は残った四つの赤い枠を追っていた。
「弓を止めろ」
クロウの命令で、農民兵二体が列を離れる。
弓を持つ山賊へ向かって走った。
山賊は慌てて矢をつがえる。
指が震え、弦へうまく掛からない。
「来るな!」
放たれた矢の一本は外れた。
もう一本が農民兵の胴衣へ刺さる。
兵士の身体が止まった。
ミオの胸が強く鳴る。
「大丈夫なんですか」
「まだ動ける」
クロウは敵から目を離さない。
矢を受けた農民兵は、再び前へ出た。
動きは鈍っている。
それでも後ろへ逃げない。
もう一体と並び、槍を突き出す。
弓の男は剣を抜く間もなく倒れた。
赤い枠が一つ消える。
《敵性ユニット 三体》
残った山賊たちが動揺した。
二人が別々の方向へ走り出す。
最後の一人だけが農民兵へ剣を振るった。
「追撃。負傷個体は待機」
矢を受けた農民兵が足を止める。
二体が逃走した山賊を追った。
残る三体は、剣を振るう山賊の周囲を塞ぐ。
森の奥から短い叫び声が聞こえた。
赤い印が一つ消える。
少し遅れて、もう一つ。
最後に残った山賊は、三体の農民兵に囲まれていた。
男は剣を捨てた。
両手を上げ、地面へ膝をつく。
「待ってくれ」
農民兵は槍を向けたまま止まった。
命令がないため、攻撃しない。
山賊はクロウを見る。
「降参する。もう逆らわねえ」
クロウが近づく。
赤い枠は消えていなかった。
「仲間がいる場所も教える。砦も、隠してる物もだ」
黒い兜がわずかに動く。
「他にもいるのか?」
「あ、ああ。北西に古い砦がある。まだ仲間が残ってる」
「場所は?」
「案内する。だから助けてくれ」
クロウは空中へ手を伸ばした。
何もない場所へ指を動かす。
ミオの視界にも、北西へ伸びる細い赤線が一瞬だけ見えた。
線の先には、輪郭の定まらない赤い滲みがある。
読み取れる文字はなかった。
「位置情報は取れた」
クロウが言った。
山賊の顔に安堵が浮かぶ。
「なら――」
ハルバードの斧刃が動いた。
声は最後まで続かなかった。
最後の赤い枠が消える。
《敵性ユニット 零体》
森の中が静かになった。
農民兵は槍を持ったまま、次の命令を待っている。
クロウは倒れた山賊を見下ろさない。
空中へ手を伸ばし、先ほど得た情報を確認していた。
「残党の拠点があるらしいな」
ミオは最後の山賊が倒れた場所を見る。
武器を捨てていた。
情報も話した。
それでも、クロウは助けなかった。
「捕まえておくことは、できなかったんですか」
「山賊はユニット化できない」
クロウは北西の森へ兜を向けたまま答えた。
「連れて帰る意味がない」
「でも、もう抵抗していませんでした」
「敵性表示は消えてなかっただろ」
言われて、ミオは思い出す。
山賊が膝をついても、赤い枠は残っていた。
剣を捨てても。
両手を上げても。
情報を話しても。
最後まで敵と表示されていた。
「赤いままでした」
「ああ」
それだけだった。
クロウの声に、怒りも憎しみもない。
敵として表示されていたから処理した。
それ以上の理由は必要ないのだろう。
ミオは倒れた山賊たちを見る。
怒鳴っていた者。
逃げようとした者。
命乞いをした者。
少し前まで、それぞれ別の顔があった。
表示が出ている間は、全員が赤く囲まれていた。
今は一つも残っていない。
人が七人倒れた場所にいる。
それなのに、山賊へ連れていかれそうになった時ほど身体が震えていなかった。
クロウが前にいるからなのか。
農民兵が守っているからなのか。
最初から敵として見えていたからなのか。
ミオには分からなかった。
「負傷を確認する」
クロウの声で、農民兵が集まる。
矢を受けた一体の表示が薄く点滅している。
もう一体は、腕の防具が欠けていた。
残る四体に、大きな損傷はない。
クロウは二体の状態を確認した。
「歩行可能。帰還後に処置しろ」
命令を受け、農民兵が列を作る。
損傷のある二体も、自分から列を離れない。
ミオはその後ろについた。
森を出る前に、一度だけ振り返る。
赤い表示はない。
倒れた山賊だけが残っている。
彼らが人間ではないと思えたわけではなかった。
ただ、赤い表示が出ていた時は、山賊という言葉よりも《敵性ユニット》という文字の方が先に目へ入った。
その方が、怖くなかった。
襲ってくる理由を考える必要もない。
敵なら、敵として見ればいい。
ミオは森から視線を外した。
前を歩く農民兵の頭上には、青白い枠が出ている。
《農民兵 六体》
そのうち一つだけが、薄く点滅していた。
矢を受けた兵士だ。
誰なのかより先に、負傷した一体だと思った。
ミオは唇を噛んだ。
それでも、表示を消さなかった。
今は、全員が拠点へ戻れるかを確認する方が大事だった。
門が見える。
守りに残っていた農民兵が横木を外した。
村人たちが見守る中、戦闘へ出た六体は列を崩さず兵舎へ向かった。
ミオの視界に新しい文字が浮かぶ。
《戦闘完了》
その下に、もう一つの表示が続いた。
《農民兵 経験値獲得》
さらに、六体のうち三体だけが淡く点滅する。
《昇級可能 三体》
兵舎へ着くと、矢を受けた農民兵は列から離れた。
自分で胴衣に刺さった矢を引き抜き、傷口へ布を当ててきつく巻く。
誰かに助けを求めることも、手を止めることもなかった。
クロウは手を貸さず、空中の画面で兵士たちの状態を確認している。
処置を終えた農民兵は、再び兵舎の前へ並んだ。
「三体か。初戦なら悪くないな」
ミオは点滅する三体を見た。
一体は、先ほど矢を受けた兵士だった。
「昇級すると、どうなるんですか」
「農民兵より上の兵種へ変えられる」
クロウが空中の画面を確認する。
「今は軽装槍兵だな」
ミオの視界にも、一瞬だけ文字が浮かぶ。
《軽装槍兵》
「別の兵士になるんですか」
「槍兵として一段上がるだけだ」
クロウには、簡単な装備変更にしか見えていないのだろう。
ミオは負傷した農民兵を見る。
「怪我をしていても、できるんですか」
「動けない状態なら外す。この程度なら昇級できる」
兵士本人が昇級したいと望んだわけではない。
全てクロウが決める。
農民兵は、選択されるのを待っているだけだった。
クロウが昇級可能な三体を選ぶ。
青白い枠が強くなった。
兵士の後ろにいた村人たちが騒ぎ始める。
一人の女が、矢を受けた農民兵を見ていた。
「怪我をしているなら休ませて!」
クロウは反応しなかった。
見えない画面へ指を滑らせる。
「軽装槍兵へ昇級」
三体の足元から、白い光が立ち上がった。
身につけていた布中心の防具が形を変える。
胸と肩へ革が重なり、その上へ小さな金属板が取りつけられた。
腕と脚の防具も厚くなる。
頭には、額と側頭部を守る簡素な兜が現れた。
短い槍が消える。
代わりに、背丈を大きく超える長槍が握られた。
装備だけではない。
三体の背筋が伸び、腕や肩の形がわずかに変わっていく。
光が収まった。
そこに立っていた三体は、もう武器を持たされた村人には見えなかった。
同じ兜。
同じ防具。
同じ長槍。
矢を受けた男の傷は消えていない。
新しい胴衣の脇から、傷口に巻かれた布がわずかに覗いていた。
《軽装槍兵 三体》
残る三体には、以前と同じ表示が浮かんでいる。
《農民兵 三体》
女が、軽装槍兵となった男の名を呼んだ。
男は振り返らなかった。
クロウが命じる。
「軽装槍兵、三歩前へ」
三体が同時に動く。
長槍を立て、同じ歩幅で三歩進んだ。
足を止める位置まで揃っている。
「構え」
三本の長槍が一斉に下がった。
穂先が同じ高さで前を向く。
農民兵だった時よりも、壁のように見えた。
クロウは動きを確認し、短く頷く。
「門へ移動。農民兵は後列につけ」
六体が列を作った。
前に軽装槍兵。
後ろに農民兵。
女の横を通り過ぎても、誰一人として顔を向けなかった。
「元の人には、戻らないんですか」
クロウの手が止まる。
「何にだ?」
「兵士になる前です」
ミオは門へ向かう列を見る。
家族に呼ばれても答えない。
家へ戻ろうともしない。
顔は同じなのに、装備も身体つきも変わっている。
「畑で働いていた時の、この人たちには」
「戻す意味がない」
クロウは短く答えた。
「兵士として経験を得たのに、農民へ戻せば戦力が減る」
「でも、家族がいます」
「配置には関係ない」
迷いのない返事だった。
「兵が必要だから兵にした。昇級できるなら上げる。それだけだ」
ミオは何も言えなかった。
クロウにとって、兵士になる前の生活は考える必要がない。
家族に呼ばれても答えないことも。
戻りたいかもしれないという可能性も。
表示には出ない。
兵種。
人数。
装備。
経験。
クロウが見ているのは、それだけなのだろう。
門前へ着くと、守りに残っていた二体の農民兵も隊列に加わった。
長槍を持った三体が前へ立ち、五体の農民兵がその後ろを固める。
拠点は、以前より安全になった。
その代わりに、村人だった姿がまた一つ遠くなった。
ミオの視界には、名前の代わりに兵種だけが残っていた。




