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第18話 NPCという言葉

「まず、そのミオという人のことから聞かせてください」


レンがそう言うと、バルトは周囲を見回した。


広場には、エルク村の話を聞こうとする者たちが集まっている。


このまま話を続ければ、さらに人が増えるだろう。


「場所を変えるぞ」


バルトは荷車を広場の端へ移動させた。


向かったのは、商売用の荷物を保管している小さな倉だった。


レンとサヨも後に続く。


護衛の男が最後に入り、扉を閉める。


外の声が遠くなった。


倉の中には、穀物袋と空の木箱が積まれている。


バルトは木箱へ腰を下ろした。


護衛の男は壁際に立つ。


レンとサヨは、その向かいに並んだ。


「どこから話せばいい?」


「エルク村へ着いたところからお願いします」


レンが答えた。


「見たことと、実際に聞いた言葉を教えてください」


「随分と細かいな」


「NPCという言葉が重要なんです」


バルトはレンの顔を見た。


「そんなに珍しい言葉なのか?」


「少なくとも、僕たちには聞き覚えがあります」


それ以上は説明しなかった。


バルトは少し不思議そうな顔をしたが、エルク村で見たことを話し始めた。


以前にはなかった、補強された柵。


門を守る兵士。


門の上に浮かんでいた、黒い鳥の紋様。


村の名前が、エルク拠点へ変わっていたこと。


そして、ギルド《レイヴン》。


「門で話したのは、ミオという若い女だった」


バルトは言った。


「レイヴンの内政担当だと言っていた」


「その人が、自分でそう言ったんですね」


サヨが尋ねる。


「ああ」


「どんな様子でしたか?」


バルトは少し考えた。


「普通に話していた。取引も、ほとんどあの女が決めていたな」


「黒い鎧の男に命令されていたわけではない?」


「少なくとも、俺にはそうは見えなかった」


バルトは腕を組んだ。


「こっちが何を持っているか確認して、薬草や保存食と交換する量を決めていた」


「黒い鎧の男は?」


「途中で出てきた」


レンが顔を上げる。


「クロウという人ですね」


「ああ」


「その人が、NPCと言ったんですか?」


「そうだ」


バルトは迷わず頷いた。


「俺たちを見て、ミオに聞いたんだ」


バルトは記憶をたどる。


「そいつら、交易NPCかってな」


倉の中が静かになった。


レンとサヨの視線が重なる。


「交易NPC……」


サヨが小さく繰り返した。


「ああ。意味は分からんが、確かにそう言った」


NPC。


その言葉を、この世界で偶然耳にするとは考えにくかった。


日本にいた頃なら、何度も聞いた言葉だ。


ゲームの中にいる、プレイヤーではない登場人物。


だが、この世界へ来てから、レンもサヨも一度も使わなかった。


目の前にいる者たちは、ゲームの中の存在ではないからだ。


食べなければ空腹になる。


傷を負えば痛み、血が流れる。


誰かを失えば悲しむ。


バルトも。


護衛の男も。


リード村で暮らす者たちも。


レンとサヨにとっては、同じ世界で生きる人間だった。


「そのクロウという人は、ほかにも変わった言葉を使っていましたか?」


レンが尋ねる。


「変わった言葉?」


「ここでは聞かないような言葉です」


バルトは考え込んだ。


「ギルドは言っていたな。あとは、鉄材にできる物とか、前哨の修復とか……」


レンは首を横へ振った。


その程度なら、この世界でも使われる可能性はある。


重要なのはNPCという言葉だった。


「ミオという人も、NPCと言っていましたか?」


サヨが尋ねた。


「いや」


バルトは答えた。


「俺が聞いたのは、黒い鎧の男だけだ」


レンは黙って考えた。


クロウという男が、日本の記憶を持っている可能性は高い。


では、ミオはどうなのか。


「ミオという名前は、この辺りでは珍しいですか?」


「聞かない名前ではあるが、それだけじゃ分からんな」


バルトが答える。


サヨも頷いた。


名前だけでは判断できない。


だが、ミオはギルド《レイヴン》の内政担当を名乗っている。


NPCという言葉を使う男のそばにいて、その男と普通に会話していた。


「ほかに、ミオさんについて気づいたことはありますか?」


サヨが尋ねた。


バルトは少し考えた。


「俺たちには警戒していた」


「警戒?」


「門を全部開けなかった。兵士もそばに置いていた」


それは不自然ではない。


知らない男二人が突然訪ねてきたのなら、警戒して当然だった。


「クロウという人には?」


「特に変わった様子はなかった」


バルトは答えた。


「黒い鎧の男が来ても、逃げようとはしなかった」


それだけでは、ミオがどのような立場にいるのか分からない。


自分からレイヴンにいるのか。


離れられないのか。


クロウを恐れているのか。


信頼しているのか。


バルトが短時間見ただけでは判断できなかった。


「村の人たちは?」


レンが尋ねた。


バルトの表情が曇る。


「それが分からん」


「元村長がいたんですよね」


「ああ」


バルトは門の内側で起きたことを話した。


取引の途中で、元村長が走ってきたこと。


農民兵に止められながら、リード村へ伝えろと叫んだこと。


村を奪われたと訴えたこと。


「村の男たちが兵士にされたとも言っていた」


バルトは続けた。


「あいつらは、もう何を言っても聞かないってな」


「その後、どうなったんですか?」


「兵士に連れていかれた」


「ミオさんは?」


「兵士に、元の清掃へ戻すように言っていた」


サヨの表情が硬くなる。


「止めなかったんですね」


「ああ」


バルトは少し間を置いた。


「元村長があれだけ叫んでいたのに、働いていた連中は作業を続けていた」


レンは眉を寄せた。


「全員ですか?」


「全員かどうかは分からん」


バルトは首を横へ振る。


「手を止めた者もいた。だが、資材を運んでいた連中は、何もなかったように動いていた」


元村長の言葉だけを信じることはできない。


村を追われた者が、奪われたと訴えているだけかもしれない。


兵士になった者たちも、自分の意思で従っている可能性はある。


だが、バルトが見た光景も無視できなかった。


「レン」


サヨが小さく呼んだ。


「ああ」


レンにも、サヨが何を考えているのか分かった。


NPC。


ギルド。


レイヴン。


そして、ミオという名前。


この世界に、自分たち以外にも日本の記憶を持つ者がいる可能性がある。


一人は、この世界の人間をNPCと呼ぶクロウ。


もう一人は、その男のそばで内政担当をしているミオ。


「二人とも、あの連中を知っているのか?」


バルトが尋ねた。


「知りません」


レンが答えた。


「でも、僕たちと同じものを知っている可能性があります」


「同じもの?」


レンは一度、サヨを見る。


サヨが小さく首を横へ振った。


今ここで、日本の話をする必要はない。


「まだ、はっきりとは分かりません」


レンは答えた。


バルトは納得していない様子だったが、それ以上は追及しなかった。


レンは考える。


クロウが日本の記憶を持っているなら、なぜこの世界の人間をNPCと呼ぶのか。


本当にゲームの中だと思っているのか。


それとも、別の意味があるのか。


そして、ミオはそれをどう考えているのか。


「ミオさんと話す必要があります」


レンが言った。


サヨがレンを見る。


「エルク拠点へ行くつもりですか?」


「ああ」


「何をするんですか?」


「本人に聞く」


レンは答えた。


「何が起きているのか確かめる」


「助けを求めているとは限りません」


サヨの声は静かだった。


レンは答えなかった。


元村長の話だけを聞けば、ミオもクロウに従わされていると考えることはできる。


だが、バルトの話では、ミオは自分で取引を進め、自分をレイヴンの内政担当だと名乗っていた。


無理やり働かされているようには見えなかった。


「それでも、NPCという言葉を知っている」


レンが言った。


「僕たちと同じ日本の記憶を持っているなら――」


「だからこそ、本人の話を聞きましょう」


サヨが言葉を重ねた。


「私たちが勝手に決めるのではなくて」


レンはサヨを見る。


「クロウという人が間違っているなら、伝えないといけない」


「それは分かります」


「ここにいる人たちは、NPCじゃない」


レンの声が低くなる。


「人間だ」


サヨは否定しなかった。


だが、すぐに頷きもしなかった。


「それを伝えた後、ミオさんがどうするかは、ミオさんが決めることです」


レンは黙った。


この世界へ来てから、レンは薬師の仕事を覚えた。


薬の作り方を教わった。


失敗すれば叱られた。


病人が来れば、一緒に薬を作った。


サヨも布職人として暮らしている。


布を織り、糸を直し、破れた服を繕う。


そこで出会った者たちを、二人はNPCだと思ったことがない。


日本の記憶があるからこそ、この世界がゲームではないことを知っているつもりだった。


だが、それをミオへ伝えれば、必ず自分たちの考えを選ぶとは限らない。


「まず話を聞く」


レンは言った。


「それから考える」


サヨが頷いた。


「私も行きます」


「危険かもしれない」


「レン一人で行かせる方が心配です」


「どういう意味だ?」


「そのまま黒い鎧の人と喧嘩を始めそうです」


レンは何も言えなかった。


バルトが小さく息を吐く。


「俺は、しばらくあそこへ行くつもりはないぞ」


レンとサヨがバルトを見る。


「警戒されたからですか?」


「こっちが警戒してるんだ」


バルトは即答した。


「村長があんなことを叫んで、兵士に連れていかれたんだぞ。すぐにまた行く気にはならん」


それは当然だった。


「道を教えてください」


レンが言った。


「二人で行く気か?」


「はい」


「やめておけと言っても?」


レンは答えなかった。


バルトは額へ手を当てた。


「街道を西へ進めばエルク村だ。道を外れなければ迷わない」


「ありがとうございます」


「ただし、門へ着いたら勝手に入ろうとするな」


バルトは二人を見る。


「向こうの兵士は、冗談が通じるようには見えなかった」


「分かりました」


サヨが答えた。


レンも頷く。


バルトはまだ納得していない顔をしていた。


「何を理由に中へ入るつもりだ?」


サヨは少し考えた。


「薬と布を持っていきます」


「取引か?」


「はい」


レンは薬師として薬草や薬を扱える。


サヨは布職人として、布や糸を用意できる。


バルトがエルク拠点で薬草や保存食と品物を交換できたのなら、同じように取引を申し出ることはできる。


「二人で持てる量にしておけ」


バルトが言った。


「荷車もなしに大量に持っていけば、余計に怪しまれる」


「そうします」


話は決まった。


レンとサヨが倉を出ようとしたところで、サヨが足を止めた。


「バルトさん」


「まだあるのか?」


「クロウという人は、ミオさんを何と呼んでいましたか?」


バルトは記憶をたどった。


「普通に、ミオと呼んでいた」


「NPCとは?」


「呼んでない」


サヨはレンを見る。


クロウはバルトたちをNPCと呼んだ。


だが、ミオは名前で呼んでいる。


それが何を意味するのかは、まだ分からない。


「ありがとうございます」


サヨはそう言って、倉を出た。


◇ ◇ ◇


翌朝。


レンは薬師の仕事場で、エルク拠点へ持っていく物を選んでいた。


傷に使う薬。


腹の調子を整える薬。


乾燥させた薬草。


二人で運べる量を、小さな袋へ分けていく。


レンの師匠は、机の向こうからその様子を見ていた。


「エルク村へ行くそうだな」


「はい」


「昨日の噂を確かめるためか?」


レンの手が止まる。


「薬の取引もあります」


「それだけではなさそうだな」


師匠はそれ以上追及しなかった。


棚から傷薬を一つ取り出し、レンの前へ置く。


「持っていけ」


「これは交換する分ですか?」


「違う。自分で使う分だ」


レンは傷薬を見る。


「危ないと思ったら帰ってこい」


「はい」


「噂だけで人を決めつけるな」


師匠は続けた。


「だが、自分で見たものから目を逸らすな」


レンは傷薬を鞄へ入れた。


「分かりました」


目の前にいる師匠を、決められた台詞を話すだけの存在だと思ったことはない。


叱る。


呆れる。


時には笑う。


病人が来れば薬を作り、レンが間違えればやり直させる。


この世界で生きている、一人の人間だった。


エルク村にいる者たちも同じはずだ。


NPCと呼ばれたからといって、人間ではなくなるわけではない。


◇ ◇ ◇


サヨは作業場で、持っていく布をまとめていた。


丈夫な布。


補修に使える糸。


細い縄。


種類ごとに分け、背負える大きさに包んでいく。


取引を申し出るための品物だ。


その途中で、サヨは手を止めた。


棚から、柔らかな布を一枚取り出す。


若い女が服を作るのに使える布だった。


ミオが必要としているかは分からない。


何を好むのかも知らない。


サヨは少し迷った後、その布も荷物へ入れた。


取引に使わなければ、そのまま持ち帰ればいい。


◇ ◇ ◇


出発の朝。


リード村の西側から、街道がエルク村へ伸びている。


レンは薬を入れた鞄を背負っていた。


サヨも、布と糸をまとめた荷物を持っている。


二人とも武器は持っていない。


「本当に行くんですね」


サヨが言った。


「ああ」


「門で断られたら?」


「その時は帰る」


「黒い鎧の人がいたら?」


レンは少し黙った。


「まずはミオさんと話す」


サヨはレンの顔を見た。


「約束ですよ」


「分かってる」


二人は歩き始めた。


朝の街道には、まだ人の姿が少ない。


昨日、バルトが通った道だ。


エルク村までの間に山賊はいなかったという。


それでも、周囲を確認しながら西へ進む。


しばらく歩いたところで、サヨが口を開いた。


「レン」


「何だ?」


「ミオさんが、自分からレイヴンにいると言ったらどうしますか?」


レンは答えなかった。


サヨは前を見たまま続ける。


「クロウという人と一緒にいたいと言ったら?」


「ここにいる人たちはNPCじゃないと伝える」


「それでもです」


レンの足が少し遅くなる。


「それでも、レイヴンに残ると言ったら?」


街道の先へ目を向ける。


まだエルク村は見えない。


レンはしばらく考えた。


「本人が何を知っているのかを聞く」


「はい」


「どうしてそこに残るのかも」


サヨが小さく頷く。


「その人が何を経験したのか、私たちは知りません」


レンにも、それは分かっていた。


バルトが見たミオは、自分で取引を進めていた。


元村長が叫んでも、クロウの側から離れようとはしなかった。


助けを求めている少女だと、最初から決めつけることはできない。


それでも。


NPCという言葉を知る者が、この世界の人間をそう扱っているのなら、何も聞かずにいることもできなかった。


「まず、話をする」


レンが言った。


「ああ」


サヨは少し笑った。


「それなら大丈夫です」


「何が?」


「少なくとも、着く前に喧嘩を始めることはなさそうなので」


「始めない」


「そうしてください」


二人は街道を歩き続けた。


その先には、エルク拠点がある。


NPCという言葉を使う黒い鎧の男。


その男にミオと呼ばれる、レイヴンの内政担当。


自分たちと同じように、日本の記憶を持っているのか。


まだ答えは分からない。


レンとサヨは、ミオ本人の言葉を聞くため、エルク拠点へ向かった。

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