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ラブミーくまどん! ~ある日、クマがうちに住み着いた~  作者: 雫石ぶた丸


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第5話 日向にいた猫

「昔さ、家の近くによく白い猫がいたんだ」


 さきさんはそう言った。


 カラオケ店の受付。


 夕方の忙しい時間帯を少し過ぎて、客足が落ち着いてきたころ。


 俺はカウンターの内側で、話の続きを聞いていた。


 足元では、まだひなたが丸くなっている。


「野良猫だったんですよね?」

「うん」

「よく会ってたんですか?」

「毎日じゃないけどね」


 さきさんは懐かしそうに微笑みながら、視線を上げた。


「小学生の頃かな。学校から帰る途中に、小さな空き地があったの」

「空き地?」

「今はもう駐車場になってるんだけど」

「よくあるやつですね」

「そうそう」


 さきさんが笑う。


「そこに古いブロック塀があって、午後になるとちょうど日が当たる場所があったんだよ」

「で、そこに白い猫がいた?」

「うん、そう」


 さきさんが頷く。


「いつも同じ場所にいた」


 俺は足元を見る。


 白い毛。


 丸まった身体。


 眠そうな顔。


「……そっくりじゃん」

「なにが?」


 ひなたが目を開けた。


「いや、お前が」

「わたし?」

「日向で寝てる白い猫」

「そうだけど」

「自覚あるんだ」

「あるよ」


 ひなたはまた目を閉じた。


 自由だな。


「その猫、名前あったんですか?」

「なかったよ」

「呼んでなかったんですか?」

「私は勝手に『シロ』って呼んでたけど。白い猫だったし」

「まんまですね」

「まあ、子どもだったからね」

「今でも同じ名前つけそうですけど」

「失礼だなあ」


 さきさんが笑った。


「でも、飼ってたわけじゃないんですよね」

「うん。触ったことも、ほとんどない」

「懐いてなかった?」

「どうだろう」


 さきさんは少し首を傾げる。


「逃げはしなかったかな」

「それは懐いてるんじゃ」

「でも近づきすぎると、すっと離れるの」

「絶妙……いや、微妙な距離感」

「そう」


 さきさんはどこか懐かしそうに笑った。


「だから私も、少し離れたところに座ってた」

「一緒に日向ぼっこ?」

「そんな感じ」

「地味ですね」

「悪かったね」

「いや、悪いとは言ってないです」


 でも、ほんの少しだけ分かる気もした。


 何か特別なことをするわけじゃない。


 会話するわけでもない。


 ただ同じ場所にいる。


 そういう時間が、妙に落ち着くことはある。


「私、小さい頃から人に合わせるの得意だったんだよね」


 さきさんがふいに言った。


「得意?」

「うん」

「それって得意って言うんですか?」

「どうだろうね」


 少し笑う。


「学校では先生に怒られないようにして、友達が行きたいところに行って、親にはいい子って言われるようにして」

「つまり、優等生だった?」

「そこまでじゃないよ」

「でも、なんとなく分かります」

「なにそれ」

「さきさん、断らなそうだから」

「それ褒めてる?」

「半分くらい」

「残り半分は?」

「心配です」

「たかし君に心配された」

「俺だって人の心配くらいしますよ」

「自分の心配は?」

「しません」

「即答なんだ」


 さきさんが笑う。


 その足元で、ひなたの耳がぴくっと動いた。


「それで」


 俺は話を戻す。


「その猫といると落ち着いたんですか?」

「うん」


 今度の返事は早かった。


「何も求めてこなかったから」

「何も?」

「うん」


 さきさんが窓の外を見る。


「喋らないし、期待もしないし、ちゃんとしてなくても何も言わない」

「猫ですからね」

「そうなんだけど」


 さきさんが笑う。


「だから、楽だった」


「…………」


 なんとなく。


 さっきひなたが言っていたことを思い出す。


『今日じゃなくてもいいんじゃない?』


『全部』


『疲れてる』


 俺は足元を見る。


 ひなたは目を閉じたまま。


「それで、その猫は?」

「ある日、いなくなった」


 さきさんが静かに言った。


「いなくなった?」

「うん」

「急に?」

「急に」


 声の調子は変わらない。


 でも。


 さっきまでとは少し違った。


「いつもの場所に行ってもいなくて」


「…………」


「次の日も、その次の日も」

「探したんですか?」

「近所を少しね」

「でも、見つからなかった?」

「うん」


 さきさんは首を横に振った。


「誰かに飼われたのかもしれないし、別の場所に行ったのかもしれないし」


 一度言葉を切る。


「もしかしたら、死んじゃったのかもしれない。ほら、猫って弱ってる時に姿を隠すことがあるっていうじゃない」


「…………」


「結局、分からないまま」


 俺は何も言えなかった。


 こういう時、何て言えばいいんだろう。


 大丈夫ですよ。


 きっとどこかで元気ですよ。


 そんなことは、何の根拠もない。


 もっと気の利いたことを言えないものかと、情けなくなる。


「さきさん」

「うん?」

「寂しかったですか?」


 聞いてから。


 随分そのままの質問だなと思った。


 でも、さきさんは笑わなかった。


「寂しかったよ」


 少しだけ。


 本当に少しだけ、目を細めた。


「毎日会ってたわけでもないのにね」

「そういうの、関係あるんですかね」

「どうだろう」

「俺は、ない気がします」

「……そっか」


 さきさんが笑った。


 今度は、いつもの笑い方より少しだけ柔らかかった。


*


「それで、ひなたを描いたんですか?」


 俺が聞くと、さきさんは頷いた。


「その猫がいなくなって、しばらくしてから」

「どんな感じで?」

「ノートにね」

「絵ですか?」

「うん。白い猫」

「そのままじゃん」

「さっきから失礼だなあ」


 笑いながら、さきさんがスマホを取り出す。


「写真あるよ」

「あるんですか?」

「昔のノートを撮ったやつだけど」


 画面を何度かスクロールして、俺に見せる。


「これ」


「…………」


 そこには、子どもが描いたらしい白い猫がいた。


 丸い身体。


 三角の耳。


 尻尾。


 そして。


「寝てる」

「寝てるね」

「しかも日向で」

「そうだね」


 紙の端には、黄色いクレヨンで太陽らしきものまで描かれている。


「その頃からひなたって名前だったんですか?」

「うん」

「またそのまま」

「名前つけるの苦手なんだよ」

「なるほど」

「納得しないで」


 俺は画面と足元を見比べる。


 確かに似ている。


 というより、ほとんどそのままだ。


「じゃあ、ひなたってその猫が……」

「違うよ」


 足元から声がした。


 俺は下を見る。


 ひなたが目を開けていた。


「え?」

「わたしはその猫じゃないよ」


「…………」


「別の猫」

「別の猫?」

「わたしは、わたし」


 そう言って、ひなたはまた目を閉じる。


「でも、見た目は」

「似てる」

「性格も?」

「知らない」

「知らないの?」

「会ったことないし」

「そりゃそうか」


 というか、今の説明を考えれば当然だ。


 ひなたは、さきさんが作ったキャラクター。


 昔の白い猫そのものが生き返ったわけじゃない。


「私も最初はちょっと思ったよ」


 さきさんが言う。


「え?」

「もしかしたら、あの子が帰ってきたのかなって」


「…………」


「でも違った」

「どうして分かったんですか?」

「全然違うから」

「どこが?」

「ひなたの方が図々しい」

「聞こえてるよ」

「わざと、聞こえるように言った」

「ひどい」

「あと、シロはこんなに寝なかった」

「猫は寝るよ」

「外行きたいって勝手にバッグから出ようともしなかった」

「あの猫はバッグ入ってないでしょ」

「その通り」


 俺は二人を見る。


 ……二人。


 猫だけど。


 まあいいか。


「じゃあ、本当に別なんですね」

「うん」


 さきさんは即答した。


「ひなたは、シロじゃない」


 その言い方に迷いはなかった。


「でもね」


 さきさんはひなたを見る。


「ひなたを見ると、たまに思い出すよ」

「その猫を?」

「うん」

「寂しくならないんですか?」

「なる時もある」

「じゃあ……」

「でも、それだけじゃないかな」

「それだけじゃない?」


 さきさんは少し考えて。


「うん、落ち着くの」


 そう言った。


「昔、その猫の隣にいた時みたいに」


「…………」


「だから別に、あの猫の代わりじゃないんだよ」


 ひなたは何も言わない。


 ただ、閉じていた目を少しだけ開けた。


「ひなたはひなた」

「うん」

「シロはシロ」

「うん」

「でも、繋がってはいる?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 難しいな。


 俺は思う。


 いなくなったものと、今ここにいるものは同じじゃない。


 代わりでもない。


 なのに、まったく関係がないわけでもない。


「…………」


 俺は足元を見る。


 ひなたが欠伸をした。


「どうしたの?」

「いや」

「なに?」

「なんでもない」

「ふーん」


 ひなたは立ち上がる。


「どこ行くの?」

「日向」

「今もう夕方だけど」

「あったかいところ探す」

「店の中で?」

「うん」

「あるかなあ」


 ひなたはゆっくり歩いていく。


 その後ろ姿を、さきさんが眺めていた。


 少しだけ笑っている。


「さきさん」

「なに?」

「ひなたがオリジナルになった時、嬉しかったですか?」

「うん」


 その答えも早かった。


「びっくりしたけどね」

「ですよね」

「でも嬉しかった」


「…………」


「また会えた、とは思わなかったけど」


 さきさんはひなたを見る。


「新しく会えた、とは思ったかな」


 その言葉が、なぜか少し残った。


 また会えた、ではなく。


 新しく会えた。


 似ているから大切なんじゃない。


 誰かの代わりだから、大切なんじゃない。


 今ここにいる。


 その時間が、少しずつ積み重なっていく。


 たぶん、そういうものなのかもしれない。


「…………」


「たかし君?」

「いや」

「難しい顔してる」

「最近ずっと言われるんですよ、それ」

「考え事?」

「まあ、そんなところです」


 俺は入口の方を見る。


 店頭では、くまどんが子どもに手を振っていた。


 その姿を見て、ふと妙なことを考えた。


「そういえば」

「うん?」

「くまどんって、誰が作ったんだろ」

「本人に聞いてないの?」

「聞いてないです」

「聞けばいいじゃん」


「…………」


 それもそうだ。


 普通なら聞けばいい。


 ただ、なぜかほんの少しだけ。


 聞かない方がいいような気がした。


 理由は、分からなかった。

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