第4話 オリジナル
「オリジナル?」
「そう」
さきさんがこくっと頷いた。
夕方のカラオケ店。
休憩室に置いてあるテーブルを囲んで、俺、さきさん、くまどん。
そして。
「…………」
ひなた。
正確には、ひなたはテーブルを囲んでおらず、窓際の椅子で丸くなっている。
「寝てるけど」
「聞いてるよ。半分だけ寝てる」
「その状態便利だな」
ひなたは目すら開けない。
まあいい。
今重要なのはそこではない。
「それで……さっきの『オリジナル』って何ですか?」
「うーん」
さきさんが少し考える。
「簡単に言うと、人間が作ったキャラクターが、本当に生きて動くようになった存在かな」
「…………」
「伝わったかな?」
俺は隣を見る。
座椅子ではなく、休憩室の丸椅子に座っている茶色いクマ。
くまどんが紙コップの水を飲んでいる。
「じゃあ、こいつも?」
「こいつって言うな」
「お前もオリジナルなの?」
「まあな」
「まあな、じゃないよ!」
思わず立ち上がった。
「それ昨日言えよ!」
「聞かれなかった」
「またそれかよ!?」
「だって昨日は『お前何者?』って聞かれてないし」
「小さい喋るクマだぞ。普通は自分から説明するだろ!」
「俺は普通だけど」
「その話はもういい!」
くまどんが肩をすくめた。
本当に腹立つ。
「落ち着いて、たかし君」
「さきさんも知ってたんですか?」
「くまどんがオリジナルだってこと?」
「はい」
「まあ、なんとなくね」
「なんとなくで分かるものなんですか?」
「ほら、ひなたがいるからさ。なんとなく分かっちゃうんだよね」
「ああ……」
視線を窓際へ向ける。
白い猫はまだ丸くなっている。
「つまり、ひなたも」
「オリジナル」
本人が答えた。
いや、本猫か?
「寝ながら会話に参加するな」
「寝てない」
「さっき半分寝てるって言ったじゃん」
「半分起きてる」
「同じだろ」
ひなたは欠伸をした。
俺は再び椅子に座る。
「ちょっと待ってください」
頭を整理する。
「人が作ったキャラクターが、生きて動くようになる?」
「うん」
「絵とかってことですか?」
「絵だけじゃなくて、ぬいぐるみだったり、物語の登場人物だったり。形はいろいろあるみたい」
「じゃあ、世の中にあるキャラクター全部が?」
「ううん、全部じゃないよ」
さきさんが首を横に振った。
「むしろ、ほとんどはならない」
「じゃあ、どうしたらなるんですか?」
「それがよく分からないんだよね」
「分からない?」
「うん」
そこだけは、さきさんも少し困った顔をした。
「キャラクターを作ったからって、必ずオリジナルとして現れるわけじゃない。何年描いても何も起きないこともあるし、逆に、ある日突然現れることもある」
「適当だな……」
「誰に言ってるの?」
「この世界にです」
俺の知らないところで、世界は思っていたより適当にできていたらしい。
「でもさ」
くまどんが口を挟む。
「そんな難しく考えなくてもいいんじゃない?」
「お前は当人だからそう言えるんだよ」
「俺は俺だし」
「それが分からないから困ってるんだろ」
「細かいな」
「その言葉、禁止にしようかな」
「横暴! クマ差別反対!」
こいつと話していると一向に話が進まない。
「じゃあ」
俺はさきさんを見る。
「オリジナルって、日本で普通に生活してるんですか?」
「してる子もいるよ」
「働いたり?」
「くまどんみたいに?」
「はい」
「いるんじゃないかな」
「学校とか?」
「それもいると思う」
「普通に?」
「まあ、普通に」
「普通って何なんだろう……」
昨日から何度目か分からない疑問が口から漏れた。
俺が二十年間信じてきた普通は、ここ二日ほどでかなり崩壊している。
もう『普通』って言葉を使うの、やめようかな。
喋るクマ。
そして、喋る猫。
それを受け入れている人間。
しかも、どうやら珍しくはあっても、この二匹だけではないらしい。
「たかし君、難しい顔してるね」
「そりゃしますよ」
「別に昨日までと何も変わらないよ」
「変わりましたよ。俺の常識が」
「でも今日も大学行ったでしょ?」
「行きましたけど」
「バイトも来た」
「はい」
「明日も大学?」
「そうです」
「じゃあそんなに変わらないよ」
「…………」
そう言われると。
確かにそうか。
世界に喋るキャラクターが存在していたところで、明日の一限が休講になるわけではない。
「夢がないな……」
「現実的って言って」
さきさんが笑った。
「そういうもんだろ」
くまどんも言う。
「お前が一番非現実的なんだけど」
「失礼な」
くまどんが紙コップを置く。
「こんなにかわいいのに」
「関係ないだろ」
「ある」
「ない」
「ある」
「ない」
「うるさい」
窓際から声。
俺とくまどんが同時に黙る。
「…………」
「…………」
丸まっている白い猫がゆっくりこちらを見る。
「寝れない」
「すみません」
なぜ俺まで謝っているんだ。
*
休憩を終えて、俺は受付に戻った。
頭の中にはまだ『オリジナル』という言葉が残っている。
オリジナル。
人間が作ったキャラクター。
それが、何かのきっかけで生きるようになる。
意味は分かった。
いや。
説明として理解しただけで、納得はまだできていない。
「いらっしゃいませー」
自動ドアが開く。
受付。
会員証。
部屋を案内。
会計。
いつもの仕事。
俺の横では、さきさんがパソコンを操作している。
そして足元。
「…………」
ひなたが座っている。
「まだいたの?」
「いる」
「バッグ戻らないの?」
「狭い」
「さっきまで入ってたじゃん」
「もう嫌」
「気分屋かよ」
「うん」
猫みたいに自由だ。
「ひなた」
「なに?」
「邪魔にならないところにいてね」
さきさんが言う。
「ここ邪魔?」
「たかし君が踏みそう」
「俺?」
「踏みそう」
「二人して俺を何だと思ってるんですか」
「ぼーっとしてる人」
「ひなたとは今日会ったばっかりなんだけど」
「分かる」
「何が?」
「ぼーっとしてる」
「初対面の猫にまで言われるとは思わなかった」
「猫じゃない」
「さっき自分で猫って言ってたよね?」
「猫型」
「急に分類細かいな!」
くまどんの気持ちが少し分かった。
……認めたくないけど。
その時、さきさんのスマホが震えた。
「あ」
画面を見て、小さく息を吐く。
「どうかしました?」
「うん、えーっと……企業説明会の予約」
「ああ、就活ですか」
「うん」
さきさんは大学三年生。
俺より一つ上。
就職活動という言葉が、少しずつ現実になってくる時期だ。
「大変そうですね」
「まだ始まったばっかりだけどね」
さきさんがスマホを操作する。
「説明会も行って、インターンも調べて、自己分析もして」
「はぁ、なんだか聞いただけで疲れてきました」
「たかし君ももうすぐだよ」
「やめてください」
「現実から逃げない」
「未来の俺には未来の俺なりの責任があるので。現在の俺まで巻き込まないでほしいです」
「今のたかし君も同じ人でしょ」
「別人格ということで」
「無理があるよ」
笑いながら、さきさんがスマホを見る。
その横から。
白い頭がぬっと出てきた。
「なにしてるの?」
「説明会予約してる」
「今日?」
「今日」
「なんで?」
「なんでって……予約しないと埋まるかもしれないから」
「明日でよくない?」
「よくないよ」
「そう?」
「そう」
「じゃあ今日?」
「今日」
「大変だね」
ひなたはそう言って、その場で丸くなった。
「それだけ?」
「うん」
「手伝わないの?」
「何を?」
「何か」
「わたし会社行かないし」
「あたかも正論みたいに言うな」
俺が言うと、ひなたがこちらを見る。
「たかしもやらないの?」
「何を?」
「就活」
「まだ二年だから」
「じゃあ明日でいいね」
「一年以上先だよ」
「たくさん寝られる」
「その発想はなかった」
「参考にしないでね」
さきさんが即座に止める。
「でも」
ひなたがさきさんを見る。
「今日じゃなくてもいいんじゃない?」
「何が?」
「全部」
さきさんの指が一瞬止まった。
「…………」
「疲れてる」
「そう見える?」
「うん」
「でもやらなきゃ」
「なんで?」
「なんでって」
さきさんが少し困ったように笑う。
「みんなやってるから」
「ふーん」
ひなたはそれ以上何も言わなかった。
また床に丸くなる。
数秒。
さきさんも何も言わない。
「…………」
なんだ。
今の間。
俺が視線を向けると、さきさんは気づいたようにまたスマホを操作し始めた。
「予約、取れた」
「あ、よかったですね」
「うん」
笑っている。
いつものさきさん。
でも。
ほんの一瞬だけ。
何か引っかかったように見えた。
「そういえば」
俺は足元のひなたを見る。
「ひなたって、さきさんが作ったんですよね?」
さきさんの指が止まった。
「うん」
「どうやって?」
「どうやって?」
「いや、オリジナルってもともとキャラクターなんですよね?」
「そうだね」
「じゃあ、ひなたを描いた理由とかあるのかなって」
「理由か……」
さきさんが少し考える。
ひなたは目を閉じたまま。
「昔ね」
さきさんが言った。
「家の近くに、白い猫がいたんだ」
「猫?」
「うん。野良猫だけどね」
ひなたの耳が、ぴくっとほんの少しだけ動いた。
「飼ってたんですか?」
「ううん」
さきさんは首を横に振る。
「私の猫じゃないよ」
少しだけ懐かしそうな顔をした。
「ただ、よく日向にいたの」
「日向?」
「そう」
俺は足元を見る。
白い猫型のオリジナル。
名前は、ひなた。
「それって……」
さきさんが小さく笑った。
「その話は、ちょっと長くなるかな」
「また長い話?」
ひなたが目を閉じたまま言う。
「今回はひなたの話だからね」
「じゃあ寝てていい?」
「本人だよ?」
「知ってる」
「自由だなあ」
さきさんは困ったように笑った。
俺はもう一度、ひなたを見る。
白い毛。
三角の耳。
眠そうな顔。
いつも暖かい場所を探している、小さな猫。
その名前の理由を、俺はまだ知らなかった。




