合宿というよりもバカンス的な箸休め
異常な光景だった。
宇宙服のような分厚いスーツと、背後には自分の背丈くらいあるボンベを背負うその姿は、他に言い表しようがない。
宇宙服と違いヘルメットがないため、顔は隠れておらず、ナガレの精悍な面構えが露わになっている。
そんな恰好で、ナガレはランニングマシーンの上を走り、顔中汗塗れで完全に息を切らせていた。
そりゃ、そんな恰好で走ったらそうなるに決まっている。
なのに、ナガレの表情は異様な程清々しかった。
「けっこう……良いな……これ……」
どこか恍惚とした表情混じりのナガレに、横で軽いジョギングくらいで流しているカイはドン引きだった。
「……お前……どうかしてるわ」
「いや……これが効くんだわ。マジで」
「そりゃ、それだけ荷重積めば効くだろうな」
「それが許されるランニングマシーンってのはなかなかだぞ。流石、宇宙を想定してる」
そうナガレは呟いた後、ランニングマシーンが規定ノルマを達成した合図のアラームが鳴った。
ナガレはボンベをそっと下ろし、スポーツドリンクを牛飲する。
小さなペットボトルは、一瞬の内に空となった。
その直後、カイのランニングマシーンもアラームを鳴らし、カイはナガレの隣に座った。
「まあ、そうだな。それに関しては俺も嬉しい誤算と思っている」
そう言ってカイはジムの奥に見える扉を見つめる。
その先にあるのは遠心シミュレーター装置。
ぶんぶんと振り回し全身にGを感じるアレである。
民間企業にあるのは非常に珍しい設備と言えるだろう。
それ以外にも、直下、直進のGを発生させる装置や無重力状態の再現、深海での活動訓練など、ジムには絶対にないであろう希少な設備がここには色々揃っている。
それはこの鷲羽製作所が宇宙に関わる会社であることが理由として挙げられる。
つまり、これらは宇宙飛行士の訓練施設として用意されたものだった。
と言っても、実際に使われたことは一度もない。
これらは設備は市が調子に乗って補助金を出して作ったは良いものの、そこまで手が行きわたらず、結果企画倒れとなった悲しき夢の残骸であった。
「ま、せっかくだ。俺も『打ち上げ訓練装置』を使わせてもらおう」
カイは立ち上がり、隣の部屋のスイッチを入れ、使用要望を提出する。
ここから職員が装置を点検、稼働し、カイの訓練のためだけに数人が付きっ切りとなる。
装置もそうだが、専門の知識を持った人を何人も侍らせながら訓練する。
まったくもって贅沢な話である。
とは言え、これらは貴重な上、下手すれば肉体を鍛えるより重要な訓練である。
遠慮なんてしている余裕はカイにはなかった。
「俺はもうひとっ走りしたら深海トレーニングの方に行ってみようかな」
ナガレの言葉にカイは怪訝な顔となった。
「一体何がお前をそうさせるんだ……」
体力的に過酷な訓練の後、体力的に過酷な訓練を受けて、体力的に過酷な訓練をする。
わけがわからないとしか言いようがなかった。
「体力なんてあればあるだけ良いだろ? それに、俺の場合いつまで訓練出来るかわからないからな。出来る時に鍛えておきたいんだ」
そう、ナガレは告げる。
「うまくいってないのか? マスタースレーブの改修」
「いや。想定通りではあるらしい。ただ、調整がすげーシビアなんだ。スフィアシステムと干渉し合うから」
「まあ、そうか。スフィアシステムとマスタースレーブ両用って普通に考えたらありえないわな」
マスタースレーブは、動きがそのままトレースされる。
エーテルスフィアシステムは脳波とリンク状態となる。
やってることは似ているが、その過程がほぼ正反対。
だから相互に干渉するし、脳が相互に誤認し合う。
それこそ、実際使えば腕が四本に増えるような感覚だろう。
「それと、マスタースレーブシステムってめっちゃ体力使う。だからやっぱり体力は正義だ」
そう言って、ナガレは爽やかに笑った。
「まあ、そうだな。お前が言うと妙に説得力あるよ」
そう言って、カイは自分も空いた時間でもう少し走ろうとランニングマシーンを起動する。
ついでに、さっきより少しだけきつめに設定しておいた。
そうして男二人、真剣な表情で黙々と走り続ける。
大会のため、自分のため、願いのため。
為すべきことを為すための訓練だからだろう。
彼らは、全く苦ではなかった。
そんな彼らを見つめる目が一つ。
じーっと、真剣に。
ひと時さえ目を離さず、その男は二人を睨み続けていた。
男の名前は天羽智。
馬鹿親である。
智はゲートキーパーとなり、背後の扉、とりわけ野郎の立ち入りを特に厳しく制限していた。
「なあカイ。あれ、ほっといて良いのか? もう三時間くらいに……」
「しっ! 目を合わせるな。ウザ絡みされるぞ」
そう言ってカイは、必死に智と目を合わせないようにする。
ナガレも確かにと思い、カイ共々再び無視を続行した。
ざざーん、ざざーんと、波の音。
心地よい音と共に、どこか陽気な音楽が遠くから響く。
柔らかく、波の音で消えるかどうかというような、そのくらいの音量。
そんな緩やかな環境で、ぷかぷかとフロートマットの上で寝ころび、水の揺れに身体を委ねる。
少しだけ、こんなことしていていいのかなぁという気持ちもあるにはあるが、ドクターストップが出たのだからしょうがない。
「気持ち良いね」
自分に話しかける、優しい声をあさひは耳にする。
「そだねー」
ぐでーとしたままそれだけ答え、隣を見る。
隣にいるのは、悠陽。
奏多悠陽。
友達……というよりは、無二の親友だろうか。
少なくとも、今のところあさひはそう思っている。
「少し離れた場所では野郎が険しい訓練をしてるというのに……」
あさひの呟きに悠陽は心配そうな表情を向けた。
「焦ったら駄目だよ。大切な時だからこそ、身体を大切にしないと」
「それはわかってるの。そうじゃなくて」
「なくて?」
「羨ましいだけ」
「え、えぇ……」
「だって宇宙飛行士の訓練施設だよ? めっちゃやりたくない?」
「あはは……。大変そうだから私はあまりやりたくないなぁ」
そう言って、悠陽は困った顔で笑った。
「ちぇー」
そう拗ねた真似をしながら、あさひは悠陽の姿を見る。
浮き輪で浮かぶ彼女は、すらっとした魅惑的な四肢をしていた。
男性のフリが出来るくらいに高く、すらっとした背丈。しなやかで長い手足。
女性的魅力がないとか言われたらそんなことはなく、スレンダーながらも十分な色気を感じる。
あさひは自分の身体に目を向ける。
ただでさえ棒切れのような幼児体型なのに、日焼け対策に全身が隠れる可愛さの欠片もない水着が、その虚しさを後押ししている。
それと比べたら、悠陽のパレオ付きビキニが眩しいこと眩しいこと。
「……変な気分になりそう」
そう呟き、あさひは悠陽から目を反らした。
「どうした、あさひさん?」
「にゃんでもないよー」
「でも、少し顔赤いよ? のぼせた?」
「夏の暑さにね」
「ふふ、ちょっと早くない? しかも完全気温維持の室内プールで」
そう言って、悠陽はくすくすと楽しそうに笑った。
午前のプール訓練を終え、あさひと悠陽はシャワーを浴びた後、着替えて外に出る。
まあ、訓練という名目の療養に過ぎないが。
この合宿中のあさひの日課は、休むこと、検査、点滴を含めた投薬の三つである。
そこまで悪いというわけではない。
ただ、それが彼女の日常だったのに、日課がおざなりになっていたというだけの話に過ぎない。
とはいえそれは、逆説的に言えば無茶した割にそこまで体調が悪化していないということにもなるが。
そうして次はウォーキングという名の散歩に行くか、それとも噂のマスタースレーブシステムを見に行くかなんて考えていると……。
『天羽あさひさん。待合室にてお客様がお見えです。繰り返します。天羽あさひさん。待合室にて……』
「ありゃ? 誰さん?」
あさひは首を傾げ、悠陽と共に言われた場所に向かう。
そこに居たのは、皇真琴だった。
「ごきげんよう、緋衣朔夜様。お手間をおかけして申し訳ありません」
お嬢様モード全開で真琴は深々と挨拶をする。
いや、お嬢様モードというか、崇拝モードというか。
真琴の目は、気持ち悪いほどにキラキラしていた。
「ご、ごきげんよう、真琴様。どうぞ気軽にあさひとお呼び下さいませ」
引っ張られ、お嬢様口調となりながら、あさひはそう返した。
「そんなこと出来ませんわ!」
もう何度目かわからない問答に、あさひはこっそり溜息を吐く。
「……それで、真琴様。どのような御用でしょうか? 私に手伝えることであれば良いのですが」
「いえ。用事があるというわけではないのです。ただ、人手が必要と聞きましたので」
「と、言いますと?」
「鳳学園大学RAEオンライン部、部長と四名、ARCの合宿に参加・協力致しに参りました!」
「よろしいのですか? それとも、鳳学園にとって私達は敵にさえなり得ないと?」
どこか気まずそうに、だけど同時に圧をかけるようあさひは尋ねる。
彼女の兄、皇蒼月こそがARCにとっては頂であり目標。
つまり、自分たちは真琴の兄の敵である。
だから、好意は嬉しいが疑わずにはいられなかった。
「うちとチームイクリプス……お兄様の所属する部に繋がりはありませんわ。ここに居るのは極めて個人的な事情だけです」
「個人的?」
「はい。以前のお詫びと、ランカー緋衣朔夜様の力になりたいという、個人的な」
あさひは隣にいる悠陽と見つめ合い、互いに小さく頷く。
「んじゃ、お嬢様モードはここまで。真琴って呼ばせてもらうわ」
そう言ってあさひが手を出すと、真琴は顔をほころばせ、両手でしっかりとその手を握った。
「ところで一つ質問だけど、その四人ってのは?」
「あ、今こちらに向かってるはずですわ」
「ほーん。その四人の選出理由って? 実力?」
「いえ。その……婚約者か彼氏の居る方ですわ。私は違いますが」
「……なんで?」
「以前ご迷惑をおかけしたので、徹底しようかと。あと……その……」
「その?」
「そちらの、男性パイロット二名を狙ってる方も少なくありませんでしたので」
「……………………なんで?」
「……私には、わかり兼ねますわ」
そう言って、真琴は遠くを見つめる。
その様子から、日頃の苦労がありありと見て取れた。




