第5話 エルク拠点
村の中央には、平らな空き地があった。
普段は荷車を止めたり、収穫した穀物をまとめたりする場所だった。
クロウは空き地の中央まで進むと、周囲を見回した。
門。
柵。
井戸。
倉庫。
家々と畑へ続く道。
黒い兜が、一つずつ確かめるように動いていく。
ミオは少し離れた場所で足を止めた。
背後では、農民兵八体が門を守っている。
徴兵された男たちは、もう村長の指示を待っていなかった。
残された村人たちは、家の前や道の端に固まっている。
クロウから離れたいのだろう。
けれど、村の外へ出ようとする者はいなかった。
門には農民兵が並んでいる。
「ここで何をするんですか」
ミオが尋ねると、クロウは空中へ手を伸ばした。
「拠点登録だ」
「村を、ですか」
「ああ。徴兵だけしても、維持できなければ意味がない」
指先が何もない場所を滑る。
ミオには画面が見えない。
ただ、クロウが選択肢を確認しているらしいことだけは分かった。
「水源あり。備蓄あり。防衛要員も確保済み」
クロウが低く呟く。
「初期拠点としては十分だな」
村長が人垣の中から声を上げた。
「ここは我々の村だ」
クロウは反応しなかった。
「兵を奪っただけでは足りないのか」
村長の声が震える。
「今度は村まで奪うつもりか!」
クロウは空中に向けていた手を下ろした。
村長は返事を待っている。
だが、黒い兜は村長ではなく、井戸と倉庫の方を向いていた。
「倉庫の位置が少し悪いな」
それだけ言って、クロウはハルバードを両手で持った。
石突を地面へ立てる。
金属が硬い土へ触れた。
重い音が、空き地に響く。
村人たちが身を強張らせた。
「何を――」
村長の言葉が途中で止まる。
ハルバードの石突を中心に、細い光が地面を走った。
円を描くように広がり、空き地の端へ届く。
そこから光は何本にも分かれた。
一本は門へ。
一本は井戸へ。
別の光は倉庫と家々の間を抜け、柵に沿って村全体を囲んでいく。
ミオの足元にも光が通った。
驚いて足を上げる。
熱さも痛みもない。
地面の上を滑るだけだった。
光は門の外へは出なかった。
村の境界をなぞるように一周し、最後にクロウの立つ空き地へ戻ってくる。
空中へ文字が浮かんだ。
ミオには内容が見えない。
クロウだけが表示を読んでいる。
「条件達成」
クロウが言った。
「初期拠点補正も使えるな」
「補正?」
「最初の拠点だけ、最低限の施設が自動で整う」
クロウは村の建物へ兜を向けた。
「使える建物を流用して、足りない機能を追加するだけだ」
再び空中へ指を伸ばす。
「拠点化を開始する」
光が強くなった。
《初期拠点補正 適用》
《基本施設 自動配置》
最初に変わり始めたのは、村の門だった。
傾いていた門柱へ光が集まる。
木の軋む音とともに柱が起き上がり、歪んでいた門扉が枠の内側へ収まっていく。
誰も触れていない。
粗末な門の表面へ厚い板が重なり、錆びた金具が外れて、黒い金属の留め具へ置き換わった。
左右の柵にも光が走った。
高さの揃っていなかった杭が、一定の間隔に並び直す。
隙間は細い板で塞がれ、外側には斜めに尖った木が取りつけられていった。
村人たちから悲鳴が上がった。
家の前にいた女が、壁へ手をつく。
「家が……」
建物も変わり始めていた。
全てが新しくなったわけではない。
古びた壁や屋根は、そのまま残っている。
だが、腐っていた板が外れ、まだ使える板へ置き換わる。
屋根の穴が最低限塞がれ、歪んでいた戸が枠へ収まった。
道へ突き出していた小屋の一部が取り外され、空いた場所に通路が通る。
土の道の両端には浅い溝が作られた。
道に残っていた水溜まりから、濁った水が流れていく。
ミオは何も言えず、その光景を見ていた。
家を一つ直すだけでも、村人たちは何日もかけていた。
それが今は、クロウが地面へ武器を立てただけで変わっていく。
「本当に、全部勝手に直るんですか」
「最低限だけだ」
クロウはハルバードから手を離していない。
「本格的な修理や増築には、資源と作業要員が要る」
空き地の東側で、古い物置の壁が動いた。
中にあった荷物が外へ押し出され、建物の内部が整理されていく。
壁には棚が作られ、入口には大きな扉が取りつけられた。
ばらばらに置かれていた木箱や穀物袋が、種類ごとに分けられて棚へ収まる。
「倉庫」
クロウが言った。
今度は反対側の建物へ光が集まった。
使われていなかった家には、大きな竈と調理台が作られる。
壁際には水桶と、食器を置くための棚が並んだ。
「厨房」
その隣の広い家では、床に積まれていた荷物が運び出された。
代わりに、同じ形の寝台がいくつも並ぶ。
厚い布を張っただけの簡素なものだったが、湿った藁の上よりはずっとましに見えた。
「宿舎」
門の近くでは、細長い建物が形を変えた。
槍を立てる棚。
装備を置く台。
壁に沿って並ぶ寝台。
農民兵のための場所なのだと、ミオにも分かった。
「兵舎」
クロウが施設名を口にするたび、村が別のものへ変わっていく。
これまでは、誰がどの家を使うかは家族ごとに決まっていた。
食料も道具も、それぞれの家で管理していた。
井戸の水を誰に使わせるかも、村人たちが決めていた。
今は違う。
食料は倉庫へ運ばれた。
調理をする場所は厨房へまとめられた。
兵士は兵舎へ移される。
それ以外の者が使う寝床は、宿舎へ集められていく。
村の暮らしそのものが、施設ごとに組み替えられていた。
「勝手に食料を持っていくな!」
倉庫の前で、男が叫んだ。
光に押されるように動いていた穀物袋へ手を伸ばす。
「それは俺の家のものだ!」
袋を引き戻そうとしても、動きは止まらない。
男は引きずられながら、両腕で袋へしがみついた。
倉庫の入口へ到着したところで、クロウが口を開いた。
「備蓄から離せ」
門前の農民兵が一体、倉庫へ歩いてくる。
農民兵は男の腕をつかみ、袋から引き離した。
「離せ!」
男が殴りつけても、農民兵は反応しなかった。
腕を押さえたまま、倉庫の入口から遠ざける。
「俺だ! 兄貴だぞ! 分からないのか!」
農民兵は答えない。
決められた位置まで男を移動させると、倉庫の前へ戻って立った。
男はその場に座り込み、変わってしまった兵士を見上げていた。
ミオは視線を逸らした。
農民兵となった八体は、村人の言葉を聞かない。
それでも、村を守るためには動く。
山賊が来ても逃げない。
クロウが命じれば、門に立ち続ける。
「備蓄は全部、倉庫へ入るんですか」
「ああ」
クロウは答えた。
「各自に持たせるより管理しやすい」
「村の人たちが、自分で使いたい時は?」
「必要な分は厨房と倉庫から出す」
「勝手には使えないんですか」
「勝手に持ち出されたら管理できないだろ」
クロウの声には、疑問を向けられたことへの苛立ちもなかった。
鍵のかからない倉庫を不便だと言うのと同じ調子だった。
「でも、あの人たちの食べ物です」
「今は拠点の備蓄だ」
クロウは短く答える。
話は終わったようだった。
ミオは倉庫へ運ばれていく穀物袋を見た。
これまでも、村人たちはミオへ食料を自由に与えなかった。
倉庫には穀物があった。
干し肉も保存した野菜もあった。
それでもミオに渡されたのは、水の多い冷えた粥だけだった。
今度は、村人たち自身が勝手に食料を使えなくなっている。
同じだと思った。
けれど、同じではない。
ミオは何の役割も与えられず、余った食事を渡されていただけだった。
この拠点では、食料をまとめて、決められた分を全員へ配るらしい。
少なくとも、誰かの気分で一日何も与えられないことはないのかもしれない。
そう考えた自分に気づき、胸が重くなった。
「井戸も変わってる」
クロウの声に、ミオは顔を上げた。
井戸の周囲には石が積まれ、地面から一段高くなっていた。
朽ちかけていた蓋は別の板へ変わり、汲み上げ用の滑車も取りつけられている。
井戸から溢れた水が道へ広がらないよう、細い水路まで作られていた。
クロウは井戸へ近づき、桶を下ろした。
水を汲み上げる。
兜を外して飲むことはせず、桶の中を見ただけだった。
「水質は問題ない」
ミオは井戸の前で立ち止まった。
この村へ来てから、自由に近づくことを許されなかった場所だった。
勝手に水を飲むな。
桶に触るな。
汚されたら困る。
何度も言われた。
今も、井戸のそばに立っている女たちがミオを見ている。
以前と同じように、近づくなと言いたそうな顔だった。
「ミオ」
クロウが桶を置く。
「喉が渇いてるだろ」
ミオは驚いてクロウを見た。
話した覚えはない。
けれど、乾いた唇や声で分かったのかもしれない。
「飲んで、いいんですか」
「井戸は使える。止める理由はない」
クロウは桶から離れた。
許可を与えたというより、使用可能な設備だと確認しただけのようだった。
ミオは井戸へ近づいた。
村人たちは何も言わない。
クロウが隣にいるからだ。
桶の中には、澄んだ水が入っている。
両手ですくい、口へ運んだ。
冷たい水が喉を通る。
一口では止められなかった。
もう一度すくう。
水が指の隙間からこぼれ、汚れた袖へ染み込んだ。
それでも飲んだ。
三度目で、ようやく息をつく。
喉の痛みが薄れていった。
「足りたか?」
クロウが尋ねる。
「はい」
声を出すと、先ほどより楽だった。
「ありがとうございます」
クロウは返事をしなかった。
井戸の脇へ立ち、空中の画面を操作し始める。
感謝を求めて水を飲ませたわけではないのだろう。
それでも、水は冷たく、きれいだった。
村人たちに何度頼んでも、自由には飲ませてもらえなかった水だった。
空き地へ戻ると、光は弱くなっていた。
村全体を覆っていた線が、地面へ吸い込まれるように消えていく。
クロウの視界に、新しい表示が浮かんだらしい。
「集落名を引き継ぐのか」
空中へ指を動かす。
《既存集落名 エルク》
《拠点名称 エルク拠点》
クロウが確定を選ぶ。
最後まで残っていた光が消えた。
ハルバードを地面から引き抜く。
「拠点化完了」
門の上に、新しい木の板が現れた。
そこには、「エルク拠点」と刻まれている。
ミオには、なぜかその文字を読むことができた。
エルク村だった場所が、今はエルク拠点として登録されたことだけは理解できた。
「村じゃなくなったんですか」
「村を拠点として登録した」
「ここにいる人たちは?」
「拠点人口だ」
クロウは周囲を見回す。
泣いている者。
怒りを隠せない者。
変わった家を呆然と見ている者。
誰も、生活が良くなったことを喜んではいなかった。
屋根の穴は塞がった。
道の水溜まりも消えた。
井戸は使いやすくなり、食料を保管する倉庫も整った。
山賊に怯えていた門には、逃げない兵士が立っている。
それでも、全てを決めたのはクロウだった。
村人たちが望んだかどうかは関係ない。
「外へ出たい人は、どうするんですか」
「今は出さない」
「どうしてですか」
「拠点化した直後に人口が減ると困る」
簡単な答えだった。
村人の誰かが息を呑む音が聞こえた。
クロウは気にせず続ける。
「配置が終わるまでは、門を閉じる」
農民兵が動いた。
補強された門が、ゆっくりと閉じられる。
外の道が見えなくなった。
太い横木が渡され、内側から固定される。
村人たちがざわめく。
「閉じ込める気か!」
「ここから出せ!」
「領都へ知らせなければ!」
叫び声が重なった。
クロウは反応しない。
何もない空間を操作し、拠点の状態を確認している。
「防衛は最低限。備蓄は少ない。施設も初期段階か」
誰かがクロウへ近づこうとした。
門前の農民兵が槍を横へ向ける。
穂先は触れていない。
それだけで、村人は足を止めた。
「しばらくは中を整える必要があるな」
クロウが呟く。
その言葉に、村人たちの顔がさらに強張る。
ミオも不安だった。
門は閉じられた。
村人たちは外へ出られない。
クロウが何をするのか、まだ全ては分からない。
それでも、閉じた門を見ていると、別の感覚もあった。
山賊も入ってこない。
誰かがミオを外へ引きずり出し、差し出すこともできない。
少なくとも、農民兵はクロウの命令がなければ門を開けない。
怖い。
けれど、少しだけ息がしやすかった。
そんな自分を認めるのが嫌だった。
「ミオ」
クロウに呼ばれ、振り向く。
「宿舎を確認する」
「私も、そこに入るんですか」
「いや。ミオはプレイヤーだから別だ」
また、村人とは違うと言われた。
クロウは空き地の北側を指した。
村長の家より少し大きな建物が、光によって形を変えている。
入口には扉がつき、内部はいくつかの部屋へ分けられていた。
「指揮所とプレイヤー用の区画がある」
「私が使ってもいいんですか」
「そのための施設だ」
クロウは先に歩き出した。
ミオは建物の前で立ち止まり、背後を振り返る。
納屋は村の端に残っていた。
屋根の穴は最低限塞がれていたが、それだけだった。
湿った藁も、薄暗い中も、まだ覚えている。
今日から、あそこへ戻らなくていい。
誰かの家へ入れてほしいと頼む必要もない。
クロウが決めたから。
村人ではなく、プレイヤーとして区別されたから。
指揮所の中には、小さな部屋があった。
木の床。
壁際の寝台。
新しい毛布。
水を入れるための容器。
窓には板ではなく、薄い布が掛けられている。
豪華ではない。
元いた日本の部屋とは比べられない。
それでも、納屋とは違った。
「ここを使え」
クロウが言った。
ミオは寝台へ近づいた。
毛布へ触れる。
乾いていた。
湿った臭いもしない。
「本当に、私が?」
「今、この拠点で使うプレイヤーはミオだけだからな」
クロウにとっては、空いている設備を割り当てただけなのだろう。
特別に優しくしたつもりはない。
それでもミオは、毛布から手を離せなかった。
水がある。
寝る場所がある。
門には兵士がいる。
明日の朝、納屋の床へ冷えた粥を置かれるのを待つ必要もないのかもしれない。
「食事は厨房が動いてからだ」
クロウが入口で言った。
「少し待ってろ」
「はい」
返事をすると、クロウは部屋を出ていった。
扉が閉じられる。
鍵を掛けられた音はしなかった。
ミオは扉へ近づき、取っ手へ手をかけた。
押せば、普通に開く。
自分で出られる。
外から横木を掛けられてはいない。
もう一度扉を閉じる。
部屋の中央へ戻り、寝台へ腰を下ろした。
毛布が身体の重みを受け止める。
外からは、村人たちの抗議の声が聞こえていた。
兵士の揃った足音もする。
この村から、自由は失われた。
けれどミオには、自分だけの部屋が与えられた。
外では村人たちの抗議が続いている。
それでも、誰にも邪魔されずに過ごせることへ安堵してしまった。




