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ラブミーくまどん! ~ある日、クマがうちに住み着いた~  作者: 雫石ぶた丸


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9/25

第9話 りりのライブ

 日曜日。


 午後四時。


 駅前の雑居ビルを見上げて、俺は少し後悔していた。


「……ここですか?」

「ここ」


 隣にいたさきさんが答える。


「本当に?」

「本当に」

「地下アイドルって、本当に地下でやるんですね」

「そこ?」


 ビルの入口。


 階段の横に、小さな看板が立っている。


『LIVE EVENT

 OPEN 16:30

 START 17:00』


 その下に何組かの名前。


 真ん中あたり。


『りり』


 あった。


「ちゃんと名前あるんだな」


 俺が言うと。


「そりゃあるよ」


 さきさんが笑った。


「出演者なんだから」

「そうなんですけど」


 カラオケ店で見る名前と、こういう場所に書かれている名前。


 同じなのに。


 少しだけ違って見えた。


「お前ら遅い!」


 声がして、振り返る。


「お前ら何時だと思ってる!」


 つむ丸。


 そして、その後ろに。


「まだ開場前だろ」


 くまどん。


「なんでお前ら先にいるんだよ」

「つむ丸が早く行くってうるさかった」

「当然だ!」


 つむ丸が胸を張る。


「今日はりりのライブだからな!」

「お前、出演者じゃないだろ」

「ファンだ!」

「知ってるよ」


 昨日から何度聞いたか分からない。


「りりは?」


 さきさんが聞く。


「中!」


 つむ丸がビルの入口を指差す。


「さっきまで一緒にいた! 今は準備してる!」

「お前は外にいていいの?」

「俺は応援の準備だ!」

「何するんだよ」

「気持ちを整える!」

「精神論多いな、お前」


 くまどんが呆れている。


「クマには分からん!」

「くまどんな」

「今日はどうでもいい!」

「よくない」


 この二匹。


 もう完全にいつものやり取りになっている。


「たかし君」


 さきさんが俺を見る。


「ライブハウス初めて?」

「はい」

「じゃあ、ちょっとびっくりするかも」

「何がですか?」

「音」

「音?」


 さきさんは、にこっと笑いながら階段を下りていった。


「入れば分かるよ」


*


 なるほど。


「…………」


 うるさい。


 いや。


 うるさい、だけじゃない。


 音が大きい。


 とにかく大きい。


 身体に来る。


 胸。


 腹。


 足元。


 全部が振動している。


「すごい」


 思わず声が出た。


「だろ!」


 なぜかつむ丸が得意げだ。


「お前のライブじゃないだろ」

「りりのライブだ!」

「それは知ってる」


 会場は思っていたより狭かった。


 ステージ。


 その前に観客。


 多分、百人も入らない。


 もっと少ないかもしれない。


 壁は黒。


 照明も暗い。


 天井も低い。


 でも。


 人はそこそこいる。


「結構いるんですね」


 俺が言うと。


「今日は何組も出るからね」


 さきさんが答える。


「全部りりちゃん目当てってわけじゃないよ」

「そうなんだ」


 正直。


 少し安心した。


 りり一人の客だと思っていたら、なんとなく聞きづらかった。


「りりは?」

「あと三組くらい」

「結構後なんですね」

「うん」


 会場の端。


 くまどんは壁際に立っている。


「平気?」

「何が?」

「音」

「まあ」

「耳とかないの?」

「あるよ」

「どこ?」

「そこ気になる?」


 くまどんが自分の頭を指差す。


「耳あるだろ」

「いや、そうじゃなくて」

「細かいな」

「最近みんなそれ言うな」


 その時。


 つむ丸が俺の横を通り過ぎた。


「どこ行くの?」

「前!」

「前?」

「最前列!」

「本当に行くんだ」

「当然!」


 小さな身体で人の間を抜けていく。


 というか。


 普通に危ない。


「大丈夫なんですか?」


 俺がさきさんに聞く。


「いつもあんな感じ」

「止めないんですね」

「止めても行くから」

「なるほど」


 強い。


 つむ丸が。


 それとも、止めるのを諦めたさきさんが。


 どっちが強いのかは分からない。


*


 一組。


 二組。


 三組。


 ステージが終わるたびに、客が少し入れ替わる。


 前に行く人。


 後ろに下がる人。


 外に出る人。


「結構忙しいな」

「何が?」


 くまどんが聞く。


「客」

「そう?」

「ずっと同じ人が見るわけじゃないんだな」

「推しだけ見る人もいるんじゃない?」

「詳しいじゃん」

「なんとなく」

「ほんとかよ」


 その時。


 ステージの照明が落ちた。


 会場が少し暗くなる。


 ざわざわしていた声が、小さくなった。


 スタッフらしき人が何かを調整している。


 そして。


 イントロ。


「次?」


 俺が聞く。


 さきさんが頷いた。


「うん」


 ステージ横から。


 りりが出てきた。


「…………」


 一瞬。


 誰だろうと思った。


 それくらい。


 カラオケ店で見るりりとは違った。


 髪。


 服。


 メイク。


 表情。


 全部。


 いつもの黒いキャップもない。


 パーカーでもない。


 ライトに照らされる衣装。


「全然、違う」


 俺が呟く。


「でしょ?」


 さきさんが少し嬉しそうに言う。


 りりがマイクを握る。


「こんばんは」


 客席から声が返る。


「りりです」


 いつもの短い言葉。


 でも。


 声が違って聞こえる。


「今日は来てくれてありがとうございます」


 少しだけ笑う。


 客席の前。


 その中に。


「りりー!」


 一番うるさい声があった。


「…………」


 つむ丸。


 人間の客の足元。


 小さな身体で。


 両手を上げている。


「りりならいけるー!」

「まだ歌ってない」


 ステージ上から、りりが即座に返した。


 客席が少し笑う。


「早い」

「応援だ!」

「知ってる」


 また笑いが起きる。


「……いつもこれ?」


 俺が聞く。


「大体」


 さきさんが答える。


「強いな、つむ丸」

「でしょ?」


 イントロが始まる。


 りりが前を向く。


 そして。


 歌い始めた。


*


 上手い。


 前にもそう思った。


 カラオケ店で聞いた時も。


 でも。


 今は少し違う。


 音。


 照明。


 観客。


 ステージ。


 全部が加わっている。


 それだけじゃない。


 りり自身も違う。


 普段は必要なことしか喋らない。


 笑うことも多くない。


 なのに。


 ステージでは。


 ちゃんと前を見ている。


 ちゃんと客席を見ている。


 声を届けようとしている。


『見てもらわないと意味ないし』


 あの時の言葉を思い出す。


 そうか。


 こういうことか。


 見てもらう。


 聞いてもらう。


 そのために。


 あいつは毎週。


 何時間もカラオケで歌っている。


「…………」


 ふと。


 客席を見る。


 人数は多くない。


 りりを目当てに来たらしい人。


 後ろで見ている人。


 次の出演者を待っているだけかもしれない人。


 全員がりりを見ているわけじゃない。


 当然だ。


 でも。


 前の方。


 一匹だけ。


 ずっとりりしか見ていない。


「りりー!」


 つむ丸。


「いけるぞー!」


 曲の途中。


 多分、声は届いている。


 りりが一瞬だけ。


 そっちを見た。


 笑った。


「…………」


 最初のファン。


 昨日聞いた言葉を思い出す。


 昔。


 誰もいない遊戯室。


 小さな椅子の上に座って。


 一人だけで。


 りりの歌を聞いていた、ぬいぐるみ。


 今は。


 人がいる。


 ステージがある。


 照明がある。


 拍手もある。


 それでも。


 一番近くにいるのは。


 あの頃と同じだった。


*


 三曲。


 短いトーク。


 最後の曲。


 思っていたより。


 あっという間だった。


「今日はありがとうございました!」


 りりが頭を下げる。


 拍手。


 声。


 ステージを降りる。


 照明が切り替わる。


「終わった」


 俺が言う。


「うん」


 さきさんが拍手をしながら答える。


「どうだった?」

「え?」

「初ライブ」


「…………」


 少し考える。


「思ってたより」

「うん」

「ちゃんとしてました」

「何その感想」

「いや」


 自分でも失礼だと思う。


「もっとこう……」

「地下っぽい?」

「それ言い方大丈夫ですか?」

「たかし君が言おうとしたんでしょ」

「言ってないです」

「顔に出てた」

「最近それもよく言われる」


 さきさんが笑う。


「でも」


 俺はステージを見る。


 次の出演者の準備が始まっている。


「すごかったです」

「でしょ?」


 また。


 少し嬉しそうな顔。


「だからなんでさきさんが得意げなんですか」

「ファンだからじゃない?」

「認めた」

「ちょっとだけね」


 俺も少し笑った。


 その時。


「どうだった!」


 つむ丸が走ってきた。


 正確には。


 走っているつもりなのだと思う。


 小さい。


 遅い。


「遅」

「うるさい!」


「で?」


 つむ丸が俺を指差す。


「どうだった!」

「何が?」

「ライブ!」

「聞かなくても分かるだろ」

「聞きたいんだ!」


 俺は少し考える。


「よかったよ」

「それだけ?」

「上手かった」

「それだけ?」

「頑張ってた」

「それだけか!?」

「何を言わせたいんだよ」


 つむ丸が腕を組む。


「ファンになったか?」


「…………」


「どうなんだ!」

「うるさいな」


 でも。


 昨日の俺なら。


 多分。


『まだ分からない』


 とか。


『一回見ただけだし』


 とか。


 そう答えた気がする。


 今日は。


「まあ」


 俺は言う。


「また見てもいいかな」


「…………」


 つむ丸が止まった。


「お?」

「何だよ」

「ファンだな!」

「違う」

「ファンだ!」

「違うって」

「ファン一人追加!」

「勝手に決めるな!」


 つむ丸が飛び跳ねる。


「りりー!」


 会場の奥へ叫ぶ。


「ファン増えたぞー!」

「やめろ!」


 恥ずかしい。


 普通に。


 かなり。


「声大きい」


 後ろから声がした。


 振り返る。


 りり。


 ステージ衣装のまま。


 額に少し汗。


「お疲れ」


 俺が言う。


「うん」

「よかったよ」

「ほんと?」

「うん」


 りりが俺を見る。


「どこが?」

「え」

「どこがよかった?」

「そこ聞く?」

「聞く」


 困った。


 歌。


 声。


 衣装。


 ステージ。


 色々ある。


 でも。


「楽しそうだった」


「…………」


 りりが少しだけ目を丸くした。


「歌ってる時」


 俺は続ける。


「普段より」

「普段より?」

「いや、それ以上は言わない」

「何それ」

「怒られそうだから」

「怒らないけど」

「信用できない」


 りりが少し笑う。


「楽しかったよ」

「そっか」

「うん」


 つむ丸が割って入る。


「だから言っただろ!」

「何を?」

「りりならいけるって!」

「今日成功したくらいで全部いけることになるの?」

「なる!」

「雑だな」


 りりがつむ丸を見る。


「でも」

「ん?」

「ありがと」


「…………」


 つむ丸が固まる。


「何?」

「いや!」

「また?」

「なんでもない!」

「照れてる」

「照れてない!」


 その横で。


 くまどんが少し離れたところから笑っていた。


*


 ライブハウスを出る。


 外はもう暗かった。


 耳の奥に。


 まだ少しだけ音が残っている。


「疲れた」


 俺が言う。


「見てただけだろ」


 くまどんが言う。


「音で疲れた」

「弱いな」

「初めてなんだから仕方ないだろ」


 少し前。


 りりとさきさん。


 その間。


 つむ丸が歩いている。


「次もいける!」

「まだ終わったばっかり」

「次のライブだ!」

「早い」

「今日より客増える!」

「分かんない」

「増える!」

「なんで?」

「俺がそう思ってるから!」

「またそれ」


 りりが笑う。


 俺はその後ろを歩きながら。


 昨日の遊戯室を思い出していた。


 一人。


 一匹。


 誰もいない部屋。


 そこから。


 今は。


 ステージがあって。


 客がいて。


 拍手があって。


 少しずつ。


 増えている。


 多分。


 夢って。


 突然叶うものじゃない。


 こうやって。


 少しずつ。


 見てくれる人が増えていくものなのかもしれない。


「たかし!」


 つむ丸が振り返る。


「次も来いよ!」

「予定が合えば」

「絶対来い!」

「圧強いな」

「ファンなんだから!」

「まだ認めてない」

「もう遅い!」


 りりが振り返る。


「来る?」


「…………」


 また。


 聞かれた。


 いつもなら。


 別に。


 どっちでも。


 そう答える。


 でも。


「行くよ」


 今回は。


 少しだけ早く答えた。


「ほんと?」

「うん」

「よし!」


 つむ丸が両手を上げる。


 りりも。


 ほんの少しだけ笑った。


 その日。


 俺は初めて。


 誰かの夢の続きを、もう少し見てみたいと思った。

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