第7話 つむ丸
「なんだこのクマ」
「なんだこのウサギ」
くまどんと、りりのバッグから顔を出した小さなウサギが睨み合っている。
正確には。
くまどんはいつもの少し垂れた目。
ウサギは左右で少しだけ目の高さが違う。
どちらも睨んでいるように見えるだけかもしれない。
「お前、誰?」
「それはこっちのセリフだ!」
ウサギがバッグから勢いよく飛び出した。
「うわっ」
床に着地。
……したつもりだったんだと思う。
足がもつれた。
「あ」
ころん。
前のめりに転がる。
「…………」
「…………」
数秒。
誰も何も言わなかった。
ウサギがむくっと起き上がる。
「今のはなし」
「何が?」
「見てない」
「いや、全員見てたけど」
「見てない!」
「無理あるだろ」
りりが小さくため息をついた。
「つむ丸、落ち着いて」
「落ち着いてる!」
「転んでた」
「あれは床が悪い」
「床のせいにすんな」
俺は改めて、そいつを見る。
大きさはひなたと同じくらいか。
白ではなく、薄い茶色。
ただ。
くまどんやひなたとは少し違う。
毛。
ではない。
毛糸だ。
近くで見るとよく分かる。
全身、毛糸を編んで作られている。
耳は二本。
片方が少し長い。
左右の目も、わずかに高さが違う。
腕も、よく見ると片方の方が長い気がする。
「……手作り?」
「そう」
りりが答えた。
「りりが作ったの?」
「うん」
「これを?」
「これって言うな!」
つむ丸が割って入る。
「俺はつむ丸だ!」
「分かった分かった」
「分かってないだろ!」
「名前しか聞いてないからな」
くまどんが横からつむ丸を見る。
「だいぶ雑に作られてるな」
「うるさいクマ!」
「クマじゃなくてくまどんな」
「知らん!」
「覚えろ」
「嫌だ!」
「感じ悪いな」
「お前が先に言ったんだろ!」
……うるさい。
ひなたとは正反対だ。
ひなたが静かな場所を探して寝るタイプなら、こいつは自分から騒音を発生させるタイプらしい。
「で」
俺はつむ丸を見る。
「なんでつむ丸?」
「いい名前だろ!」
「由来を聞いてる」
「それは……」
つむ丸が止まる。
そして、りりを見る。
「りり」
「なに?」
「説明」
「自分の名前でしょ」
「つけたのはりりだ!」
「ああ、そういうこと」
俺もりりを見る。
「どうしてつむ丸なんだ?」
「毛糸」
「毛糸?」
「糸を紡ぐ、の『つむ』」
「ああ」
確かに。
編み物っぽい。
「それで丸いからつむ丸?」
「多分」
「多分?」
「昔だから、あんまり覚えてない」
「おい!」
つむ丸が勢いよく振り返る。
「俺の名前の由来だぞ!」
「名前は覚えてる」
「由来も覚えろ!」
「無理」
「薄情!」
りりはまったく気にしていない。
つむ丸だけが騒いでいる。
「小さい頃に作ったの?」
「うん」
「へえ」
意外だった。
アイドル。
歌。
SNS。
さっきまで見ていたりりのイメージに、毛糸を編んでいる姿がうまく重ならない。
「いつ頃?」
「小さい頃」
「それは聞いた」
「じゃあいいじゃん」
「よくないだろ」
「細かい」
「またそれ!」
最近、俺に対する便利ワードになってない?
「りり」
さきさんが受付の時計を見る。
「そろそろ戻らなくていいの?」
「あ」
りりも時計を見る。
「戻る」
「まだ歌うの?」
「二時間」
「元気だな……」
りりがバッグを開く。
「つむ丸」
「おう!」
つむ丸がバッグへ向かう。
足をかける。
「よいしょ」
もう一度。
「よいしょ」
「…………」
上れない。
「…………」
「…………」
りりが無言でつむ丸を持ち上げた。
「自分で入れた!」
「入れてない」
「入った!」
「入れてもらった」
「細かい!」
バッグの中から叫び声が響く。
くまどんが鼻で笑った。
「ダサ」
「聞こえてるぞクマ!」
「くまどんな!」
「あとで勝負だ!」
「しない」
「逃げるのか!」
「面倒なんだよ!」
りりは二匹のやり取りを気にすることもなく、店の奥へ戻っていった。
バッグの中から。
「りりならいける!」
声が聞こえる。
「うるさい」
「応援だ!」
少しずつ遠ざかっていく。
「すごいやつだな」
俺が言うと。
「うるさいだけだろ」
くまどんが答えた。
でも。
ほんの少しだけ。
つむ丸が消えた廊下をまだ見ていた。
*
それから二時間後。
「疲れた」
バイトを終えた俺は、商店街を歩いていた。
横にはくまどん。
いつもなら、このまま家に帰る。
はずだった。
「腹減った」
「知ってる」
「何か食って帰ろう」
「家に何かあっただろ」
「卵」
「卵あるじゃん」
「昨日も食った」
「贅沢覚えたな、お前」
くまどんが不満そうに歩く。
その時。
「たかし君」
後ろから声をかけられた。
振り返る。
さきさん。
その隣には、りり。
そして。
「クマ!」
りりの肩に乗ったつむ丸。
「またお前か」
「勝負だ!」
「まだ覚えてたの?」
「当然!」
つむ丸がくまどんを指差す。
「人気勝負!」
「やらない」
「逃げるな!」
「帰る」
「待て!」
くまどんが歩き出す。
「じゃあね」
「ちょっと待てクマー!」
つむ丸がりりの肩から飛び降りようとする。
りりが耳を掴んだ。
「危ない」
「離せ!」
「車来る」
「…………」
道路を見る。
車が一台通り過ぎた。
「危なかった」
「…………ありがとう」
「素直なんだ」
俺が言うと。
「俺は素直だ!」
「さっきまで暴れてたけど」
「それとこれは別!」
さきさんが笑う。
「たかし君たち、これから帰るの?」
「そのつもりです」
「腹減った」
くまどんが言う。
「たかしに聞いてるんだけど」
「俺も住人」
「自称な」
「もう自称じゃないだろ」
「いつ正式になったんだよ」
「私もお腹すいた」
りりが言った。
「四時間歌ったもんね」
「うん」
さきさんが商店街の先を見る。
「あそこのファミレス寄ってく?」
「いい」
「行く!」
りりより先につむ丸が答えた。
「お前食べるの?」
「食べる!」
「何食べるんだよ」
「まだ決めてない!」
「元気だけはあるな」
「くまどんも行く?」
さきさんが聞く。
「行く」
「即答」
俺の意思は?
「たかし君は?」
「……行きます」
聞かれたら断れない。
というか。
俺も少し腹が減っていた。
*
十分後。
俺たちは駅前のファミレスにいた。
四人掛けの席。
人間三人。
クマ一匹。
ウサギ一匹。
この人数をどう数えるべきなのか、最近よく分からない。
「お前それだけ?」
俺は向かいに座るりりを見る。
テーブルの上。
サラダ。
以上。
「うん」
「四時間歌ったんだろ?」
「歌った」
「腹減ったって言ってなかった?」
「減ってる」
「じゃあ食べれば?」
「夜だから」
「アイドル大変だな……」
涙が出そうだ。
一方、隣では。
「これ!」
つむ丸がメニューを指差している。
「ハンバーグ」
「これ食う!」
「お前の身体くらいあるぞ」
「余裕だ!」
「絶対無理だろ」
「俺ポテト」
くまどんが言う。
「昨日もポテト食ってなかった?」
「ポテトは毎日食える」
「野菜みたいな言い方すんな」
「ポテトは野菜じゃないの?」
「りりまで乗らなくていいから」
さきさんが笑う。
注文を終える。
料理が来るまでの間。
つむ丸とくまどんはテーブルの上で向かい合っていた。
「で」
つむ丸が言う。
「お前、どれくらい人気なんだ?」
「知らん」
「嘘つけ! さっきSNS見てただろ!」
「なんで知ってんだよ」
「りりから聞いた」
「言った?」
「言った」
りりが水を飲む。
「人気なんでしょ?」
「まあ、それなり」
「何人?」
「何人って?」
「フォロワー!」
「まだそんな多くない」
「じゃあ俺の勝ちだな」
「お前何人?」
「…………」
「何人?」
「…………これから増える」
「ゼロ?」
「ゼロじゃない!」
「じゃあ何人?」
「細かい!」
「お前までそれ使うのかよ!」
思わず笑ってしまった。
つむ丸が俺を見る。
「何笑ってんだ!」
「いや」
「俺は絶対有名になるからな!」
「つむ丸が?」
「違う!」
つむ丸が胸を張る。
「りりが!」
声が少しだけ大きかった。
近くの客がこちらを見る。
「声」
りりが言う。
「すまん」
急に小さくなる。
「でも」
つむ丸は続ける。
「りりは絶対有名になる」
「…………」
「歌うまいし」
「うん」
「努力してるし」
「まあ」
「かわいいし」
「それは知らない」
「かわいい!」
「声大きい」
「すまん」
また小さくなる。
くまどんがつむ丸を見る。
「ずいぶん自信あるんだな」
「当然だ」
「本人よりあるんじゃない?」
俺が言う。
りりを見る。
「どうなの?」
「何が?」
「自分が有名になるって」
「なりたい」
返事は早かった。
「やっぱり?」
「うん」
昨日。
りりが言った言葉を思い出す。
『見てもらわないと意味ないし』
「でも」
りりが少しだけ目線を落とす。
「なれるかは分からない」
「なれる!」
つむ丸が即答した。
りりが顔を上げる。
「なんで?」
「俺がそう思ってるから!」
「根拠それだけ?」
「十分だ!」
胸を張る。
相変わらず。
自信だけはすごい。
でも。
りりは少しだけ笑った。
「そっか」
それだけ。
つむ丸も満足そうに頷く。
その時。
料理が運ばれてきた。
「ハンバーグ!」
つむ丸の興味が一瞬で移った。
「切り替え早っ」
「食うぞ!」
「熱いから待てって」
「大丈夫!」
「絶対大丈夫じゃない」
フォークを持とうとする。
大きい。
両手で掴む。
持ち上がらない。
「…………」
「…………」
くまどんが笑った。
「ダサ」
「うるさい!」
つむ丸がしばらく格闘する。
「…………無理」
「だから言っただろ」
「りり」
「なに?」
「食べて」
「……夜なのに」
「頼む!」
りりがハンバーグを見る。
サラダを見る。
もう一度、ハンバーグを見る。
「…………半分だけ」
「助かる!」
結局。
半分では済まなかった。
*
店を出た頃には、午後十時を過ぎていた。
商店街の店はほとんど閉まっている。
シャッター。
街灯。
自動販売機の明かり。
昼間よりずっと静かだった。
俺たちは駅までの道を歩く。
くまどんは俺の横。
さきさんとりりが少し前。
つむ丸は、りりの肩の上。
「食いすぎた……」
「だから無理だって言っただろ」
「ハンバーグが強かった」
「料理と戦うなよ」
半分以上りりが食べていた気がする。
「りり」
「なに?」
「明日も練習か?」
「うん」
「何時?」
「昼くらい」
「俺も行く!」
「知ってる」
「明日も頑張ろうな!」
「うん」
「りりならいける!」
「それも知ってる」
いつものやり取りなんだろう。
りりは面倒そうに答えている。
でも。
嫌そうではない。
「なあ」
俺はつむ丸に声をかけた。
「なんだ?」
「お前って、いつからりりのこと応援してるの?」
「いつから?」
「ほら。小さい頃に作られたんだろ?」
「そうだ!」
「オリジナルになったのはその後だろうけど」
「まあな」
「じゃあ、いつからそんな感じなのかなって」
つむ丸が少し考える。
「そんなの決まってるだろ」
「何が?」
つむ丸が胸を張る。
「最初からだ」
「最初?」
「そう」
りりが少しだけ振り返る。
つむ丸は笑った。
「俺が、りりの最初のファンだからな!」
「…………」
最初のファン。
その言葉だけが、妙に耳に残った。
「どういう意味?」
俺が聞く。
つむ丸が答えようとした時。
「電車来る」
りりが駅の時計を見る。
「あ」
つむ丸も振り返った。
「急げ!」
「お前は走らないだろ」
「りり! 急げ!」
「分かってる」
りりが駅へ向かって歩く速度を上げる。
つむ丸が肩の上で叫ぶ。
「りりならいける!」
「電車に乗るだけ」
「それでもいける!」
「意味分かんない」
りりが笑った。
俺はその背中を見送る。
最初のファン。
まだ。
その意味を、俺は知らなかった。




