第20話 戻る場所
「ここにいる人たちは、NPCじゃありません」
レンの言葉が、狭い部屋に落ちた。
机を挟んだ向こう側では、サヨもミオを見ている。
扉の外には農民兵が一体いる。
広場から聞こえていた作業音も、ここまでは遠い。
ミオはすぐには答えなかった。
予想していた言葉だった。
レンとサヨが労働ユニットを見る目。
レンが呼びかけても、作業を続けていた労働ユニット。
NPCという言葉を口にした時の二人の表情。
何を問題にしているのかは、すでに分かっている。
「この世界の人たちには、感情があります」
レンが続けた。
「決められた台詞だけを話す、ゲームの登場人物じゃない」
「分かっています」
ミオが答える。
レンがわずかに目を見開いた。
「分かっているなら、どうしてあんな扱いをするんですか」
「扱い?」
「さっきの人です」
レンは扉の向こうへ目を向けた。
「僕が声をかけても、振り向きもしなかった」
「作業中だったからです」
「それだけですか?」
ミオは答えなかった。
役割を固定される前と後で、人の反応が変わることには気づいている。
恐れない。
迷わない。
与えられた仕事を優先する。
農民兵は命令された場所を守る。
労働ユニットは決められた作業を続ける。
クロウは、それを役割が変わっただけだと考えている。
ミオも最初は、そういうものなのだと思おうとしていた。
けれど、以前と同じではないことくらい分かっている。
「本人が望んで、その仕事をしているんですか?」
レンが尋ねる。
「役割は、こちらで決めます」
「こちらというのは?」
「クロウさんと、私です」
レンの表情が硬くなった。
「本人が嫌だと言ったら?」
「役割を固定した後は、言いません」
部屋の空気が止まった。
サヨが静かに口を開く。
「それは、自分の意思で従っているわけではないですよね」
ミオは机の下で手を握った。
「必要な仕事をしてもらっています」
「必要なら、本人が嫌がっていても?」
「拠点には人手が必要です」
「それを理由に、その人の意思を無視していいんですか」
レンの声が少し強くなる。
ミオはレンを見る。
「役割を固定しなければ、反抗する人も出ます」
「ミオさんに?」
「そうです」
「何かあったんですか?」
ミオは少し黙った。
思い出したくないわけではない。
忘れたことなど、一度もなかった。
「倉庫で三人に襲われました」
レンとサヨの表情が変わる。
「殴られて、小刀を向けられました」
ミオは外套の胸元へ触れた。
傷は残っていない。
外套にも跡はない。
それでも、刃が向けられた場所は覚えている。
「クロウさんからもらった装備が防いでくれました」
「その三人は、どうなったんですか?」
サヨが尋ねた。
「労働ユニットにしました」
レンが息を呑む。
「ミオさんが?」
「殺すか、役割を固定するか聞かれました」
「どうして、その二つしかないんです」
「放して、また襲われたら困るからです」
「拘束して話をすることもできたはずです」
「何を話すんですか?」
ミオの声が強くなった。
レンが止まる。
「あの人たちは、私を山賊へ渡しておけばよかったと言いました」
「……何を?」
「私がいなくなればよかったと」
倉庫の床。
散らばった物。
胸元へ迫った小刀。
農民兵に取り押さえられても、こちらを睨んでいた顔。
「小刀を向けた後で、本気ではなかったとも言いました」
ミオは続けた。
「でも、役割を固定してからは襲ってきません」
「だから、それでいいんですか」
レンが言う。
「また襲われないなら?」
「そういう話じゃありません」
「私には、そういう話です」
ミオは言い切った。
レンが黙る。
ミオにとって、あの三人が以前と同じように考えているかどうかより、もう自分へ刃を向けないことの方が重要だった。
農民兵が門を守る。
労働ユニットが壊れた場所を直す。
採取を任された者が資源を持ち帰る。
役割を固定していない住民の中には、指示を拒む者もいる。
不満を持つ者もいる。
また、自分を襲う者が出るかもしれない。
「私は、この拠点を管理しなければいけません」
ミオは言った。
「そのためなら、何をしてもいいんですか?」
「何でもいいとは言っていません」
「でも、人の意思を奪うことは受け入れている」
レンの言葉に、ミオはすぐ返せなかった。
サヨがレンを見る。
「レン」
声は穏やかだったが、これ以上追い詰めるなという意味が含まれていた。
レンは一度口を閉じた。
代わりに、サヨがミオを見る。
「ミオさん。私たちは、あなたを責めるために来たわけではありません」
「では、何をしに来たんですか?」
「何があったのかを知るためです」
「知って、どうするんですか?」
サヨは少し間を置いた。
「助けが必要なら、力になりたいと思っています」
助ける。
その言葉を聞いた瞬間、ミオの胸の奥に硬いものが生まれた。
「私は助けを求めていません」
「今は、そうかもしれません」
「今もです」
ミオは訂正した。
「私は、ここから出たいと言っていません」
「分かっています」
「なら、どうして助けるんですか?」
サヨは答えを急がなかった。
「ここにいることしか選べない状態なら、ほかの選択肢があることを知ってほしいからです」
「ほかの選択肢?」
「リード村へ来ることもできます」
ミオはサヨを見る。
「どうして私が?」
「一度、ここから離れて考えることもできます」
「私は離れたいと言っていません」
「分かっています」
サヨの声は変わらない。
「でも、クロウさんから離れた場所で考えることもできます」
その言葉に、ミオの指が動いた。
「リード村なら、寝る場所もあります」
サヨは続ける。
「食事も用意できます」
「仕事が必要なら、僕のところで薬師の仕事を手伝うこともできます」
レンが言った。
「布の仕事なら、私が教えられます」
「私は薬師でも、布職人でもありません」
「覚えることはできます」
「私は内政担当です」
ミオは即座に答えた。
「それが私の役割です」
「それは、ミオさんが選んだんですか?」
サヨが尋ねる。
「はい」
「クロウさんに命令されたのではなく?」
「違います」
ミオは強く答えた。
「クロウさんから内政を任せたいと言われて、私がやると答えました」
サヨは頷いた。
「それなら、内政をすること自体を否定するつもりはありません」
「では、何が問題なんですか?」
「ミオさんが、ここにいなければ生きられないと思っているなら、それは違うと伝えたいんです」
「そんなことは思っていません」
答えながら、胸の奥がざわついた。
「リード村へ来ても、生きていけます」
サヨは言った。
「食事もあります。寝る場所も――」
「今さらですか」
サヨの言葉が止まった。
ミオ自身も、口から出るまで何を言うのか分かっていなかった。
「ミオさん?」
「今さら、用意してくれるんですか」
声が震えた。
「私が納屋で震えていた時、どこにいたんですか!」
部屋の壁へ声がぶつかる。
扉の外で、農民兵が動く気配がした。
「満足に水も食事ももらえなかった時は?」
レンとサヨは何も言わない。
「寒くても、毛布もなかった!」
机へ置いた手が震える。
「村人に何を言っても無視されました! 日本から来たと言っても、帰りたいと言っても、誰も聞かなかった!」
サヨの顔が強張る。
「山賊へ差し出されそうになった時も、あなたたちは来なかった!」
静寂が落ちた。
荒くなった呼吸だけが聞こえる。
サヨが、ゆっくり口を開いた。
「そのことは知りませんでした」
「知らなかったら、なかったことになるんですか!」
「なりません」
サヨは逃げずに答えた。
「私たちは知りませんでした。だから、ミオさんが苦しんでいた時に助けることもできなかった」
ミオはサヨを睨む。
「間に合わなかったのは事実です」
言い訳をしなかった。
自分たちは悪くないとも言わない。
その答えが、かえって苦しかった。
「クロウさんは来ました」
ミオは言った。
声が震えている。
「山賊を倒しました」
二人は何も言わない。
「私がプレイヤーだと気づきました」
外套の胸元を握る。
「食事をくれました。服をくれました。鍵のかからない部屋もくれました」
「クロウさんが、ミオさんを助けたことは否定しません」
レンが言った。
ミオはレンを見る。
「でも、助けてもらったことと、その後にしていることが正しいかどうかは別です」
また、切り離された。
クロウが自分を助けたこと。
クロウが村人をNPCとして扱うこと。
クロウがユニット化を使うこと。
レンとサヨにとっては、別々の問題なのだろう。
けれど、ミオには簡単に分けられなかった。
クロウが来たから山賊は死んだ。
クロウが村を拠点にしたから、食事を得られるようになった。
兵士がいるから、今は眠れる。
管理画面を使えるようになったから、自分にも役割ができた。
間違っている部分だけを取り除けば、それで何も変わらずに済むとは思えなかった。
「クロウさんは、私に内政を任せてくれました」
ミオは言った。
「村では、誰にも必要とされませんでした」
声が少し小さくなる。
「でも、ここでは違います」
「それなら、内政担当でいることはミオさんが選べばいい」
サヨが答えた。
「私たちは、その役割を捨てろと言いたいわけではありません」
「リード村へ来いと言ったじゃないですか」
「ここ以外にも居場所があると伝えたかったんです」
居場所。
その言葉に、ミオの胸が痛んだ。
「日本には帰れないかもしれません」
レンが言う。
「でも、この世界で一人になる必要はありません」
「私は一人ではありません」
ミオは答えた。
「クロウさんがいます」
「クロウさん以外にも、日本の記憶を持っている人がいる」
「だから何なんですか?」
レンが言葉を止める。
「日本を知っていたら、それだけで一緒に行かないといけないんですか?」
「そういう意味では――」
「私は行きません」
ミオは言った。
「ここに残ります」
「ミオさん」
サヨが呼ぶ。
「私たちは、今すぐ答えを変えてほしいわけではありません」
「もう答えました」
ミオは椅子から立ち上がった。
椅子の脚が床を擦る。
「帰ってください」
「まだ話は――」
「帰ってください!」
ミオが扉へ向かう。
扉を開くと、農民兵がすぐ外に立っていた。
槍を持ったまま、ミオを見る。
「二人を門まで――」
言いかけたところで、広場の方から重い足音が聞こえた。
ミオが顔を上げる。
黒い鎧が、宿舎の前へ向かって歩いてくる。
肩にはハルバード。
その後ろには、軽装槍兵が一体ついていた。
クロウだった。
ミオの呼吸が止まりかける。
帰ってきた。
それだけで、乱れていた息が少しずつ整っていく。
クロウは宿舎の前まで来ると、開いた扉へ兜を向けた。
その奥にいるレンとサヨを見る。
足が止まった。
「プレイヤーが二人いるな」
レンの表情が変わる。
サヨもクロウを見る。
「分かるんですか?」
レンが尋ねた。
「アイコンが違う」
クロウは当然のように答えた。
「NPCとプレイヤーは表示が違う。見れば分かるだろ」
「僕には見えません」
「私にも」
サヨも答えた。
クロウの兜がわずかに傾く。
「UI未解放か、表示設定の問題か」
二人が驚いていることより、アイコンが見えない理由を考えているらしい。
「クロウさん」
ミオが呼んだ。
黒い兜が、すぐにミオへ向く。
「どうした」
その声を聞いた瞬間、ミオは自分が何を報告するべきかを考えた。
さっきまでの感情を、そのままぶつける必要はない。
起きたことを伝える。
判断に必要な情報をまとめる。
それが自分の役割だった。
「二人はリード村から来ました」
ミオは言った。
「レンさんは薬師見習い。サヨさんは布職人です」
「ああ」
ミオは続ける。
「私に、リード村へ来るように言いました」
レンが何か言おうとする。
ミオは先に報告を続けた。
「ここにいる人たちはNPCではない。クロウさんのやり方は間違っていると」
クロウの兜が、レンへ向いた。
少しの沈黙。
「ミオは、こいつらと行きたいのか?」
聞かれたのは、それだけだった。
ミオはクロウを見る。
残れとも。
行くなとも言われなかった。
「行きません」
迷わず答える。
「ここに残ります」
「そうか」
クロウはそれだけ言った。
理由を問い詰めない。
答えを変えさせようともしない。
ミオが言ったことを、そのまま受け取った。
レンが眉を寄せる。
「本人がそう言えば、それで終わりですか?」
「ああ」
「あなたの影響下にいるから、そう答えている可能性は考えないんですか?」
「ミオはプレイヤーだ」
クロウは短く答えた。
「自分で選べる」
「では、村の人たちは?」
「NPCだ」
迷いのない返答だった。
「人間です」
レンが言う。
クロウはレンを見る。
「そういうプレイスタイルなら、そっちでやればいい」
「プレイスタイルの話ではありません」
「俺から見れば同じだ」
クロウの声は普段とほとんど変わらない。
だが、少しだけ低かった。
「NPCをユニット化せずに遊びたいなら、そっちで勝手にやれ」
レンがクロウを睨む。
「ここにいる人たちは、遊びの道具じゃない」
「その考えを否定する気はない」
予想外の返答に、レンが一瞬止まった。
クロウは続ける。
「そっちがそう遊ぶのは自由だ」
そして、レンとサヨを順番に見る。
「だが、初心者に自分たちのプレイスタイルを押しつけるな」
レンが言葉を失った。
クロウにとって問題なのは、村人の意思ではない。
レンとサヨが、初心者であるミオへ自分たちの考えを押しつけたことだった。
「押しつけたつもりはありません」
サヨが言う。
「ミオさんへ、ほかの選択肢もあると伝えたかっただけです」
「ミオは行かないと言ってる」
クロウは短く答えた。
「それで終わりだ」
サヨがミオを見る。
「ミオさん」
ミオは何も言わない。
「本当に、ここに残るんですね」
「はい」
今度も迷わなかった。
「私の戻る場所は、ここです」
サヨはしばらくミオを見ていた。
やがて、小さく頷く。
「分かりました」
レンがサヨを見る。
「でも――」
「レン」
サヨが止めた。
「ミオさんは答えました」
「だからって、このまま――」
「今ここで無理に連れていけば、私たちも同じことをすることになります」
レンは口を閉じた。
握った拳だけが残る。
クロウが二人を見る。
「今回は帰れ」
短い言葉だった。
「次にレイヴンの運営を邪魔するなら、敵対扱いにする」
「脅すんですか?」
レンが尋ねる。
「警告だ」
クロウはハルバードを構えない。
ただ、決定事項を伝えているだけだった。
サヨが立ち上がる。
「帰ります」
レンはまだ納得していない様子だった。
それでも、サヨの後に続いた。
ミオは農民兵へ指示を出す。
「二人を門まで送ってください」
農民兵が二人の前へ出る。
もう一体も呼び、前後につける。
サヨは宿舎を出る前に、もう一度ミオを振り返った。
「ミオさん」
ミオはサヨを見る。
「今日は帰ります」
サヨは言った。
「でも、話したことまで忘れてほしいとは思っていません」
「忘れません」
ミオは答えた。
忘れられるはずがない。
「それでも、私はここに残ります」
サヨは何も言わなかった。
小さく頭を下げ、宿舎を出ていく。
レンもクロウの横を通る。
一度だけ足を止めた。
「山賊を倒したことも、ミオさんを助けたことも否定しません」
クロウは反応しない。
「でも、あなたが今していることは間違っています」
「そうか」
返ってきたのは、それだけだった。
レンは拳を握ったまま、サヨの後を追った。
二体の農民兵に付き添われ、二人が広場を横切っていく。
労働ユニットは作業を続けている。
採取から戻ったユニットが、運んできた物を所定の場所へ置く。
未ユニット化住民は、農民兵に付き添われた二人を遠巻きに見ていた。
やがて、門が開く。
レンとサヨが外へ出る。
二人は徒歩で東の街道へ向かった。
門が閉じる。
横木がかけられる。
ミオは、しばらくその場に立っていた。
胸の中には、二人の言葉が残っている。
人間。
意思。
選択肢。
レンとサヨの言葉が、すべて間違っているとは思えなかった。
役割を固定された者たちが、以前とは変わっていることも知っている。
それでも、その正しさはミオを救わなかった。
食事を与えなかった。
納屋から出さなかった。
山賊を倒さなかった。
先に来たのはクロウだった。
「ミオ」
後ろから呼ばれる。
ミオは振り返った。
黒い鎧が立っている。
「はい」
「前哨の報告がある」
いつもと同じ、実務的な声だった。
慰めようとはしない。
自分が正しいと説明することもしない。
ただ、前哨拠点で確認したことを、内政担当へ伝えようとしている。
「分かりました」
ミオは答えた。
「指揮所で聞きます」
クロウが頷き、歩き出す。
ミオも、その後を追った。
門では農民兵が警戒を続けている。
倉庫には、レンとサヨから受け取った薬や布が収められている。
レイヴン前哨拠点の修復も、まだ終わっていない。
やることは残っていた。
ミオは黒い鎧の背中を追う。
戻る場所は、もう決めていた。




