12:00
今日は沙樹と夏休み前から約束していたアートイベントに参加した。
そのアートイベントは、スクリーンに江戸時代の絵師が描いた浮世絵などがダイナミックに映し出されそれを解説してくれるものだった。
俺たちはそのスケール感に感動しながらそのアートイベントがあったホールを出て、昼ご飯を何食べようかと近くのお濠で涼みながら考える。
「…沙樹くん?」
少し歩いて東京タワーまで行ってみるかと2人で話していると、沙樹の向こう側から歩いてくるスレンダーで身綺麗な女性が沙樹の名前を呼んだ。
夏「…知り合い?」
俺は質問しながら女性から沙樹に目線を移すと、沙樹の少し焼けた肌が青白くなっていくのが分かる。
夏「…大丈夫?」
俺の言葉が届いていないのか、沙樹は全く答えずにお濠を一点に見つめて体を強張らせる。
どうしたんだ?
いつも声をかけたら話してくれるのに。
「沙樹くんじゃん。無視するなー。」
女性は沙樹の隣まで来て沙樹の腕を細い指でつつく。
沙樹「…あ、ナナさんじゃないですか。お久しぶりです。」
初めて聞く沙樹の絞り出して震える声に俺は違和感を覚える。
ナナ「久しぶり。元気だった?」
沙樹「はい。」
沙樹はいつも社交的で会話が弾むように何かしらの言葉を続けるのに、ナナさんという人には全くしない。
沙樹はこの人とあまり仲良くないのだろうか?
ナナ「大きくなったね。高校生の時は私と同じくらいだったのに、男の子の成長はすごいね。」
ナナさんは沙樹の少し筋ばった腕に触れて昔を懐しむ。
沙樹「…な、ナナさんは何でここに?」
ナナ「打ち合わせと呑み会があるの。本当めんどくさい。」
ナナさんは少し呆れ顔で今日の用事を嫌がる。
沙樹「…そろそろ行かないと間に合わないと思いますよ。」
ナナ「ううん。いつも1時間前には現地到着しておくの。だからちょっと運動がてら散歩してたの。」
沙樹「あ…、そうだったんですか…。」
沙樹がナナさんの言葉にショックを受けてその後黙り込んでしまった。
沙樹の様子が明らかいつもの沙樹ではなかったので、俺は沙樹の腕を掴んだ。
夏「俺たち今から料理教室行かないといけないんで行きますね。」
そのまま俺は沙樹の腕を引きながら歩こうとすると、沙樹の足が止まり振り返り見るとナナさんが沙樹の腕を掴んでいた。
ナナ「沙樹くん、番号変わってる?」
沙樹「…いえ。」
ナナ「そっか。じゃあまたね。」
と言って、ナナさんは沙樹の腕を離して俺たちとは逆の方向を歩いて行った。
俺はそのまま沙樹の腕を引いて歩き、大きい公園の中にある噴水の縁に座る。
ここまで来る間、沙樹は何も喋らずにただずっと地面を見ていてさっきまで楽しんでいたお濠の鴨が羽ばたいても黙ったままだった。
夏「沙樹、大丈夫?」
ナナさんが去った後もずっと顔色が悪いまま無言の沙樹。
高校生の時のトラウマがあるって言っていたけど、あの人の事なのか?
俺は持ってきていた水筒を沙樹に渡してお茶を飲んでもらう。
夏「…沙樹?」
沙樹「…ごめん。ちょっとびっくりして。」
沙樹が重い口を開き、やっと俺と会話してくれた。
夏「そっか…。たまたま会うとびっくりするよね。」
去年、たまたま会った沙樹の中学の同級生や先輩に会えて嬉しそうにしていたのにあの人だけは全く違う。
こんなあからさまに嫌がる沙樹は見たことない。
夏「ご飯、どこ行こ…」
俺は思い切って話題を変えようとしたら、沙樹は急に後ろを振り向いて腕を噴水の水に突っ込み自分のハンカチを出してゴシゴシと力強くナナさんに触れられた腕を洗い始めた。
沙樹「…触んなよ。たくさん洗っても…、たくさん削っても…、感覚はなくなんねぇんだよ…。」
沙樹が大粒の汗と涙を流しながら肌を赤くしてもナナさんが触れた腕を洗うことを止めない。
さっきから沙樹の言葉と思えないほど汚くて鋭い言葉を吐き、俺の制止の言葉も聞かずに洗い流そうとする。
夏「沙樹!もう、血が出るからやめろって!」
俺は沙樹が殴るように洗う腕の赤みがだんだんと青紫に変わっていくのを見て力づくで止める。
沙樹「落とさないと…、ダメなんだよ。思い出さないようにしないと、ダメなんだよ。」
沙樹は歯を食いしばりながらボロボロと涙を流して俺の腕を振り払おうとする。
夏「ダメだって!自分の体が悲鳴あげてるだろ!もう汚れは十分落ちた!お願いだからやめてくれ!」
俺は噴水から沙樹の体を引き離して両腕を背中に回し、自分が持ってたハンカチで沙樹の両手を結び動かないようにする。
沙樹「…ごめん。」
沙樹は拘束されてしばらくするとやっと我に帰ったのか俺に謝って声をあげずに涙を流す。
夏「沙樹が謝ることなんかないよ。コンビニで保冷剤買おう。」
俺は沙樹の過去を聞き出す勇気はなく、沙樹の腕の拘束を取りそのままコンビニに向かった。
そのあと沙樹はいつも通りの笑顔を作っていたけど、どこか浮かない表情がうっすらとあって別れ際も元気な声を作っていた。
メッセージではちょっとあせもが痒かっただけと沙樹の下手くそな嘘が送られてきていて、俺は当たり障りのない言葉を送ることしかできなかった。
ごめん、沙樹。
どこまで人に踏み込んでいいか分からない俺は沙樹の頼りにはなれないよな。
俺は携帯を閉じて仕事に向かう電車の中、目を瞑り沙樹に謝り続けた。
→ Psycho




