第20話 黒い影
次の日。
「今日は俺だけか!」
つむ丸が言った。
「何が?」
「撮影!」
「今日は撮らない」
「なんでだ!」
「毎日出したら飽きられる」
「俺は飽きられない!」
「その自信どこから来るの?」
「人気!」
「昨日バズっただけだろ」
「まだ言うか!」
カラオケ店。
休憩室。
夕方。
つむ丸はテーブルの上で。
昨日から何回目か分からない再生数の確認をしている。
「増えた!」
「よかったな」
「反応薄い!」
「昨日から聞いてるから」
「もっと喜べ!」
「おめでとう」
「気持ち!」
「おめでとうございます」
「丁寧になっただけだ!」
りりが笑う。
つむ丸の右手。
もう。
完全に戻っている。
透けてもいない。
薄くもない。
いつもの。
少し短い腕。
「つむ丸」
「何だ!」
「今日ぼく練習するから」
「おう!」
「静かにしてて」
「任せろ!」
「できる?」
「できる!」
「ほんと?」
「できる!」
「声大きい」
「…………」
つむ丸が。
両手で口を押さえた。
「じゃあ行ってくる」
りりが休憩室を出る。
「俺も!」
「来ないで」
「なんで!」
「静かにできないから」
「できる!」
「今できてない」
「…………」
「ここで待ってて」
「俺はりりの最初のファンだぞ!」
「知ってる」
「応援する!」
「今日は集中したい」
「…………」
少し。
つむ丸が止まった。
「そっか」
「うん」
「じゃあ待つ!」
「ありがと」
「終わったら感想言う!」
「聞いてないじゃん」
「想像で!」
「いらない」
りりが出ていく。
ドアが閉まる。
「…………」
つむ丸が。
扉を見る。
「大丈夫?」
俺が聞く。
「何が!」
「別に」
「俺は大丈夫だ!」
「聞いてない」
「聞け!」
「面倒」
「クマみたいなこと言うな!」
「俺いないけど」
くまどんは今日。
仕事。
「じゃあ誰に言えばいい!」
「知らない」
「暇だ!」
「スマホ見てれば」
「もう見た!」
「何回?」
「いっぱい!」
「じゃあ寝ろ」
「俺は寝ない!」
「好きにして」
俺は。
バイトに戻った。
*
二時間後。
「終わった?」
受付に戻ってきたりりが聞く。
「何が?」
「仕事」
「まだ」
「そっか」
「練習は?」
「終わった」
「つむ丸は?」
「休憩室じゃない?」
「来なかった?」
「来てない」
りりが。
少しだけ首を傾げる。
「珍しい」
「言われた通り待ってるんじゃない?」
「つむ丸が?」
「失礼だな」
「たかしもそう思ってるでしょ」
「少し」
りりが休憩室へ向かう。
「つむ丸」
ドアを開ける。
「…………」
返事。
なし。
「つむ丸?」
俺も中を見る。
テーブル。
ソファ。
床。
いない。
「トイレ?」
「一人で行く?」
「行くんじゃない?」
「知らない」
りりがスマホを出す。
電話。
少し。
待つ。
休憩室の隅。
つむ丸のスマホが震えた。
「置いてる」
「じゃあ近く?」
「探す」
りりが言う。
「俺も行く」
「仕事は?」
「五分くらいなら」
「怒られない?」
「多分」
「多分なんだ」
*
いた。
店の裏。
従業員用の出入口を出たところ。
「何してるの?」
りりが言った。
「…………」
つむ丸が。
壁際に立っている。
「つむ丸?」
「りり」
「何?」
「見た?」
「何を?」
「今」
「何?」
「黒いの」
「…………」
俺とりりが。
顔を見合わせる。
「黒いの?」
俺が聞く。
「いた!」
「どこ?」
「そこ!」
つむ丸が指差す。
建物と建物の間。
狭い隙間。
暗い。
でも。
何もいない。
「いないけど」
「いた!」
「何が?」
「分からん!」
「人?」
「違う!」
「動物?」
「違う!」
「じゃあ何?」
「黒いやつ!」
俺は。
昨日の夜を思い出した。
交差点。
人の間。
煙みたいな。
形のない。
黒い何か。
「つむ丸」
「何だ!」
「どんなやつ?」
「だから黒い!」
「形は?」
「なかった!」
「…………」
「煙みたいで!」
同じ。
俺は。
隙間を見る。
「触った?」
りりが聞いた。
「…………」
「つむ丸?」
「少し」
「少し?」
「向こうから来た!」
「触られたの?」
「知らん!」
「どこ?」
「手」
つむ丸が。
右手を見る。
「右手?」
「違う」
左手。
「こっち」
りりがすぐ近づく。
「見せて」
「何ともない!」
「いいから」
「…………」
りりが。
つむ丸の左手を見る。
「薄くなってない?」
俺が聞く。
「なってない」
「ほんと?」
「うん」
つむ丸も。
何度も手を見る。
「何もない!」
確かに。
普通。
触れられた跡も。
傷も。
透けてもいない。
「どれくらい触ってた?」
俺が聞く。
「知らん!」
「一瞬?」
「もっと!」
「何秒くらい?」
「分からん!」
「三秒?」
「もっと!」
「十秒?」
「そこまではない!」
「じゃあ五秒くらい?」
「多分!」
りりが。
つむ丸を抱き上げる。
「戻る」
「俺歩ける!」
「今日はいい」
「でも!」
「戻る」
「…………」
「分かった」
*
休憩室。
つむ丸。
テーブル。
りり。
隣。
「それで?」
俺が聞く。
「何が?」
「なんで外にいたの?」
「暇だったから!」
「勝手に出た?」
「散歩!」
「店の裏で?」
「近かったから!」
「危ないじゃん」
「何が!」
「さっきのやつ」
「知らなかった!」
「まあそうだけど」
「俺は悪くない!」
「誰も言ってない」
「顔が言ってる!」
「この顔しかない」
「それクマのやつ!」
「借りた」
「返せ!」
「本人いないから無理」
つむ丸が。
いつものように叫ぶ。
普通。
いつものつむ丸。
でも。
りりは。
つむ丸の左手を見ている。
「何だ!」
「別に」
「ずっと見てる!」
「見てない」
「見てる!」
「じゃあ見てる」
「なんでだ!」
「心配だから」
「…………」
つむ丸が。
黙る。
「大丈夫だ!」
「うん」
「何ともない!」
「うん」
「ほら!」
左手を振る。
「戻ったばっかりなんだから」
りりが言った。
「また変になったら嫌」
「ならない!」
「分かんないじゃん」
「…………」
つむ丸が。
腕を下ろす。
「分かった」
「何が?」
「今日は大人しくする!」
「できる?」
「できる!」
「声」
「…………」
また。
両手で口を押さえた。
*
その日の夜。
家。
「黒いやつ?」
くまどんが言った。
「うん」
「形は?」
「なかったと思う」
「煙みたい?」
「そう」
「触った?」
「つむ丸が」
「どれくらい?」
「五秒くらい」
「…………」
くまどんが。
珍しく黙った。
「何?」
「別に」
「知ってる?」
「知らない」
「ほんとに?」
「見たことない」
「でも今」
「何?」
「考えたじゃん」
「俺だって考える時くらいある」
「珍しい」
「失礼」
くまどんが。
ポテトを食べる。
「つむ丸は?」
「何ともない」
「薄くなってない?」
「なってない」
「変なところは?」
「今のところ」
「そう」
「…………」
「何?」
「いや」
くまどんが。
一本。
ポテトを口に入れる。
「しばらく一人にしない方がいいかもな」
「なんで?」
「分かんないから」
「…………」
「分かんないものは警戒する」
「まともなこと言うじゃん」
「俺はいつもまとも」
「それは違う」
「なんでだよ」
スマホが鳴る。
つむ丸。
『たかし!』
『何』
『今日の動画どうなった!』
『撮ってない』
『なんでだ!』
『りりが練習の日だったから』
『そうだった!』
『忘れてたの?』
『忘れてない!』
『じゃあ何』
『明日は撮るぞ!』
『元気だな』
『当たり前だ!』
普通。
いつも通り。
俺は。
少し安心した。
『手は?』
『何ともない!』
『ほんと?』
『写真いるか!』
『いらない』
『送る!』
一秒後。
写真。
左手。
アップ。
『普通だろ!』
『普通』
『俺は丈夫だからな!』
『ぬいぐるみなのに』
『オリジナルだ!』
『知ってる』
『忘れるな!』
俺は。
少し笑って。
スマホを置いた。
*
翌日。
昼。
大学。
講義中。
スマホが震える。
見ない。
また震える。
見ない。
三回目。
仕方なく。
机の下で見る。
つむ丸。
『たかし』
珍しく。
びっくりマークがない。
『何』
少しして。
『変なこと聞いていいか』
『何』
『俺って』
止まる。
続き。
『こんな声だったよな?』
「…………」
意味が分からない。
『何それ』
『今』
『うん』
『俺の声聞こえた』
『自分の?』
『違う』
少し。
間。
『俺じゃないやつが』
「…………」
『じゃあ誰』
既読。
返事。
なし。
一分。
二分。
『つむ丸』
返事なし。
また。
スマホが震えた。
『分からん』
その一言。
次。
『でも』
『何』
『俺と同じ声だった』
「…………」
講義室。
先生の声。
ノートを取る音。
周り。
普通。
俺だけ。
スマホを見る。
昨日。
黒い影。
つむ丸の左手。
五秒。
俺と同じ声だった。
画面。
もう一度。
メッセージ。
『どこで聞いた』
少しして。
返事。
『後ろ』
俺は。
スマホを握った。




