第12話 内政担当
目を覚ましたミオは、最初に腹と胸元へ手を当てた。
痛みはない。
拳を受けた場所にも、小刀を向けられた場所にも、異常は残っていなかった。
ミオは外套を持ち上げ、表面を確かめる。
布にも傷はなかった。
身体にも装備にも、昨日の攻撃は何も残していない。
それでも、男たちの声だけは耳の奥に残っていた。
お前がそのまま山賊に連れていかれていれば。
お前がいなければ。
解放されれば、あの三人はまた同じことを言ったかもしれない。
今度は、クロウが近くにいない時を選んだかもしれない。
ミオは寝台から降り、外套を着直した。
クロウが渡した装備は、ミオを守った。
今まで身につけたどの服よりも清潔で、暖かく、強い。
村人が与えなかったものを、クロウは当然のように渡した。
ミオは扉を開け、廊下へ出た。
クロウの姿はなかった。
それでも、不安にはならなかった。
黒い鎧が突然現れ、自分へハルバードを向ける。
そんな光景は、もう想像できなかった。
警戒すべきなのは、別の者たちだ。
まだユニット化されていない住民。
その中に、また自分を襲う者がいるかもしれない。
指揮所を出ると、倉庫の前から木槌の音が聞こえた。
昨日、ミオを襲った三体が、壊れた木箱と棚を修理している。
一体が板を押さえ、もう一体が釘を打っていた。
残る一体は、修理に使う金具を箱から取り出している。
三体ともミオを見なかった。
怒りもない。
昨日のことを訴える様子もない。
ミオの視界には、青白い表示が浮かんでいる。
《労働ユニット 三体》
赤い警告は出ていなかった。
ミオは無意識に息を吐いた。
元の三人に戻してほしいとは思わない。
自由になれば、また自分を襲うかもしれない。
昨日とは違う方法を考えるかもしれない。
今の三体は、命じられた作業だけをしている。
安全だった。
そう考えることに、以前ほど強い抵抗はなかった。
「棚の修理が終わったら、空いた木箱を奥へ運んでください」
ミオが言うと、三体が同時に手を止めた。
「壊れていない箱は、木材の棚の横へ置いてください」
三体の労働ユニットは、迷わず作業を再開した。
拒まない。
睨まない。
言い返さない。
三体の近くにいても、ミオの身体は強張らなかった。
ミオが倉庫へ入ると、内部には農民兵が一体立っていた。
昨日の事件以降、倉庫の中にも兵を置くようにしている。
農民兵はミオを見ると、槍を立てたまま姿勢を正した。
自分が守られている。
その事実を、今は素直に受け入れられた。
「搬入を始めてください」
ミオは倉庫の外で待っていた住民たちへ声をかけた。
採取ユニットが集めた物資が並んでいる。
魚と木の実。
薬草の束。
縄に使える草の繊維。
枝や細い丸太。
住民たちは一人ずつ荷物を持ち、倉庫へ入ってきた。
誰もミオと目を合わせようとしなかった。
昨日の事件は、すでに拠点中へ伝わっているのだろう。
反抗した三人が、労働ユニットにされたことも。
「その袋は糧食です」
「そちらは薬草の棚へ」
「木材は一番奥です」
ミオは表示を読みながら、荷物の置き場所を伝えていく。
不満そうな顔をしている者はいたが、誰も大きく逆らわなかった。
一人の男が、薬草の束を持ったまま足を止めた。
「どうして、俺たちがあんたの命令を聞く」
ミオの視界に、淡い赤色の表示が浮かんだ。
《反抗リスク 上昇》
ミオの身体が一瞬だけ硬くなる。
だが、今度は待たなかった。
「前へ来てください」
ミオが農民兵へ指示する。
農民兵はすぐに動き、ミオの隣へ立った。
槍は男へ向けていない。
それでも、男の顔から強気な表情が消えた。
「薬草の棚へ置いてください」
ミオはもう一度言った。
男は農民兵を見たあと、無言で倉庫の奥へ歩いていく。
男が薬草を正しい棚へ置くと、赤い表示が薄くなった。
《反抗リスク 上昇》
やがて、表示は完全に消えた。
昨日とは違う。
何かが起きるまで待つ必要はない。
警告が出た時点で、兵を動かせばよい。
「次の人、お願いします」
ミオは搬入を再開した。
今度は誰も逆らわなかった。
しばらくすると、倉庫の表示が更新された。
《糧食 増加》
《薬草 増加》
《繊維 増加》
《木材 増加》
糧食には、不足を示す警告が出ていない。
毎日の消費を考えれば、まだ余裕があるとは言えない。
それでも、今日の食事が出せなくなる心配はなかった。
最後の荷物が棚へ収められる。
ミオの視界に、新しい表示が浮かんだ。
《倉庫 搬入完了》
昨日とは違う。
反抗リスクが出た時点で農民兵を動かし、作業を止めずに終えられた。
「今のは悪くない」
背後から声がした。
ミオが振り返る。
倉庫の入口に、クロウが立っていた。
黒い鎧。
肩に担いだハルバード。
もう見慣れた姿だった。
「見ていたんですか」
「ああ」
クロウは倉庫の中へ入った。
農民兵の位置。
修理を続ける労働ユニット。
分類された物資。
クロウは一つずつ確認していく。
「反抗リスクが出たので、農民兵を近くへ呼びました」
「それでいい」
「その後は指示に従いました。搬入も終わっています」
クロウは空中へ手を伸ばした。
ミオには見えない画面を数度動かす。
「糧食の搬入も問題ないな」
確認が終わると、黒い兜がミオへ向いた。
「指揮所へ来てくれ」
「分かりました」
何か失敗したのだろうか。
一瞬だけ、そんな考えが浮かんだ。
だが、以前のような恐怖はなかった。
クロウが理由もなくミオを傷つけることはない。
間違いがあれば、何が違うのかを説明する。
ミオは倉庫に残る農民兵へ、そのまま警備を続けるよう命じた。
それから、クロウの後を追った。
指揮所の机には、エルク拠点の簡単な配置図が置かれていた。
木板に、施設の位置が書き込まれている。
柵。
門。
厨房。
倉庫。
宿舎。
兵舎。
ミオへ拠点全体を説明するために用意したものらしい。
クロウは配置図の前へ立った。
「拠点の管理は続けられそうか?」
「倉庫のことですか」
「それだけじゃない」
クロウの黒い指先が、配置図の中央を示した。
「糧食、住民、施設、兵の配置。拠点の中をまとめて見る仕事だ」
ミオはエルク拠点の施設を思い浮かべた。
今朝、自分が確認したのは倉庫だけだ。
採取ユニットはクロウが動かしている。
労働ユニットの作業も。
兵士の配置も。
全てを自分が見ると言われても、すぐにできるとは思えなかった。
「私に、全部できるでしょうか」
「最初から全部やる必要はない」
クロウは淡々と答えた。
「見える範囲からでいい」
「どうして私なんですか」
その疑問は、以前から胸に残っていた。
プレイヤーだから。
表示が見えるから。
それだけだとは分かっている。
それでも、聞かずにはいられなかった。
クロウは少しだけ兜を傾けた。
「ミオは管理画面が見える」
「まだ、見えない項目もあります」
「見えている分は使えてる」
クロウは配置図の倉庫を指した。
「物資の分類を終わらせた」
次に、門と兵舎へ指を移す。
「反抗リスクが出た時も、兵を動かせた」
どちらも、今朝ミオがしたことだった。
クロウは全て確認していたらしい。
「拠点運営に必要な判断は、もう始めてる」
「でも、クロウさんなら、もっと早くできます」
「ああ」
クロウは否定しなかった。
「俺がやれば早い」
ミオの胸の奥が、わずかに沈んだ。
やはり、自分でなくてもよい。
そう思った直後、クロウが続けた。
「ただ、俺がずっと拠点を見ていたら、外へ出られない」
クロウはハルバードの柄へ手を添えた。
「俺は戦う方が向いてる」
迷いのない言葉だった。
「前のゲームでも、俺は前線にいた。レイドも対人戦も、敵を倒すのが役目だった」
「拠点の管理はしなかったんですか」
「最低限は見た。細かい管理は、ギルドマスターや内政担当に任せてた」
クロウは配置図の外側へ兜を向けた。
「北西には山賊の砦が残ってる。あれを取るにも、エルクの補給は止められない」
クロウは戦いへ行きたいのだ。
敵がいるから。
倒す相手がいるから。
けれど、拠点を放置することはできない。
だから、管理を任せられる者が必要になる。
ミオを元気づけるためではない。
可哀想だから、仕事を与えようとしているわけでもない。
クロウ自身に、拠点を任せられる者が必要なのだ。
「だから、ミオに任せたい」
短い言葉だった。
けれど、ミオはすぐに返事ができなかった。
任せたい。
村で一度も言われなかった言葉だ。
役立たず。
余計なことをするな。
納屋から出るな。
何かをしようとしても、邪魔だと言われた。
最後には、村に必要のない存在として山賊へ引き渡された。
今、クロウは違うことを言っている。
ミオが拠点を見れば、クロウは外へ出られる。
ミオが糧食や配置を管理すれば、クロウは戦える。
必要とされている。
「私が拠点を見たら、クロウさんは外へ行けるんですか」
「ああ」
「山賊の砦にも?」
「準備ができればな」
戦いの話になった時だけ、黒い鎧の空気が変わったように感じた。
「砦を取れば、前へ出る足場と支配範囲を増やせる。残ってる山賊も処理できる」
クロウは、そこへ行きたいのだ。
だが、その間も厨房と倉庫は動かさなければならない。
兵士を残し、食事を配り、採取を続ける必要がある。
「その間、私がここを見る」
「そうしてくれると助かる」
助かる。
その一言が、ミオの胸の奥へ沈んでいく。
クロウにとっては、実務上の意味しかないのかもしれない。
それでもよかった。
実際に必要な仕事がある。
ミオがしなければ、クロウが戦う時間が減る。
「内政担当、というものですか」
「ああ」
クロウは配置図の上へ手を置いた。
「戦闘は俺が見る。ミオには拠点と補給を見てほしい」
誰が何をするのか、はっきりしていた。
クロウは外で戦う。
ミオは拠点を動かす。
「兵士の配置もですか」
「拠点内なら任せる」
「反抗リスクが出た時も?」
「ミオが危険だと判断したら動かしていい」
クロウは配置図へ指を戻した。
「ユニット化する対象と役割、大きな施設の設置は、しばらく俺が判断する」
「操作は、必要なら私がするんですか」
「ああ。今は糧食、配置、資源の不足を見ろ」
できないことまで任されたわけではなかった。
今のミオに見える範囲から、少しずつ覚えればよい。
「失敗したら、どうなりますか」
「修正する」
クロウは即答した。
「分からないなら聞けばいい。資源を全部使い切らなければ、大抵は直せる」
ミオは、怒られるのかと聞いたつもりだった。
けれど、クロウは拠点の損失として答えた。
失敗したミオを責めるのではない。
起きた問題を修正するだけ。
少なくとも、役に立たないから納屋へ戻れとは言わない。
「一度に全部見る必要はない」
クロウが言った。
「難しいなら、最初は見る範囲を減らす」
「嫌ではありません」
ミオは自分でも驚くほど早く答えていた。
「やります」
「そうか」
クロウは一度頷いた。
「なら、今日から内政担当候補だ」
「候補?」
「基本操作の権限はある。だが、正式な管理権限を渡すにはギルドが必要だ」
ミオは聞き慣れない言葉に瞬きをした。
「正式な管理権限があれば、何ができるんですか」
「俺がいなくても、管理画面からユニットの配置を変えられる。施設や採取ユニットにも指示を出しやすくなる」
今は、見えても触れられない項目が多い。
クロウが操作しなければ、動かせない部分もある。
正式な管理権限を持てば、それが変わるらしい。
「私にも、できるようになるんですか」
「プレイヤーだからな」
また、住民とは違うと言われた。
以前は、その区別が恐ろしかった。
今は違う。
クロウがミオを別に扱ったから、食事も服も部屋も与えられた。
装備と兵士にも守られた。
そして今、役割まで任されようとしている。
「何をすればいいですか」
ミオは配置図へ向き直った。
「まず、今日の配置を確認する」
クロウが答えた。
「厨房、倉庫、採取、労働。どこが足りないか見てみろ」
ミオは目を閉じ、拠点全体を意識した。
厨房。
倉庫。
兵舎。
宿舎。
それぞれの場所に、役割を持つ者たちがいる。
ミオの視界に表示が浮かんだ。
《厨房 稼働中》
《厨房ユニット 三体》
《倉庫 搬入完了》
《採取ユニット 稼働中》
《労働ユニット 待機 二体》
項目は、以前より見分けやすくなっていた。
「労働ユニットが二体、待機しています」
「どこへ回す?」
ミオは窓から拠点内を見た。
西側の柵は、クロウと労働ユニットが補強を終えている。
倉庫の棚も修理が進んでいた。
宿舎の近くにある排水路へ、泥が溜まっている。
雨が降れば、水が道へあふれるかもしれない。
「宿舎の横の水路を直した方がいいと思います」
「理由は?」
「泥が溜まっています。雨が降ると、宿舎の前へ水が流れるかもしれません」
クロウは空中の画面を確認した。
「合ってる」
その言葉だけで、ミオの胸が少し軽くなる。
「二体を回していい」
ミオは窓の外へ目を向けた。
広場では、二体の労働ユニットが待機している。
以前なら、クロウが命じるのを待っていた。
今は、ミオが指示を出す。
「労働ユニット二体。宿舎横の排水路を清掃してください」
ミオの声は少し震えた。
それでも、二体はすぐに動き始めた。
工具を持ち、宿舎へ向かっていく。
作業状況を示す表示が更新された。
《排水路整備 進行中》
自分の言葉で、拠点の仕事が始まった。
「できました」
「ああ」
クロウは当然のように答えた。
「次からも同じように見ればいい」
大げさに褒められたわけではない。
それでも、自分の判断が間違っていなかったと分かった。
必要な場所を見つけ、役割を動かす。
ミオにもできる。
「クロウさん」
「何だ?」
「私がここを見ます」
言葉にすると、胸に残っていた不安が少し形を変えた。
怖くないわけではない。
未ユニット化住民が、また反抗するかもしれない。
何かを間違えるかもしれない。
まだ見えない項目も多い。
それでも、以前の生活へ戻りたいとは思わなかった。
村人の指示に従い、納屋で待つだけだった場所へ。
自分を必要としなかった場所へ。
「クロウさんが外にいる間も、倉庫と厨房を止めません」
「頼む」
クロウは短く答えた。
その一言で十分だった。
指揮所の窓から、労働ユニットが排水路の泥を運び出す姿が見える。
農民兵は倉庫を守り、厨房では三体の厨房ユニットが食事を配っていた。
宿舎の横では、ミオが指示した二体が作業を続けている。
自分の指示で、拠点が動いていた。
「正式に任せるなら、先にギルドが必要だな」
クロウが言った。
「ギルド……」
「拠点とメンバーをまとめる枠だ」
クロウは配置図の中央へ指を置いた。
「条件は揃った。次に設定する」
ギルドメンバー。
以前、クロウがミオをそう呼びかけたことがある。
あの時は、まだ仮の扱いだった。
正式にギルドが作られれば、自分はクロウと同じ場所へ入ることになる。
村のよそ者ではない。
クロウと同じギルドに所属し、内政を任される者。
「名前は決めているんですか」
「ああ」
クロウの指先が、何もない空間へ触れた。
まだミオには見えない画面が、淡い光だけを返す。
「明日、登録する」
ミオは消えかけた光を見つめた。
正式な役割を与えられる。
その時を待ち遠しいと思った自分から、もう目を逸らさなかった。




