過去の対価
昔の友達は笑いながら言う。
『あいつ本当に地味だな』
合コンで紹介された時、女性たちは笑いながら言った。
『なんか、存在感がないよね』
顔は悪くない。
むしろかなり良い部類。
性格も悪くない。
むしろ最上に近い。
頭脳?
それは彼の得意分野だ。
そもそもの話だが、彼に悪い部分は何もない。
顔良し、頭良し、運動神経良し。
おまけに家柄まで付いてくる。
完璧超人のスパダリと呼んでも過言ではなく、スペックだけで見れば女性に群がられてもおかしくはない。
それなのに、まったくモテない。
女性からどこか地味という評価を下されるのは、きっと彼がそういう星の下に生まれたからだろう。
もしくは、生まれた片割れが異常者の所為。
神楽坂達臣というのは、そういう男であった。
そんなミスター地味男である彼だが、その価値を理解している者もまた少なくない。
地味? 結構なことではないか。
つまりそれは、目立つような失敗がないということなのだから。
自分の力量を理解し、成功のみを多く積み重ねていける。
それは強み以外の何物でもない。
事務処理のような単純作業の比重が多くなればなるほど、彼という男は真価を発揮する。
学生時代の地味という評価も、決して間違っているものではない。
彼のクリエイティブ能力そのものは微妙であり、何を作ってもどこか二番煎じのような、良くも悪くも秀作止まりで、魅力のないものしか出来上がらない。
けれど、ひとたび単純作業を行わせたら、彼ほど輝く男はいない。
情報を集め、精査し、簡潔にまとめ、期限内に提出する。
そんなこと、誰にだって出来ることだ。
そう言われたら否定は出来ない。
けれど、その誰にだって出来る仕事を、彼は一切のミスなく丁寧に、人の何十倍も早く行う。
相手の思惑を正しく理解し、その意図を汲みながら。
比喩ではない。
彼の処理能力は、一般的な事務員数十人分に匹敵する。
事実、彼という存在一人いただけで、神科大事務員全体の残業時間は大きく減少した。
そんな彼が、運営サイドから外れ事務仕事が出来なくなったと聞いたらどうなるだろうか。
恨まないわけがない。
それこそ、彼らがARCに嫌がらせをしている理由である。
彼という存在を奪ったことに対しての妬みと、そしてあわよくば戻って来てくれるという希望。
そんな事務員たちに心から愛されている彼だからこそ――大学の裏に居るその存在に行きついた。
元々神科大の運営に深く携わっていた達臣だからこそ、この状況に誰よりも強く違和感を覚えた。
今回の騒動、多くの人を機能不全にしつつあさひを隔離するなんて手腕、はっきり言って古巣に出来ることではない。
それほどまでに有能な人物は、達臣の見る限りいなかった。
別に神科大運営サイドが無能揃いというわけではない。
彼らは正しくプロフェッショナルである。
ただし、己の専門分野の。
言語の、事務の、教育の、科学技術の。
そういう分野の一流の人材が集まり、子供たちの未来を願って神科大の運営は行われている。
逆に言えば一芸に秀でた人材ばかりで、まんべんなく何でも出来る秀才は達臣以外にいない。
だから、彼らは暗躍とか、嫌がらせとか、そういう行動にすこぶる疎く弱い。
むしろ他所の大学や企業からいつもやられる側。
良くも悪くも、神科大の運営に関わる者たちは真面目な人ばかりだった。
だからこそ、おかしいのだ。
たった一撃で、ARCを崩壊一歩手前まで追い込む。
そんな強い動きが、拙速かつ豪胆な策略が、彼らに出来るはずもない。
そう疑いながら大学の動きを調べてみたら、驚くほどあっさりと黒幕が特定出来た。
運営サイドの彼らは、達臣の知っていた時と何も変わっていなかった。
彼らは根が真面目である。
だから、黒幕の存在を隠蔽するという手段まで真面目に行われていた。
定型文の如く常識的な手段で、いくらでも暴けるほど真面目に。
彼らは隠し事をするには、あまりにも善良過ぎた。
そうして、達臣はアポイントを取り、彼と相対した。
天羽智――今回の黒幕と。
「さて、それでご用件は何でしょうか?」
そう尋ねる智の様子は、敵意を隠そうともしていない。
その髪は、珍しい銀髪だった。
けれど、あさひのような澄み切った輝きはない。
鈍くくすんだその色は、どこか古びた銀細工を思わせる。
容姿もまた対照的で、長身かつ目鼻立ちのくっきりとした西洋風の顔立ち。
それも当然だろう。
彼はもともと、外国生まれの帰化人なのだから。
天羽智。
旧名ケルヴィム・アンダーソン。
彼について、達臣は多少のことをは知っている。
それはあさひの父親だからではない。
彼が機械系の知識、とりわけマギア論に深い造形を持つ優れた科学者であるからだ。
けれど、彼はARCの協力者に名を連ねていない。
それ以前に、スカウトさえしていない。
スカウトなんて、出来るわけがない。
かつて十年前、大事故にて娘を失いかけた父親に、その時の部活に協力しろになんて。
「ふむ。用事がないようしたら、私は帰らせていただきたいのですが?」
それは、虫けらでも見るよう目だった。
達臣は言葉を考える。
素直に要求を伝えるというのは論外だ。
はぐらかされるに決まっているし、そうでなくとも相手の機嫌をこれ以上損ねるだけ。
こちらとあちらは今、決して対等ではない。
考えろ。
この状況は、人質を取られているのと大差ない。
その上で、出来ることは……。
「貴方の要求を教えて下さい。天羽智さん。貴方が何を考え、どうしてこのようなことを行ったのか」
達臣は、一つの質問に見せながら同時に複数の問いを出し、相手が最も重要視するものを探った。
「娘を愛しているから。それ以外に理由はありません」
「愛しているから、ですか?」
「ええ。……君に大切な人はいますか?」
達臣は小さく頷いた。
「では、貴方に想像できますか? 十年前。事故で娘が生死の境を彷徨った。その時の私の気持ちが、苦しさが」
十年前……かつてのARCであり、赤羽がパイロットだった時に起きた事故。
ただ、あれはどちらかと言えばARCも被害者側であり、加害者は別にいる。
けど、そんなことは相手だってわかっているはずだ。
理屈じゃない。
これは、感情の話。
だから、ここで返すべきは――。
「わかりますよ。だって、十年前の事故による犠牲者の片割れは、私の姉でしたので」
その言葉を聞いて、智は目を丸くした後、悔しそうに押し黙った。
良くも悪くも、智は愛で行動している。
底にあるのは感情であり、理性や理屈は後から付け足されたもの。
だからこそ――彼は、達臣の言葉を聞かなければならぬ理由があった。
「ええ、そうです。――貴女の娘の足には、私の妹の骨が使われています」
あの時は、色々とあった。
一言で言えば、神楽坂なぎさという異常者は、幼少期であっても異常であったというだけのこと。
幼子であったというのに、なぎさは事故直後自身にトリアージを行い、無駄だとわかったから足を切り落とし隣の少女に使うよう提案した。
それでも、その異常者による提案によって、一人の少女が救われたのは紛れもない事実であった。
「……話を聞きましょう」
そう、智は言うことしか出来ない。
それだけの恩義が彼に――いや、彼の妹であるなぎさには、智はあった。
ようやく、一言聞いてもらえるようになった。
けれど、これは決して状況が好転したわけではない。
なにせそれは、一言で相手を説得しなければならないということなのだから。
自慢じゃないが、そういう交渉術は達臣にとって苦手分野に入る。
準備を積み上げるのが自分のやり方で、いつだってアドリブは彼女の役割であった。
だから達臣はいつものように――準備していた言葉を口にする。
嘘偽りはなく、本音で、そして相手に届くような、そんな一言を。
「正直に言えば、俺はARCに未練はありません」
「まあ、そうでしょうね。どちらかと言えば君は運営側の人間だ」
「はい。なので、ARCが潰れたとしてもかまいません。けれど……逆に言えば、俺みたいな本気じゃない人間は、それに口を挟む権利さえないと思っています」
「…………」
智は、何も言葉を返さなかった。
「選択すべきなのは、いつだって本気の奴であるべきです。俺の妹や、貴方の娘のように」
「……君は、何が言いたいんだい?」
「天羽あさひは、ARCの中心人物でした。何故かわかりますか?」
「あさひちゃんが世界一可愛いからだろ?」
「……は?」
「世界一可愛いからだ。違うのか?」
冗談かと思ったら、目がマジだった。
だからそのことについて、達臣は何も触れることが出来なかった。
「こ、個人の主観については置いておきます。彼女、天羽あさひがARCの中心であったのは、彼女がいつだって、本気だったからです」
そう、本気だった。
あさひという少女はいつだって全力で、ひたむきで、そしてまっすぐで。
だから、部のみんなは彼女を信じた。
その背を叩くように押して、彼女の背を見守った。
つまり……。
「俺たちは、彼女の本気をみんな信じてます。だからどうか、貴方も彼女の本気を"信じて"あげてください」
智は少しだけ、沈黙した後ゆっくりと息を吐いた。
「その言葉は、君が考えたのかい?」
達臣は智の質問に、正直に答えた。
「事前に相談させていただきました。天羽調さん。貴方の奥さんに」
「ああ。道理で――」
達臣の言葉が、智には最愛の妻よりの遠回しな脅迫が聞こえていた。
『娘が本気なことくらいわかるよね? それに、あんたのオタクがうつったんだから責任くらい取りなさいよ?』
にっこり笑いながらの妻が想像出来る。
そのくらい、達臣の言葉はうまく伝言出来ていた。
「……つまり、私は君の話に耳を傾けた時点で敗北していたということか」
「ではっ!」
がたりと席を立ちあがり、達臣は前のめりになる。
だが、智は静かに首を振った。
「いいや。君も言ったじゃないか。決めるのは我々ではないと」
「えっ? だったら……一体……」
「君が娘の"本気"を信じるように、私達も娘を"本気"で心配しているんだよ。きっと、君も親になればわかる。だからね――比べようじゃないか。どちらが上なのかを」
そう呟く智は、本当に不承不承という態度だった。




