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ラブミーくまどん! ~ある日、クマがうちに住み着いた~  作者: 雫石ぶた丸


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第6話 地下アイドル、りり

 カラオケ店で働いていると、たまに不思議な客を見かける。

 一人で同じ曲を八時間歌い続ける人。

 入室してから一度もマイクを持たず、ひたすらスマホを見て帰る人。

 ドリンクバーだけで、なぜか妙に満足そうな人。

 まあ、楽しみ方は人それぞれだ。


 だから。


「あ、りりちゃん来た」


 受付のモニターを見ながら、さきさんがそう呟いた時も、最初は特に気にしなかった。


「誰ですか?」

「ほら、あの子」


 さきさんが入口を見る。


 自動ドアが開き、一人の女の子が入ってくる。


 年齢は俺より少し下くらいだろうか。

 黒いキャップを深く被っていて、表情はよく見えない。

 服装はパーカーに細身のパンツ、肩には大きめのバッグ。


 特別外見に特徴があるというわけでもなさそうだ。


 むしろ。


「知り合いですか?」

「うん。よく来る子」


 女の子は受付まで来ると、小さく頭を下げた。


「こんにちは」

「こんにちは。今日も四時間?」

「うん」


 女の子――りりは慣れた様子で会員証を渡した。


「いつもの部屋空いてるよ」

「ほんと?」

「十五号室」

「よかった」

「ドリンクバーもつける?」

「うん」

「了解」


 受付を終えたりりは、会員証をバッグへしまう。


 その時。


 ちらっと俺を見る。


「新しい人?」

「あ、うん。たかし君」

「どうも」

「どうも」


 それだけ言うと、りりは店の奥へ歩いていった。


「……結構仲いいんですね」

「顔馴染みだよ。よく来るから」


 さきさんがパソコンへ視線を戻す。


「前から一人でよく練習しに来てるの」

「練習?」

「歌の」

「まあ、カラオケですからね」

「そうじゃなくて」


 さきさんが俺を見る。


「あの子、アイドルなんだよ」


「…………」


「いわゆる地下アイドルってやつ」

「先に言ってくださいよ」


 思わず、りりが消えた廊下を見る。


「全然分からなかった」

「本人に言わない方がいいよ」

「絶対言いません」


 さっきの服装を思い返す。


 キャップ。


 パーカー。


 大きなバッグ。


 芸能人感、ゼロ。


 ……芸能人って言っていいのか。


 よく分かんないな。


「名前は?」

「りり」

「芸名ですか?」

「多分ね」

「そこは知らないんですね」

「さすがに何でも知ってるわけじゃないよ」


 さきさんが笑う。


「SNSもときどき見てるし、ライブも何回か行ったことあるけど」

「何回か?」

「まあ二、三回くらい」

「普通にファンじゃないですか」

「ファンってほどじゃないよ」

「二、三回ライブ行って?」

「頑張ってる子だから、ちょっと応援してるだけ」

「それをファンって言うんじゃ」

「細かいなあ」

「ちょっと、くまどんみたいなこと言わないでください」


 最近、周りからこの言葉を使われすぎている気がする。


「まだそんなに有名じゃないけどね」

「正直ですね」

「本人も分かってると思う」


 『まだ』という言葉が少しだけ引っかかった。


「よく来るんですね」

「週に何回か」

「多いですね」

「ライブ前じゃなくても来るよ」

「そんなに練習するんだ」

「うん。かなり」


 その言い方が少しだけ優しかった。


「応援してるんですね」

「まあね」


 さきさんが笑う。


 その時。


 店の奥から歌声が聞こえた。


「…………」


 カラオケ店なので、歌声自体は珍しくない。

 防音されているとはいえ、ドアが開けば廊下まで音は漏れる。


 多分、スタッフがドリンクを運んだんだろう。


 一瞬だけ、十五号室の扉が開いているのが見えた。


 高い声。


 少し細い。


 でも、よく通る。


「上手い」


 思わず口から出た。


「でしょ!」


 さきさんが少し得意そうに言う。


「なんでさきさんが得意げなんですか」

「別に」

「今ちょっと顔に出てましたよ」

「たかし君に言われたくないな」


 十五号室の扉が閉まる。


 歌声も小さくなった。


 俺は少しだけ、その方向を見ていた。


*


 一時間後。


「たかしー」

「なんだよ」

「暇」

「働け」

「仕事終わった」

「じゃあ帰れ」

「ひどくない?」


 くまどんが受付カウンターに両肘をついていた。


 今日も呼び込みの仕事を終えたらしい。


 最近では店長も完全に戦力として扱っている。


 それどころか。


「くまどん君、今日も助かったよー」

「おう」

「明日もお願いね」

「スケジュール確認する」

「予定なんかないだろ。芸能人かお前」

「人気商売だからな」


 いつもの返答。


 くまどんはスマホを見る。


「今日の写真、もう上がってる」

「また見てんの?」

「確認」

「何の?」

「世間の評価」

「大げさだな」


 画面を覗く。


 店先で子どもと写真を撮っているくまどん。


 昨日より反応が多い。


「増えてるじゃん」

「まあな」

「嬉しそう」

「別に」

「顔に出てるぞ」

「クマの顔で分かる?」

「最近なんとなく」


 くまどんが一瞬だけ俺を見る。


「ふーん」

「なんだよ」

「別に」


 なんとなく。


 このやり取りにも慣れてきた。


 最初はただの図々しいクマだと思っていたけど。


 ……いや。


 今も図々しいことには変わりないか。


「腹減った」

「ほらな」

「何が?」

「何でもない」


 その時。


 店の奥から一人の客が出てきた。


 りりだった。


 片手には空のグラス。


 ドリンクバーへ向かう途中なのだろう。


「あ」


 俺より先に、りりが止まった。


 視線の先にくまどん。


「…………」

「…………」


 見つめ合う。


 くまどんが先に口を開いた。


「なんか用か?」

「へぇー、喋るんだ」

「喋るよ」


 それだけ。


 りりはそのままドリンクバーへ向かった。


「反応薄っ」

「誰?」

「さっき話してたアイドル」

「ああ」

「お前も反応薄いな」

「だって知らないし」

「それはそうだけど」


 りりが戻ってくる。


 グラスには水。


 氷も入っていない。


「少し休憩したら?」


 さきさんが声をかける。


「してる」

「今?」

「うん」

「水を取りに来ただけじゃない?」

「歌ってないから休憩」

「りりちゃん、それ休憩って言わないよ」

「そうかな?」

「そうだよ」


 りりが少しだけ笑った。


 さっきまで無表情に近かったから、ほんの少し印象が変わる。


「今日もずっと練習?」

「うん」

「新しい曲?」

「二曲」

「今度のライブで?」

「多分」

「多分?」

「セトリまだ決まってないから」


 俺は会話を聞きながら、受付の仕事を続ける。


 常連と店員。


 というより。


 思っていたより、二人はずっと気安く話すらしい。


「この人は?」


 突然。


 りりが俺を見た。


「え?」


 自分のことだと思わず、一瞬遅れる。


「たかし君」

「バイト?」

「うん」

「どうも」

「どうも」


 会話終了。


「短っ」


 思わず口に出た。


「何が?」

「いや、もうちょっとありません?」

「何を?」

「自己紹介とか」

「りり」

「知ってます」

「じゃあ終わり」

「終わった」


 くまどんが笑う。


「お前、相性悪そうだな」

「お前に言われたくない」


 りりがくまどんを見る。


「名前は?」

「くまどん」

「クマだから?」

「違う」

「じゃあなんで?」

「さあな」

「知らないの?」

「名前は名前だろ」

「ふーん」


 りりは少しだけくまどんを見て。


「わりとかわいい」

「だろ?」


 即答。


「そこ否定しないんだ」

「事実だからな」

「自信あるね」

「人気商売だから」

「また言ってる」


 俺が呆れていると。


 りりが少しだけ笑った。


 さきさんがそれを見ている。


「りりちゃん」

「なに?」

「くまどんと写真撮ったら?」

「なんで?」

「SNSに載せたら面白そうじゃない?」


「…………」


 りりの目が少し変わった。


「載せていいの?」

「俺はいいぞ。問題ない」


 くまどんが答える。


「お前が決めるの早くない?」

「俺の写真だろ」

「まあそうだけど」


 りりがスマホを取り出す。


 少し迷ってから。


「じゃあ、撮る」

「おう」


 くまどんがカウンターから降りる。


「たかし」

「何」

「撮って」

「なんで俺」

「暇だろ」

「働いてるよ!」


 結局、撮ることになった。


 店の入口。


 りりがしゃがむ。


 その横にくまどん。


「もっと近く」

「こう?」

「りり、笑って」

「笑ってる」

「全然」

「これが笑ってる」

「難しいな」


 俺はスマホを構える。


「くまどん」

「ん?」

「クマポーズ」

「任せろ」


 頭の横に両手。


「りりも」

「え」

「やるんだよ」

「嫌」

「そこは即答なんだ」


 くまどんが横から言う。


「人気出るぞ」

「ほんと?」

「多分」

「多分か」


 少し考えて。


 りりも、小さく両手を頭の横に上げた。


「…………」


 真顔。


「笑えよ」

「笑ってる」

「さっきも聞いた」

「早く撮って」

「はいはい」


 シャッターを切る。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


「どう?」

「見る」


 りりがすぐスマホを覗き込む。


 真剣な眼差しだ。


「これがいい」

「どれ?」

「二枚目」

「全部同じに見えるけど」

「違う」

「どこが?」

「顔」

「同じじゃん」

「違う」


 まったく分からない。


 アイドルの世界は難しい。


「これ使っていい?」

「いいぞ」

「くまどんのアカウント、タグつける」

「よろしく」


 くまどんが自分のスマホを出す。


「お前ら急にビジネスっぽいな」


 りりが投稿画面を作り始める。


 文章。


 タグ。


 写真。


 何度も確認している。


 俺はふと思った。


「結構気にするんだな」

「何を?」

「投稿」

「そりゃね」

「もっと適当にやるタイプかと思った」

「なんで?」

「なんとなく」

「アイドルだから」


 りりは画面を見たまま答える。


「見てもらわないと意味ないし」


「…………」


 短い言葉。


 でも。


 さっきまでの何よりも、はっきりしていた。


「そっか」


 俺が言うと。


 りりが投稿ボタンを押した。


「終わり」

「早いな」

「決めたら早い」


 そして部屋へ戻ろうとする。


「あ、りりちゃん」


 さきさんが呼び止めた。


「なに?」

「あとどれくらい?」

「二時間くらい」

「頑張るね」

「いつも通り」

「その『いつも通り』がすごいんだけど」

「そう?」

「そうだよ」


 りりが少しだけ首を傾げる。


「じゃ、戻る」

「うん」


 りりが歩き出す。


 その時。


 肩にかけていた大きなバッグが。


 もぞ。


「…………ん?」


 俺は固まった。


 この動きをよく知っている。


「さきさん」

「なに?」

「今、バッグ」

「うん」

「動きませんでした?」

「動いたね」


「また?」


 思わず声が出た。


 りりが振り返る。


「何?」

「そのバッグ」

「これ?」

「何か入ってる?」

「入ってる」

「やっぱり!」


 もう驚かない。


 驚かないぞ。


 ひなたで経験済みだ。


 この世界にはオリジナルという存在がいる。


 もうバッグが動いた程度で叫ぶほど、俺も初心者ではない。


「オリジナル?」

「うん」

「やっぱり」


 俺は少しだけ得意になった。


 成長している。


 何の成長かは分からないけど。


「出てくる?」

「今寝てるから」

「ひなたと同じタイプ?」

「ひなた?」

「白い猫」

「知らない」


 その時。


 バッグがもう一度動いた。


 もぞ。


 そして。


 隙間から何かが飛び出した。


 長い耳。


 片方だけ少し曲がっている。


 薄い茶色の毛糸。


 丸い頭。


 左右で若干高さの違う目。


 どう見ても。


 手作り。


「…………ウサギ?」


 バッグの隙間から顔を出したそれが。


 勢いよく叫んだ。


「りりならいける!」


「うわっ!」


 反射的に一歩下がった。


 りりが耳を塞ぐ。


「つむ丸、うるさい」

「応援だ!」

「今歌ってない」

「歌ってなくても応援する!」


 小さなウサギは胸を張る。


「俺が応援しなくて誰がするんだ!」


「…………」


 隣で。


 くまどんがじっとそのウサギを見ていた。


「何だこいつ」

「なんだこのクマ」


 視線がぶつかる。


「…………」

「…………」


 嫌な予感しかしない。


 俺はなぜか。


 この二匹は、絶対に面倒くさいことになる。


 そんな確信だけは持てた。

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