第10話 支配地
エルク拠点の朝は、決まった音から始まるようになった。
門が開く音。
厨房で火を起こす音。
倉庫から糧食を運ぶ足音。
少し遅れて、採取ユニットが森と川へ向かう。
労働ユニットは工具を持ち、前日に命じられた場所へ移動する。
農民兵と軽装槍兵は、交代で門と柵を守っていた。
誰かが大声で呼びかける必要はない。
役割を与えられた者たちは、決められた作業を迷わず始める。
遅れる者も、何をすればよいのか尋ねる者もいなかった。
ミオは指揮所の窓から、その様子を見ていた。
視界には、薄い表示が浮かんでいる。
《エルク拠点》
以前より文字の輪郭がはっきりしていた。
意識を向ければ、各施設の状態も見える。
厨房。
倉庫。
兵舎。
宿舎。
採取ユニットが向かう森と川。
数字までは読めない項目も多い。
それでも、どこが動いていて、どこで人手が足りないのかは分かるようになっていた。
「厨房の列が詰まってるな」
隣に立つクロウが言った。
ミオも厨房を見る。
朝食を受け取るため、住民たちが建物の前へ並んでいた。
厨房で食事を配っているのは、二体の厨房ユニットだった。
一体が木椀へ粥を入れ、もう一体がパンを渡している。
列は広場の中央近くまで伸びていた。
「厨房ユニットが足りないと思います」
ミオが意識を向けると、厨房の上に文字が浮かんだ。
《厨房ユニット 二体》
その下で、小さな表示が点滅している。
《処理遅延》
「二体では間に合っていません」
「ああ。一体増やす」
クロウは空中へ手を伸ばした。
広場の端にいた女の足元へ、淡い枠が現れる。
女は驚いて周囲を見た。
「何ですか」
クロウは答えず、画面を操作する。
女の周囲へ白い光が集まり始めた。
「待ってください。私は料理なんて――」
「厨房ユニットで確定」
女の声が途切れた。
服の上へ丈夫な作業着が重なり、手には木匙が現れる。
光が消えると、新たな厨房ユニットは何も言わず、厨房へ向かった。
先に働いていた一体からパンの入った籠を受け取り、配給を始める。
《厨房ユニット 三体》
列の進み方が速くなった。
《処理遅延》
表示が薄くなり、やがて消えた。
「直りました」
「ああ」
クロウはすでに別の場所を見ていた。
女が厨房で働きたかったかどうか。
何を考えていたのか。
そうしたことは確認しない。
列が進み、食事が配られるなら、それで問題はないらしい。
ミオは厨房の前へ並ぶ住民たちを見た。
不満を口にする者はいる。
クロウを睨む者もいた。
それでも順番を守って並び、木椀を受け取れば、宿舎や広場へ移動して食べ始める。
食事を与えられない者はいなかった。
前日に働かなかった者にも。
クロウへ抗議した者にも。
村長だった男にも、同じ量が渡されている。
「全員に配るんですね」
「拠点内の住民だからな」
クロウが答えた。
「空腹状態が増えると、作業効率と治安が落ちる」
「働いていない人にも?」
「今は役割を与えていないだけだ。後で使う」
善意ではなかった。
誰も飢えさせたくないわけではない。
動ける状態を維持するために食べさせている。
それでも、食事は毎日配られていた。
水も飲める。
寝床もある。
雨が降っても、屋根の下で眠れる。
拠点にいる者には、最低限の生活が与えられる。
少なくとも、誰かの好き嫌いだけで食事や寝床を取り上げられることはなかった。
それだけのことを、村人たちはミオに与えなかった。
ミオは列の中に、村長だった男を見つけた。
男は木椀を受け取ったあとも食事へ手をつけず、クロウを睨んでいた。
「こんなものを与えれば、従うとでも思っているのか」
男の声は、広場にいる者たちにも聞こえた。
「家を奪い、家族を引き離し、男たちを兵に変えた。食べ物を配れば、それで許されると思うな!」
クロウは振り向かなかった。
空中へ指を動かし、倉庫の状態を確認している。
村長だった男の言葉は、クロウにとって返事をする必要のない抗議なのだろう。
言っていることは間違っていない。
住民たちは自由に家を使えない。
勝手に外へ出ることもできない。
農民兵や採取ユニットになった者は、家族に呼ばれても返事をしない。
食事だけで許されることではなかった。
ミオにも、それは分かっていた。
それでも、別の言葉が胸の中に浮かんだ。
自分には、その食事すら与えなかった。
冷たい粥が出ても、毎日ではなかった。
水を求めても、井戸から追い払われた。
村人たちは倉庫に食料を持っていた。
村長の家には温かい食事があった。
それでも、ミオには渡さなかった。
「ミオ」
クロウの声で、ミオは顔を上げた。
「どうした」
「何でもありません」
村長だった男は、まだ木椀を持っていた。
食べようと思えば食べられる。
誰も取り上げない。
今ここで食べなかったからといって、次の食事まで抜かれるわけでもない。
どうして。
毎日食事を受け取れるのに。
どうして、自分には何も与えなかったのか。
疑問は、すぐに答えへ変わった。
村の一員として認められていなかったから。
役に立つ相手だと思われていなかったから。
いなくなっても問題ないと判断されていたから。
しばらくすると、村長だった男は広場の端へ移動した。
腰を下ろし、黙って粥を口へ運び始める。
不満があっても。
自由を奪われても。
腹が減れば、配られたものを食べる。
ミオはその姿から目を逸らした。
以前なら、もう少し胸が痛んだかもしれない。
今は、かわいそうだと思うより先に、食べられるだけましだと思ってしまった。
そんな考え方をする自分が嫌だった。
それでも、村長だった男を以前と同じようには見られなかった。
「次は倉庫だ」
クロウが歩き出す。
ミオも後を追った。
倉庫は拡張を終えていた。
以前より奥行きが増え、壁際には棚が並んでいる。
採取ユニットが運び込んだ物資は、入口で種類ごとに分けられていた。
枝や丸太は木材。
川辺から運ばれた石は石材。
食べられる実や魚は糧食。
摘み取られた草は、薬草と繊維へ分かれる。
古い工具や壊れた金具も、別の箱へまとめられていた。
ミオが意識を向けると、物の形より先に表示が見える。
《木材》
《石材》
《鉄材》
《糧食》
《薬草》
《繊維》
六つの分類だった。
「昨日より糧食が増えています」
「採取量が消費を上回り始めたな」
「このままなら、なくなりませんか」
「採取地点が使える間はな」
クロウは棚の間を進み、搬入された量を確認する。
「住民を増やせば、また足りなくなる」
「増やすんですか」
「拠点を広げるなら必要になる」
どこから増やすのか。
ミオは尋ねかけて、やめた。
周囲の村。
街道を通る者。
この世界には、エルク村以外にも人がいる。
クロウがそこまで見ているのかは分からない。
ただ、この拠点だけで終わるつもりではないことは、少しずつ伝わってきていた。
倉庫の奥では、三人の住民が荷物を棚へ運んでいる。
ユニット化されてはいない。
声を掛け合いながら作業し、時々クロウの様子をうかがっていた。
ミオが棚へ意識を向けると、収められている物の分類が見える。
木材。
石材。
鉄材。
糧食。
薬草。
繊維。
物の名前を一つずつ覚えていなくても、どこへ置くべきかは表示から判断できそうだった。
「表示は読めるか?」
クロウが尋ねた。
「はい。何をどの棚へ入れるのかも、少し分かります」
「なら、明日から搬入物の分類を見ろ」
「私が指示するんですか」
「ああ。置き場所を伝えればいい」
ミオは倉庫で働く住民たちを見た。
山賊へ差し出されたよそ者。
納屋へ閉じ込められていた女。
そのミオから置き場所を指示されれば、素直に従うとは思えない。
「私の言うことを聞くでしょうか」
「兵を一体つける」
クロウは簡単に答えた。
「作業が止まったら呼べ。それ以外はミオが判断しろ」
安心できる言葉ではなかった。
クロウを呼べば、何をするのかは分かっている。
邪魔なら処理する。
必要なら役割を固定する。
それでも、表示を見て置き場所を伝えるだけなら、自分にもできるかもしれない。
「分かりました」
返事をすると、黒い兜が一度だけ頷いた。
倉庫を出たあと、二人は拠点の中を歩いた。
補強された柵。
閉めれば外から簡単には開けられない門。
農民兵と軽装槍兵が待機する兵舎。
乾いた寝床が並ぶ宿舎。
食事を出す厨房。
清潔な水を汲める井戸。
以前の村にも、建物はあった。
井戸も、倉庫も、畑もあった。
だが、それぞれが家や個人のために使われていた。
誰かが多く持ち、誰かには与えない。
村の一員だと認められなければ、何も使わせてもらえない。
今は違う。
全てが拠点のものだった。
誰が何を使うかは、役割で決まる。
兵士には食事と装備。
採取ユニットには道具と籠。
労働ユニットには工具。
厨房ユニットには調理道具。
まだ役割の決まっていない住民にも、一般糧食と寝床。
プレイヤーであるミオには、別の食事と部屋がある。
優しい仕組みではない。
自由もない。
それでも、誰かの気分だけで全てを取り上げられることはなかった。
「支配状態は安定したな」
クロウが言った。
ミオの視界に、今まで見えなかった表示が浮かぶ。
《支配地 エルク》
《維持状態 安定》
文字の下には、青白い線で囲まれた範囲があった。
村の柵だけではない。
北の森。
西の川。
採取ユニットが往復する道。
兵士たちが巡回する周辺まで、同じ枠の中へ入っている。
「これが、支配地ですか」
「ああ」
「拠点だけじゃないんですね」
「採取地点と道を守れれば、まとめて使える」
クロウは北西へ続く森を見た。
山賊砦があるという方角だった。
「次は、もう少し広げる」
その言葉に、ミオの胸が少しだけ重くなる。
けれど、以前のように何も分からない恐怖ではなかった。
支配地を広げる。
採取地点を増やす。
資源を集める。
兵士と施設を整える。
クロウが何をしようとしているのか、管理画面の表示から少しずつ追えるようになっていた。
クロウは指揮所へ向かって歩き出した。
ミオはその背中を追う前に、広場を振り返った。
住民たちは食事を終え、それぞれの場所へ移動している。
納得して従っている者はいないのかもしれない。
それでも食べ、眠り、決められた仕事をする。
決められた秩序の中にいれば、生活できる場所だった。
村長だった男も、空になった木椀を返し、宿舎へ戻ろうとしている。
もう、以前ほどかわいそうだとは思えなかった。
自分に与えなかったものを、彼らは今、毎日与えられている。
その事実を思えば、胸に残っていた同情は静かに薄れていった。
代わりに、視界へ表示が浮かぶ。
《維持状態 安定》
明日から、自分の判断で住民へ指示を出す。
ミオは表示を消さないまま、クロウの後を追った。




